ソラとシンエンの狭間で   作:環 円

1 / 14
アイアンボトムサウンド
第一話 着任


 198X年、世界の頂として繁栄していた人類に震撼が走った。

 突如海底から現れ、世界の海を空を支配した謎の深海棲艦。

 それらは人類から海を、空を奪い、陸地に押し込めるまで猛威をふるい続けた。

 

 人類もただ無抵抗に侵略されたわけではない。

 国家間同士が連携を組み最大火力の戦力で、振り上げられた鉄槌に対し果敢にも挑んだのだ。

 誰もが見たことがあるだろう、絶望が人の間に伝播し諦めが多数になろうとも、たった一人現れるヒーローが全ての苦境を蹴散らし、世界を救うという映画の数々のどれかを。

 

 人々は祈った。

 祈り、奇跡が起こることを切に願った。

 

 しかし。

 逆境をひっくり返すはずのヒーローは現れなかった。志高く、挑んでいったものから骸と化した。

 全ての艦船は青の中へと消えてゆく。抵抗する一瞬、砲弾を、魚雷を撃つ数秒さえも与えられず、ことごとくが沈められていった。

 深海棲艦は情け容赦なく海に出てきた艦隊を叩き落としてゆく。

 人々は絶望する。天を仰ぎ天使の降臨を願うが全く奇跡は具現しなかった。

 世論は核の使用を求め民意に押し切られるような形でいくつもの国がそのスイッチを押す。

 戦争に及ばぬよう、その抑止力として保持されていた多くの核が投入されたものの、どこからともなく無尽蔵に湧き出てくる深海棲艦に対し効力は低く、使用の代償として残った放射能により、人類の行動範囲を狭める結果となった。

 

 海軍、海兵隊が海戦を経験したのは、第二次世界大戦が最後だ。

 訓練は無論、多くの経験を演習という形で積んできてはいたが、実戦における予想外の事態に対し、即座に対応出来る人員は数限りなく少ない。そうできるようになるための訓練ではあるが、状況に飲まれ動けなくなる者が数多くあった。

 炎上する艦を見続ける、連合艦隊に所属していた兵たちの脳裏にはこの日の光景が強く、強く焼き付けられ、後の日々で尾を引く事となる。

 

 世界各地で航海中であった船舶がことごとく撃沈され続けた。わずかに残ったのは港にある停泊中の船だけだ。

 勝利という希望を掴み損ねた人類は陸でのみ生きることを余儀なくされることとなる。

 

 

 人類は海を失った。

 最初こそ敗北の苦渋に拳を握り締めた人類であったが、生活圏を全て奪われたわけではない。ただ海が失われただけである。陸続きに住む人々の生活はほぼ、以前と変わらず営まれ続けていた。

 海に隣接し、糧を得ていた人々の嘆きと怨嗟は巨大な陸に住まう人々に向かう。

 

 動いたのは各国の指導者達だった。

 通行不能となった海というデスエリアに囲まれた島国へと、食料の支援が開始されたのだ。

 世界のパワーバランスが崩れてゆく。

 世界各地で内紛という名の武力紛争、援助という名の経済紛争が勃発した。

 その様はまるで第二次世界大戦が起こる前にあった、不安定な世情だといえよう。

 

 経済大国であった多くの国々がその位を落としてゆく中、躍進してきたのは中国とロシアだ。

 陸路を使い、国を超えた多くの人々の支持を集めた。

 

 さて四方を海に囲まれた日本という国はどうなったであろうか。

 経済的に裕福であり、常に上位にあった日本はその繁栄をみるみると翳らせていった。その速度は転げ落ちる、などとは生ぬるい。

かつての戦争時のように人口が減っていればこんな状態にはなっていなかっただろう。人口が横ばいのまま、食料及びエネルギー関係が行き渡らない状態となり、多くが生きてゆけぬ状態となるまで、そう時間は掛からなかった。インフラ、生活に必要な道具はあっても、それを動かす電気を作るための燃料、石油とガスが供給なく消費され続けるのだ。供給を絞ったところで、行き着く先は枯渇となる。

 

 この状況を何とか打破せんと志しても、解決手段の迷走により有効な手段を打てない状況が続いた。

 後に記される歴史書にはこの時期を『歴史至上最も最悪であった』と表している。

 

 しかし日本に全く光明が全くなかったわけではない。

 かつてからこの危機を予言し、準備していた集団が解決策を実施しはじめたのだ。

 多くがその様を疑惑とかすかな希望を織り交ぜた感情で注視し続ける。

 事変の警告を無視し、あざ笑っていた者たちも、次々と成果を積み重ねる集団にぐうの音も出ないほど見せ付けられては押し黙るしかなかった。

 

 集団は程なくして政府に迎え入れられる。

 この人事に文句をつける者は一人も出なかった。

 

 集団が使用した兵器は人の形をしていた。『艦娘(かんむす)』と彼らが呼称している少女達だ。

 彼女たちの活躍により、船舶の航行を可能とした日本は最悪の危機を脱したと言っても過言ではなかった。

 艦娘たちは日本の国民に受け入れられ、同時に海を封鎖されたこの国にとってなくてはならぬ救世主となったのだ。

 

 各地に鎮守府が置かれる。

 その管理運営を行なうのは、かつて集団と呼ばれていた者達の長であるひとりの女性だった。

 今や国軍として再編成されたその最高責任者として座し、元帥と呼ばれるようになっている。

 

 現在において日本国内にある鎮守府数が7、太平洋上各地に8の基地と泊地を持つ巨大な戦力と化し、海洋大国日本としての地位を得るまでになっていた。

 

 深海棲艦が出現するのは世界各地の海だ。

 どこに出現するのか、いまだそのアルゴリズムは解明されていないものの、集団が長年に渡って続けてきた観察と研究によって大体の間隔が把握され始めている。

 今現在、最も激戦が繰り広げられているのは、南方海域だ。

 ラバウル、ブイン、ショートランドの3箇所は頻発する海戦により磨耗が激しい状態が続いている。

 先日もアイアンボトムサウンドによる激戦があったばかりであった。この3箇所は特に人員の入れ替わりが激しく、我こそがこの戦場を制する者である、そう宣言しながらものの10日ほどで根を上げ、ほうほうの体で戻ってきた自称英雄候補も中には居た。

 人も、艦娘たちもこの最前線では擦り切れ、磨耗し例外なく全てが深遠深くに落ちてゆく。

 

 着任早々その前線指揮を執り行った新米提督の報が、元帥の下に今まさに届けられた。

 元帥は薄く笑みを浮かべる。

 今回の新人は、なかなか骨のある人物であるようだ。今後の活躍に期待しようではないか。

 振り返った窓ガラスの向こう側には、月が丸く浮いていた。

 

 

 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 見渡す限り蒼い海が静かに広がっている。

 南海の海原は見渡す限り穏やかな波だけあり、揺らめく水面はゆらゆらと太陽の光を宝石のように輝いていた。

 かつては多くの船舶が行き交っていた海であるらしいが、今はもう、船、と名の付くモノが存在しない青があるだけだ。

 

 その水の平原に6本の白波が立つ。その中にあったのは少女たちだ。幼さが残る者、思春期を向かえ大人の階段を上り始めた者。貫禄を備えた女社長かと見紛うばかりの者、と年齢はさまざまだ。

 その彼女ら、がきらめく中をまるで氷の上を滑るかのように走っていた。

 

 「2時方向 感アリ」

 「T字! 急いで先行して」

 「頭(有利)取りました~!」

 「砲雷戦!」

 

 索敵の声が上がり、指示が飛べば、ばらばらにあった白波が一本の線に集まった。

 一本の線の上に乱れなく並ぶ。海の上を走る速度は落ちてはいない。

 

 先頭にあった少女が右手のクロスボウに弾倉(マガジン)を装填し空に向ける。

 

 「最新鋭の装甲空母の本当の戦い、見せてあげる!」

 

 その言葉を皮切りに放たれた弓が、見る間に航空機の集団へと変化していく。

 

 「遠慮はしない、撃てぇ!」

 

 2番手にある褐色の女性が背中の巨砲から真っ赤な砲煙を響かせれば、背後に続く4人もその手に、足に、背に搭載した火砲を一斉に放っていく。

 

 放たれた航空機が砲が向かう先には鈍色(にびいろ)の何かが浮いていた。

 そう、海面から少し浮いた空中にある物体だ。

 淀み、蒼い海の波の合間に浮かぶ暗緑色の塊に唐突に航空機からの投下した爆弾が、巨大な砲弾が、驟雨の如く降り注ぐ。

 

 火柱、水柱が混ざり合った砲火の爆発。

 至近に落ちた砲弾の破裂すらも巻き込んだ水柱が収まると機械とも深海魚とも見えた異形の姿をもった存在は破片だけを残し消え去っていた。

 

 

 「問題……ないですか?」

 

 怯えたように両手を握り締めた少女が周囲を見回し言葉する。装備している電探には何も示されてはいない。

 ほっと一息つきつつ、ぽん、と乗せられた大きな手にようやく安心したのか、ふにゃりと頬を緩めた。

 

 「みんなえらいぞ!…敵は壊滅 完全勝利だ」

 

 眼鏡を指先で押し上げつつ、白髪の女性がにこやかに笑むめば、栗色の小柄な女性が口元に手をあて応える。

 「そうですね。こちらには損傷全くありませんでした」

 

 「うう~ん……まだ足りないわ、もっともっと魚雷を撃ちたかった!」

 「まあまあまあ…ほら、大井っち、次があるって次が」

 

 大井という姉妹艦に片手を振り回されながら北上はちらりと大鳳、先頭を走っていた空母を見る。

 

 「重巡リ級3隻、軽巡ト級1隻、駆逐ハ級2隻の撃沈を確認、浮揚処理を開始します」

 

 読み上げるように流れる声に淀みは無い。

 期待はしないほうがいいだろう。そう北上は思う。はいといいえ、どちらか、で言うならばいいえ、が多いからだ。

 しかし、たまに、かつてこの海で沈んだ、日の丸を刻まれ海原で散っていった仲間が浮上してくることも、ある。

 実際北上はこの海から救い出されたひとりであった。

 目を閉じればその日のことは良く思いだせる。意識が覚醒した瞬間にふわり、と水中で浮遊感を感じたのだ。そして水面に手をつき、見上げた空には星が満ちていた。己を見るたくさんの目に多少引きはしたし、もう一度水中に潜るべきかと考えたが、引き上げられた瞬間に締め付けられる胸の痛みを感じた一瞬に、全てを理解した。

 自分が戻ってくるべきはここであったのだ、と。待っていた人がいま、自分を締め付けているのだ、と。

 ゆっくりと首を下に向ければ、そこに親友が居た。

 ああ、北上っち、ただいま。

 再会できた喜びの後に、今がある。

 

 だから誰もが静かに経緯を見守っていた。

 

 大鳳が取り出した『羅針盤』から小さな人影が飛び出し、深海棲艦が集っていた地点に小さななにかが投げられる。着水すれば、そのなにかが一瞬にして巨大化した。

 だれもが一度は目にしたことがあるだろう、赤と白のストライプが目に鮮やかな救命浮き輪だ。

 

 ちゃぷちゃぷと水音が立つ。

 10秒……20秒………30秒。

 漂っていた紅白の浮き輪が発光し始める。仲間が、居たのだ。

 光は空へと伸びる。伸びてゆっくりと沈んでいった。

 

 「はじめまして! 私は艦隊のアイドル、那珂ちゃんだよー。よっろしくぅ~!」

 

 きゃは! とウインクしながら浮き輪が在った場所から艤装を纏った少女が浮かび上がり、ポーズを決める。

 出現したのは軽巡洋艦 那珂だ。

 「うわあ! 嬉しいな、姉妹艦だあ! 私も那珂ちゃんだよ! よっろしくぅ~!」

 

 手を取り合いながら、黄色い声を互いに上げる。

 姉妹艦というより、双子艦というほうが正しいようにも思える。

 

 「旗艦大鳳です。貴方はこれより、鎮守府に登録の為に帰還してください。そして提督に報告後、編成迄は待機。これが最初の命令です」

 「はーい、わっかりましたぁー。那珂ちゃん直ちに鎮守府に帰港します!」

 

 羅針盤を持つ大鳳がその姿らしからぬ凛々しい口調で告げると、瓜二つのうち一人が敬礼した。

 じゃあまた後で。

 ポニーテールの小人を肩に乗せた那珂が水の上をくるくると回りながら、艦隊の出発地点、泊地へ向かう。

 新たな仲間の背を見送り、羅針盤に目を落とせばその上でボブカットの小人がきちんと正座をして待っていた。

 次、まわしていいかな? まるでそう訴えかけるかのように口元に笑みを浮かべている。

 少女達は再び海原の先に目を向けた。目指す最深部まではまだ遠い。

 

 「進軍します。敵主力艦隊出現予想地点まで、このままの勢いで行きましょう!」

 

 「「「「「おお―――!!」」」なのです」」

 

 羅針盤が回され、進むべき指し示された路を往く。

 6つの声が重なれば、再び白波が立った。少女達は手を繋ぎ合い、新たな戦場へと向かう。

 

 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 「……遅い」

 つぶやかれる声の主が奥歯を噛み、赤く染まった水平線をとある人物がにらみつけていた。

 インカムによる無線で作戦の終了が伝えられてから既に180分が経過している。

 向こうからの声は届くが、こちらからの声は届かない。一方通行の無線はあまり心臓に良くない代物である。

 もうそろそろ帰投しても良い時間であった。

 一昨日多次元宇宙に繋がっているらしいゲートが開き、中から深海棲艦が出現。その駆逐のために出撃していた者達がもうすぐ帰ってくる。

 ショートランド泊地では帰投する艦娘たちを今か、今かと待ちわびる男の姿が埠頭にあった。

 白を基調とした軍服を纏い、しかもなぜかそれが余り似合わないという、民間上がりの提督だった。

 執務室で踏ん反り返り待っていた先任とは大違いだと、通りがかる艦娘達がその姿を見つつ過ぎてゆく。

 

 とある娘は艤装(ぎそう)を揺らしながら、賑やかになった泊地に目を細め、笑む。

 つい先日まで出撃となれば二度と会えぬ別れとなっていたと、この風景を見て誰が思うだろう。今の提督が着任するまでは、多くの仲間が青の海に沈み、この泊地はいつの時もがらんとした寂しい場所であった。

 

 かつてあった大きな海戦。その記憶と魂を持ち生まれてきた艦娘たちは陰と陽を繰り返していた。

 沈んでは引き上げられ、引き上げられては沈む。

 使えばなくなってゆく消耗品の如く、艦娘たちは己が身を盾に、矛にして青の海の上に立ち続けていた。

 誰に命令されたわけでもない。辛い記憶を今に塗り替えるため、自分の意思でかつての記憶と同じにならぬよう、必死に足掻いていた。だが状況は過去と同じく悪かった。

 この命が未来の礎となるならば。決心して逝くものの、それでも、水面の奥底へ沈んでゆくのは寂しく、そして悲しい。己の無力を噛み締め、冷えてゆく体を抱きしめ、永遠の眠りに落ちてゆくのは無念だ。

 

 だがそれがどうしたことだろう。

 必ず帰って来い、そう送り出してくれる人が出来た途端、艦娘たちの帰還率が大幅に上がった。

 

 抜錨し行け、ではなく、帰ってくるように。

 そう命令し待ってくれている誰かがいる。

 艦娘たちの多くが喜んだ。事実、自分達を待つ人を得た彼女達は、勢い勇んで水面へ走り出し往くようになった。死地へ向かうのではない。戦い戻ってくるために、だ。少し前までは決死の覚悟を必要とした出撃も、今や次の戦いには絶対に呼んで欲しいと志願する娘まで出るほどになっている。

 大破炎上したとしてもここに戻る。提督が帰って来いと言った。だから意地でも帰る。

 たったそれだけのことだ。たったそれだけで、誰も沈まなくなり、士気が上がった。誰一人として欠けず、今や3つある最前線の中で最もうらびれていたこの地こそが非常に賑やかな場所となっていた。

 

 なぜだろう。そう思い、娘は埠頭で待つ提督の姿にころころと手に持つ扇子で口元を隠し、声する。

 

 「提督の人望、という理由にしておこうかの」

 

 今や提督は艦娘達にとって、灯台の様な存在になっている。その彼が失われるとれば、この泊地に在るすべての娘達が是が否もなくなく立ち上がるだろう。

 よくもまあこの短期間で、娘達の心を鷲づかみしたものである。

 たった、そう、この提督がやって来てまだ1ヶ月しか経っていないというのに、だ。

 

 着任初日にアイアンボトムサウンドが引き起こされ、この泊地は恐慌状態となった。

 軍歴も持たぬただの一般人が指揮を取れるわけが無い。司令部に詰める多くが絶望的な状態に天を仰いだ。

 しかし新任提督は今がどういう状態にあるのかを簡単に聞き取っただけで、作戦をいとも簡単に立案せしめたのだ。

 誰もが最初、無謀だと諭した。だが提督はこれでダメなら何をやっても無駄であると権限を使い押し切り実行とした。

 艦娘達も死を覚悟して厳命を待つ状態であった。そして選抜された6人が泊地に残る者達と別れを惜しんでいるとき、提督が娘達にこう言った。

 

 「無理だと思ったなら、戻っておいで」と。

 

 娘達の多くの目から鱗が落ちた、と言っていい。今までは作戦が終わるまで、戻らなかったし、戻っていいとも言われていなかったからだ。戻ってくればまた、行けるだろう? 何度でも向かえるじゃないか。敵はあの場から動かないのだから、気軽に行っておいで。必死になって行なってはいけないよ。必死とは、必ず死ぬと書く。だから無理せず、これ以上進むのは危険だと判断できたときには戻ってくるように、いいね。

 

 そう言って送り出された艦娘達はその言に従い、戻ってきた。

 先頭経験の浅いものと深いものが順番に出撃し、それぞれに課された役目を果たしてくる。

 行きと帰りを繰り返し、新たな情報が書き加えた作戦書が海図が次々と更新され攻略が進んでゆく。

 ひとつ、ふたつと再侵略されていた海域から開放し、みっつめ、よっつめと快進撃を続けた。他の最前線からの協力要請もなんなくやりきり、最奥、サーモン海域最深部で陣立てていた戦艦棲姫の首を取ったのはショートランド泊地所属の艦娘だった。

 

 終わってから振り返ってみれば、その全てが見事としか言えぬ配置であり、航路であり、采配であった。

 本当に軍務経験、士官学校出では無いのかと再三確認されたが、本人はいたって普通の会社員であったと発言し続けていた。

 元帥が直々に発掘し、この地へ送り込んできただけの人物である。

 そう誰もが思わざるを得ない作戦を、次々と変わり安定せぬ状況下で、その隙間を縫うように細い糸を通しきった手腕と度胸に誰もが全ての作戦が終了となったとき納得した。

 

 只者ではなかった。

 ただの一般人だという本人が最も己の価値を、頭脳の意味をわかってはいない。

 そう、多くが判断した。

 

 だが提督は己を特別視することを禁じた。

 ここにいるみんながいてくれたからこそ出来たのだと、戦果を己の手柄としなかった。

 誰もが思う。先任とは間逆の人物がやってきたのだ、と。

 そして新たな提督は、この泊地において好意的に受け入れられた。

 

 そして一ヶ月たった今、基地化されつつあるショートランドがあった。

 提督が泊地の更なる整備改修に着手したのだ。

 なぜなら着任したこの島には申し訳ない程度の飛行場と民家、港といえるかどうか微妙な船舶を繋ぎとめる岸のようなものしかなかったからだ。拠点にしてもそうだ。粗末な木枠の掘っ立て小屋が作戦指令本部とされていた。なぜか提督の自宅だけは豪華で、要らぬだろう映画鑑賞施設までが併設されていたのだ。

 よくこれで今まで戦ってきたものだと新任提督は唖然となった。

 これでは資材を大量に積んだ大きなタンカーが接岸するのが難しいし、艤装を修理するための資材を保管する倉庫も無い。

 

 前任者はあるがままを資材にしても山積みし、そのまま使っていたが、赴任してからが長い泊地生活となる。拠点として使いやすく、かつ生活空間として暮らしやすい環境を作るのは大切だと、これまた提督権限で押しきる形での実行となった。

 本土のような生活水準まで上げるのは難しいが、最低限のインフラを司令部周辺に張り巡らせ、4畳一間という手狭で暮らしていた泊地に在住する人員のため、宿舎の新たな建設する、という荒業が敢行された。無論、前提督宅は破壊された。

 

 建設を請け負ったのはこの島に在中する数少ない国防軍工兵隊の人員たちだ。

 作られたのは港湾施設と貯蓄倉庫、工作工場が主であったが、どうしても、とねじ込んだのが温泉施設(ドック)だった。

 新任提督は娘達を癒すにはこれが一番だと声高に主張、男にだけが分かる浪漫を持論展開し、握り取ったのだ。その他として艦娘達の工廠が新たに増改築され、装いも新たにされた。

 提督がぼそりといった言葉の中に、「これってまさしく課金だよな」という意味不明な文言があったものの、誰もその意味を追求することはなかったという。

 

 そして最もショートランド司令部が驚いたのが、資材の調達方法だった。

 現提督が赴任してくるまではいつもかつかつで、いつ枯渇してもおかしくはない細い綱を渡っているような状態だったのだ。

 増殖の魔法でも使ったのか、と表現するのが一番であろうか。

 建設が終わり1週間が過ぎた頃には、以前とは比べられないほどの資源が潤沢に存在するまでになっていた。

 

 簡潔に説明するならば、横領されていた、が最適な言葉であろう。

 本土から送られてくる納品書と搬入時の検品地をよくよく見直せば、定期的に大湊から大量の資材と予備兵力である艦娘たちが続々と送られてきていたのだ。

 

 この件について何か知っていることは?

 

 と新任提督は司令部の各々に尋ねた。しかし誰もが沈黙せざるを得なかった。

 まったく知らなかったわけでもない。が、その件に関しては提督権限が発動されており、触れさせて貰えなかったのだ。

 

 艦娘が消費する資材について、新任提督は荒稼ぎした。現在、駆逐艦たちが護衛する元海上自衛艦によって任務報酬が補給されているのだが、その給付任務に就く官たちと7日から8日に一度顔を合わしている。片道が約3.5日。彼らは東京-ショートランド間の4988キロを2隻の自衛艦によってピストン輸送が行なっているらしく景色すら覚えてしまいそうだと苦く笑う。

 新任提督にとってはどこに何が現れ、何があるか。ソラで言えるほど繰り返していた作業である。

 オリョールクルージング等によって、倉庫群をどんどんと拡張せねば収まりきらぬほどの資源があっという間に積み重なった。時の経過と共に任務地や報酬もかわっていくが今現在においては最善の策であった。そのうち東京から直接、海防艦たちが今よりも大量の資材を持ち込むようにもなるのだが、それはまだ未来(さき)の話だ。

 

 「いまさら根掘り葉掘り真実を追究したとしても意味が無いし、この話はここまで。元帥には報告を出しておくので、向こう側が処理してくれるでしょう」

 

 新任提督はそう言い、その件の幕を下げる。

 内心では艦娘たちを過酷な状況下に追い込んでいた前任者に対し、殺意すら感じていたものの、本土は遠く、この地を放置して戻るわけにもいかない。

 

 なので大湊鎮守府からやってきた新たな仲間を歓待した後、ふと思いついた試みを男はしてみることにした。

 彼女達はこの泊地に来て装備の豪華さに驚いていたからだ。大湊では武器を奪われ小破や中破であればそのまま放置されていたという。

 しかし泊地へと来る際に、多くの物資を艦娘たちに手渡してくれたのだとも聞いている。

 もしそうであるならば。男は考える。

 これが上手くいけば大湊との連携が上手く出来、他の基地や泊地によってばらばらである装備の拡充も平均的に行なえるかもしれない。

 このショートランドだけが強くなっても、この戦いは終わらないだろう。

 艦娘たちに囲まれた生活は楽園であるものの、終わらない戦争はあってはならない、とも思う。

 

 大湊に在る最高責任者は堅物で融通のきかない男であるらしいが、もしかすれば良い話し相手となってくれる可能性もある。

 ならば早速行動に移そう。

 

 男は拳を握り締める。考えるだけで反吐が出たからだ。忘れはしない。許しもしない。

 ただ感情を露呈させはしない。元帥に投げた事案だ。あちらで再起不能にまでしてくれることを切に願う。

 

 前任者の提督はその権限を最大に生かし使っていた。ある意味、男もそれを見習わなければならないだろう。

 何のためにかは想像に容易い。

 本来であれば定期的に届く資材の積荷を下ろしたタンカーは速やかに日本本土へ送り返さねばならないものだ。だが彼は空となったタンカーを流用し、こっそりと前任者が資材を隣の国へ流していたのである。

 やり方は簡単だ。最前線であるショートランドにおける艦娘の消耗率が実行方法を教えてくれている。

 そう、艦娘の護衛が付いているからと言って100%、タンカーが無事であるとは限らない。本土には『到着しなかった』と報告するのである。

 そして積荷をそのまま大陸ににある目的地へと輸送し、私腹を、権利を貪るのだ。

 

 タンカーはそのまま大陸で一部分を挿げ替え、『わが国では使わなくなったものであるが……』と日本に売られるのである。

 行方不明になった船舶が売られて戻ってくる現状には、政治家が関わっていた。

 分かっているのである。どういうカラクリであるのかも、分かっているのだ。しかし証拠が無かった、掴めなかった。それほど海上とは危険地帯なのである。もしGPS衛生があったならば話は別だっただろう。

 行方不明になったタンカーに乗っていた乗務員達も生きてはいなかった。全てが闇に葬られていたのだ。

 大陸はせせら笑っていた。日本に売らなくとも欲しい国はたくさんあるとばかりに足元を見ているのだ。

 

 そして艦娘に関してはこうだ。

 大陸にタンカーを届けた後、戻ってくるように厳命する。ただし、二日置きに一隻ずつ分かれて帰ってくるように命令するのだ。

 タンカー護衛任務に付く艦娘の多くは駆逐艦である。幾らでも代わりが利く雑多だ、とばかりに酷使され、沈められていた。まさしく死人にくちなし、である。

 

 もしこの場に前任者が立っていたならば、力任せに一発、殴っていただろう。

 

 タンカーは貴重な船舶である。

 大陸からの売却を受ける口添えをしている政治家たちの懐はさぞ、潤っていることだろう。

 ここ最前線では特に必要であった。現地でまかなえない資源を補給するためにはタンカーが必需であったのだ。深海棲艦に沈まされては困るものである。

 

 今回、このショートランドへ物資を届けてくれたのは大湊だ。男が提督に着任したからには必ずタンカーは大湊へ返還しなければならない。

 男は部隊を編成する。ショートランドへタンカーを運んできてくれた艦娘たちは数日の休養後、パラオを経て日本へ帰還する道程を予定している。

 向かわせるのはショートランド所属の錬度が中以下のいわゆる新人たちだ。

 最前線である南方海域から出てしまえば、トラック近くを通過しそのまま北上すればいい。途中南西諸島をかするが、補給物資を余分に持たせれば何とか通過も可能であろう。改にはなっていないが、もうすぐ可能となる娘達ばかりだ。

 慢心してはならぬ。絶対だめである。キラ付けは必須である。

 とはいえ動かなくては成果も出ない。男は手元を離れる艦娘たちに男が持ち、大湊鎮守府の提督が欲しているだろう情報を書き添え、戦力増加の感謝を伝える手紙を娘に託し、連絡の日を待つことにした。

 

 ……この試みは上手くいったとしていい。

 大湊とショートランドのやりとりは、今後、互いを補い合いながら続いてゆく。

 

 

 

 空に星が満ちる。

 電燈の明かりが埠頭のあちこちに灯っていた。

 波の音が静かに寄せては引いてゆく。暗くなってしまえば人の目で海の向こう側を見通すことが出来なくなる。

 戻ってくると信じていた。

 信じているが、この世には絶対はありえない。小数点以下の確立であろうとも、起こるべくして起こる事象は、どう足掻いたとしても起きてしまうものなのだ。

 

 己の身に起きた、提督という存在になるきっかけがあったあの日の、運命のいたずらのように、だ。

 遠くにふと、白の光が振れたような気がした。

 艦娘たちは夜間になるとその眼光を光らせて闇を渡ってくる。

 

 目を凝らせば見えるかと試みるも、傍から見れば怪しい人物にしか見えないだろう。

 男は電燈に背を預け、目を閉じた。

 

 「艦隊が泊地に帰投です。おつかれさま」

 

 旗艦大鳳の柔らかな声音の後には元気なみんなのアイドル那珂の、出撃した全てを褒める武蔵の、夜遅くまでの任務にお冠な大井とそれをたしなめる北上、そして帰還したことによってほっとし、気が抜けたのかその場にへたり込んでしまった電のふにゃりとした声が耳に届いた。

 

 ゆっくりと目を開けると、いつの間にか全員が提督の側に在った。

 今まで一度も見送りと出迎えを欠かしたことの無い提督がかけてくれる言葉を各々が待っているのだ。

 

 「お帰り、みんな。ご苦労様」

 

 艦娘たちが笑む。

 この言葉を聴くために、戦いへ行くのだ。

 

 円がばらけ、それぞれが宿舎に向かって歩み始める。

 そっと提督の手に触れるものがあった。

 

 「電、どうした?」

 

 握り締められた指をそっと包みかえす。

 

 「あの……約束どおり、今日は、今日だけは添い寝してくださいね?」

 

 可愛らしい願いに、提督は頷く。

 つながれた手のまま、父と子のようにも見える最後尾のふたりも司令部に向けて歩き始めた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。