Not a Hero of justice   作:サティスファクション

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 少年は、ヒーローになりたかった。

 それは、根源的な心の底から湧き上がる様な願望で渇望とも言える行動指針だった。

 

 ただしそれは、不特定多数の誰かを救う正義の味方、ではない。

 世界の全てを敵に回してでも、たった一人の誰かの味方であるような、そんな独りよがりのヒーローになりたかったのだ。

 

 始まりは、最早彼も覚えていない。

 もしかすると、病弱な母を守りたかったのかもしれない。

 もしかすると、優しすぎた父を守りたかったのかもしれない。

 もしかすると、美しい姉を守りたかったのかもしれない。

 

 だが、少年の願いは果たされなかった。

 彼には何もなかったから。

 どれだけ鍛えても、人並み以上を超える事は無く。野生の獣に快勝するほどではない。

 武術を学ぼうとも、達人であろうと銃器には勝てない。

 知を磨こうとも、限界がある。

 

 その最期は、見ず知らずの誰かの為に血を流すというありふれたもの。

 

 少年は求めた。もう一度だけ、チャンスが欲しいと。

 

 そしてそれは、果たされる。

 

 

 

 

 

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「ふぅーーーーッ」

 

 ポタリ、ポタリ、と流れる汗。股が裂けているのではと思えるI字バランスのまま、彼は数時間静止している。

 ハーフパンツのみの姿で、晒された全身は傷だらけだが極限まで鍛え上げられておりブクブクと膨張する筋肉ではなく繊維の一本一本を研ぎ澄ませたかのような絞られっぷりだ。

 ゴワゴワとした黒髪に、前髪の隙間から覗くのはアイスブルーの瞳。典型的な日本人の様に見えて、どこか異国の風を感じさせる容姿をした少年であった。

 ぴしりと天を衝くように伸ばされた足の指先は、やがてゆっくりと下ろされ、地についた。

 

 そして、腰を落とし両の拳を腰だめに構えて目を閉じる。

 

「ワン・フォー・オール………!」

 

 蒼白(・・)な電流が少年の体を駆け抜ける。

 蛍光灯の様に薄ぼんやりと彼の体は白く輝き、体全体にコバルトブルーに輝くラインが幾つも走っていた。

 そこから始まるゆっくりとした型の動きは、ただ拳を突き出すだけでも風を切り裂いていく程の力が載っており、重く鋭い。

 

 それから数時間、彼の拳舞は続いた。

 激しく動くのではなく、ゆっくりゆっくり確かめるように決して荒々しさを見せることのない動きであった。

 

「ふぅーーー………汗、流すか」

 

 体に走っていた電流やラインが消え、彼は構えを解いた。

 肉体というのは、鍛え続ければ永遠に強くなり続けるわけではない。定期的な休息が必要になるし、そもそも肉体を造るのは鍛錬だけでなく、食事だ。食べなければ体の元は手に入らないし、強くなりようが無い。

 

 朝日を背に、彼は白い玉砂利が敷き詰められた庭より家へと上がっていく。

 

 冬木市深山町のとある一角。武家屋敷の様相を呈したこの屋敷に彼、七戸俊永(ななとしゅんえい)は一人で暮らしていた。

 将来の夢は――――――――――【ヒーロー】

 

 

 

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 七戸俊永という少年は、周囲から浮いている。

 当人が不愛想であるという事と、その服の上からでも浮き上がりそうな彫刻の様な肉体も相まって自然と彼の半径一メートルは人が寄り付かないのだ。ヤのつく自由業の方々も思わず道を開ける程度には威圧感がある。

 要するに、彼は基本的にボッチだった。

 

「おはようございます、先輩」

「…………ん、おはよう間桐」

 

 朝の登校。いつものように周りを寄せ付けない俊永であったのだが、そんな彼に声を掛けるのは一人の少女。

 紫というか藍色というか、特徴的な髪色をした彼女こそ、彼に声を掛ける例外の一人。

 

「先輩、間桐じゃ兄さんと区別がつきませんよ?」

「…………ああ、はいはい。悪かったな、おはよう、桜」

「はい、おはようございます」

 

 ニッコリ、と擬音が付きそうな綺麗な笑顔を向けてくる彼女、間桐桜を前にして、俊永は目を逸らしてうなじを掻く。

 随分と昔からの付き合いであるのだ。きっかけは、至極些細な事であったが、縁というのは面白いもので今日この日まで続いていた。

 

 桜は、不愛想に目を逸らした幼馴染を見ながらクスリと微笑む。

 眉間の皴やへの字口のせいで誤解を受けがちだが、その実彼は心優しい。それは雨に濡れた子犬を抱き上げて、綺麗に洗い自腹を切って予防接種を受けさせて、里親を探すために東奔西走するようなタイプの優しさ。

 その事を知っているのは桜を含めて片手で足りる事だろう。それがある種の優越感とでも言うべき感情を彼女に持たせているのは、誰にも言えない秘密。

 

「どうした?」

「?なんですか?」

「いや、いきなり隣でニヤニヤされたら気になるだろ」

「え、そうですか?」

 

 指摘されて自分の頬をムニムニと触れる桜。因みに、ニヤニヤと嫌な言い方をした俊永だがその実花が綻ぶ笑みとでも呼べそうな柔らかく愛らしい笑みを彼女が浮かべており、思わず見蕩れてしまったのは内緒だ。

 男女の仲にも見える二人。まあ、付き合うどころか二人とも長い間隣にいすぎてそれが当たり前になってしまっている節が見受けられるのだが。

 俗にいう残念な男女。幼馴染という関係が、ある種の安定となりそれ以上の発展を互いに求めないのだ。

 

「それじゃあ、先輩。また放課後に」

「いや、部活はどうしたんだよ」

「良いんです。それより、待っててくださいね?」

「…………ああ」

 

 自分のクラスの靴箱へと向かっていく背中を見送り、俊永は頭を掻いた。

 どうにも桜には、勝てないらしい。

 

 

 

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 学校の授業を三割聞き流しながら、俊永はシャープペンシルを走らせる。

 彼は天才ではないが、凡夫でもない。秀才と呼ばれるほどの努力はしていないが、人並み以上には理解できていた。

 筋肉達磨、とまではいかないが力こそパワーの様な成りをして意外に知性派でもある彼。

 学友は別として、教師からの受けは悪くは無かった。

 

 四時間目迄の授業と休み時間を、いつもの通りボッチで過ごし、俊永はチャイムの後に席を立った。

 その手には、大きくも小さくもない長方形の風呂敷包み。

 金銭面に関しては苦労していない彼だったが、一応自炊している。それは偏に体の事を考えてバランスよく食べる方が都合が良かったからだ。

 弁当箱を片手に向かうのは、屋上。この時期は人の出入りも少なく、誰かが好き好んで寄り付くことも無いために彼はここによく来ていた。

 金属扉を押し開けて、外気の冷たさを感じながら汚れたコンクリートの広がる空の下へ。

 

「あら、こんにちは七戸君」

「…………遠坂か」

「嫌そうな顔ね。そんなにわたしと顔を合わせたくなかったのかしら」

ここ(屋上)に来てるのは人避けだ。俺は何か食べるときは基本的に一人が良いんだよ」

「寂しいやつね」

「あかいあくまに言われたくない」

 

 黒髪をツーサイドアップに纏めた美少女を前に、俊永は肩を竦めると扉隣の壁に背を預けて腰を下ろした。

 先客である彼女、遠坂凛はそんな彼を見下ろすようにしながらため息をついた。

 周囲から浮いているという点だけをピックアップすると類似点のある二人。

 どちらも、周りが避けるだけの理由があり、しかし凛は外向けの顔を持っているのに対して、俊永は外向けの顔を持ってはいなかった。

 そこが違う。孤高であるか孤独であるか。ならざるを得なかったのか、なりたかったのか。

 

「それ、自分で作ってるのよね?」

「そりゃあな。生憎と、使用人とかは雇ってない」

「ふーん……」

「やらねぇぞ。これ位自分で作れるだろ」

「わかってr―――――」

 

 言い切る前に、凛の腹が鳴った。

 沈黙の帳が下りてくる。

 

「…………そう言えば、お前昼はどうした?」

「…………」

「成る程、いつものうっかりで忘れたと。で、財布も忘れたと」

「~~~~~ッ!だったら何よ!」

 

 先程までの深窓の令嬢の様な雰囲気は何処へやら、顔を赤くして彼女は俊永を睨んでいた。欠片も恐ろしくは無いのだが。

 遠坂の家は、何かと詰めが甘くてやらかす事が多い。今回も確りと準備を終えていた筈が、いざ学校に来てみれば財布も弁当も忘れてしまったのだ。

 屋上に来ていたのも自分のイメージを壊さない為。ついでに、若干の期待もあったり。

 

「はぁ…………ほれ」

 

 ため息をついた俊永は、ポケットの中に手を突っ込むと何かを掴み指で弾いた。

 緩く回転しながら凛の元へと飛んだそれは、陽光を反射しながら彼女の手の中へと納まる。

 

「最低限度は、それで購買に行けば何かしら買えるだろ」

「…………施しのつもり?」

「生憎と、腹を鳴らして周りに笑われる知人ってのは見たくないんでな」

 

 二人の間を飛んだのは五百円硬貨。ワンコイン定食や、購買で一定のパン程度ならば買える額だ。男子高校生ならば足りないかもしれないが、女子高生である凛ならばある程度持つだろうという俊永の判断。

 

「言っとくが、貸しただけだからな?譲渡じゃないからな?」

「……分かってるわよ。十一で返してあげるわ」

「いや、五百円ぐらい翌日で返せ?」

「…………金欠なのよ」

「えぇ…………」

 

 さっきとは別の意味で気まずい時間が二人の間を流れる。

 

「…………買ってくるわ」

「…………おう」

 

 

 

@@@@@

 

 

 

 放課後。部活に精を出す生徒たちを尻目に、俊永は校門へと向かっていた。

 身体能力の高さから運動系の部活に何度も誘われているのだが、当人にその気が無い。武術系も、型が限定される点から拒否していた。

 

「待ってましたよ、先輩」

 

 頬を若干赤く染めながら、ニコリと微笑む桜が俊永を待っていた。

 

「律儀だな、桜。無理しなくても良いんだぞ?」

「良いんです。私が好きでやってることですから」

「…………」

 

 いつからか、こうして丁寧な口調で話すようになった幼馴染を見ながら、俊永はうなじを掻いた。

 十年ほど前のその日を、彼は生きている間は、いや死んだ後でさえ覚え続けている事だろう。

 

「……帰るか」

「はい」

 

 暗い記憶を頭の奥底へと沈め直して、俊永は歩き出す。そして、彼の隣を桜がついて行く形だ。

 

「そろそろ、寒さが厳しくなってきますね」

「まあ、な」

「コートは出しましたか?」

「一応な。というか、俺よりもお前だろ。俺は風邪ひいた事ないし」

「私も体は丈夫ですから」

「…………本当か?」

 

 いつもなら流す彼女の言葉を、俊永は拾い上げていた。

 それは、彼の記憶がそうさせたのか無意識とも言える行動。

 珍しいその様子に、桜は思わず隣を見た。

 どこか遠くを見るアイスブルーの瞳。伸ばし放題の黒髪が隠してしまっているが、その横顔は日本人離れした整い方をしており、身嗜みを整えればさぞモテる事だろう。

 

「―――――はい、本当ですよ。私は、元気ですから」

「…………そうか」

 

 ひとまず、それで納得を示した俊永は黙り込む。

 その内に渦巻く気持ちは何なのか。それは、当事者にしか分からない。

 ただ、良い感情でないのは確かだ。その証拠に、彼の右拳は力の限りギリギリと握りしめられており、爪の先が掌へと食い込んで血を流しているのだから。

 

「先輩」

「…………ん?」

「手、そんなに握っちゃダメですよ」

 

 固く握りしめられた拳を柔らかく暖かな感触が包み込む。

 桜は、彼の拳を手に取るとゆっくりと指の一本ずつを解いて行った。

 

「汚れるぞ?」

「良いんです。それより、あまり動かないでくださいね」

 

 赤くなった掌に、手際よく巻かれていく包帯。ある理由から、桜のカバンの中には応急処置用の医療キットが一そろい常備されている。

 基本的に一人の為にしか使われないソレは、たった一つの目的の為に消費されていく。

 

「………悪いな」

「私も、手当てが上手くなったと思いませんか?」

「…………いや、本当に悪かったって」

 

 暗に自分の怪我のせいだと指摘され、俊永は目を逸らす。

 事実、昔は生傷の絶えなかった生活を送っていた俊永だ。体中に刻まれた傷跡もその名残であるし、最早消せない古傷となっている。

 大きすぎるのは別として、細かな傷の手当てをしてきたのが桜だ。縫合迄はできずとも、こうして消毒し包帯を巻く程度ならできる。

 

 それから二人は、他愛のない会話を交わして、やがて分かれた。

 

 そしてその夜、彼は運命の分かれ道に立つことになるのだった。

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