ソラとシンエンの狭間で   作:環 円

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 全て書きおえてからの投下予定でしたが、文字数がとんでもないことになっているので、前半部分を投下させていただきます。第一話 17496文字です。二話目もそれくらいとなっております。二話は明日投下いたします。
 お楽しみいただければ幸いです。



アルペジオイベント
第一話 迷うものたち


 いくつもの声が上がっていた。

 助けを請い、それに応えるもの。傷を負ったものを肩に担ぎ、避難を指示する声。

 基地は完全に阿鼻叫喚、地獄絵図と化していた。

 湾全体が炎の中に、建造物からは赤が空に向かって揺らめき立つ。硝煙と苦味をもった煙がこの基地の終わりを示していた。

 

 「いや! 沈みたくない! まだ、何もして無いのに!」

 

 夜襲が今までに一度も無かったか、と問われれば否、と誰もが答えるであろう。深海棲艦は夜の闇に紛れ、基地や泊地に接近してくることもある。だがそれは指示を出す鬼や姫の存在がある場合に限られた。

 昨日、幾隻かの撃沈を出しながらも鬼を討伐し、一息つけるかとラバウルではほっと胸を撫で下ろしたばかりである。

 それなのにどういうことであろうか。一糸乱れぬ横隊を組み、深海棲艦たちはこの基地を支える重要な工廠や入渠などを優先に破壊行動を行なっている。

 

 「潜水艦たちは早く海へ!」

 「駆逐と軽巡はブインへ、重巡洋艦はショートランドへ舵を向けなさい。急いで」

 

 引きつった声が放たれる。基地に残る残存兵力は少ない。

 ラバウル提督が秘書としていた赤城の指示の元、補佐を加賀とし、基地からの脱出を急いでいた。

 この基地を取りまとめるべき責任者の姿は港には無い。認めたくは無かったが、無様にも非戦闘員が乗るタンカーの一室で丸まって震えていた。どんなに赤城が、大のお気に入りであった雪風が鼓舞したとしても、早く何とかしろと一方的な具体的な指示のない感情を喚き散らすだけであった。

 

 なんという醜態か。赤城は奥歯を噛み、自身の提督を見据えた。

 一体なんのために。誰がために。

 あの悲惨な海へと皆が出て行ったのか。そして多くの犠牲をだしたのか。

 糾弾したい気持ちを抑え、赤城はタンカーを出た。

 己の身を砲弾とし、突撃していった彼女たちの死を無駄にだけはしてはならない。

 負の感情が渦巻く基地内を走り回り、提督に代わり指示を出し続けた。

 

 かつての記憶と重なり、赤城は拳を握り締める。魔の五分、そう呼ばれているあの瞬間だ。

 繰り返してはならない。繰り返すにしても、全く同じではいけない。

 

 「赤城さん、加賀さん、わたしに行かせて! このままじゃ!」

 「……落ち着きなさい、飛龍」

 

 たとえ最後の一艦となったとしても戦い抜くと息巻く航空母艦のひとり、包帯姿の飛龍をなだめる。

 提督などもはやどうでもよくなっていた。優先すべきはこの基地に在する艦娘が、ひとりでも多く生き延びることである。

 飛龍は昨日の特攻に参加していた。多くが撃沈した中で、生き残った数少ない生存艦である。入渠(ドック)がなかなか空かず、怪我の箇所を包帯で巻き応急処置を施したままのすがただ。ならばこそである。武勲を立てた彼女がここで命を無為に散らすなどあってはならない。深海棲艦の初弾にて屍となった艦娘らの体を陸地へ揚げ終え、無表情となっている生き残りへと出発の早急を再度告げる。

 

 「生き残るの! さあ、行きなさい!」

 

 赤城は発破を掛ける。

 異形がこの基地を占拠する前に、大海原へ出なければならなかった。

 すでに基地の死守が任務なのではない。生き残った全てを無事に他の味方陣営が在る場所まで運ぶことこそ使命と赤城は心得ていた。

 受け入れなければならない。心を動かさず、ただ目の前の事実を、実証として。

 負けたのだ。ここラバウルは深海棲艦により、廃墟と化す。

 だがそれをそのまま飛龍に伝えたとして、納得などしないであろう。

 飛龍はいきり立っていた。なんと声をかければ気を静められるのか思案すれば、まさにその時、飛龍のやわらかな頬がびよん、と伸びた。

 「ひやああぁうぃ」

 

 引き続き上がったのは、壊走脱出する場に相応しくない緩んだ叫びだ。

 視線を飛龍から後方へずらせば、ふたりの艦娘が無理矢理浮かべているのだろう。明らかに引きつった笑みが張り付いている。

 

 「わ、ったしはっ、反対だったんですけど!」

 「うわっ、舞風だけのせいにする気ですか、長良ちゃん!」

 

 頬を伸ばしていたのが舞風であり、その豊かな胸を揉んだのが長良であった。

 かつてを繰り返してはいけない。その思いが舞風に多分にあったのだ。

 繰り返したくは無い。皆が沈み、その後の雷撃処分を再び行なうなど、もう二度とごめんであった。

 特に赤城の最後を看取るなど、二度としたくはない。

 

 言葉ではなく行動が飛龍の感情を霧散させた。今にも泣き出しそうな顔をし、舞風の肩を前後に揺らしている。

 

 艦娘らは無力であった。

 疲弊を理由にしたとしても、何も出来なかった。

 ラバウル基地を襲った20を超えるの光は、反撃の暇を与えぬ前にことごとくこの基地の建造物を破壊した。

 今までみたことの無い砲撃だった。四十六センチ砲の連射など生ぬるい。巨大な閃光が空を覆い、昼間かと見紛うたくらいだ。

 仲間の遺品を拾っている暇も無い。墓標として残していくほか無かった。

 

 汽笛が鳴る。

 生き残った人間が乗るタンカーがゆっくりと動き始めた合図だ。

 その護衛に二艦隊が付く。

 赤城を旗艦とし、加賀、飛龍、蒼龍、長良、舞風の六艦と、旗艦千歳に続くのは千代田、飛鷹、隼鷹、利根、筑摩の六艦である。

 規定数を超えていた。だがそれを気にしているほど、ラバウル所属の艦娘に余裕はなかった。

 引き連れてゆくことになるだろう。だが、と赤城は唇を噛む。

 

 (どうか、どうか、向かう先の提督が、あの提督のような人ではありませんように)

 

 向かうはパラオであった。

 航空機を飛ばせない空母、軽空母に代わり、重巡と軽巡、駆逐艦が路を開く。闇夜のなかに浮かびあがる鈍色の物体を次々と漆黒の海へ沈めていった。

 光の束は撃たれない。

 タンカーはこの時とばかりにエンジンの回転数を最大にまで上げる。荷物らしい荷物はない。空っぽに近いタンカーだ。

 

 「また、ここへ……」

 

 戻って来ることが出来るのであろうか。

 赤城は振り返る。振り返って頭を振った。日の出はまだ遠い。

 

 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 時を少し遡る。0343、草木も眠る丑三つ時である。虫の知らせが如く目が覚めた男は、なぜか収まらぬ鼓動を鷲づかみにしながら部屋から飛び出た。向かうは宿舎の屋上だ。日が昇り洗濯当番の娘らがロープを張り、それぞれを干す場となっていた。そこへ、走る。この泊地内で最も高いのは見張り台であるが、提督である男が登るにはいささか高度が高い。何かがあってからでは困ると昇りを禁止されていた。

 

 男はぐるりと周囲を見回す。

 高鳴りは続いていた。それは次の日の遠足が待ち遠しく、興奮して眠れない子供のような感覚だった。

 ショートランド島は緑豊かな島だ。大きな起伏は無いが、緑が豊かに覆い茂っている。

 闇が緑も、青も飲み込んでいた。唯一の光も薄雲の向こうにあり、色を照らし出すことはない。

 

 男は落下防止用の柵から身を乗り出し、とある一点を凝視した。

 人の目にみえるものではない。見えぬもののはずだ。

 

 「……ブイン、じゃない、な」

 

 ブイン基地はショートランド泊地の北側にある。気になって仕方が無い方向とは違っていた。

 その先には何がある?

 男は脳内に広げた地図で北西へと向かう。

 

 「ラバウル……?」

 

 まさか攻め落とされたのか。

 ここ近日、伝聞される戦果は芳しくなかった。何を焦っているのか、次々と疲労が抜けきらぬ艦娘たちを戦闘域に突入させていた。

 まさしく特攻であった。止めたくとも他基地の提督であるからこそ、ラバウル所属の艦娘に関し、男が口を挟むことはできなかった。

 ショートランドから出した支援艦隊とラバウルの実働部隊との待ち合わせも上手くいかず、引き返す羽目になったのも一度や二度ではない。到着までの必要時間は誤差を含めて伝えている。で、あるにもかかわらず、本隊との合流時間が過ぎても一向に現れないラバウル勢が討ち漏らしたであろう残党を始末し戻ってくるが重なっていた。

 

 電話連絡でのやり取りでは、侃侃諤諤と主張の言い合いになってはいない。ショートランド側が強く抗議すればラバウル側が折れ、謝罪してきていたからだ。

 そして最終の電話が鳴らなかった。今日、出す支援艦隊の時刻をラバウルは告げてきてはいない。

 何度か鳴らしてはみたのだ。しかし受け取りが無かった。

 ラバウル基地は極度の緊張状態の中にあり、不調を訴え役目を全う出来ない人員が増えていたとも聞き及んでいる。

 ショートランドやブインから人員を派遣するのは、越権行為であった。どうしても行いたい場合は赤レンガに一度、話を通すのが筋となっている。

 

 (……一体なにがあった。もしくは、何が起きようとしている)

 

 男は階段を駆け下りる。向かうのは電信室がある、作戦司令室だった。もしもに備え、あの部屋には二十四時間誰かが詰めている。

 

 「あれ、提督、どうかしたんですか」

 

 夜勤についている人物がゆっくりと振り返り、男を見た。

 

 「飲みます?」

 「ああ、貰っていいかな」

 「どぞ」

 

 入れられたばかりであったのだろう。茶を差し出され、男は一気に飲み干す。

 息を整え、異常は無いかと確かめた。

 時計の針は0352を指している。

 

 「特に何も。いつもの通り静かな夜です」

 

 杞憂であったのか。それならば、いいのだが。

 

 ラバウルに電信を、と喉まで出かかった言葉を男は飲み込む。

 かの地にある提督は時間に厳しい人物であった。時間外に電話をし、男に文句を言うのは別段構わないのだが、それを伝えた兵にも向かってねちねちと不満を垂らし続けるのだと聞いている。存外に扱いが難しい人物でもあった。

 飛行出来る物があれば即座にスクランブルを出し出立して貰えるだろうが、深海棲艦に制海だけでなく空をも抑えられている状態で、物があっても行ってくれる操縦者が居ないのが現状である。

 

 どこぞに妖精の名を冠するパイロットがいないだろうか。

 男は切に思った。彼とその相棒であれば、どんな状態をもひっくり返す魔法を見せてくれるだろう。

 

 時計の針がゆっくりと時を刻む。

 

 「ここ数日、独楽鼠の如く働いてますから。気持ちが高ぶってるんでしょう」

 「なら、いいんだがな」

 

 男は白のズボンにTシャツという姿のまま、軍服を取りに行く気力も出ず、作戦室で肩肘を突いて時計を見続ける。

 0400、まだ空は白まない。

 男は重い腰を上げた。夜勤に就く官に追い立てられたのだ。大人しく自室に戻る。

 執務室で提督が居眠りをしていると艦娘らが代わる代わる見学に来、捌くのが大変であるのだと知らぬは男だけである。

 

 ベッドに入り、うつらうつらとまどろむ。

 ふと気づけば見慣れたPCと画面、積まれた漫画本が在る部屋に立っていた。

 ショートランド提督となる前、男が暮らしていた部屋である。

 

 読みかけの潜水艦が主人公である漫画やハードカバーの小説が散らかっていた。

 掃除は毎週土曜日、会社が休みであった日に欠かさず行なっていたが、それでも男やもめが暮らす部屋だ。

 状況的に考え、行方不明扱いになっているだろう。となれば警察が入ってくると仮定出来る。怪しい物体は無かったはずだが、室内が酷い有様であるのは間違いない。

 

 シンクには食べっぱなしのラーメンが置いてあったはずだ。

 洗っておけばよかったと今更ながらに思う。

 

 男は職を探していた。

 とある企業に勤めていたものの、合併を理由に解雇されたのだ。

 新卒で入社し、有給も使わず汗水垂らして働いた結果が退職金なしの事実上の解雇である。

 残ることを希望したが、人選から漏れてしまったのだ。全く世知辛い。ただ合併が急であったのもあり、恩赦として有給を使い求職活動をしてもよい、とされた。最後の給与はこれまでと同じく次月の20日に支払われると聞いていた。

 

 幸いに貯蓄は十分とあり、切羽詰った求職ではなかった。

 最低限でも今の生活を維持できる仕事に付かねばならない。幾つかへ履歴書を送り面接の電話を待っている状態だった。選り好みするから決まらないと、どこかの誰かが口を挟んできたが、選り好みをせねば生きてはいけないのである。最低限を落とせば路上生活を余儀なくされたとしても、仕方が無い、と受け入れなければならなくなるからだ。

 

 

 

 「提督はお寝坊さんね!」

 

 日が昇り、時刻もマルナナマルマルを十分も回っていた。いつもであればとっくに起きている時間帯である。

 今日の秘書艦である駆逐艦の雷が一緒に朝食を、と張り切って食堂に向かえば、珍しくまだ来ていないという。なので迎えにきてみたのだ。鍵はかかっておらず、ゆっくりとドアを引けば蝶番が鳴くこともなく開いた。

 室内は静かだ。ゆっくりとベットへと歩みを進める。

 提督はまだ、眠っていた。

 いつもは子ども扱いし、大好きだと伝えているのに頭を撫でることしかしない、想い人へと顔を寄せる。

 無防備な寝顔を雷に晒していた。思いのほかまつげが長い。そして男のくせに肌がもちもちであった。

 顔の目の前で手を振り、意識の確認を行なう。どうやら熟睡しているようだ。

 

 電ですら提督の寝顔は見た事がないと言っていた。これは雷だけが知る、雷だけの宝物になった。

 気分をよくした雷はベットに上り、さらに提督の体の上に乗る。艤装はつけたままだ。

 

 ベットが軋む。カエルがつぶれたような音がした。

 突如として眠りから覚めた男が目を開ける。

 確かに眠っていた。今までの人生の中で甥っ子や姪っ子に上からボディプレスを貰った経験は無い。だがされるとなればこんな気分なのであろうか。否、もっと凶悪である。ただの子供であればどんなに重くとも20キロまでであろう。が、上向いた体に馬乗りとなっていたのは、雷であった。

 

 「おはようのキスよ! ありがたく受け取りなさい!」

 

 どういう状況であるのか。頭が理解する前に体が動いた。

 近づいてきた顔を、その肩を思わずがしりと男は掴み、自身の体をひねりつつ唇の到達点を枕へと変更させ、その華奢な体を横へとずらす。

 へたれだと言われても構わなかった。男は脱兎の如く隣の部屋に続く扉へと走り入り、鍵を閉める。そこは小さなバスタブがある洗面所であった。ドアを背に体重を預け、ずるりと座り込む。

 

 扉が叩かれ、開けるように催促する声が連なったがしかし。男はこの天ノ岩戸を、しばらく開ける気になれなかった。

 

 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 午後一時。

 ショートランド泊地の司令部は緊張状態に置かれていた。

 予備を含め3台ある衛星通信が不通となったからだ。考えられる原因は三つ、機械の故障か、衛星の不具合か、それとも本土で何かあったか、である。

 機械の故障ではないと判明するまで時間は掛からなかった。

 泊地周辺を映し出すレーダー施設にも整備班を走らせたが、なぜかこちらは正常に動いていたからだ。

 

 男が思慮した結果、疑われる原因は電波妨害だろう、と目星をつける。

 しかし深海棲艦が電波を使った攻撃をしてきた前例が無い。判断しようにも材料が不足していた。

 もし電波妨害を行なっているのが深海棲艦であれば由々しき事態である。海路、空路共に深海棲艦に支配され、海洋国は陸地に閉じ込められている。まだそれだけであればいい。国内生産を増やし、陸のみで生きる算段もつけられよう。だが深海棲艦は陸への侵略も時として行なってくる。いつ、どこに上陸してくるのか。全く予想が付かない。ただひとつ分かっているのは、大きな群れが出来上がったときのみ陸上への攻撃が行なわれる、ということだけだ。

 群れには姫か鬼が必ず居る。それが司令塔になり、進撃を行ってくる。

 

 誰もが判断しかねる状態になっていた。

 多くの視線が注ぐのは、かのアイアンボトムサウンドを攻略した男である。

 

 上下左右、前方後方、そして足元すら真っ暗闇の中であった。

 ……無いのであれば取りに行けば良い。

 

 そもそもの異常が判明したのが午前十時、大湊へ定時連絡を入れようとし、発覚した。

 状況を確認してみると、ブインも同じであるらしい。目と鼻の先に隣接する基地と泊地であったのが良かった。

 もし味方陣営から遠く離れた立地にあったならば、もっと混乱に拍車がかかっていただろう。動くに動けず、状況に左右されながら後手後手に回り、苛立ちを膨らませていに違いない。

 

 「えいやあ、っと!」

 

 睦月が飛んできた偵察機から投げられた筒を見事に受け止める。表情は満面の笑顔だった。その視線の先には紐を外し、ウインクしている妖精さんが居る。

 ブイン側に移動した鈴谷と筑摩、ショートランド側で待機していた最上と利根が交互に零式水上偵察機を使い、紙飛行機の如く飛ばし合って書簡のやり取りをしているのだ。

 いつもであれば戦闘機に宿っている妖精さんに操縦をお任せしているのだが、今日ばかりは甘味と茶を渡し、操縦桿を手放してもらっている。

 戦闘時、空母が放つ戦闘機の数はどんなに少なく積んだとしても五十を超える。戦闘機と空母は目には見えぬ繋がりを持ち、空母が願う方向へと向けて飛び立つものだ。操縦は上記のように妖精さんが受け持っている。空母の願いを察知し、操縦するのだ。

 

 しかし今日は違った。

 航空機を扱う艦娘への訓練として、以前から少しずつ妖精さんに頼らない戦闘機の操縦を行なっていた。

 妖精さんは働き者だ。深海棲艦に打ち落とされたとしても文句を言わず、海の一部へと還ってゆく。妖精さんには死が無い。厳密に言えば、死、という概念が無いのだ。そこにあって、そこにないもの、それが妖精さんである。この不可思議な存在にはくどいようだが死、がない。だが痛みや恐怖はある。

 妖精さんと交流するようになっていた男は、月見酒をしながら少しばかりの休息を打診されたこともあった。

 

 なので男は妖精さんにこう提案してみたのだ。

 『墜落しそうなときはパラシュートを開いて逃げてくれないか』と。

 もし男が妖精さんの立場に立ったならば、裸足で逃げ出してしまうだろうと思えたからだ。被弾し、墜落する際の光景など想像もしたくない。

 最初妖精さんたちは首をかしげて疑問を伝えてきた。「なぜ逃げなくてはならないの」と。男は答えた。「優秀なパイロットを失いたくないからだ」

 

 妖精さんたちにも錬度が存在している。だが落ちて消えればふりだしに戻るのだ。

 勿体無い。男は心の底からそう思った。

 パイロットは貴重である。しかも数百、数千と航空時間を持つ妖精ほど深海棲艦への被弾が高い。

 「君達、妖精さんたちが生き残れば生き残るほど、深海棲艦への切り札となってゆく。そして艦娘たちの生存率も上がるんだ。だから逃げて欲しい」

 この願いに妖精さんたちは相談し合い受領し現在となっていた。

 

 妖精さんが脱出した航空機は不安定である。

 妖精さんが乗っていない矢を飛ばしても、すぐに海へと落ちてしまう。しかもその操作を艦娘が行なうのは、脳に負担をかけた。

 頭痛ならまだましな部類である。吐き気や意識を失った艦娘も居た。

 幾人からはこの訓練の除外を申し入れて来ている。だがやってみる、と決意した艦娘の多くが三十分以内という時間制限つきではあるものの、妖精さんが操っていなくとも動かせるようになっていた。

 

 「最初はね、頭の中がぐちゃぐちゃにかき回されてるような気がしたけど、今はへっちゃらさ。慣れると爽快なんだ。妖精さんが空から見ている景色が堪能できるって、ちょっと得した気分だね」

 とは最上の言である。

 

 男は、ショートランド提督は書簡のやり取りの方法を提示したとき、金剛提督から却下された。

 金剛提督の目には妖精など見えはしない。しかも艦娘たちが使う戦闘機はある一定以上の速さから速度が落ちぬものとして認識していた。

 ふわりふわりと飛び、着地するなど見たことが無いと言い切ったのである。艦娘の元に戻ってきた戦闘機は矢の形に戻るのだ。実際ショートランドも最初はそうだった。妖精さんが乗る戦闘機は艦娘のすぐ側まで戻ってくると矢となる。またそのままの形を受け止め固定するのが飛行甲板だ。

 

 ここで物事を進める際に障害となるのは、どうやって飛行機の形を保てるのか、という一点だ。

 前者は艦娘の側に戻ってくると矢に戻り、後者の場合は固定され動かすことが出来なくなる。

 矢に戻らない条件は、意外と簡単であった。宿る妖精さんに飲食してもらうのである。

 

 飛鷹(ひよう)隼鷹(じゅんよう)は巻物にある艦載機を実体化させ、手入れを良くしている。

 男の仕事部屋である執務室は意外と広い。とはいえ置くものと言えば机と書類を入れる棚と調度品は数少なかった。

 床は広く掃除も行き届いており、ゴミひとつ落ちてはいない。そこに目をつけたのが隼鷹であった。空母の詰め所では幾人もが床に巻物や式を広げるため、それぞれの領域が少なくなる。だが提督の部屋に行けば、広々と艦載機の手入れが出来た。

 

 だから、知っていたのである。

 実体化した艦載機から妖精さんが降り、貰ったクッキーを食べていることを、だ。

 

 男は論より証拠とばかりに、実際に航空機を飛ばした。

 金剛提督曰く、君のところにいる艦娘たちは変わりすぎだよ! なんでそんなことが簡単に出来るんだ?!

 という褒め言葉を貰ったほどである。

 

 最初こそは久し振りの感覚に苦戦していたが、意外にやっていると思い出すようである。今や十五分あれば向こう岸に届けることが出来るまでになっている。帰ってくるときは積荷が無い。ただ戻ってくるだけである。それに妖精さんが操縦してくれるので楽なものである、とは利根の言だ。

 そうしたやり取りの結果、ブインとショートランドは現状、戦闘態勢を維持しつつ他基地との連絡を取ることとなった。まずは最も近いラバウルからである。

 

 「ショートランドからも偵察部隊を出す」

 

 既に航空巡洋艦を主とした艦隊が先日、出航したタンカーの安否確認任務のために出立したばかりである。続いての作戦行動に泊地は慌しく声が交わりあっていた。

 

 太陽だけが燦々といつもと変わらぬ光を地上に投げている。

 大和と武蔵は泊地への襲来に控え、地上で四十六センチ砲を構え待機中だ。小さなさくら色の日傘がくるくると回っているその横では、黒の巨大な傘が石畳に突き刺さるというシュールな光景が作られている。

 選抜されたのは金剛四姉妹と木曽、大鳳であった。変わってブインは水面下を意識してか、金剛を筆頭に榛名、大井、五十鈴、由良、不知火という編成で行くという。

 

 無線が全く使えない状況である。送り出す際の不安がいつもよりも強い。だがその様をおくびにも出さない。

 男がそんな素振りをみせてみろ。基地の安否さえも明確ではない、もしかすれば最悪の事態となっている場所への偵察である。

 行く前から畏れさせてどうするというのだ。

 

 だから男は笑み続ける。

 呼吸をゆったりと維持し、緊張から来る震えを出さない。はっきり言っていつ奥歯ががちり、と音を立ててもおかしくは無かった。

 選ばれた艦娘たちが海へと降りる。どの顔にも笑みがあった。背を支えてくれる提督が、大事無いと腰を据え構えているのだ。何の心配もない、しなくてもいい。挑み往く勇気をその手に握り締め、進む。

 

 迎えに来たのであろう。ブインからの艦隊と手を打ち鳴らし、羅針盤娘による進路指示を受け走り始めた。

 

 

 視界良好、進み往く方向の空も青く澄み雲ひとつ無い。

 絶好の出撃日和だと和気藹々と進む中、ショートランドの金剛だけは注意深く周囲を警戒していた。

 本来ならば今日という日は曇りの予報であったからだ。インドネシア方面から赤道風に乗って流れてくる雲のため、本来ならば空一面に青が広がっているのはおかしい、と判断していた。天気の移り変わりの速さを理由にすれば、心配のしすぎであろう、そう言われても仕方が無い。だが心のどこかに引っ掛かりがあった。

 

 羅針盤娘が指し示す方向が一定に定まる。ここから一気に北西へと駆け上がってゆく。片道一二時間、往復二四時間の大遠征だ。何かが起こり調査を行なうのであればそこへさらに二時間ほどが加算される。

 「みなさーん、そろそろいつもの dangerous spot (危険点)デース! 用意はいいですカ」

 

 支援任務に当たり、往きなれた海路の途中で艦娘たちが銃器を構える。

 ラバウルに向かう際、深海棲艦が群れを成し固まる地点が幾つか発見されていた。鬼や姫が出現するゲートではない。駆逐や軽巡、そしてたまに雷巡が出てくる程度の小型ゲートだ。

 電探によって位置を確認し、先手必勝とばかりに群れを追い立てる。屍は海に沈み、浮かび上がってくることはない。

 

 二艦隊が共に行動すればそれだけ殲滅も早くなる。互いを健闘しながら、いつもよりも早い速度で海を渡っていた。

 ただ深海棲艦に艦娘が認識されやすい状況ではある。出撃数六、という数を超えるとどういう理由からか、深海棲艦に察知されやすくなるのだ。

 だからサーチアンドデストロイ。これが基本となる。

 また航路が順調であるのも気が急いているわけではない。数日間に渡るラバウルへの行程で最速の海路を見つけていた事と、艦隊の増加によって純粋に火力が上がったことが要因だ。

 

 「前方から多数……艦船識別、僚艦です。その後方敵も多数!」

 

 不知火が電探の情報を伝えてくる妖精の伝聞を張りのある声にて周囲に伝える。

 金剛の表情が固くなる。こちらの方に遠征に来ていたどこかの艦隊が、金剛たち合同出撃隊の煽りを受けたのではないか、と考えたのだ。

 そうでなければいい。もしラバウル所属の艦であれば願ったり叶ったりである。

 まだ遠めにあるらしく、目を細めても見えない。両金剛は頷きあい、大きく飛沫を上げた。皆がそれに追随する。

 陣形は共に単縦陣だ。こちらに向かってくる仲間たちは陣形を取れず、てんでばらばらに進んできている。後方から追われている状態だ。ラバウルから脱出してきた艦娘たちであろう。状況から判断して幾人もの犠牲が出ていると見て間違いない。

 

 「対空権確保しました!」

 「水中は五十鈴に任せて! 丸見えよ!」

 

 ラバウル所属の艦娘等とすれ違うが今は会話を楽しむときではない。提督の前に立ち塞がる『敵』を排除する時間である。

 殺し殺され浮き、沈む。

 大鳳と五十鈴によって上下の蒼の一時的な支配が終われば、金剛を筆頭に姉妹が水上を平らげて行く。

 水面下は大井を筆頭に軽巡、駆逐の独壇場だ。

 

 「何で当たらねぇんだよ!」

 「ひとつだけ、生きがよくても!」

 

 木曽と大井が爆雷をそれぞれ左右ひとつづつ、二回発射する。先に出す初弾はおとりだ。次の二発目はお互いが十字に投射角度が合うよう、意識している。

 一発目が回避されることは予定済みである。二発目の着弾を……

 

 「確認!」

 「くそっ、こっちは避けられた!」

 

 なんという素早い回避なのであろうか。

 

 「魚雷四、来ます!」

 

 三式水中探信儀が拾う水中音に不知火が警告を出す。高い錬度を持つ重巡、軽巡はそれをかわすがしかし、位置を知らせ続けていた駆逐艦不知火に直撃となった瞬間。

 

 「真上に jump ネ! アンド足元火気注意ヨ!」

 

 不知火は聞こえた言葉に思わず従った。真上にジャンプ。これ以上分かりやすい指示は無い。

 ここ数日で百を超えるようになった大縄跳びの回数も自信へと繋がっている。魚雷が足元に来る、その瞬間大きく足を上げ空へと手を伸ばす。

 すぐ下を何かが通った。人影であったような気もする。茶と黄色と白が視野に残った。

 水柱は立たない。

 足元から少し離れた場所で魚雷が爆破する。そのあおりを受け、スカートが縦にいくつも破けてしまうが艤装や他装備には欠損は出なかった。

 

 「お姉さま! なんて無茶をなさるのですか!」

 

 二重音声で放たれたのは榛名たちの非難だ。不知火は水面へ着地する。

 黒く漕げた衣を気にすることなく、頬についた硝煙を拭ったのはショートランド所属の金剛であった。

 ブイン所属の金剛は常時無表情であり、最近は無口が追加されている。全く対象のふたりではあるが、同じ金剛として仲が良い。

 

 「ちょっとだけ服が破れただけネ。榛名たちは心配性デース」

 

 何事も無かったかのように、金剛は海を走る。

 向かうはこの世の終わりであるかのような暗がりを持つ、苦しそうに胸を押さえながら進んでくる駆逐組の方だ。

 

 「助けて!」

 

 味方である二艦隊を見るや、多くが涙腺を崩壊させた。死を厭い、沈む恐怖を口にしているものたちを霧島は抱きしめる。

 落ち着いた数名に話を聞けば後方にはまだ軽巡と重巡たちが向かって来ているという。

 

 「金剛、大丈夫だぜ。潜水艦の位置は、把握している」

 

 緊張度の高い声音は木曽だ。元々は軽巡であったが改二への改造を受け、雷巡として能力を高められた艦である。

 気力を消耗している不知火に代わり探信儀を使用していた。

 

 動きが止まっている。

 金剛はこの報に一抹の不安を感じていた。確認しに行くべきであろう。なぜかそう思う。

 基本、艦娘たちは海に潜ることを嫌がる。潜水艦たちは潜らねば海を泳げないのだから、嫌だと発言したものは今までひとりもない。だが艦船である多くは海の上に浮かぶが基本だ。海の中に入るのは、沈むときだけである。なので『艦船の魂』を埋め込まれている艦娘たちは海へ潜るなど、したくない。

 

 続々と後続が到着し始める。

 出発した際はそれぞれが十五を越えていたというが、確認できる姿は既にそれぞれが十を下回っていた。

 最も被害が大きいのは駆逐組だ。

 

 「一旦、戻りましょうカ」

 

 金剛は金剛と幾つか会話のやり取りを行なう。小さな呟きを波立つ海原で拾うのは至難の業である。

 だが金剛は金剛と会話した。

 両提督は僚艦の救助を優先しても怒りはしないだろう。

 僚艦たちはラバウルから来たと言っている。状況を新たにするため、連れ帰るほうが喜ばれる。

 そうふたりの金剛は結論した。

 

 「霧島、榛名、比叡、この子達をPlease ネ!」

 

 金剛は付き合いの長い姉妹達に軽巡たちを任せ、柔軟体操を始める。

 同一艦金剛には既にどこに行くのかを伝えていた。

 

 『昔から一度決めたことは頑として、変えようとしないアナタですからネ。一応はstop かけますが無理デスよね。ええ。I know that(わかっているわ).』

 

 という返答も貰い済みである。

 もしもの時、に備え金剛と霧島、木曽が残ることとなった。

 ラバウルからの多くを率い、撤退が始まる。

 

 「じゃあ、ちょっと行ってきマース!」

 

 深き青の世界は太陽の光を受け、煌びやかな光を海中へ伸ばしている。

 天使のはしご、そう呼ばれる雲が切れ地上に投げかけられる光の柱がここ、海中にはいつも存在していた。

 懐かしい、とは微塵も感じない。

 だがどう体を動かせば泳げるのか。それは覚えていた。意識下にある本能とでもいうものであろう。息継ぎをしなくとも海の中に居ることが出来る。人間在らざる存在の証でもあった。

 

 潜水艦は位置を変えずそこに居た。

 潜水カ級ではない。蒼い潜水艦がそこにはあった。

 かつてあった世界大戦で実際に使われたであろう潜水艦とほぼ同型だと推測出来る。それは焼き付けられた偽の記憶が裏づけとなり、金剛に教えてくれた。

 

 (伊401、ですネ)

 

 海の中にあって映える青とは趣味がいい。金剛は警戒しながらもそっとその船体に触れる。

 どくん、と何かが、波打った。

 目の前に白亜の空間が広がる。ありえない光景だと瞬時に判断出来た。

 蒼の海の中を泳いでいるにもかかわらず、地上にある花々が白亜の先に咲き誇る二重視野など普通、あるわけがない。

 白亜に在るのは複数の人物だ。

 中央に置かれたテーブルを囲む椅子に座り、琥珀色の液体に口をつけている。

 ふと、青銀髪の少女と目が合った。大きな目を瞬かせ真っ直ぐに金剛を見る。そして柔らかく笑んだ。

 

 「やっと会話可能である個体を見つけた」

 「どういうことですカ?」

 

 金剛は思わず口を開いた。

 その行為に驚きを見せたのがピンク色の熊である。

 

 「……興味深いな」

 

 言葉を発したのは紫色のドレスを着た女性であった。金剛が第一に持った印象は絶世の美女、である。

 その横には赤を基調に赤と白の縞タイツをきた美少女が立っていた。

 金剛に背を向け首だけ後ろに回している女性は愛嬌ある顔をしている。その向かい側に座すのは黄色の髪をツインテールにしたもの静かな女性だ。

 金剛と視線を合わせてきた少女がゆっくりと歩んでくる。

 

 「っ、」

 

 金剛は突然の頭痛に顔をしかめる。

 

 「ここはあなたにとって、演算領域の外にある。余り長くいてはだめ」

 

 金剛の意識はその言を聞いたことにより、途切れる。そしてその身が海流に流される前に誰か、によって回収されたことを金剛は知らない。

 

 海上では潜水艦の動きを捕らえていた木曽が重々しく、潜水していた金剛と潜水艦の消失を告げた。

 捜索を霧島が訴えるがしかし、探信儀でその姿を追えなくなった今、恐怖を押し殺し水中に潜ったとしても二次被害が出てしまう可能性の方が高い。霧島は何度も後方を振り返りながら、姉の無事をただただ、祈り続けた。

 

 

△▽△▽△▽△▽△▽△▽

 

 

 緑の目がじ、と金剛を見つめていた。寝かされていたのは簡易のベットである。

 どれくらい眠っていのカ皆目見当がつかない。助けてくれたのであろう。衣服も濡れてはいない。礼を言いつつ、金剛はその身を起こす。

 互いがまず名乗ったのは名、であった。そして所属が続く。

 彼女たちは深海棲艦と行動を共にしていたが、敵ではなかった。どちらかといえば、まとわりついていたとするほうがしっくりと来る。

 金剛は伊401、イオナと名乗った少女の言に違和感を感じていた。何を違和感としているのか、説明がしにくいところではあるが、彼女は対話できる存在を探してこちら側に流れてきたという。

 

 「同じ音を繰り返し、モールスのようだったわ」

 

 言いえて妙だと金剛は思った。

 深海棲艦には固有の言語がない。動物と同じく、音の変化によって意志の疎通を行なう。

 人間と同じ言葉を使うようになったのは、降伏を勧告するためであった。人間は深海棲艦が使う音の高低を人間が使えないと祖が知ったからだ。

 基本的に深海棲艦には思考能力はない。だが接触を目的に作られた個体は別である。

 

 「姫や鬼は居ませんでしたか」

 「居た。けれど幾つかの言葉しか発しなかった」

 

 金剛の疑問に答えたのはイオナであった。姿かたちを説明したのが良かったのだろう。

 角が生え大きな異形を従えた黒っぽい固体と、白く目が赤く光った飛行場滑走路をひらひらとなびかせている個体は居なかったか、と尋ねたのだ。

 

 「おかしい、デスね」

 

 金剛は腕を組み眉を寄せる。金剛は、戦艦金剛となる素体は希少であるが、全く見つからぬものではない。

 探せば必ず見つかる部類に入る。そしてその素体は主に戦艦ル級から捕れた。そして金剛は元、flagship として存在していたことを覚えている。

 だがその情報は、与えられているものは微々たるものである。

 姫や鬼に追従するのは当たり前であり、命じられたことを実行する人間で言う部隊をまとめる隊長のような役割を持たされていた。

 両者に侍べることを許された存在が、戦艦ル級である。

 とはいえ知っていることは余りにも少ない。どこそこへ行けと命じられたなら、理由など尋ねず往く。そしてそこにあるものを壊して帰ってくる、ただそれだけだ。しかしその少ない情報であっても今までは十分に活用できた。

 何かが変わってきているのか。そうであれば、これからの戦況が負けに傾く可能性もあり得る。

 

 金剛が乗る潜水艦は伊401であった。

 青き鋼と呼ばれているという。この船に乗っているのはイオナとヒュウガのふたりだけである。

 白の空間にて金剛に背を向けながら顔だけ見せていた女性だ。

 

 あの場所に金剛が入室できたことが異例だと言った。

 元々同じ艦隊、東洋方面巡航艦隊に所属しているものだけが姿を現すことが出来る場所であるらしい。

 

 「話を聞いた限り、私たちはとても良く似た存在であるようだし。可能性としては否定できないわね」

 

 とヒュウガと名乗った女性が猫口を作り笑む。

 

 「まだ繋がったままのようだし、脳の空き容量を駆使してまたおいでなさいな」

 「はは…あははは、善処してみマース」

 

 ヒュウガは念を押すように、深海棲艦については出現した場所で出会い、そのまま行動を共にしていただけである。またそれらはイオナと系統を同じくするものではないことを再度告げてきた。ただ深海棲艦はイオナ他、同時期に現れた艦船を仲間であると認識しているらしい。なので群れから離れようとすると何らかの信号を送ってくる、という説明がなされた。

 

 金剛から告げられたのは、深海棲艦は人類に対して敵対をしていること。そして人類は深海棲艦と戦っているという事実を手短に伝える。現在の状況を手っ取り早く共有するためには彼女の上官である男に合うのが一番良い、という提案のみであった。

 

 途中から会話に加わってきたヒュウガも、数少ない情報で堂々巡りをするより、金剛が所属するという泊地の責任者と会うほうが建設的である、と同意を示した。

 ただイオナは深海棲艦を欺くためとはいえ、金剛が所属する側に攻撃したという事実はいくら取り繕ったとしても消えはしない。

 まずはヒュウガが上陸し、接触を図ること、となった。

 

 

 

 日はすでに暮れていた。

 白の光によって浮かび上がった泊地にはいくつもの簡易テントが張られ、多くの声が響き交わっていた。

 ブインでは負傷艦を多く抱えられないという理由により、急遽ショートランドに難民キャンプ張りの仮設が設けられたのである。

 霧島を含め、四姉妹の内三名が使い物にならなくなっていた。

 木曽も気が抜けたのか、どこか心あらずといった表情をしている。

 金剛だけが戻らなかった、という現実を飲み込む暇さえ与えられず、男はラバウルから遁走してきた各々から聞きだせるだけの情報をもらい、作戦室で彼の地の状況をシミュレートしていた。

 

 多分に、悪い。

 

 既に基地として機能出来ないであろう。そう思える有様であった。

 ひとつわからないのが、空を明るくしたという見たことも無い砲撃である。

 アニメや漫画ではないのだ。ビーム兵器などそうそうあってはたまらない。しかもそれが敵戦力として実装されているならば、人間は再び窮地に立たされることとなる。

 

 (……くそったれが)

 

 いつかは失う日が来ると覚悟はしていた。故意でなくとも、不運が重なりどうにもならない事態となって、だ。

 まさしく今がそうであった。どんなに策を練ったとしても、実際に戦いに赴くのは艦娘たちである。

 血が流れぬ戦いはない。失うものの無い、戦いなどありはしなかった。

 理性ではそう、分かっている。だが感情を上手く整理できないでいた。

 悪態をつくしばしの間すら与えられない。それが指揮官である。

 後悔を振り返るのは、全てが終わった後だ。

 

 作戦室にある目が男の言を待っていた。

 ラバウルは最前線と位置づけられている3つの拠点のひとつであり、落とされてはならぬ需要な基地である。

 どちらかといえばショートランドは陣屋に近い。だがラバウルとブインは基地という砦だ。

 反攻に転じる機は早ければ早いほうが良いだろう。なぜならあの地域はオーストラリアに続く海路を守っている。日本からの物資の多くもパラオ、ラバウルと経由してショートランドにやってくる。あの海域はブインとショートランドの生命線でもあった。深海棲艦の巣にされてはたまったものでは無い。

 

 

 男は銃を引き抜いた。誰もが目を丸くする。

 女、が窓際に立っていた。

 多くがその手に銃を抜く。

 本物の銃など、この泊地に来るまで手にした事など無かった。

 撃つのもそうだ。腕力が足りず、反動を抑えきれない。

 

 何者だ、と口が開くまでもなく、男には一体誰であるか理解してしまっていた。

 「……総員、銃を下ろせ。発砲は許可しない」

 

 静かな声だった。有無を言わせぬ声音でもあった。男が真っ先に鉄を下ろし、机の上に置く。

 そしてその名を呼んだ。

 

 「ヒュウガ、だな」

 「ええ、はじめまして」

 

 誰もが眉をしかめた。

 最もであろう。真っ先に男が銃口を向けたのである。それに習い、追随して抜き放った者らに撃つな、と言った。

 通じていた相手であったのか。

 否。作戦室に居た誰もが否定する。最初から知っているならば名など確認せぬし、密通相手がこの場に現れるなど在ってはならないことだ。可能性としてはショートランド提督を陥れるため、と考えるのが道理であろう。

 

 「撃っても弾の無駄遣いになる。やめておけ」

 

 男の言に女が薄く笑む。

 事前にヒュウガがこの男について知っている情報といえば、この基地の最高司令官であることだけだ。助けた金剛が信を第一に置いている相手でもあることも足しておこうか。

 なぜヒュウガの名を知っていたのか。

 疑問を抱きながらも横に置き、男の行動を観察する。

 

 「イオナも一緒だろう」

  

 ヒュウガは男の言にただならぬものを感じた。確信している言が放たれたからだ。

 まるで知己であるかのような振る舞いだ。……そうヒュウガが居るならばイオナも当然、一緒にいるであろうという必然が込められているかのようだ。

 

 (イオナ姉さまと私が対であるかのような物言い。いいわぁ、少しばかり見所がありそうじゃないの、この人間)

 ヒュウガは内心、じゅるりとしたたりそうになる心の歓喜を包み隠し、平然を装いすました顔で立ち続ける。

 

 「君達が来ていたとは、ね。大体は理解した」

 

 男はある意味安堵したと言っていい。闇雲に進まなければならない時こそが恐ろしいからだ。往々として物事はそうである。未来など、そうであるだろうと予想してもその通りに物事が運ぶ例がないのである。

 だが夜の闇を切り裂いた見たことの無い光、の正体が分かった。それだけでも行幸であろう。

 

 意味深長な言にヒュウガは目を細める。

 パン、とひとつ提督が手を叩く。その音は部屋にいる誰しもの注意を惹いた。

 「ピースが揃った。反攻の狼煙をあげ、救出に向かうとしよう」

 

 士官達は提督を見る。ヒュウガと名乗る人物が現れただけで、物事は全く前進していないように思えた。

 どこから来る自信なのだろうか。

 だが図々しくも笑む提督に誰もが既視感を覚える。そうだ、先の戦いでもそうではなかったか。

 誰もが終わりを口にしていた。この状態を打破する術など残っていないのだと諦めていた。

 それをひっくり返したのが目の前の男である。

 現れた女性が情報を口にしたわけでもないが、提督の中で必要な条件が整ったのであれば、それはそれで良しとしなければならないだろう。

 凡夫がいくら、説明を欲しされたとしても理解出来なければ時間を無駄に使うこととなる。

 

 「ようこそショートランド泊地へ。歓迎する、蒼き鋼たち」

 

 提督である男が差し出した手を、ヒュウガは数秒の間を置き取った。直接接続がこの人間にも使えればよかったのに、とヒュウガは心の底から思う。

 数刻の後、タンカー船が停泊する船渠に現れた蒼き鋼を見、多くが口をぽかーんと開けたままとした。そしてそこから下りてきた姉の姿に号泣した妹達もまた、あった。

 

 まるで未来でも覗いたことがあるかのようね。

 会談は明日とし、客室へ案内した男へヒュウガは言った。

 それは半分正しく、半分間違っている。

 覗いた、のではない。彼女らのことを知っていた、のである。

 

 ヒュウガの問いを男はあやふやにぼかした。

 

 男は扉を閉め、部屋を後にする。

 扉の前に残るは憲兵だ。彼女らを襲う不届き者が出ぬように、との配慮である。

 最も明日、男が考えている手段により誰もが手を出そうとはしなくなる、とは考えてはいたが念には念を入れておいたほうが良いと考えたからだ。彼女達を守るためではない。人間の命が失われぬよう、するためだ。

 

 彼女達は己を害しようとする人間を殺すことに躊躇しないだろう。

 なぜそうしようと思ったのか。理由を聞こうとしてくれたならば御の字であろう。

 

 震えが止まらぬ手を握り締め、奥歯を噛み息を殺す。

 武者震いであると自分に言い聞かせた。男の夜はまだ明けない。黄昏が始まったばかりである。

 


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