十二月二十六日午前十時三十五分。
大湊では指令が電信室に座し、連絡を待っていた。
いつもであれば既に終わっている時間である。一秒ごとに音をたてる針が、今日はなぜか耳障りであった。
ここ数ヶ月に渡り、かけ忘れたなど無い男である。本日明朝にラバウルへ到着であるはずのタンカーを含めた基地からの連絡も鳴ってはいない。
異常であった。ただ非常事態である、と判断するには早急でもあった。
ゲートは突然開く。
新たに開いたゲートからは鬼や姫と名の付く統率者が出現する。鬼や姫は群れの要だ。それらを倒さねば、昼夜問わず深海棲艦は永遠と人間領域へ侵略を仕掛けてきた。もしゲートがショートランド近郊に開いたとするならば、連絡が多少遅れたとしても説明がつく。
だがあの男がかけ忘れるなどあるだろうか。
指令は思案する。在り得ない、が結論であった。どのような状況になったとしても、ショートランド提督が連絡を寄越さないわけがないのである。立て込んでいる。後にまた連絡する、切るぞ。そう短くも掛けてくる男だ。もし本当に切迫しているならば、男に代わり誰かが連絡を寄越すだろう。それに手柄に固執しない人物である。応援を周囲に呼びかけないほうがおかしい。あの泊地はそういう場所だ。それに最南端にあるあの泊地にとって最も危機となる状況は、補給の寸断である。最低限の衣食住は賄えたとしても、医療品の調達は難しい。それにあの地は最前線である。衛生が悪化すればあっという間に疫病が流行るであろう。
だが、もしも、あるいは。
(連絡が取れぬ状況になっている、と考えるが自然か)
指令は立ち上がる。思考していても埒が明かないからである。
ラバウルもしくはショートランドからの電信あれば即、回す様言い置き、その場で過ごした時が惜しいと言わんばかりに鎮守府内を廻り始めた。
翌日ヒトフタマルマル、大湊鎮守府は大本営へ最前線にある三箇所の基地の沈黙を伝達することとなる。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽
十二月二十七日午前九時。
男が抱いていた危惧は杞憂に終わった。
深海棲艦が跋扈する海において潜水母艦伊401が航行出来ていた、など誰も信じなかったのだ。イオナ、ヒュウガの両名に関しても、艦娘と同じ存在であるという認識で一致していた。偽装はつけていなくとも、間宮を始めとするアイテム屋、眼鏡をかけた任務娘も存在している。全く疑われず、仲間陣営として迎え入れられてしまった。
これに関して男は肩透かしを食らった気分である。
しかも士官達には、
「提督、確かに我々は気を張り詰め続けておりますが、まだそこまで切羽詰っていませんよ」
と、多くに一笑にふされてしまった。
ここ、ショートランド泊地は壊滅一歩手前まで陥ったことがある最前線だ。
初期こそ五十名を超える仕官が務めていたが、ひとり、またひとりと慣れぬ環境と重度の過労によって倒れていったという。
今現在残るのは二十名である。
男が抱いていた危機は、港に着岸した船の存在に対する疑惑であった。そして突如現れたヒュウガの存在だ。
彼女らの出現に一番頭を痛めていたのは男であった。
なぜなら男は知っていたからである。彼女達がとあるアニメで放映されていた架空の人物たちである、ということにだ。
部屋に戻った男がまず疑ったのは自らの正気であった。
これは夢か現か、判断が出来ずにいた。艦娘たちが実際に存在する世界というだけでも天国である。可愛いなぁ、と愛でていた存在が目の前に、実際にあるのだ。これを楽園(パラダイス)といわずなんと言おうか。
ゲームの中に吸い込まれるというパターンの漫画やゲーム、小説など探せば幾らでもあるだろう。そして読み進み主人公に感情移入してゆくにつれ、その状況が起こればいい、そう願う多くもあるに違いない。
男も想像した事がない、とは言わない。自分がヒーローになったような気分を味わいながら、テレビを夢中で見ていた時期もあったからだ。
「いったいなんだってんだ」
人間の脳は内なる宇宙と言われている。
悪い方向に考えれば考えるだけ、どつぼにはまってゆく自らを認識できた。
この世界そものもがありえないはずの居空間だと今でも思っている。だから躊躇してしまう事柄も多い。
日々を現実であるかのように、錯覚しているだけではないのか、と何かが起こるたび、思うのだ。
「たとえそうだとしても、全く驚かない自信がある」
どこかの隔離空間で椅子に座らされているのであろうか。
それとも液体に満たされたカプセルのような場所で眠っているのだろうか。
もしくはどこかの国が秘密裏に開発した機械に繋がれ、作られた架空世界の中でデータを取られているのであろうか。
男は自身をこの地へ落とした存在の名を知っている。
直接伝えられたわけではない。だがあの元帥がその名に飛びついたからである。
プロフェッサー、と呼ばれていた存在は、男の世界で艦これのゲームを作っていた開発者であった。
その艦これと彼女たち、青き鋼のアルペジオがコラボしイベントが行なわれていた期間がある。
開放手順も3面あったMAPの概要もはっきりと覚えていた。全てがなぞられているのである。間違えるはずがない。
差異はもちろん存在する。だが大きな違いは無い。差異があるとするならば地図位だろうか。
しかし地球は男が生まれ、学んだ通りの国が並んでいる。生活も多少過去に遡っているため使用していた機材の世代前が流通しているが、不便さを感じるまでもなかった。
街中で生活していたならばわざわざ受話器を取りに行かねばならぬ黒電話や、ブラウン管の大きなテレビの重量に多少、舌打ちはしたかもしれないが、そんな文明の利器が必要ない軍事基地に来ている。携帯にメモを取って送るより、メモ帳に走り書きをし担当官へ渡してもらったほうが早かった。
一部の艦娘たちが男から聞いた夢のアイテムを形と機能だけ実現化し、持つようになってきてはいるが、それでもまだまだ数は少なく全てが最低限である。
結論的に言えば、泊地に在する官及び工員は全く蒼の艦隊に関し特別な興味を示さなかった。
戦力、防衛共に充実している泊地ではある。
しかし何時、ラバウルのように消耗戦が始まり壊滅の危機が訪れるとも限らないのだ。そもそも男が着任するまで、ラバウルと似たり寄ったりの状況であった。今、この泊地に駐在している多くが当時とほぼ同じ人員だ。
安定しているとはいえ、まだまだこの泊地は細い綱を渡っている状態である。これが木の橋になり、鉄橋となっていたなら、心理的圧迫の影響も無くなり現状における疑惑を持つだろうが、今はまだそこまで至っていない、ということだ。
もし『あれは一体、何なのですか』と尋ねられたとしても、多くが納得できる答えを用意している。
その時が来たら、発言すれば言いだけの話だと自分の中で割り切る。受け入れていないのは、男だけであるかのように感じたのだ。焦りに任せ先手を打ち、ここで説明するほうが疑念を抱かせる可能性が高い。現状に疑問が無いのであれば、なあなあだとしても、このまま進むべきだ。
現状に男は小さく嘆息する。
いいことであるのか。
それとももう少し環境を整えるべきか。
男としても悩むべき問題であった。
「さて、どうするべきか」
思考は新たな作戦を含め、これからの未来に視点を移す。
今回のアルペジオイベントは本土からの意向は全く入っていない。
本営から出される命令全てを受け入れ、ただ単に作戦を実行し続けるだけでは、これから先、立ち行かなくなるだろう。良くて現在の現状維持である。対処法でしかなく、根本的な解決にはならないからだ。
男を中心に、この世界をどう渡ってゆくか。どういう状況にもっていくのが最も良い策であるのか。
考える人物が必要になってくるだろう。男は参謀という存在を欲していた。
何もかもを自身で考え続けていると、堂々巡りに陥るからである。
世界を違えていなければ、何名かの悪友達の顔が浮かぶがしかし、探し存在したとしても別人である可能性が高いだろう。なぜならこの世界には男のルーツ、祖がないからに他ならない。
まさしくぽつん、と現れた特異点である。
男は孤独であった。この泊地に在する多くと同じく世界と接してはいる。だがひとり、あるべきではない存在でもあった。
だからこそである。男には見えぬものを広く、遠く離れた東京という地を含め、世界の情勢を見渡してくれる目が不可欠であった。
例えるならば、イオナに追随してきたヒュウガなどが最適であろう。少々、好む嗜好が変わっているものの、多くの意見が集まる場で成されていたその言は、理にかなうものが多かった。霧の艦隊に実装されていなかった感情を得、それを大切に扱うイオナの意を汲み、実行力の助けとなるところもまた評価できる。
艦娘たちの中に望むのは早急であろうか。高望みであろうか。
男はそう考えながら最後の一人が作戦本部に集ったことを確認し、反攻への作戦を構築し始める。
時間はそうかからない。なにせ、難易度的に簡単であった、という声のほうが多かったイベントだ。
今まで入手しにくかった多くの艦娘を手に出来る、ボーナスステージの意味合いが強かった、運営からのお年玉であったのだろう。
「……いや、そうでもなかった、かな」
右上の数字がくるくると減少する速度を思い出し男は顎に手を当てる。資材に関しては過剰なほどの備蓄があった。なので胃は痛いが遠征に駆逐艦たちが頻繁に出なくとも、数日の滞在分くらいは保つであろう。
作戦室には五分ほどで到着した。
場には男を含め、昨日この部屋に詰めていた数名と書記艦の長門と陸奥が立ち、そこへイオナとヒュウガが加わっている。
広げられた海図は広い。
ショートランドからラバウルに至る、通過するであろう海域が全て重ねられてある。
昨夜の件については触れられなかった。
艦娘らにも言質を取った折、ヒュウガは埠頭に自然と現れ、路を行き作戦本部がある建物に入り、階段を登って開け放たれたドアから普通に入ってきたと分かったからだ。何より深海棲艦の出現に敏感である多くの艦娘が反応しなかったという理由で、敵ではないと人間側にも認識されていた。全くもって滅茶苦茶な識別方法である。
ヒュウガは研究者という肩書きを名乗り、イオナは艦娘達と同じくその艦の魂であるという説明で終わった。
難しくあればあるほど粗が出るものである。何事もシンプルがいい。
そしてなぜ男がヒュウガを知っていたのか。それに関しては以前横須賀鎮守府から送られてきた書類一式の中に秘密文書があり、それによって知っていた、という案が採用されている。どういう方法を使ってかは深く追求しなかったものの、ヒュウガの手により既に文書の作成が終わっており、秘文書保管金庫の中に紛れ込ませ済みだ。もし監査が入ったとしてもこの金庫が証拠となる。なぜなら開閉した日の履歴が残るからだ。ヒュウガは扉を開けずに中へ書類を入れた。全くもってナノマテリアルとは便利な物質である。
「質疑は説明後に受け付ける。さて……、」
大まかな進行としてはこうだ、と男は切り出す。
数日前、ラバウルへ出航したタンカー船が新たなゲートが出現したことによりショートランドへ戻ってくる事となった。
最も大きなゲートはラバウル基地の南西にあり、そこを最深部と定める。
昨夜潜水組が集めてきた情報で出現したと思われるゲートは合計三ヵ所だと確定された。最奥をCと定め、Aから連なる海域名が暫定的に付けられた。
本来ゲートは深海棲艦を吐き出すだけ吐き出した後、すぐに閉じるもの、であったはずだ。しかし今回、開いたままの状態が続いているという。出来るだけ早くに多くを潰さねば、南方海域にある基地が全て消失してしまう可能性もある。もし深海棲艦に再占拠されでもすれば、多くの海運国を支える航路を守る、トラックやパラオ泊地にも魔の手が伸びるであろう。なんとしてでも南方海域から深海棲艦を出すわけにはいかなかった。
最深部へ出来るだけ安全に突入できるよう近海の安定のため、まずは泊地から最も近いゲートAから潰してゆく策を選んだ。急務ではあるが、急きすぎても事を仕損じてしまう。微細な手加減が必要であった。
海図の公開に際し、質問が出た。
何時の間にこのような詳細を手に入れていたのか、という発問である。
それに答えたのはヒュウガだ。
元帥より勅令を受け、特殊なコーティングを施した潜水艦、伊401を使い硫黄島からこちらに向かう際に得たものである。そう答えた。
実際、広げられている海図はイオナがゲートより出現した瞬間から周辺をスキャンした結果を提供してもらっている。無論、スキャンという言葉は出さない。この時代にはまだ使われていないからだ。なので同義語としてサーチ、を使った。
あれだけの巨体が通ったゲートである。全てあわせ25隻ほどの大艦隊が出現した計算だ。姫や鬼がわんさかと確認出来ていた。笑うしかない。
男は昨夜、明日では遅いと感じ無礼を承知で訪ねていったのだ。
両者には否定されず、どちらかと言えば好意的に捉えられた。睡眠を必要としない彼女らと夜を明かして話し合い、お互いの妥協点を見出していた。
男が蒼き艦隊を、ひいては霧の艦隊をなぜ知っているのか。それに関しては未だうやむやのままにしているが、敵ではない、とは認識して貰えている、と自負できた。
どう説明して良いものやら思案する男には上手く言い表す言葉が見つからないのだ。
語彙不足であればまだなんとか、言葉をひねり出せたであろう。
だがあなた達をテレビで見ていました。などと口が裂けても言える内容ではない。雑誌で連載されている、とも以下同文である。
「特殊兵装を持つ艦が確認されている」
男の言に数名が思わず声を上げた。
「深海棲艦は新たな形、進化を模索しているのだろうと予想している。その形は無意味だと教えてやらねばならない」
男は新たな試みの形を艦娘たちのような姿ではなく、艦船の形を取っているらしいことをあわせて伝える。
かつて存在していた艦船の魂を持つ艦娘たちの、元の体である海底深くに沈んだ艦そのものを利用しているとしたのだ。
嘘も方便である。
つじつまを合わせて作った嘘だ。そうそう見破られはしないだろう。現物を実際にその目で見れば尚更である。
交戦記録等が横須賀へ到着する頃にはこの騒動も治まっているだろう。
一体何があったのだと質疑が掛かり、調査員も来るかもしれない。
侮ってもらっては困る、こちらは日々最前線である。衛星関係がジャミングで使えない状態が保たれているのだ。幾らでも状況を好きなように作り出せる。
なお今回の作戦行動はショートランド単独で行なうものとなった。
ラバウルが落ち、次いでショートランドまでが傾けば南方海域は再び阿鼻叫喚渦巻く死の海へと逆戻りである。
唯一残るであろうブインも圧倒的不利な状態になると予想できた。で、あるためブイン提督が合同作戦に難色を示したのだ。
ショートランドがへまをやらかす確率は低い。しかし絶対はありえない。どんなに確率が低くとも、失敗はある。
犠牲が出ると仮定して作戦に臨むように。そうブイン提督から書簡が届いている。
(出すかよ。沈没艦なんて)
男は内心で歯を食いしばっていた。何らかの作戦が実行されるときはいつも、である。
だがブイン提督の助言は提督として、当たり前の覚悟だ。男がこだわり抜く、沈没を許さない考えの方が異端であった。偽善である。犠牲のない戦争など、過去にあったどの戦争を調べ倒してもありはしないのだ。
(誰ひとりとして失いたくないんだ、この俺自身が)
最前線のこの海にはすでに、多くの墓標が眠っている。かつて以上の犠牲はごめんであった。
意地と言っていい。
現実、今のどこかの基地や泊地で戦死者が出ている。男にとって艦娘とは無機質なゲーム画面の先にある、決まったセリフをただ返すだけの存在ではなくなっていた。
心があり、感情によってその表情を変える。
だが彼女たちは戦艦だ。戦いを望むものたちをどうして止められようか。
艦娘たちが健気に、たとえ心無い人間に虐げられたとしてもその心は愚直が如く真っ直ぐである。
艦の魂を宿しているからであろうか。かつての戦いにおいて関わった人間達の思いが染み付いているからであろうか。
真実はわからない。だが艦娘たちはどんな過酷な状況となったとしても、戦地へと向かう。
だから死地へ向かわせるような状況を作ることだけは絶対的に阻止しなければならなかった。
「さてヒュウガ研究員、君は工廠で兵装の改良に当たって貰えるかな」
「ええ、分かったわ」
作戦室に慌しい靴音が響く。
編成は既に長門の手に渡っていた。イオナを旗艦とし、該当海域への出撃を命じる艦娘たちの名もそこに連なっている。
「ツンデレ重巡の確保をよろしく頼む」
「がってん、承知」
小さな声で交わされるそれに、振り向いたものはいなかった。
揺れる銀青の背を見送り、男は白の帽子を被りなおす。
その目は細く尖っていた。
△▽△▽△▽△▽△▽△▽
第一海域Aはある意味、実験場である。
現在手元にある大砲を使い、果たしてナガラ級に損害を与えることが出来るのか。式神式航空攻撃がどこまで通用するのか。かく乱できるだろう速度はどれほどであるか。そして幸運という不確定要素がどこまで通用するのか。
男は選抜した艦娘たちの成果がいつもよりも待ち遠しく感じていた。
電波妨害が続く海では、いつものように応対を行なうことは出来ない。羅針盤娘と猫娘にも独自の会話構築手段があり、これを使っても良いのだが普通、人間にはこの妖怪の類を目視することが出来なかった。男が誰も居ない場所に話しかける現場を見られたが最後、精神異常を疑われるだろう。息をもつけぬ目まぐるしさの中で病んだのだと思われてはかなわない。なので使用は男の中で却下されていた。それに今回の作戦には羅針盤を使わない。高速潜水艦というイオナが居るのである。これを使わなくてなにを使うというのだ。
現状、人間側は全ての通信手段を奪われている。
だが新たな伝達手段、と言ってしまってもよいものか、イオナとヒュウガは洋風のあずまや、概念伝達という霧の相互通信ネットワークで繋がっている。ある程度の意思疎通は行なえるであろうという目算があった。
艦隊は既に出航している。
旗艦をイオナとし、戦艦大和、装甲空母大鳳、駆逐艦島風と雪風、そして重巡青葉が出撃していた。
実質、戦闘を行なうのは青葉を除く五名である。青葉にはその指が動く限り写真を取りまくれ、と命令を下していた。男はナガラ級の情報を泊地のものたちには提示してはいない。深海棲艦の新たな形とはしたが、明確には公言せず控えていた。
男は泊地の様子を部屋の窓を開け放ち、見る。
タンカーが一隻、入ることの出来る船渠やその沿岸部には武蔵を始めとする戦艦たちが思い思いのパラソルをコンクリートに打ち込み、交代制で泊地の守備を担っていた。戦友たちの出航を見送った後は、泊地周辺の哨戒任務や遠征任務に就くもの以外は思い思いの時間を過ごしているようである。
開きっぱなしのゲートがあるのだ。遠征を控えるようにと通達したものの、駆逐組や潜水艦たちは、「こんな時だからこそ、行かなくちゃ」そう言って飛び出している。特に潜水艦たちはイオナに大きな影響を受けていた。別方面から見れば、ショックと言っても過言ではない。潜水艦は海の中では鈍重で、海上に浮上したとしても高速発揮は難しい。なぜなら船の形と出力が低いからである。どうしても高速を出したいと願うなら原子力エンジンでも積まなければ無理がある。
潜水艦たちは男に言った。
目の前に理想が、夢にまで見る究極の完成形がある。
「どうしたらイオナみたいになれるでち?」
「いつかはイオナのようになるから、見てて」
口々に目を輝かせ、男へと宣言した。男としては可能性はゼロではない、と思っている。
なぜならば人は進化する可能性をまだ、持っているだろうからだ。戦いが続く時世であればあるほど、誕生する可能性が高い。
平安時代などを繙(ひもと)とけば顕著であろう。親よりも秀でた子が生まれていたからだ。鳶が鷹を産む、という格言が生まれている事からも伺える。
男が知る鷹は平安時代後期の武将、源義家(みなもとのよしいえ)だ。八幡太郎という通り名の方が有名であろう。
なんとも平和的な風景だ。程よい緊張感はあれど、慨嘆はない。
戦闘海域に出立した艦隊が戻らない、など露ほどにも考えていないのであろう。それが常勝の恐ろしいところだ。
男とて艦娘たちを信じている。被弾こそするだろうが、全員が無事戻ってくると信じている。だが、もしも、を考えないわけではない。
金剛がLOSTしたと聞いたとき、血の気がさっと引いたのを自覚出来たほどだ。
どれだけ心が傾いているのか、思い知らしめられた。
今まで運が良かったのだ。慢心してはならぬと石橋を叩いてきた結果でもある。だが何時気が緩み、失敗してしまうか気が気ではなかった。
作戦を立案し伝達、実行に移り実際の戦闘が行なわれる海域へ艦隊が向かう。作戦実行時の無線封鎖はある。だが戦闘と戦闘の狭間には幾つかの応答が行なわれるのが常であった。
しかし今回ばかりはそれがない。ただ待つのみが勤めである。とはいえ何もせず待つなど、男の肩に乗せられた責においては許されるはずもない。
次々と上がってくる泊地の状況を知らせる報に指示を出さねばならないからだ。
赤で丸が付けられた、急を知らせる案件を人差し指で叩く。
息抜きにと窓枠に肘をつき、聞こえてくる黄色い声に目を伏せる。
緊張の糸が途切れようとしているのか。眠気を感じた。作戦海域までイオナであっても八時間かかるのである。一時間ほどであれば仮眠してもよいかと思い立ったその時、連れ帰って来る予定になっているもう一隻を思い出した。
重巡タカオ、乙女プラグインという人間であっても難解な思考回路を、東洋方面巡航艦隊の中で最も早くに得たメンタルモデルである。
「あ、やばい。ツンデレが入る船渠が無い」
そうなのである。ショートランドには船渠が1隻分しか建設されていない。なぜならタンカー船が重複して入ってくるなど無いからだ。そうなったとしても、複数の船渠を持つブインがある。
これから突貫を行なったとしても、丸十日はかかるだろう。その後にハルナ、キリシマも合流する。
イベントでは仲間に入らなかった、マヤとコンゴウも今のまま上手く事が運べば泊地に寄港してくれるだろう。
帰途についての方法やその間の滞在等を話し合わねばならない。ヒュウガ経由で情報の交換は程よく行なってはいるが、はやり面と向かって話をしなければ伝わりにくいような気もしている。
「まあ、大丈夫か。少し離れた場所に停泊してもらっても……」
男の言が静かな部屋でぽとりと床に落ちる。それを拾うものは居なかった。
同日、イチナナサンヨン。
艦隊はショートランドから北西、ブーゲンビル島に沿うよう進みその陸地が遠く霞み尚も直進、ニューブリテン、ニューアイランドの狭間ある目的地に到達した。
初戦、次戦共に新たな形に出会うことは無く、誰もが一度は目にしたことのある深海棲艦と遭遇となる。
相見たのは水雷戦隊であった。雷巡エリート級が先導していたものの、既存の深海棲艦など大和の敵ではない。先鋒として突っ込んでゆく島風を追うかのように大鳳が放った式神が戦闘機の形を取りながら並び、その射撃を支援としながら島風が雷巡チ級を撃破。次いで雪風の12.7cm連装砲が駆ハ級を2体まとめその腹に風穴を開ける。残るは軽巡ホ級とエリートだ。
「青葉、取材頑張っちゃいますよ!」
カメラを片手に撃つは15.5cm三連装副砲である。弾が当たる瞬間にフラッシュがたかれ、海へ沈む過程が画像に納められる。
エリートが敗走のため背を向けた。
「逃がすと……お思いですか」
桜色の乙女が薄く笑む。放たれた砲により、エリートは断末魔さえも封じられ、水面下へと沈みゆくことしかできない。
艦隊は被害と損失を確認、先へと進む。
次戦は深海棲艦からの先制であった。
潜伏していた輸送ワ級ならびに軽巡ホ級エリート、駆逐イ級がイオナにまとわりついたのだ。多くの艦船が撃沈されたときのように、船底に取り付き艦艇を破壊しようと試みたのであろう。
強制波動装甲(クラインフィールド)が展開される。
イオナは霧の艦隊にのみ実装されているバリアを張り巡らせ、深海棲艦の攻撃をことごとく無に帰した。浮かび上がってくれば艦娘たちの敵ではない。あっという間に沈め、次の海域へと駒を進めた。
次が最後である。
そう告げたのはイオナだ。
出現したゲートは極小であったらしく、今にも消えそうな反応を示しているという。
それを青葉がメモを取り、許可を取って映像を写真に収める。
艦娘たちは随分とのんびりとしていた。
夕暮れの空に目を細めながら、腹ごしらえは今とばかりにイオナの船内に積み入れていた袋を甲板に持ち上がる。
「イオナさんのお陰ね」
「敵の攻撃がぜーんぶ、吸い込まれてるみたいです!」
囲まれるように座しているのはイオナだ。
誰もが艦船の本体を持ったまま、魂をも実体化させているイオナに興味津々なのである。
海風に髪を揺らしながら、一行が口にしているのはサンドイッチであった。腹が減っては戦も出来ぬ、と提督が持たせたものである。それぞれの好物が入れられた紙トレイを膝に乗せ、持参したコップに茶を注ぎ飲む。
いつもの遠征は握り飯が多い。なぜならば走りながら食べるにはサンドイッチは不向きであった。
今回の作戦では艦娘達は全員、イオナに乗っての移動である。羅針盤娘が宿る方位磁石は使わない。鈍足であるはずの潜水艦であるが、イオナの場合のみそれは通用しなかった。高速艦だけであっても泊地からラバウルまでは片道一二時間かかる行程である。もし低速の艦が居たならば、これが十八時間にも伸びた。しかしイオナが艦娘を運べば該当海域までたった八時間という速さで到着する。ラバウルまで行くならば十時間かからないと推測出来た。
『ずっるーい。わたしの分もあるんでしょうね』
『無い。戻れば泊地には美味しいものがたくさんある。きっとタカオも気に入ると思う』
イオナはそう言うに留め、タカオが送ってきた情報をインポートする。そして艦娘を取りまとめている大和へ敵の情報を示した。
菓子をつまむ青葉と雪風の間に島風が入り、いつでも準備万端であるという視線を大和へと向ける。
島風は今在る泊地が気に入っていた。
生まれはショートランドではない。大湊だ。
彼の地では誰も島風の速さについて来れず、誰も彼もがもう少し他と合わせろ、とばかり言い、彼女の速さを邪険にした。
島風は己の速さに誇りを持っている。風切る音と共に先手を取り、後方へ敵の目を向けさせない。敵を牽制し、意をこちらに向けさせていれば、きっと次いで交戦する仲間が楽であるとそう思い行動していた。
余り言葉を話すのが、得意ではない。多分にそれが影響していただろう。
いつしか島風は大湊でぽつんとひとり取り残される存在となっていた。誰も自分の思いに気づいてくれない。くすぶっていたところに声をかけてくれたのが、現提督である。
『じゃあショートランドに来るよう指令に願えないかな』
鳳翔経由でこの件を聞いた島風は単身、ショートランドへやってきた。
深海棲艦と出合った場合、単艦であれば撃墜し、複数であったならば避けて躱し突っ切る。そうしてたどり着いた場所は島風にとって楽園であった。
言いたい言葉があった。伝えたい気持ちもあった。
たどたどしく詰まる言葉にも、誰も早く続きを、などとせかすことも無い。ゆっくりとじっくりと待ち、言葉が終わるのを待ってくれる。その最たるは大和であった。きびきびと指示を出す武蔵も、島風が焦りだせばその頭を撫で、ゆっくりで良い、と笑む。
最も驚いたのは長門の性格だ。
大湊に在り、今は佐世保に出向している長門は厳格であった。長らく連合艦隊旗艦を勤めていた彼女は意味の無い無言の時間を嫌っている。
島風が話しかければ必ずじ、と凝視してきた。で、あるため苦手意識が先行していたのだが、ショートランドの長門は膝の上に駆逐艦を乗せ、どもってもただ静かに耳を傾けてくれた。
提督もそうだ。島風にどう動きたいのか尋ねてくれた。
こう動け、と命じられることはあっても、どう動きたいかなど、初めてであった。
「あのね、提督、私は!」
だから島風は速さを生かしたい己を訴えた。故にこのショートランドでは島風の単独突撃を許し、その行動が進撃に優位となるよう組まれた艦隊での出撃が主となっている。
今回の任務でも提督から、敵が使ってくるだろう通常兵器が避けられるものか否か、確かめてきて欲しい。そう頼まれている。特殊兵装に関しては無理無茶無謀を禁じられたが、島風にしか出来ない命を受けたのである。俄然やる気を出していた。
戦いを楽しむなどあってはならないのかもしれない、と島風は思う。だがどんなことをも楽しむのが島風であった。
誰よりも速く、風と共に行く。英姿颯爽(えいしさっそう)の立ち居である。茜色に染まる海を駆け回る姿を瞼の裏に描く。
守るべき場所を得た島風はどこまでも速く強くなれた。
「ありがとうございます。敵の編成が分かれば、これほど戦いやすいものはないでしょう」
長良級はアンノウンとし、表示させている敵艦隊の詳細を大和と共に見る。
タカオについてはイオナとヒュウガの仲間であり、深海棲艦によって捕縛されていると説明していた。
タカオを旗艦とし、アンノウンが二隻、空母ヌ級エリートが二隻、駆逐ニ級が二隻。それがこの海域を支配している敵の全てだ。
ゲートが閉じそうなのであれば、タカオと共に行動している深海棲艦を討伐すればそれ以上は湧いては来ない。
「皆が、無事に戻れる算段が付きました」
大和はゆっくりと瞼を閉じる。その奥に浮かぶ肖像は提督であった。
提督はいつも笑んでいる。どんなに悲惨な状況に追い込まれようと、自信有り気に笑んでいた。
悪態や弱音を吐いている姿など見たことは無い。
人間であるならば、一度や二度の失敗もある。だが提督は今の今まで全てを円滑に事成してきていた。
驚くべき胆力を持つ人物である。
艦娘たちの失敗は己のそれであると出撃したものたちを責めず、傷つき撤退してきたとて良く戻ってきたと出迎える。
目覚めたばかりの駆逐艦などは武力を行使することを忌避するものも居たが、そういう艦には物資輸送を割り当て、決して無理はさせない。それぞれ個々と対話し性格と適正にあわせた任務を割り振る柔軟性も持つ。
戦闘に関してもそうだ。
兵器を使い、深海棲艦を実際に屠っているのは艦娘たちである。だがその殺意は紛れも無く男のものであると明確に示した。
艦娘は決して道具ではない。しかしこの泊地という戦場に最も近い最前線において、艦娘全てが提督の指先であると断言している。
この一言は大きい。そう大和は感じていた。
なぜなら艦娘の責はすべて提督である男が負うと言っているのである。その言により戦場へつま先を向けることが出来た艦娘たちも実に多い。
だから必ず泊地へ、提督の元に帰るのだ、という意識が生まれる。提督の肩には全ての艦娘が積載されているのだ。それを提督は全て受け入れ対応している。
無理をしていない、訳も無い。
今や提督は、あの泊地に無ければならぬ存在となっている。
男がショートランドに着任する前と後では雲泥の差であると聞いていた。大和は泊地の中で新参である。新しく配備された艦であったとしても、気付くのだ。
神経を尖らせつづけ、疲れていないはずも無い。誰もが現状を打破するため、日々戦い続けている。
このような状況下で大和が提督に出来る事はたった一つである。
「提督に勝利を。我らに未来を」
イオナをはじめとする、艦娘たちがひとり、またひとりと戦闘態勢を整える。
陣形はあえて使わない。イオナと大和、大鳳は単艦で動き、島風、雪風、青葉が集団行動となった。
第一海域、最深部に到達する。
大鳳のクロスボウから艦載機、彩雲が力強く飛び立った。
「敵総数六! Unknown、確認、空母、駆逐共に提供データと合致しました!」
目を閉じ彩雲と視野接続していた大鳳の声に各々が砲を構える。
「流星より追申! 空母一、中破、駆逐一、撃沈です!」
四十六センチ砲を構えた大和の間合いより、ほんの先に在るUnknownに向けられている。
強制波動装甲(クラインフィールド)は永続的な防衛手段ではない、とイオナから説明を受けていた。ある一定ダメージが蓄積されるとその役目を終えたとばかりに消失し、人類が持つ兵器でも損傷を与えることが出来るようになるのだという。
絶対ではないが無敵に近い。
(とはいえ深海棲艦と比べれば、まだ交戦の余地は残されてはいるのですが)
大和は注意深く鈍色が立てる波飛沫を視界に広く納め、その航路を認識する。
夕日が左側に、地平線の向こう側にゆっくりと落ち込んでゆく黄昏の刻。
先手を取ったのはイオナであった。潜行後、打ち出された魚雷が海中を走る。撃したのはUnknownが一隻、囚われているという重巡であった。目視できる距離になれば判る。もうひとつのUnknownはナガラであった。軽巡洋艦ナガラ、50口径三年式14cm単装砲 5基5門をはじめとする最大火力時の兵装を積んでいるように見えた。
その優美な赤に染めた船体を、凛然としたその姿を見せ付けているかのようだ。
島風が、疾く。
その後ろを追いかけるのは雪風だ。
さらにその後方に位置するのが青葉である。
大鳳は左舷、散開し始めている無傷の空母ヌ級と艦爆、艦攻戦を繰り広げていた。
相手に不足はない。夕日に似た色の航空機であることを見れば、elite(エリート)であると分かる。
制空権を握るのは己だ。意識を強く持ち艦載機を操る。それは空母の矜持であった。空から青を望む。青を背に空を登る。航空機を操り空高くから景色を見下ろせるのは空母の特権だ。
多角の視野が重なる。互いを守りあうのは艦戦航空機であった。対空する烈風が深海棲艦が放った艦爆機を撃墜させてゆく。一機たりとも逃しはしないと、妖精さんと意識を共有しつつ集中する。翼が雲を引き、海と空を交互に仰ぎながら烈風が青葉を狙い降下する艦攻機を撃墜するがしかし。
「間に、合わない……」
後方七時方面に開いたわずかな隙を通り抜けてきた敵艦爆の機銃が白く光る。
悲鳴が上がる。
金属が弾け、硝煙が黒く立ち上った。艦載機の離着陸が行なわれるハリケーン・バウが片方、向きを違える。
しかし大鳳の心は折れなかった。物が壊れても直せばいい。厭うのは己の身が動かなくなる一点である。
「この程度! 大鳳の装甲甲板を見くびらないで!」
お返しとばかりにつがえた矢は彗星一二型甲だ。妖精さんには操縦桿を握らずにいてもらっている。その代わり既に上空を舞っている艦載機に関しては妖精さん任せになってしまうが、大鳳は信じていた。妖精さんたちであれば、大鳳の願いを確実に汲んでくれると。
仲間の背に迫り往く敵戦闘機を睨む。攻撃させてなるものか。その思いが速度を上げる。
後方を追う。機銃の射程圏内ぎりぎりで敵戦闘機は上空へとその機を翻した。彗星一二型甲の背を取ろうとしている。左右にひねる。下降すぐの上昇、二機は螺旋を描くようにドックファイトを繰り返す。
「いま!」
大鳳の声が空に響く。横に振られた腕の動きに沿うように、彗星一二型甲が発射した7.7mm固定機銃が命中したのだ。爆破炎上する敵戦闘機の横をすり抜け一気に下降した。
彗星は雪風と並び、飛ぶ。雪風は笑んだ。操縦桿を握り直した妖精さんと視線を交わし、加速先行する。
島風の前方、その進路を塞いだのは駆逐ニ級である。
「島風ちゃん、任せて! 行って!」
後方からの声をピンと立った黒のリボンが捉える。ならば島風の得物は、あの大きいものだ、と足を速めた。
「うん!」
進路は変えない。
雪風が任せろというのだ。その通りにする。なぜなら雪風は世界に愛されていた。
奇跡の駆逐艦と揶揄されているように、どんな戦いにおいても彼女は傷つかない。弾が彼女を避けるからだ。
島風の横を彗星一二型甲が越える。
突如現れた艦爆に二級が5inch連装砲を構えた。
だが遅い。
既に彗星一二型甲は唯一の250k爆弾を、駆逐ニ級の目と思われる空洞へと向け発射。光を消失させる。
そして斜め後方から追撃されるのは雪風の12.7cm連装砲であった。空中に浮いていた鈍色が弾け、下地にある白を露出させながら海へと沈んでゆく。
「島風ちゃんの足は、止めさせない!」
雪風の声が耳に心地よく響く。
島風は深海棲艦の屍を跳び越え、その先へと進む。目指すはナガラだ。
彗星一二型甲は放たれている他の、戦闘を続けている艦爆、艦攻と合流するために旋回する。
主翼に当たり反射する陽光に目を細めながら対峙している両者があった。
青葉はカメラを首に下げ、手負いの空母ヌ級と向かい合っている。
艦載機を飛ばす能力こそ削がれているものの、頭部にある触手や人間を模したその姿かたちは残っているのだ。
当然、殴り合いに発展する場合も、ある。
「青葉の拳はちょーっと痛いですよ」
青葉が構えたのは機銃ではない。拳だ。今回の任務において、青葉は戦力として数えられてはいない。装備は強化型艦本式缶と21号対空電探、そして15.5cm三連装砲(副砲)が二門だ。はっきりいって火力を求められても困る。
だが青葉はナガラ級から発せられた連装砲をことごとく避け、写真に収めていた。
さすがの大きさである。船体から撃ち出される弾に当たれば最後、青葉など一撃で沈んでしまうだろう。
持ち帰る写真が今後の戦況を決めるものになる。ぎりぎりまで近づき、赤の船体をファインダーに収め続ける。
青葉の体は終戦時、呉にあった。最後まで生き残った艦のひとりである。
解体され意識を失うまでは確かに、目の前に浮く船体よりも雄雄しく優美な重巡洋艦であった。
全く羨む気持ちがない、わけではない。波を切り海を渡る体に戻れるのであれば、戻りたかった。そして未練を果たしたかった。
(……小回りの利く、こっちも最近は捨てがたいんですけどねー)
青葉がさまざまな角度から撮影していたその行動を阻害しにやってきたのが手負いのヌ級である。
青葉は知っていた。深海棲艦とは沈んだ艦や人々の怨念が宿り形成されたなにか、であると。
だから青葉は出撃するたびに深海棲艦へと問いかける。
「青葉が置き去りにした気持ちは、キミがもってるのかい」と。
しかしその声に応える深海棲艦は今のところ居なかった。
青葉は三連装砲を水平に発射。杖を手に振り上げてくるヌ級の進路を誘導する。回避行動を取るヌ級は細かなステップを踏み、砲弾を回避、そのまま棍棒のように杖を構え、直進してきた。なかなかに上手である。どこかで踊りの練習をしたことがあるのだろうか。
青葉は勝負を受けない。連装砲を続けて撃つのではなく、一門だけを発射、その後ヌ級の体の向きを予想し、2秒後に再びもう一門撃つ。
ステップが繰り返される。だが同じ弾頭線を描かない遅らせた弾丸がその胴を貫いた。すぐさまの追撃があったとは連撃音に紛れ、感知できなったようだ。
悲鳴が上がった。青葉は切迫する。真横に振られたのは頭部の触手だ。青葉はそれがふり切られたところで握り、同方向引っ張る。すればヌ級は水面に突っ伏した。青葉は連射砲にて触手が生える頭部を念入りに打ち抜く。
生きていれば沈まぬその体が、青の中へ戻ってゆく。
「大和……まだ、敵に気づかれてないよ」
よかったね。
つぶやきはカメラのレンズを向けた相手に向かう。首尾は上々のようだ。
残る敵は捕らわれの姫であるらしい重巡タカオと、ナガラ級一隻だけとなった。
青葉は距離をとる。ここからはシャッターを切るのが役目だと、心得ていた。
重巡タカオは潜水艦イオナと一対一の戦いを繰り広げていた。深海棲艦を欺くためとはいえ、男が見ていればなかなかにお互いの弱点を突き合った攻撃を繰り返している、と各々に告げたであろう。それは彼女たちの艦長、千早群像仕込みであるのだろうか。それとも蓄積された膨大な記録を元に打ち合われているのであろうか。
どちらにしても、
『食べ物の恨みは怖いんだから!』
『なぜ? 戻ったほうがいっぱいあるのに。オムライス美味しかった。お代わりも自由』
『だから私のサンドイッチ!』
という会話が成されながらの戦闘であると気づかれることは、ない。
一方、Unknownとされていたナガラ相手に駆逐艦二隻は砲雷撃を繰り返していた。
魚雷が打ち込まれたとしても雪風がソナーによって察知し、撃たれた魚雷同士をひきつけ爆破する。
雨粒のように打ち入れる14cm単装砲も島風の残像を捉えるのみで、本体に当たることは無い。雪風に直撃確実だという弾も何も無いところでひっくり返った拍子に抜け、当たらず仕舞いであった。
落雷に似た破裂音に耳を押さえながら、両艦は円を描き飛沫を上げながら回避行動を続ける。
「あれがバリアー!」
「ぜんぜん貫通しないね!」
駆逐艦のふたりは初めての手ごたえに、驚きと興味を持ってナガラを観察する。
さすがに大きかった。162mの全長は伊達ではない。最大速も島風に次ぐ。完全に雪風は競り負けるだろう。
両者が使う魚雷と同じく、ナガラから打ち出されるそれは海中で航跡を残さない。
61cm連装魚雷が暗がりを増した水面下より雪風と島風に向かう。
「12、11、10…、」
雪風のカウントが始まった。
島風は耳を澄まし、数字の減少を待つ。
「零!」
雪風と島風はその声と共に水面から跳ねた。
瞬間、魚雷の頭が足元が在った場所をかすめ過ぎる。と、同時に大きく水柱が上がった。
信管が鋭敏であったのか。波間に揉まれ当たったと誤認したのだろうか。爆発した炎が頬を焼く。
どちらでも違うであるなら。島風は可能性を探す。そして思いついたひとつを忘れないように何度も反芻した。
「…損傷は、少し、大丈夫」
雪風の声が張る。
靴のように履く主機の一部が少々凹んだが、推進力を生むには全く支障が無い。背や手にある武装が破壊されたとしても攻撃手段を奪われるだけであるが、主機が損傷すると自力で動くことが難しくなった。これが損傷し最悪の場合、沈む。装甲がぺらぺらである駆逐艦だ。動けなくなることこそが恐怖であった。
雪風はとんとん、とつま先を叩き足元を確かめる。
その間も砲撃は続いているが、なぜか雪風の周辺だけは砲弾が落ちず静かであった。
「動くよ!」
「うん!」
ふたりの動きを察知したかのように再び打ち込まれた魚雷を回避後、攻撃に転じる。
両艦は遠くにくるくると回る花びらを視界の端に捉えた。大和だ。指示を出さず、各々の判断に任せ戦場を見ている。
ヒットアンドアウェイを繰り返す駆逐艦に対し、ナガラがどういう行動を取るのか。情報を取っているのだ。
泊地の艦娘の中では新参にあたる大和であるが、実戦に勝る訓練はない、と他の基地とは違い実戦配備されている。弾薬等の消費は激しいものの武蔵と同様、お蔵入りしている余裕が無いのも理由のひとつではあるが、彼女がもつ冷静な判断力が戦場でこそ大いなる力を発揮していた。
ぞくり、と雪風の背筋に寒いものが走る。
それは良くないものであると感じた。
目の前で光が丸く集ってゆく。空を照らした白の光が輝き始める。
ラバウル基地からやってきた、疲弊した駆逐艦たちが口々をそろえて言っていた、その光景が今まさに目の前にあった。
「避けなきゃ!」
「うん、」
島風は雪風の手を握り、ナガラから距離を置き始める。
連装砲を肩と左手に掴み、右手は雪風の手を握ったまま出来うる限りの速さをたたき出す。
ふわり、と雪風が浮いた。
だが光は膨張し、暮れなずみ始めた空を白く染める。
------追いつかれる。
負けたくない。
島風は光の速さに勝負を仕掛けた。
その時、後方に迫り来ていた光が反れる。遅れて響いてきたのは大音量の破砕音だ。
島風はちらりと後方を向く。その視界の端にくるくると回される懐かしき祖国に咲き誇る春の色を見た。
46cm三連装砲が二門、斉射されたのだ。
近弾、遠弾の確認はない。すれば相手に気づかれてしまう。目測をつけるためのポイントレーザーもまだ開発途中である。
大和は己の中に培ってきた経験則を目印に、繰り返してきた訓練の蓄積による周囲の状況や風の流れ強さなど、揃わざる要因全てを想像し補完して撃った。失敗もある。だが撃ち損じたとしても今が絶好の機会であった。
そもそも砲弾など五十発撃って一発当たれば金星である。
駆逐たちが敵の注意をひきつけてくれている。またとない好機、今撃たずに何時撃つというのだ。
狙い打つは上甲板の下であった。光を放つ攻撃は砲塔から打ち出されない、まさに特殊兵装である。
砲塔を破壊したとて止まらないのであれば、船体を狙うが良しであろうと判断する。
ならば狙い定められたふたりの身を助け、あわよくばその船体が横倒しになればよい。そうなれば後は多くの船舶同様、鉄の塊と化し海へ戻る。
ある意味大和の目的は叶えられた。
初弾こそ六角形を重ねた光る装甲に阻まれはしたものの、撃ち込まれた全ての熱量を受け流せずガラスのように破砕される。次いで着弾した二発目がナガラの装甲を貫通、火薬の引火が起こり黒い煙が上がった。
大きい的は当てやすい。だがその装甲も、厚く固かった。
「なるほど……41では防がれてしまいますね」
呟きをもって大和は状況を記憶する。
はやり深海棲艦との戦いのようにはいかない。
だが深海棲艦が艦船の形を取り入れ始めるとなれば、確かに今後の脅威となるだろう。
イオナたちのような型破りでないとしてもだ。
大和は出航の際、男からイオナたちが運用されるのは極短期間であるという答えを貰っていた。
「提督のおっしゃることは、ごもっともです」
こんな兵器が投入されては、艦娘など用済みとなってしまうからだ。
それほど強力な、否、そんな言葉などとうに飛び超えた、人に扱えぬ、また人知を超えた存在であった。
が。
(隠しておられるなにかもございましょうや)
大和は薄く笑む。
空から暖色が消え、寒色のみが見渡す限りに広がった。
「さあさ、貴方達の舞台ですよ」
大和の連撃により辛くも強制波動装甲(クラインフィールド)が破壊された。太陽が海に沈み、夜戦に突入したまさに今、駆逐組のふたりにとっては絶好の機会である。
呟きが聞こえたのか。島風の表情がキリ、と引き締まった。
「行くのよ! 雪風ちゃん!」
「は、はいっ?! 頑張ります!」
島風が止まる。スピードを緩めたわけではない。急停止したのだ。
つんのめりそうになる体を無理矢理支えた。大きく足を開き、遠心力をつける。踏ん張った片足を軸に雪風を、連装砲を投げたのだ。
投げ終わった島風が水面に顔を突っ込みその金髪を塩水に濡らすが、すぐさま頭を振り、雪風を追う。投げたものは、受け止めなくてはならない。
雪風は空を舞っていた。舞うというには生易しいであろう。
身が弾丸になったかのような感覚に陥る。それだけ島風が速度を出していたということだ。
砲丸を投げるかのように、島風は雪風を振り切った。
12.7cm連装砲を構える。連装砲ちゃんが島風の遠隔指示を受け、砲弾を向けた。雪風もそれに習う。
撃ち、撃つ。
当たらない、などは考えない。
当たる、そう確信しトリガーを引く。
撃ち出した際の衝撃により、体がしなる。このまま海にたたきつけられたなら、痛いだけでは済まないだろう。
良くて温泉に縛られ放置か。最悪の場合、全ての機能が停止するであろう。
不思議と怖くなかった。雪風は解体された艦だ。台風は怖いが、撃沈は。
……もしまた、生まれ変われたならば再び雪風となって島風とこうして出撃したい、と願う。
多くの弾丸がナガラの装甲によって弾かれていた。
青葉がファインダーの向こう側で苦い表情を浮かべる。
夜戦に強い駆逐艦だとはいえ、相手が同じ人型の深海棲艦であったからこそ打ち落とせていたのだ。
「……やっぱり悔しいな、負けるって」
失敗である。
青葉が現状を心に認めさせようとする。
負けたのだ。戻り報告せねばならない。
ナガラが勝ち誇ったかのように旋回し始める。
「っ!」
思わず青葉が目を閉じる。
閃光がはじけたのだ。一体なにが起こったのか、全くわからない。
もしナガラにメンタルコアが存在していたならば、最も困惑していたのは自身であっただろう。
雪風が放った弾の内数発、不発となっていたその幾つかが旋回の折、大和が開けた風穴の向こう側にころころと落ちたのだ。
幸運の女神はまさしく、守護を与えている存在に幸を与えた。
ナガラは爆破炎上する。
だが幸運はここまでだと雪風は目を瞑った。体を丸め、衝撃に備える。
火花が混じる爆風がその横腹を叩いた。船体の色を赤に染めたままのタカオから垂直発射式アスロックミサイルが撃ち上がり、ナガラを完全に沈黙させる。
その様を青葉が連続シャッターを切った。
「あ、れ、痛くない」
恐々と目を開き、見上げた先には優しく微笑む大和の顔があった。その背にはその衝撃を少しでも和らげようと背合わせになっていた大鳳が笑んでいる。
「無事で、よかった」
体の力を抜いた雪風の元に、島風が突っ込んでくる。目尻には小さな珠があった。
大和の砲塔がいくつも歪んでいた。だがそれを気に留めている様子は無い。艤装は修理すれば、直るのだ。
しかしこの雪風の代わりはいない。そう知っているからだ。
大鳳が煤に汚れた裾を延ばし、はにかむ。
島風が雪風に抱きつけば、連装砲ちゃんも主の心を受けてにこりと笑みを形作った。
「いい写真がいっぱい取れましたよ!」
青葉がシャッターを押す。
Unknownを無事倒し、重なる四つの笑顔がレンズに収められた。
その後ろではまだ終わらぬ、イオナとタカオの食にまつわる言い争いを眺め、ふと視線を空に向ける。
落ちてきそうなほど鏤(ちりば)められた瞬きが、戦いの終わりをそっと祝しているかのようであった。