名は袁逢、字は周陽。真名は
司空、司徒、太尉と三公全ての官職を歴任した袁湯の嫡子として生まれる。
当時は三世三公、後に四世三公と謳われる名門の中の名門、汝南袁家の後継となるべく物心が付いた頃から秘術の会得を義務付けられていた。初めてが何であったのかなんて記憶にない、そもそも処女であった時期があったのかも定かではない。その味は妾にとって当たり前のものであり、その臭いは妾にとって日常的なものだった。玩具は何時だって生きた誰かであったし、それを弄ぶことに嫌悪感を抱くはずもない。この生活が可笑しいと気付いたのは元服を終えてからの話で、その頃にはもう身も心も性欲と情欲に堕ちていたから今更止められるはずもなかった。妾にとって愛するというのは肌を重ねる事だ。愛を受け止めるには、相手をこの身に受け入れることが最も効果的だと考えている。そして相手に好意を示すには全身全霊を以て相手を気持ちよくする事だ。この感覚がズレていることは自覚している。しかし妾が最も相手の想いを感じ取れる瞬間は体液を注がれた瞬間だった。悦楽を解き放つ、最も心が無防備になる瞬間の機微で相手が妾に抱いている感情を読み取ることができる。そして目一杯の愛情を注ぎ込む手段として、相手の肉体と精神、魂魄に至るまでを刻み、体液で染める。妾は親を殺している、初めて殺したのは親の袁湯だった。肉欲のままに娘を犯す袁湯を受け入れて、禁忌に手をつける愚かな親をこの身で愛した。三日三晩の性交の後、妾に覆い被さるように袁湯は干からびて死んだ。殺すつもりなんてなかったのに、と云うつもりはない。死んでも構わないと思っていた。それが彼女の望むことならば、と妾は抵抗せずに全てを受け入れて、もっと、と望まれたから気持ちに応えた。異臭を異臭と思わなくなって意識が朦朧とする最中、親の安らかな死に顔を見たとき、これこそが妾の生きる理由なんだと悟った。受け入れる、受け止める。そして愛する。人間一人の生きた証をこの身に刻み、その最期を看取る。安らかあれ、と祈りを込めながら全身全霊で尽くし切る。妾が三公を務めていた時期、宮中には私と肉体関係を持っていない者の方が少なかった。妾に抱いた好意、敵意、恋慕、憎悪、他にも怒気や嘆き、悲哀といった想いも全て肉壺に受け入れて、一滴、残さずに飲み干してきた。慈愛の心で包み込んで、目一杯の愛情で溶かして蕩けさせる。自我が保てなくなるほどに甘やかし、勃起物がピクリとも反応しなくなった頃合いで皆、例外なく妾の元から去り、そして世界からも姿を消していった。
殺意を以て誰かを殺したことは一度もない。だが妾が関わって死んだ人間は千を下らないだろう。
妾は愛している。この世の全てを、全人類を愛してる。無償の愛を捧げましょう、見返りを求めない奉仕の精神で愛を注ぎましょう。幸いにも妾には全人類が抱える全ての想いを受け止めきれるだけの
経験した人数は千を遥かに超える、致した数は万を下らない。その全ての想いが私のお腹で蠢いていた。妾の子宮には、今まで経験した千人以上の精液が詰め込まれている。おかしなことを言っているとは分かっているが元服してから間もなく子宮に吐き出された精液が股から垂れた覚えがない。相手の精気を吸い付くように絞り出した後は、そっくりそのまま子宮に溜め込まれる。質量保存の法則を無視するように全てが子宮に満たされた。お腹を撫でる。愛憎が入り混じり、闇よりも濃い色をした混沌が蠢いているのがわかる。既に生殖器としての機能は失われており、ただ想いを貯める器として機能していた。
汝南袁家の秘術、その本質は力の貯蔵にある。
人の身を容れ物として作り変える、房中術によって最適化された体は歳を取ることはない。ただ老朽化するのみだ。この体には呪詛が刻まれている。丹念に練り上げた氣と共に刻まれた呪いは、この身に溜め込んだ力を使う為に用いられる。人ひとり分の未練、煩悩――即ち、欲と呼ばれる感情は多大な力が込められている。神話時代、人は畏れを抱くだけで神を生み出した。怖れを抱くだけで妖を生み出した。人の感情には質量がある、魂には重さがある。
人あらざる所業、人あらざる身、溜め込んだ力には当然、それを活用する為の手段がある。
――さて、太平要術、という言葉を知っているだろうか。
この身に刻まれた呪いの名は、そう言った。
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足元の床にビチャリと泥が落ちる。
地面に打ち付けられた真っ黒な異物、それは個体と液状の半ばにある。
服の裾を上げながら産み落とされたソレは、ひとつの生命体だった。