袁公路の死ぬ気で生存戦略   作:にゃあたいぷ。

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第九話.

 程立は意外と真面目に働いてくれている。

 決して家事が上手いとは言えないが、出来ないことを出来ないなりに熟しており、その実力を日々向上させていった。

 何時も頭に乗っけている宝譿も掃除の時ははたきを片手にぱたぱたと旗のように振り回している。ほんとあれ、どういう原理なのだろう。程立に聞いてみても「宝譿は宝譿です」と答えられるだけで肝心なことが分からない。試しに宝譿に話しかけてみると「おめぇは自分の心臓がどうして動いているのか説明つけれんのかよ!」と声色を変えた程立に叱られた。尤もだとは思うけど、釈然としない。

 ともあれ週に一度、屋敷に戻っては働いた分だけの給金を支払っている。生活費は月に一度、まとめて与えている。

 見栄の為でしかない屋敷は、庶民の感性でいえば維持するだけでも割に合わない。しかしまあ週に一度、気兼ねなく寝泊まりできる場所があるというのは思っていた以上に居心地が良かった。袁家の屋敷にいる時は四六時中、気を張り続ける必要がある。それは確実に精神を摩耗させる。その為、心を落ち着けられる場所があるというのは想像していた以上に癒された。自分の屋敷にいる時だけ、私は何も考えずに惰眠を貪り、そしてまた朝になると袁家の屋敷へと赴いた。

 行ってらっしゃいませ、とまだ眠そうな顔で見送る程立は、まるで戦場に赴く誰かの武運を祈るようにも見えた。

 

 袁逢派の結束は硬い。

 一枚岩、というよりも砕いた岩を混ぜて粘土のように固めたひとつの石だった。

 それは屋敷に住む全員が同じ秘密を共有していることに起因する。袁家の秘術。それは屋敷に住む全員で行われる儀式であり、その内情は乱交と輪姦だ。袁家の当主である袁逢は屋敷の侍女、その全てと肉体関係を持っており、不思議な蜂蜜を用いて、全員を相手にすることもあれば、不思議な蜂蜜を使わせて、全員から犯されることもある。その痴態は屋敷に住む全員の記憶に刻まれており、陵辱された経験は屋敷に住む全員と共有されている。

 だから彼女達には、陵辱された経験を持つ私とも仲間意識を持っていた。それでいて個人的に私を伽に誘おうとすることも少なくない。ちょっとお茶に誘うような気軽さで彼女達は簡単に肌を重ねる。貞操観念は壊れていた、此処では常識を持ち続けることの方が難しい。理性では屋敷で行われていることがおかしいとは気付いている。しかしもう彼女達は元の生活には戻れない、狂っている、と自覚することで彼女達は理性を保ち続けていた。もう真っ当には生きられない。ここでしか生きられないことを知っているから彼女達は袁逢に強い忠誠を誓っている、この場所が失われることは彼女にとって死活問題であった。

 袁逢派を切り崩すことは、私達が思っていた以上に困難を極める。

 

 そうでありながら躍進を続ける袁紹に汝南袁家の力を削がれ続けているのだからやってられない。

 もうひとり、またひとり、と袁逢から袁紹に――つまり美羽様から袁紹に鞍替えする者達に少なからずの嫌悪感を抱くのは仕方のない話だと思っている。日に日に絶望感が増している、歩く音が死刑囚が処刑場に向かう足音と被って聞こえた。そんな風に廊下を歩いていると侍女の一人が私に言伝を持ってきた。内容は、袁家の秘術の為に受け役を務めて欲しい、というものだ。袁逢は私がまだ堕ちていないことを知っている。だから定期的に私を呼び出してきた、美羽様には知られない時間帯、私が承諾すると侍女は凄く嬉しそうに笑って、袁逢の下へと駆け出していった。

 このことを橋蕤は知っている、袁姫は参加者の一人だ。もう互いに慣れてしまって、翌日、顔を合わせても普通に会話できるようになってしまった。この日の夜のことを思って、体が疼いてしまう辺り、徐々に肉体が作りかえられつつあることがわかる。この頃になると猪々子(文醜)に恋心を抱いていたことなんて、もうどうでもよくなっていた。そんな時期もあったなあ、と思い返すことがある程度だ。でも彼女が活躍しているという話を聞くのは嬉しかったりする。その分だけ袁紹が躍進するので複雑な気持ちもあったりするけども、それはそれとして私は、昔のような甘酸っぱい気持ちがなくなっただけで猪々子のことを好いている。

 ただ今はもう美羽様の方が大事だった。

 

 屋敷に備えられた浴室で汚液を洗い流している。

 慣れというのは恐ろしいものであり、今も嫌なことには変わりないが嫌悪感は薄れつつあった。中の洗浄も手馴れたもので、今ではひとりでも綺麗にできる。美羽様に気付かれないように丹念に肌を擦り、隈なく洗ってから浴槽に浸かった。少し熱めの湯が肌に染み渡る。髪に付いた汚液のように、心にこびり付いた汚れが溶かされる。全身の筋肉が緩んでいくのがわかる、心もまた温もりに満たされる。少し痛む喉を指で揉み解しながら、少し高めの声を出す。とても男とは思えないような声が浴室に響き渡る。こんな生活が続いて二ヶ月近く、今では女声で歌を歌うこともできるようになった。体付きも心なしか、ふっくらと丸みを帯びているような気がする。骨格がもう男性なので、女性には程遠いが、中性的な肉付きにはなりつつあるようだ。女装にも慣れた、今やもう男装の方が違和感を感じてしまうようになっている。

 私がひらひらした衣服で更衣室を出ると、私の後を待ち構えていたように数名の侍女が浴室に飛び込んでいった。そのことに苦笑しながら、ほかほかの体で袁逢の屋敷に用意された寝室に足を運ぶ。

 扉の前では橋蕤が待ち構えており、袁姫からの言伝を言い渡される。

 

「袁家の者から貴方の屋敷に使用人が入ることになったわ」

 

 端的に告げられると、まだ仕事が残っているのか橋蕤が軽く頭を下げてから何処かへと行ってしまった。

 どうやら監視の目が強くなるらしい。

 私達はまだなんの成果も上げられないまま、時間だけが無情にも過ぎ去っていった。

 

 翌日、屋敷に戻った私を出迎えてくれたのは程立の他にもう一人、少女……いや、少年が居た。

 中性的とも呼べる顔付きだが、男装をしているのでたぶん少年なのだろう。

 それにこの青い短髪の少年、街中で何度か目にした記憶がある。

 

「私は張勲と申します。この度は主君袁逢様の命により、楊宏様の身の回りの世話をしに来ました! 以後、よろしくお願いします!」

 

 はきはきと自己紹介をする少年の隣で「先に言っておいて欲しいですねー」と程立は不満げに告げる。

 彼女からすれば、寝耳に水の話だったに違いない。とりあえず土産にと持ってきた甘味を程立に手渡して、此処でも心を休めることができなくなる、と小さく溜息を零した。その時、程立が不思議そうに私を見つめたが無視する。

 人探しは難航している。私達に手を貸してくれる知恵者は見つからず、武力の目処も立たないままだ。美羽様が言っていた七乃という少女も見つからない。それでいて監視だけが強くなる。

 どうしたものか、と自室に戻った私は頭を抱えた。

 

 

 


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