ソラとシンエンの狭間で   作:環 円

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第四話 那珂と艤装とアイドルと

 軽巡那珂はどの鎮守府でも最低ひとりは存在している人気のある艦娘である。

 歌って踊れるのはもちろん、戦いに出る事のない陸に住まう多くの一般民衆に向け、情報や広報として今どこで何が行なわれているのか。何が起こっているのかを伝える役目を一手に引き受けているのが那珂たちであったからだ。

 最も取材のマイクが向けられているのは、最前線である三箇所からきている那珂である。まさしくプロバカンダを兼ねた広報塔と言っても過言ではなかった。

 

 本土では那珂が歌う曲が街中で流れ、カセットテープの売れ行きも好調であるらしい。

 ブイン提督が昨日、突然やって来、僕の那珂が歌ってる写真が届いたんだ! 是非見てくれ! と執務机の前で鼻息荒く、広げ説明してくれたのだ。まったくもって仕事を放り出し、わざわざ言いに来ることではない。遅れてやって来た無表情な金剛に首根っこを掴まれ、帰っていった哀れなブイン提督の、半ば海に沈んだその体に両手を合わせる。今日の波の高さは2M予想だ。海水まみれになるのは確定である。どうか無事でありますように。

 

 そして自分の執務室に戻り、開けたのがショートランド所属、那珂改からの手紙だ。

 先日のタンカーで届いたものであったが、今の今まで行方不明になっていたのだ。資料室に運ぶダンボールの中に紛れ込んでいたそれを龍驤(りゅじょう)が見つけたのである。

 

 『帰ったときがお楽しみ! 待っててね♪』 とたったそれだけが綴られた手紙であった。添えられていたのはカセットテープだ。

 

 男からすればCDや手のひらサイズのウォークマンを使っていた世代だ。カセットテープとは何ぞや、これはどうやって聞くものだと尋ねたい気持ちと声を押しとどめるのにどれだけ気力を振り絞ったか。

 PCなどまだ高価以前の問題で、やっと有名企業が手を出し始めたくらいであり、一般民衆が欲しようものならば諭吉が塊でふたつはかるく飛んでゆく、超絶ぜいたく品であった。五万も出せば、サクサクとネットの閲覧が出来、ゲームも遊べるという近代化された機材はまだ生まれてはいないのだ。そのうち携帯電話が平面液晶化かつ小型化しアプリのダウンロードによって音楽が聴けるようになる、など誰もが予想などしていないに違いない。

 

 だから男の感覚では手のひらサイズであろう、小型化されたイメージが強いものでも、現時点の年代にあればなんだこれ、と驚くほど大きく、世代格差をいい意味で感じる状態であった。

 

 カセットテープがCDとMDになり、そこからPCに繋いで音楽をダウンロードする機材にまでたどり着くには十年ほどの月日がかかるだろう。某メーカーの技術躍進を願うしかない。

 男は到着するタンカーに載せる、返却用の中に含まれている特殊素材の打ち合わせのためかけていた電話を肩にはさみ、意識しなくともことごとく、見ることの出来るようになった妖精たちが駆け回る姿を目に留めつつ、工廠の技師へ指示する内容をメモしてゆく。

 

 「わかっている。予定の変更はかけないさ」

 

 男は苦笑する。

 以前、鳳翔と話していた休暇が通ったのだ。そしてもうすぐ到着するタンカーの護衛任務のひとりとして搭乗していた。

 

 珍しいこともあるものだ、と男が以前聞けば、指令は艦娘たちに対し強制も否定もしない。望むのならばその通りにすればいい。というスタンスなのだと淡々と告げた。鳳翔がショートランドに滞在する期間は五日程度になるだろう。

 金剛愛であるブイン提督にも話を通せば、是非金剛を伴ってきてくれ、大歓迎しよう、という返答を貰っていた。さらにブインからラバウルにも連絡が行ったようで、本土に戻る際、ブインにも各種資材を投げているというのに、ショートランド島内に収まりきらなくなった鋼鉄をタンカーに積み、寄る航路が組まれてもいる。

 

 鳳翔が大湊の外に出たことで、訓練の度合いがいつもよりも遅れているという。

 男からすれば、「指令はちょっとくらい、鳳翔のありがたみを知るといい」状態である。なので指令が陣頭指揮を久し振りにとってはどうだ、と進言しておいた。

 睡眠時間を最低限まで削っている指令の隈が濃くなり、倒れるまでには鳳翔を戻さねばならぬだろうが、出すと決めたのは指令である。

 

 「で? 今回の娘達は全員、ブインからラバウルに変更なんだな?」

 

 深海棲艦の出現が、なぜかソロモン海沖周辺で頻発しており、ラバウルの消費が激しくなっているからだ。

 ショートランドやブインからも応援を向かわせてはいるが、距離的にどうしても初戦がラバウル基地所属の艦娘たちになってしまう。人も艦娘たちも、資材も資源もじりじりと消耗していた。

 

 「わかった。こちらからもタンカーに乗せて派遣するよ」

 

 大湊からトラック泊地を経由し、ショートランドへやってくる艦娘たちの数が六、うち一人は鳳翔である。

 五日間船の整備と補給、乗組員の休養のため停泊し、六日目にラバウルに向けて出航する。その時に大湊へ向かわせる一艦隊と、ラバウルに駐屯させる三艦隊を選定しなければならなかった。

 出すまでにその他の良案が浮かべがいいが、もし何も浮かんでこなければそれでいくしかない。

 苦い決断も時には下さねばならないときもある。

 ちらりと脳裏を掠めたのはとある海戦の名だ。順当に時が進めば史実を踏み台にして起きてきた今までと同じく、あれが起きる可能性があった。

 

 「何とか、するしかないだろう」

 

 タンカーに護衛が必要であるのは、深海棲艦から船を守るためであった。

 かつて海底より海上へ浮かび上がってきた鈍色の物体がいったい何を行なったか。

 誰の記憶にも新しいだろう。海の上に浮かぶ船という船を全て沈めたのだ。

 人間は誰ひとりとしてその脅威に打ち勝てなかった。

 

 余り語られることはないが、深海棲艦たちの姿は与えられた役目が遂行しやすいよう形作られていた。

 船舶を襲うのは決まって駆逐級と潜水級が行なう。人間を殺すのは軽巡級から上の棲艦だ。

 男が思い描くのは雑誌で買った際に付録で付いていた、ポスターだった。もっと良く見ておけばよかったと振り返る。そうすれば敵の生態をもっと突き詰めることが出来たような気がしたからだ。

 

 深海棲艦は船底に取り付き穴を開ける。船はその船体の重さで沈んでゆく。人間は船が無ければ海を渡れず、飛行機が無ければ空を往けない。謎のゲートから出てくる棲艦は大陸以外に人が出ることを嫌うかのように制海と制空を切り取った。

 宇宙だけはその限りではないため衛星電話であれば使用可能だ。しかしそれは国家間でのみ使用され、一般まで普及してはいない。海外電話のラインで繋いでいた、海底ケーブルも寸断され使えなくなっていた。各種連絡は国内だけに留まる。

 

 だがショートランドには衛星電話の機材があった。

 提督が総司令に直談判し、設置したのだ。小さなタンス大の塊が熱を発するため、巨大な扇風機がいくつも取り付けられ消費電力が最も高い場所となっている。

 風光明美ではあるが熱帯の、さらに熱が篭もる一室で黒電話を持ち、うちわで扇いでいた男が汽笛と楽しげな歌声を耳に止め、薄く笑む。

 

 「指令、着いたみたいだ。じゃあまたな」

 

 黒電話の向こう側から簡素な返答があり、男は受話器を置く。

 こういうときスマートフォンが無性に欲しくなるが、時代が時代だ。技術革新を待つしか手はない。

 作ろうと考えても男には全く知識が無かったからだ。あれば使えるが一から作るとなればかなりの頭脳労働をせねばならないだろう。

 

 なぜあの時、いつもはズボンのポケットに入れているスマートフォンを、充電のためとはいえ、コンセントにさしっぱなしにしてたし。

 

 悔やんでも後の祭りである。

 

 

 時は夕刻。

 建物の外に出ればかすかに冷たくなった風が肌に触れた。

 軍服を脱ぎたくなるが、実際着ていた方が涼しいという矛盾に何度文句を言いたくなったか分からない。

 

 「手があいてたら手伝ってくれ」

 

 哨戒のため島付近をくるくると回っていた昼間ローテーの駆逐組に男は声をかける。一日4交代制となっているブーゲンビル島とショートランド近辺の合同哨戒に当たっているのは、駆逐と軽巡、そして潜水艦組だ。

 湾内に入って来ようとしているタンカーには、本土に在籍する那珂と交流を終えて帰ってきた那珂が乗っている。

 向かう旅路において改二へと至れる段階に達し、本土で改造されてくるのかと思いきや、この島の仲間に改装後すぐを見てもらいたいから、とわざわざ戻ってくるまで我慢していたのだという。

 

 那珂の歌声は不思議にも聴く人を楽しくさせる効果がある。

 この泊地においては童謡や歌謡曲、そして那珂自身が作った即興などを口ずさんでいた。

 

 今まさに聞こえてきているそれは、「わたしの歌をきけえ!」という激しい絶叫だ。

 絶叫というのは少し語弊(ごへい)があろう。ヘビメタ、が最良だと男は思う。

 本土では珍しい歌が流行っているのであろうか。男は懐かしトップ100という、見たことのある歌謡番組を思い出してみる。

 が……該当する記憶が無い。

 しばらくして歌声が軽快なクリスマスソングへと変わった。

 

 「那珂さんの歌声、楽しいね」

 

 横に立っていった舞風がステップを踏む。汽笛と歌声に合わせ、手を打ち鳴らした。肩にタオルが垂れている。風呂上りなのだろう。ほんのりと良い香りが、した。

 

 「リクエストすれば歌ってくれるよ」

 「そうですね。なにたのもうかな!」

 

 基本的に艦娘たちは竣工した地に配属され、動くことは無い。だがここ、ショートランドと大湊では娘たちが行き来していた。

 艦隊のアイドル那珂は特に顕著で、ショートランドに在しているほうが少ないだろうか。そのほとんどを横須賀周辺で過ごしており、ショートランドに向かう船が出る際には単機、道案内役とし、帰りには旗艦として戻ってくる。

 

 その成長速度たるや疲労度など関係ありませんね、真っ赤ってなあに? でたたき上げられた状態であった。本人の頑張りが一番であるが、無理をしていないかと心配にもなる。

 

 「たっだいまー! 那珂ちゃんだよー!」

 

 現れたのはサンタ那珂だった。

 コスプレというより、いつもの服装であるセーラーの、レースがあしらわれていた裾に、ふわふわの綿をつけただけのようにも見えるがしかし、

 「自分で縫ったのか?」という疑問が娘達の口々から出るほうが早かった。

 

 「そうだよー。イベントがあって、みんなでお揃いのこれを着たの!」

 

 どう? 可愛いでしょ? 

 そう言って華麗にターンする。

 

 本イベントは十二月二十五日にあるが、そのPRイベントにおいて着用してきたのだと告げた。

 今日は十二月二十日、五日後にはクリスマスとなる。

 

 「真夏のクリスマスか、なんだか寒くないと変な感じだよな」

 

 男の感覚では今でもクリスマスは寒い冬と存在している。

 だが現在立つこの地は赤道付近である。寒波や雪など到底、望めない。

 本土は例年以上の寒波が押し寄せているらしく、日本海と東北方面では白い壁が生まれているという。

 

 「でもでも、いっぱい練習した歌とか、クリスマスケーキとか! あとターキーもすっごく楽しみ! 雰囲気だけでもクリスマスだよ!」

 

 材料は本土で調達してきたという。

 支払いはもちろん、提督につけもらったから、よっろしくー! らしい。

 

 「……使おうと思っても、使い先ないからいいけどさ」

 

 先に一言、教えてくれな、次回から。

 多くに聞こえるように言えば、提督のおごりで焼肉食べていーい? などの声が上がったが、男は全て黙認した。

 提督となってからの給与は手付かずのまま、銀行に預けっぱなしになっている。ならば長旅を経て本土に向かった娘達が多少、はめを外して豪遊したところで、使われきることはないだろう。思いのほか、提督業とは高給取りなのである。

 

 男は作戦司令室に向かう那珂を見送ってから、次々と陸へ上がって来る初顔の艦娘たちを出迎え、最後に鳳翔と礼をし合う。

 「大湊所属、鳳翔です。お世話になります、提督」

 「いえ、長い航路ご苦労さまでした。ゆっくりと旅の疲れを癒してください」

 

 男は本土へ移動させる物資の采配に声を張り上げる。

 渡ってきた船から大きな容器が運び出されていた。それは元修理ドックにあり、今では温泉施設にポンプで循環させているリンゲル液の換えであった。不純物を取り除き、ろ過して使用しているとはいえ、定期的に新し物に取り替えねばさすがに衛生的な面でよろしくない。入れ替えた古い液は本土に持ち帰られ、廃棄される。

 

 男がその液体の運搬を何気なく見ていると後ろから、

 「ヘイ、提督ぅ。何見てるデスかー!」

 

 と、突撃してきたのは金剛であった。

 両手で目を隠される。耳もとで囁かれる言葉に、男は苦笑した。

 「提督を補充デース。お仕事がんばってくるので、17秒だけ、くだサイね?」

 

 中途半端な時間だと思いつつも、後ろから抱きしめられて悪い気などするわけが無い。

 申告の17秒が終わり、金剛が割り当てられた仕事へと走ってゆく。

 男は搬入の作業を見ながら、それらのリストを手にするために階段を登った。

 

 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 那珂は久し振りに戻ってきた泊地の、見慣れた廊下を歩いていた。

 旗艦としての報告もなれたもので、書き込む項目を思い浮かべながらかけられる声に応えつつにこやかに笑む。

 笑んで、視た。

 

 周囲の色が変わったのだ。

 蒼く澄み渡る流れがあり、周囲にはいくつもの気配を感じる。

 それは仲間だ。青の流れを共に行く、仲間だ。

 

 その中で、那珂は皆の中心にいた。

 率いて走る。泳ぐ。突っ切り、そして赤に      。

 ザリザリとした雑音が入る。それはまるで本土で見た時間外放送時に見た、黒と白の砂嵐のようだ。

 

 「那珂? どうした、体調でも悪いのか。風呂に入ったほうが……」

 「……あ、…れ? 提督?」

 「ん?」

 

 男が焦点の定まらない那珂の体を支える。

 艤装がずしり、と重くのしかかってくる。いつでも思うが、こんな重量物をどうやって支えているのだろう。隠れて筋力トレーニングでもしているのだろうか。疑問に思うほど、謎であった。

 

 今までに何度か体調不良を訴えた艦娘たちがいる。

 どの娘も改造可能になり、いざ工廠へ行こうとすれば足が竦み、行けなかった者たちばかりであった。

 整備を受ければ軽快に動けるようになるものの、また時間が経てば繰り返す。

 改造を受ければ、その症状が全く出なくなった。

 

 男は言いようのない、気持ち悪さを感じつつもそれらに言及することは無かった。

 なぜなら分からなかったからだ。

 ものを知らずして意見するのは簡単だ。だがその状態で説明を受けたとしても、理解できないだろう。

 

 秘密があった。

 しかしそれを知る権限を、男は持っていない。

 仮説を立てるにしろ、そのパズルすら手元に無い状態なのである。

 かすかな苛立ちを感じるが、まずは目の前の問題を解決するほうが先であろう。

 

 「改造は夜、宴会の席でってことになってるが、先に整備うけるか?」

 

 食堂を切り盛りする調理師に混じり、非番の、料理の腕に自信を持つ艦娘たちが厨房で大湊からやってきた艦娘たちの歓迎会と、那珂が改二となる祝いを兼ねた食事会の用意をしている。艦娘たちは人間と同じ食事を口にした。

 男がプレイしていた擬似世界ゲームでは資源が食事として表現されていたが、なんのことはない。鋼鉄や燃料、ボーキサイトや銃弾は艤装の整備や弓矢、戦闘機の補充のために使われているだけで、娘たちが実際に口元へ運ぶことはない。

 故に赤城や加賀がボーキサイトを大量に食べる、という現場を目撃せずにいられた。であるために必要物資の量がゲームとは違い多岐に渡り、管理が複雑になっているのもまた頭の痛い問題である。

 

 「…あ、はい。そうして、いいですか」

 

 那珂は随分と苦しそうであった。男は近くに居た摩耶を呼ぶ。

 情けない話だが、艤装をつけたまま脱力状態になった艦娘たちを支えられるほど、男には充実した筋肉が無かった。

 男なのに非力だと言われつつ、那珂を工廠(こうしょう)へと引きずってもらう。

 男は提督としての権限コードを打ち込み、コンパートメントに入った。巨大なコンソールで那珂を改二へと改造するコマンドを入力、パネルを操作する。

 

 男の目の前には円柱が聳え立っていた。その周囲にはパイプが何十本と床に設置され、ここだけが何かの実験室のように異質な景色となっている。

 向かって右側にあるのが資材を投入する入り口だ。装備を作る際もここにレシピ必要数を投げ入れる。そうすれば多くの提督が祈り願う、絶望までのカウントダウンが始まる。

 

 工廠にさえ入ってしまえば、あとは全て全自動である。小破ならばまだ自力で行くことが出来るが、中破や大破となれば、どうしても担架での移動となった。重ねて述べるが、脱力した艦娘たちは、本当に重いのである。鉄の塊を持ち上げようとする、もしくは石の塊を持ち上げようとする以上の重量であるのだ。

 

 この泊地に着任した際、この円柱------男にはさまざまをかき混ぜるミキサーのように見えた------の中はどうなっているのか、聞いたことがある。

 着任時、男がひとりでこの地に降り立ったわけではない。泊地へ向かう道すがら、総司令の部下である人物が提督が行なうべき業務についての説明を、また男からの質疑に応答、補足をしてくれたことがある。

 そして該当地にたどり着き、お手並み拝見といわんばかりの劣勢状態にお膳立てされたアイアンボトムサウンドの指揮をようやく終え、かの部下が帰途に着くその日に、今使っている施設の解説を願ったがしかし。

 

 『あれに関しては機密となっており、提督にも知る権限がございません』

 

 と一蹴されてしまったものだ。

 

 中がどうなっているのかまったくわからない。

 もしかするとこの、目の前を塞ぐ鉄板を引き剥がせば分かるのかもしれない。

 

 男は左手を向く。

 かつて左の部屋に修理ドックがあった。

 初期状態でふたつに分けられていた湯船を見た瞬間、いったい何のために設置されているのか理解できた。

 風呂、まさしく風呂である。四角に区切られた泡風呂で、横に寝ることも可能なつくりになっていたのだ。大破状態の艦娘たちがこの修理ドックに入るさまは、顔までしっかり浸かっているいる状態なのだ。湯船の中にあおむけに沈んでいるともいう。

 だからこそ、ではないが男はおもった。艦娘たちは人間ではないものだ、と。その感情が根本にあるからこそ、多くの人間は艦娘たちを道具として使いはするが、同じ生き物として同様には扱わないのである。

 

 

 あの日、泊地改造の際、整備班を呼んで増築すれば4つとなるらしい説明を受けた後。男はぶっちゃけた。

 二つとか四つとか少なすぎるから、スーパー温泉作っちまおうぜ! と。

 スーパー温泉ってなんですか? と返答されたときの絶望といったら、残していた好物を横から奪われるよりも深かった。

 そう、時代を先取りしすぎていたのである。

 男は図に描き、艦娘だけでなく、この泊地に暮らす全員が入れる温泉施設(スパ)を目指し、作り上げてもらった。

 温泉は願って掘れば出るものである。たとえ活火山が無くとも、男の願いはかなった。

 

 男が最終確認を押す。

 モーター音が高速回転し始める。那珂の改修がミキサー内で始まったのだ。

 

 

 △▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 那珂は名前を確認する。

 そして所属と今までの記憶を整理し、空白を埋めてゆく。

 記憶が容量から零れ落ちそうだった先までとは違い、整合された記録が整然と並んでいる。

 思い出すのに苦労していたさまざまも、これで簡単に取り出すことが出来る。那珂は安定した己を確認した。

 

 新しい艤装をつけた状態で、ゆっくりと光が差し込む場所に立つ。

 

 目を開くと、腕を組み立っている金剛が居た。

 気分はどうかと聞かれたため、とてもいい、と答える。

 あれほどもやもやとしていて憂鬱だった気分がすっきりと晴れ晴れとしていた。

 夢か現か、側に感じていたいくつもの気持ち悪い気配も消えている。

 アイドル業が忙しく、きっと疲れていたのだろう。

 

 「そう。それは良かったデスね」

 

 手渡されたのは新しい衣装だった。

 倒れた那珂の代わりに荷物を部屋へ運んだ神通が別の紙袋の中に入っていたその服を見つけ、もってきたのだ。

 那珂はそれを受け取る。そして黄色い声を上げた。

 

 やっぱり那珂ちゃん最高! かわいいー!

 

 テンションがやたらに高い同僚を見つつ、金剛は小さなため息をつく。

 那珂は幸せであるのだと、思い。

 己の身を不運だと嘆くべきか、それとも真実を知れた幸運を喜ぶべきか。

 果たしてどちらが良いのか、未だに判断がつきかねないでいる。

 

 「那珂、急いでくだサイ。提督がドックの外で、みんなが食堂で Waits してマスよ!」

 「はあい、パワーアップした那珂ちゃん、着っ替えまーす!」

 

 新たな服を着、当たり前のように装備をつける。

 金剛は終わったと決めポーズを何度も決める那珂を促し、工廠から出る。

 そうすれば手を差し出す男、提督が居た。

 白の軍服がだんだんと様になってきている。

 金剛が初見に感じていた頼りなさもどんどん薄くなっていた。

 那珂に向けて格好をつけているのをなぜか、無性に腹立たしかった。

 

 「那珂ちゃんはー、みんなのものなんだからー、触ろうとしちゃダメなんだよー?」

 「……その新しい艤装が気になるんだが」

 「いいでしょうー! お気に入り♪ なんですよっ、きゃは!」

 

 男は記憶の中にあるアイドル然とした、その姿に多少違和感を感じたものの何かの間違いだとさらりと流してしまう。

 矛盾。

 いったいどこに感じたのか。深く考えなかった。そうである、という思い込みもあった。

 

 (提督、マイナス10の減点デス)

 

 金剛は瞼を伏せ、歩き出す。

 向かうは食堂だ。みんなが待っている。

 飾りつけもそろそろ終わっている頃だろう。色紙を切り、輪にしたものを繋げる。ただそれだけであるが、駆逐組みが取り合いながら作業を行なっていた。

 ここには特別がある。他の基地や鎮守府では行なわれない『違い』が生まれていた。

 

 その変化を誰もが好ましいものとして共有し、享受していた。

 最前線である、と忘れないようにする意識を維持するほうが難しくなっているくらいだ。ただ沈没し戻ってこない艦娘が出なくなっただけなのに。

 

 テーブルを繋げ、簡易のステージの上に立った那珂が挨拶を始めた。

 本土で行なったというイベントを繰り返す。その動きはさすがアイドルらしい可愛い振り付けだった。

 大人数がステージの上で動き回る様を想像すれば、圧巻だろう。

 

 今日だけは無礼講となり、作戦室に詰める仕官も含め、その周辺の部屋も開け放った食事会となっていた。人数が人数のため立食となっているが、誰の口からも不満など出ていない。

 食堂関係者だけがおおわらわ、である。特別手当の配布にも俄然、やる気を出してくれているようだ。

 倉庫管理の人員も代わる代わる、いつもとは全く違う特別製の弁当をもらい、誰もが笑顔だ。

 

 哨戒任務だけは外せないため、駆逐組だけは忙しそうに出入りしていた。次が順番だと呼ばれた艦たちが取り皿にあった食事をリスのように詰め込んでは三十分から一時間の航路を回り、食べ損ねたごちそうに頬を緩める。そんな微笑ましい姿を見ながら皆はゆったりとした時間を過ごしているようである。

 和、洋、中と各種の料理は冷めても美味であるがしかし、出る傍から駆逐組み、軽巡合わせた総勢69艦の胃に収まってゆく。

 遠慮というものは無い。この泊地では食べたもの勝ちである。自分の分を確保したい場合は器に名前を書く決まりとなっていた。

 むろんアルコールも準備されていた。特別な日しか出されないそれに群がる男に混じり、24缶いりのビールを20ケース持ってきてもらったというのに長門や陸奥、武蔵が凄まじい速さでビールを消費している。

 奥州産ワインの側では阿賀野、能代、矢矧がクラスを傾けながら、チーズを口にしていた。

 鳳翔が土産に持ってきたのは青森の地酒だ。各酒蔵の自慢を1本づつ、計8本持参してくれたものも、空母たちの喉に通りどんどんと量を減らしている。うわばみだらけである。

 

 男は窓側の席で多くを見ていた。

 ここに居た艦娘の数は最初、両手両足で足りるほどであった。

 だが今はどうだ。二百五十人まで収容可能な寮を作ったのにもかかわらず、既にその五分の三が埋まろうとしている。

 図鑑があれば90%以上が埋まっている状態だ。

 

 「てーとく! 飲むでち!」

 

 男が下戸だと覚えていてくれたらしい、伊58(ゴーヤ)がオレンジの入ったコップをはい、と手渡してきた。

 礼をいい、その頭を撫でる。

 はにかみ、ゴーヤは潜水艦たちのほうへ戻ってゆく。

 

 「…ワインで割ったな」

 

 全く飲めないわけではない。

 だが摂取し、回れば即、寝落ちてしまう。大学時代、どうしても外せない席に出席し、何度友人の家に泊めて貰ったことか。

 今日は眠れぬ事情があるというのに。

 

 伊58と伊168、伊8がちらりとこちらを見ていた。

 自棄である。

 ごくりと飲み、ぺろりと唇を舐める。

 

 ふとステージを見れば那珂がバラードを歌っていた。

 歌詞は英語だった。誰もが聞いたことがある、有名なものだ。

 

 那珂は聞いてもらうために覚えたたくさんの歌を披露していた。

 多くの前で歌い、踊るのが楽しい。以前もあった。

 多くに囲まれ、たったひとり取り残された。だがもう、ひとりになる心配もない。

 ここにさえあれば、ここにさえいれば、青の海に飲み込まれることもないのだ。

 

 アノ蒼ノ海デ 自由ニ声ヲ響カセル事ハ モウ 出来ナイ

 

 那珂はご機嫌だった。

 歌い終わり、瞬き、まつげが伏せられる。

 

 ツウ。

 

 頬に何かが伝った。

 涙、だ。

 

 なぜ泣いてるの?

 理由がわからず笑みながらそっと目尻に触れる。

 

 周囲に感じていた懐かしい気配が、いつの間にか消え去っていることにも気づかず、アンコールに応え、歌詞を口にする。

 金剛がひとり、食堂を出る。その表情は険しかった。


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