袁公路の死ぬ気で生存戦略   作:にゃあたいぷ。

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間幕.とんだ狸だ

 汝南袁家の暗部として仕える張家。その懐刀とも呼ばれる張家の矛先は内側に向けられている。

 つまるところ張家の役割とは、汝南袁家に潜む反乱分子や他勢力から送り込まれた諜報員の監視と摘発にあり、取調べの際には人格を破壊しない程度の拷問が許可されている。その為、私自身も張家式の拷問術は身に付けており、爪を剥ぐことは得意でよく褒められていた。そんな私だから内部調査なんて大したことはない――そう思っていた時期が私にもありました。

 汝南袁家、その屋敷の防諜は完璧で鼠一匹の侵入も許さない。思っていた以上の厳重な警備体制に、これは無理です、と早々に諦めた私は切り口を変える。名付けて、屋敷に潜入できないのであれば屋敷にいる者から情報を得れば良いじゃない作戦だ。しかし、それも上手くはいかず、屋敷に住む全員が袁逢に忠誠を誓っており、なによりも義理堅かった。

 あんまり嗅ぎ回っていると……と使用人に脅されたこともあって楊宏の屋敷に戻った私は、もうお手上げです、と程立に降参の意を示した。

 

「あそこの結束力、絶対におかしいですってー」

 

 汝南袁家の屋敷の者達は当主に絶対服従している。

 その振る舞いは軽く引いちゃうほどであり、どう見ても裏があるとしか思えなかった。

 ただそれも見当も付けられず、突破口も見つけられる気がしない。

 

「前に御主人様のことを聞いて回った時は情報を頂いていたのではないのですか?」

 

 私が調査に乗り出している間、家事を担当する程立が首を傾げる。

 

「あの時は踏み込んだ話をしたわけではありませんので」

 

 次の仕事に必要だからと軽い気持ちで楊宏の評判だけを聞いて回ったので変に警戒をされなかったのかも知れない。それで今回は楊宏が屋敷でどのような仕事をしているのか聞くと急に侍女達の空気が変わったのだ。それで袁術の侍女長を名乗る橋蕤に脅されて今に至る。

 

「これ以上、私が手を貸す義理はないですからね」

 

 じとっと睨み付けると、ふむ、と程立は考え込む仕草を見てた後、

 

「屋敷の者から情報を得られないのであれば、外の者に訊くしかないですねー」

 

 と次の方策を語り始めた。

 

「――話は分かりました。ところで、これって本当に私の益にも繋がるのですよね?」

 

 まだいまいち信用できない相方を訝しげに見つめると少女は緩やかに頷いてみせる。

 

「はい、情報を集めたい私と御主人様の動向を探りたい貴方、目的は一致しているのですよ。私の監視にも繋がりますし、一石二鳥ですねー」

 

 にへらと笑う程立に私は眉間に皺を寄せる。

 楊宏の動向にも気を使わないといけないが、目の前にいる少女もまた食えない性格をしている。

 最後の最後で出し抜かれないように、警戒は続ける必要があった。

 

 

 今日は家事をお休みにして、外食を摂ることにした。

 商店街を歩くだけで、あちこちから漂う美味しそうな匂いに意識が持っていかれそうになる。お腹がくうっと鳴いたから「適当な場所で良いじゃないですか」と隣を歩く程立に提案すると「いいえ、駄目です」と彼女は両手の指でバッテンを作った。それから数分、程立の案内に従うがままに商店街の奥へ奥へと歩き、少し寂れた料理店に辿り着いた。どうやら餃子屋のようだ。「穴場です」と程立が暖簾を潜るので、私も彼女を追いかけて店内へと足を踏み入れる。

 中には数人の客がいるだけで静かだった。出入り口も含めて、店全体を見渡せる席を確保した私はお品書きを手にする。

 

「店長、麻婆豆腐を二人前でお願いします」

 

 しかし程立は私の意見も聞かずに勝手に注文してしまった。

 お口はもう餃子の気分だったのに、それに炒飯を付けようかなって思ったのに。

 なんだか、ちょっと勿体ない気持ちになった。

 

「……私、まだ何も決めていませんよ?」

 

 じとっと目の前に座る少女を睨み付けると程立は素知らぬ顔で口を開いた。

 

「ここがどうして寂れているのか分かりますか?」

 

 その問いに思考を巡らせる前に私は店内をぐるりと見渡した。店内で食事をするのは二人、共に麻婆豆腐を注文している。

 

「……餃子は美味しくない、とか?」

「流石ですねー、当たりですよー」

 

 パチパチパチ、と手を叩く程立の前にドンッと叩き落される麻婆豆腐が盛られた大皿。恐る恐ると顔を上げると髭面のおっさんが不機嫌そうな顔でお米の入ったお椀を持っていた。彼が店長で料理人なのだろう、程立は素知らぬ顔で散蓮華を手に取り、はふっはふっと湯気立つ麻婆豆腐を口に入れる。

 

「此処の麻婆豆腐は絶品ですよ? 都で店を出しても評判になる美味しさですねー」

「……都に行ったことあるのですか?」

「ありますよー」

 

 はむっと小さな体で次々と麻婆豆腐を口にする程立を前に、食欲が刺激された私も麻婆豆腐を一口頂いた。

 

「あっ、美味しい」

 

 ピリリとした辛みに思わず呟いた。

 程立は嬉しそうに目を細めると「ご飯と一緒に食べても良いんですよ」と米を掬った散蓮華で麻婆豆腐を掬い取って、あむっと食らいついた。目を細めながらもっきゅもっきゅと口を動かす姿は、なんというか見ているだけでも美味しかった。私は散蓮華で米に麻婆豆腐を掛けてから一緒に掬い取ってから口に含んだ。白ご飯に麻婆豆腐の絡みつき、口内が絶妙に調和された味で満たされる。

 つまるところ、より美味しかった。

 

「これだけ美味しいのに餃子は不味いのですか?」

「ええ、食えたものではありませんねー。表通りにある炒飯屋で出る餃子の方が遥かに美味しいです」

「……ふぅん?」

 

 比較対象がよく分からないこともあったが、いまいち納得のしきれない私は餃子も注文してみようかと考える。だって口の中は餃子を求めているし、なんなら不味い餃子にも興味があるし、そんな私に程立は眉間に皺を寄せて「食べるなら一人でお願いしますね」と心底嫌そうに告げた。

 

「ちなみに、具体的にはどのように不味いのでしょう?」

「えっと……ぬちゃっとして、ぐちゃっとして?」

「ああ、いえ、もう結構です。ありがとうございます」

 

 聞いているだけで不味くなってきた。

 餃子の気分だった口が麻婆豆腐になっている、今は美味しいと分かっている麻婆豆腐が食べたかった。

 白ご飯を合わせて、倍率ドン! な美味しさだ。

 

「それで、ここにはなにがあるのでしょうか?」

 

 程立が連れてきたからには何かあるに違いない、と思って問いかけてみた。

 寂れた店に愛想の悪い店主、数名の客、餃子の看板を掲げておきながら麻婆豆腐が推しの店だ。

 この店が本気で生計を立てるつもりがないのはわかっている。

 

「いえ、美味しい麻婆豆腐があるだけですねー」

 

 しかし予想と反して程立は私の予想を否定する。

 

「期待に添えず申し訳ありませんが、此処には腹拵えに来ただけです」

「……どうして餃子を作り続けるのでしょうね? 麻婆豆腐を看板にしたらもっと繁盛しているでしょうに」

「そこは店主の拘りですねー」

「美味しくないのに?」

「拘りだからといって美味しいとは限らないのです……」

 

 本人の意思で才能が与えられるものでないのだとすれば、才能があるからといって本人が望むとは限らない。

 この料理店は麻婆豆腐で生計を立てているが、やはり本人が最も好きなのは餃子ということだ。餃子好きが高じて店を開き、店が高じて麻婆豆腐という才能に巡り会えた。それだけの話、そのおかげで私達は至高の麻婆豆腐に出会えたという話。でもまあ好きな餃子を作り続けられているのだから、それはそれで幸せなのかも知れない。人生はままならないものですね、と麻婆豆腐を咀嚼する。

 うーん、美味しいですねえ。いつかまた来よっと。

 

 

 餃子屋で至高の麻婆豆腐を堪能した私達は市場へと繰り出した。

 此処、汝南の都市では週に二度、市場が開かれる。河に面していることもあり、毎回、それなりの賑わいをみせる。書籍が売り出している出店を見つける度に程立が、ふらりと足を運ぼうとするので手を引っ張った。すでに三冊の書籍を両手に抱える程立を無視して先を急がせる。そうして数十分が過ぎた、表通りから裏路地へと続く道に程立が身を滑り込ませる。彼女の後に続き、薄暗い通路から周りを見渡すと薄汚れた壁や床、上を見上げると胸元を大きく強調した衣服を着込んだ女性が誘うように手を振ってきた。そして甘ったるい香の匂いがする。真昼間から聞こえてくる男女の喘ぐ声で、ここが売春街だということを察した。時折、妖艶な女性に声を掛けられるが、適当に躱して程立の背中を追いかける。それが何度か続いて、辟易してきたところで、すっと手を差し伸べられた。

「手を繋ぎましょう、それで娼婦避けになりますよ」と告げられて、少し逡巡した後に彼女の手に触れる。指を絡められた、所謂、恋人繋ぎと呼ばれるものだ。「お姉さんがちょっとした風評被害を受けるだけで済みますよ」とにこやかに笑う程立の後ろで、ひそひそとした声で話し合う二人組の娼婦。えっ、あの子、まじ? あの年齢の子をこんな所に連れてくるとか引くわー、という声が聞こえてくる。余談だが庶民は一般的に氣を使えない、そして此処は庶民が活用する娼婦街だ。

 つまり、程立は見た目通りの年齢でしか見て貰えない。

 これは不味い、非常に不味い。男装しているとこもあって、なお不味い。

 引き攣った笑みを浮かべながら程立を見つめる。

 

「……えっと、程立……さん?」

「お兄ちゃん、大好き!」

 

 ごふっと胃が悲鳴を上げた。

 口の端から垂れる血を袖口で拭い取り、終わった。と空を見上げる。

 裏路地から見上げる空は狭く、逃げ道はなかった。

 ひそりひそりと窓から覗く娼婦が私達を見下している。

 

「これでもう独りの時でも声を掛けられませんよ」

 

 足を運ぶこと自体ができなくなった気がするのは気のせいだろうか。

 まあ私が利用する娼館は、高級と名の付くものばかりなので庶民向けの娼館には縁がない。まあ尤も活用方法は利用者としてではなくて運営側としてなのですが、それも情報を聞き出すだけの簡単なお仕事。張家の房中術は自慰特化なので、相手が必要ないことも相まって独り身が捗る。房中術なのに性欲解消に特化とか、なんですか。おかげで張家の人間は全員、性癖を拗らせており、普通の相手では興奮できなくなっている。

 私が背負っている業もまた常人には理解されない類だと理解している。

 例えば、階段の縁に立っている人間の背中を押して転がり落ちる様を見るのは興奮する。崖の上まで登りきった人間を蹴り飛ばし、滝壺に落ちていく様を見るのは興奮する。豪華絢爛な衣服を着込んだ人間が道端で襤褸を纏った姿で物乞いをする姿に興奮する。多額の費用をかけた権威の象徴がガラガラと崩れ落ちる光景に興奮する。私に破滅願望はない、破壊願望もない。ただ堕ちる様を見ているのは興奮する。私は拷問が好きだ、私が初めて拷問をした時、爪を剥ぐ行為に興奮することはなかった。むしろ嫌悪感の方が強かった。冷水をぶっかける行為も、鞭を打ち据える行為も、私は好きではない。誰かを貶めることに興奮は覚えない。でも、拷問に耐えきれず、相手が親友と謳った相手を売り飛ばした時、その姿を見ているだけで私は絶頂してしまった。薄暗い拷問室で股下から透明の液体がポタリと落ちる、床には無数の染みができていた。崇高なものが汚れる瞬間、絶対的なものが崩れ落ちる瞬間、神聖なる純潔が穢れる瞬間、その場に立ち会えたことに私は耐えきれないほどの多幸感に満たされて、神々の奇跡に感謝し、快感が爆ぜるように全身を迸らせるのだ。

 私は見ているだけで良い。自慰特化とは、そういう意味だ。手を汚すのはその瞬間に立ち会う為だった。

 

「……ここには名家出身の娘とか居たりします?」

 

 なんとなしに問いかけると程立は眉間に皺を寄せられる。貴方が――仕えていた理由が――――、と呟かれた言葉は上手く聞き取れなかった。

 

「少女偏愛よりも性質が悪いですねー」

 

 問い返す前に言われて、失敬な、と今度は私が眉を顰めてみせた。

 

「いくら私でも生理前の子供は嗜好の範囲外です」

「そうですねー、手を握っても反応がない理由もわかりましたー」

 

 貝繋ぎにした手を離して、着きました、と彼女が告げる。

 その視線の先には出店があり、店頭にはいくつもの薬が並べられている。近付いてみれば、それは媚薬や精力剤、睡眠薬。潤滑液に浣腸液、更には利尿剤といったものが販売されていた。そして目玉商品とされる小瓶には蜂蜜と書かれている。その法外な金額から察するに不思議な蜂蜜が詰められているのだろう。

 店主らしき女性は退屈そうに頬杖を突いていたが、近寄る私達の姿を確認すると満面の笑顔で出迎えた。

 

「やあやあ、ようこそいらっしゃい。お目当ての商品はなにかな? 見たところ、あまり遊んでいないように見えるけど――うちは高品質が売りだが、その分、効能も高い。興奮剤を使う時、初心者はまず十倍に薄めて使うことをおすすめするよ」

 

 その営業的な口上を並び立てる女性に、程立は慣れているのか余裕ある表情で店主に話しかける。

 

「とある名家も御愛用している、という触れ込みを聞いて来たのですがー」

「ああ、そうだよ。この汝南郡で最も大きな名家も愛用しているのが私の薬だ。安心と信頼の高品質――正直に云うが、初心者にはおすすめしない。そうだな、君がその後ろの女性を堕としたい。と云うのであれば、これがおすすめだけど君は別に惚れているわけでもないだろう。ここに何をしに来た? 子供の火遊びは、お姉さん、関心しないな?」

「……いえ、初めてで不良品を掴ませられたくなかったのですよ。お姉さん、こちらの小瓶をください」

 

 程立が潤滑液を指で差すと「毎度!」と店主は威勢良く声を上げる。

 小瓶と貨幣を交換する二人のやりとりを見守りながら、堕としたい。と店主が言いながら持ち上げた小瓶を横目にちらちらと見つめる。値札は割高、いや、媚薬にしては桁一つ違っている。その分だけ高品質で効能が高いということか。

 財布の中身と相談して、小さく溜息を零した。

 

「そこなお姉さん、小売してあげよっか?」

 

 不意に店主が私に話しかけてきた。

 

「元から量が少ないから、あんまり小売はしないんだけどね。見ての通り、うちは高級品だ。最初の一回が手を出せない人間も多い。だから初めての人間には小売をしてあげることにしている。そちらのお嬢さんと違って、お姉さんは興味あるようだし? 良い顧客になってくれることを祈り、小売して差し上げよう」

 

 興味はある、しかし小売して貰ったところで金銭的に厳しいことには違いない。

 

「随分と商品に自信があるようですね? それは本当に私の財布の紐を緩めるほどの効能なのでしょうか?」

「ああ、文字通りに病みつきになる。用法、容量を間違えると人ひとり、簡単に壊すこともできるほどにね」

「そこまで自信のある品でしたら――試供品と云うことで割り引いてくれませんでしょうか? 良い品でしたら次から定価で買い込みに来ますよ」

「それは私に対する挑戦かな? 見たところ実家は良いところのようだな。わかった、原価で売ってやるよ、これでお得意様をひとり確保できると思えば安いもんだ」

 

 損して徳取れ、それが商人の鉄則だ。と店主は小瓶を一つ手渡してきた。

 

「初心者は十倍に薄めてから使うと良いよ。原液そのまま使って死んだ人間を何人か知っている」

「危険な薬を扱っているのですね」

「うちには危険な代物を求めてくる人間がたくさん居るからね。需要があるから供給しているだけさ」

 

 店主がへらへらと笑ってみせる。行きましょう、と手を取られて、露天商に背を向ける。

 

「行きはよいよい帰りは怖い。家に帰るまでが遠足とはよく言った話、背後に気をつけな。戸締りはしっかりとしておくものだ。張家の御嬢様、そして楊家の使用人。私は需要があるから供給をするだけの極めて御立派な商人様だよ」

 

 振り返ると露天商は店仕舞いを始めるところだった。

 さあさあ帰った、と手で邪魔者を追い払う仕草を見せる。嫌な予感がした、なんというか泥沼に片足を突っ込んだような錯覚。ふと 頭上を見上げると、狭い空が更に遠くなったかのような錯覚を覚える。程立が手を引いた、つられて私も歩かされる。

 人目の付かない場所に辿り着いた時、少女は独り言を呟くように語り出した。

 

「今更な話なのですが、あの餃子屋の店主は貴方の見込み通り情報屋なのですが、事前に情報は仕入れた後だったりします。今回、裏路地の露天商に足を運んだのは餃子屋の情報を頼ってのことですねー。では何故、わざわざ餃子屋に足を運んだのか、ですがー。それは顔見せの為でしてー。もちろん汝南袁家に繋がる情報を得る為の行動だと露呈させてありますよ?」

 

 ところで、と何気なく少女が問いかける。

 

「その腰に差した剣、手入れは済んでいますでしょうか?」

 

 謀ったな、程立。

 

 

 


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