「その腰に差した剣、手入れは済んでいますか?」
そう告げた次の瞬間、張勲の気配が変わった。
考えるよりも早くに私は棒付きの飴を彼女の喉元に突き立てていた。うっ、と臆する張勲は剣に手を翳しており、さりとて、突きつけられたのが飴だと気付いた彼女は柄を握り締め直した。その剣が鞘から抜かれるよりも早く、私は口を開いた。
私の武器は槍でもなければ、剣でもない。この小賢しい頭と小手先の口だ。
「今、貴方にはふたつの選択肢があります」
指を二本、立てる。相手の視線を誘導しながら興味を失われないように注意深く言葉を選びながら話しかける。
「ひとつは今ここで私を斬り伏せて、自らの潔白を証明する道」
誰かは言った、策を採用させるのも軍師の腕の見せ所だと。
今回の私は軍師ではないけども、その本領を発揮する機会があるとすれば、きっと今だ。
先ずは知っている事実から告げることで注意を惹きつける。
「もうひとつは私と手を取り、袁逢と対する道」
「それならば答えは決まっていますよ。私は汝南袁家の――」
「違います、貴方は汝南袁家を裏切るわけではありません」
袁逢には二人の後継者がいる。
ひとりは袁紹、今は冀州勃海郡で太守を勤めている。汝南袁家の後継者として台頭している人物であり、今もなお袁家に仕える者達は猛る龍の如く飛翔し続ける袁紹に擦り寄る者が多い。しかし別の世界線でもそうだったが、袁紹は正式な後継者として選ばれている訳ではない。結果的に袁家の力が多く引き継いだのが袁紹だった、というだけの話であり、汝南袁家を正式に受け継いだのは袁術の方だった。だからこそ袁術は未だに豫州汝南郡に残されており、袁紹は冀州の土地へと追い出された。
つまるところ袁術の味方をする分には、汝南袁家を裏切ったことにはならない。
あと袁術の地に着いてから、ずっと気になっていたことがある。別の世界線では、今から数年もしない内に袁術が汝南袁家を引き継いだ。まだ袁逢は健在のまま、あの愚かな袁術に家督を引き渡したのだ。そして、この世界線でも袁逢は未だに健在で、これから唐突な事故でも起きない限り、袁術に家督を譲ることはないだろう。別の世界線での袁逢は不慮の事故でなくなったという情報はない。袁逢ほどの大物が不慮の事故や暗殺で殺されたのであれば、その事件を私が知らないはずがない。見逃すはずがなかった。それに今のままだと袁逢の後ろ盾なしに袁術が家督を得ることはあり得ない。汝南袁家の後継者は袁紹で決まりだ、それで後継者争いが起きたとしても十中八九で袁紹が勝つ。
だから、ここに謎がある。
どのようにして袁術は袁逢から家督を譲り受けたのか。その入れ知恵をできる人物を私はひとりだけ知っている。
そして、袁術には一発逆転の布石がある。
「確かめましょう。きっと屋敷内は面白いことになっていますよ?」
博打ですね、と自嘲する気持ちを抑えながら不敵に笑ってみせる。張勲は柄を握り締めたまま、私のことを睨みつけた。
「危険を侵す価値があるとは思えません」
目の前にいる張勲は仕事人だった。
私が知る張勲はもっと愉快な小悪党だった印象がある。
今の彼女と別の彼女、違いはなにか。
そんなのはひとつしかなかった。
「理由があれば良いのですね?」
今の彼女には信念がなく、意志も持たない。
だから彼女は黙々と言われた任務を熟す、必要以上の仕事をしようとは考えない。忠義はなく、義理だけで生きている。それ故に彼女の生き様は酷く適当だ。国ひとつを振り回した狡猾さを、今の彼女が持っていないのはそういう訳だ。
きっと張勲という存在は袁術が傍にいることで初めて輝くのだろう。
「袁逢が落ちぶれる様を見てみたいとは思いませんか?」
張勲は微かに目を見開き、こくりと唾を飲み込んだ。
間幕はここまで、次から楊宏主観になります。
此処に至るまで凄い苦労した。
次回は風先生と七乃先生によるスピード解決です。