袁公路の死ぬ気で生存戦略   作:にゃあたいぷ。

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第十一話.

 汝南袁家、その屋敷を制圧するという作戦は思っていた以上に上手く行った。

 基本的に御母様は屋敷の内と外を分けて考えている。屋敷内にいる者は身の回りを世話する者達で固めており、政治や軍事に関する実権を与えていなかった。また屋敷内における役職が外に影響を与えないことを明言していたこともあり、屋敷内の人選は本当に御母様が心から信用している者だけで固められていた。ちなみに女性のみで固められているのは、男性だと数年の内に壊れるか、腹上死してしまう為だ。なので四ツ葉(楊宏)に対しては性行為に制限が掛けられている、という話を聞いたことがある。具体的には本番禁止、彼に挿れることは許されていても、挿れさせることは許されていない。

 まあ、さておき、その中にも例外が一人だけおり、それが紀霊だった。

 彼女は汝南袁家の護衛として雇われており、堕とすことが前提になっている。その彼女を汝南袁家に繋ぎ止める為に楊宏を利用していることもわかったが、しかし、それを逆手に取ったのが今回の籠絡になる。まあ少し? 不愉快に思わなくもなかったが? それでも妾が楊宏に抱いている感情は恋慕のそれとは違うことは分かっていたので、複雑な気持ちを抱えながら我慢することはできた。なんというか血縁以上に親しく思っていた身内が、異性の誰かと逢引しているのを見逃すような心境に似ている。その後で身内が傷付けられるのは我慢がならなかったし、その更に後で異性を責め立てる姿を間近で見せられるのも複雑だった。

 ともかく紀霊を籠絡することに成功した妾達は早速、袁家を乗っ取る為の計画を立てた。

 紀霊の武力は汝南袁家の屋敷内においては無双できるだけの力を持っており、事細かに策を弄する必要はない――とのことだ、七乃と程立がそう言っておったのじゃ。御母様に外に助けを求められると困るので、相手が油断した時、たった数秒で制圧できるのが好ましい。そして、それもまだ裏切ったばかりの紀霊を使えば簡単に事を成せる。

 実際、事はあっさりと成し遂げた。

 

 妾達が一同に会する場にて、自らの護衛に付いていた紀霊から不意の一撃を受けた御母様は俯せに倒れ伏した。

 その姿を妾は、胸にしこりが残るような想いで見下ろす。前世における妾は、御母様とはほとんど顔を合わせたことがない。七乃の手によって袁家の屋敷から離れて、別荘とも呼べる場所で隔離されるように暮らしていた。今にして思えば、監禁されていたのだろう。理由はよく分からぬが、わがままはなんでも聞いて貰えたし、不自由ない生活を遅れていたので不快に思った事はない。屋敷の中で数年過ごした後、妾は思い出されたように外へと出された時、妾は汝南袁家の当主になっていた。評定の間では上座に座り、汝南袁家に纏わる全ての人間が妾の前に平伏していた。とはいえ妾には政治は分からない、軍事も分からない。最も信頼できる側近であった七乃を立てた妾は、そうと気付かずとも、自ら進んで傀儡の道を歩むようになる。

 妾としては、今の生活が続けられるのであれば、世の中のことなんてどうでもよかったのじゃ。

 その願いを叶えてくれる相手が、あの時は七乃だけだった。とも言える。

 

 本質的に妾は名誉や栄光に興味はない。

 ただ気に食わないから行動する。妾が不条理や理不尽を振り翳すことは構わぬが、妾に不条理や理不尽を押し付けてくることは我慢ならなかった。だから妾の子であるにも関わらず、汝南袁家の力の半分以上を掠め取った麗羽のことが気に食わなかったし、妾の家臣であるにも関わらず、反抗心を見せる呉家の一族は苛立ちの対象だった。

 妾は贅沢な暮らしがしたいから地位を守りたいと考える。

 誰かの為に、とは考えない。全てが利己的な理由で完結している。それが悪いとは言わせない、この世の全てが妾を愉しませる為に存在すれば良いと心の底から思っている。だから妾を不愉快にする全てを排除したかった。

 それは今も変わらない。しかし、だからこそ、許せない。看過できない。

 妾は御母様を見つめながら独り言を呟いた。

 

「妾は誰かの為に生きない、家柄も関係ない。妾は妾の為だけに生きるのじゃ」

 

 その為ならば他全てを使い潰しても良いと心から思っている。

 

 さて、これは前世を思い返している内に思ったことなのだが、七乃が自分から発案した作戦が失敗したことはほとんどない。

 そのおかげで前世における妾は我が世の春を謳歌するような時間を過ごすことができた。しかして桜が舞い散るように呆気なく妾の栄華は過ぎ去った。後者の理由として考えられるのは、七乃は基本的に熱しやすく冷めやすい性格をしているということだ。つまるところ、作戦が成功した時点で満足してしまうので後始末で手を抜いてしまうのが七乃の悪い癖だ。今回は、前回と同じことを繰り返させない為に強く言いつける予定である。事は為した後が大事である、と。遠足は帰るまでが遠足なのじゃ、と。

 今回の場合でいえば、御母様を捕縛するところまでが下克上なのじゃ、と。

 詰めのあまい七乃に言ってやるつもりだった。

 

 ふらりと御母様が満身創痍の体で立ち上がる。

 さっさと捕らえるのじゃ、と七乃――今世ではまだ張勲に指示を出す前にゾワリと背筋に嫌なものを感じた。この冷たい感触を妾は知っている。まるで孫策が背後から迫ってきた時のような悪寒、しかし、あれはもっと鋭くて、肝が冷えるような殺意だった。今、感じるのは、それとはまるで別の質を持っている。肌に纏わりつくような怖気、まるで吐き出す息が白く染まるような寒気を感じる。御母様の体から紫色の悍ましい氣が漏れるのを視覚した。何かを話していた、何を話していたのか頭にはほとんど入って来ない。

 萎縮している内に話が終わって、御母様が最後に言い放った。

 

「かかって来い。そして妾の屍を超えてみろ」

 

 姉、袁紹にとって御母様(袁逢)は父親だった。

 まだ御母様が袁家の秘術を会得できていなかった頃、誤って娼婦を孕ませてしまったのが袁紹になる。

 妾が袁家の正当後継者となっているのは御母様自身が腹を痛めて産んだ子である為だ。万が一に備えて、もうひとり、と産んだ子が妹の結美(袁姫)である。そうだ、妾達は御母様のお腹から産まれてきた子なのだ。

 ビチャリ、と音がなった。真っ黒な汚泥が御母様の股座から垂れ落ちる。ビチャリ、とまた床に打ち付けられる。半液体、半個体のソレは、まるで生きているかのようにビチビチと跳ねる。周りに汚液を撒き散らしながら縋るように御母様の足に寄り添っていた。ビチャリ、と汚泥が落ちる。ビチャリ、とまた産み落とされる。

 声が出なかった、悍ましくて。全身が凍えるように寒かった。

 御母様はぶるりと身を震わせると、ふぅっと上気した頰で艶っぽい吐息を零す。そして糸を手繰るように手を動かして、床に飛び散った泥を手も触れずに集めて、捏ねる。液状に近かったそれがなにかを象る。それは烏でもなく、土竜でもなく、禿鷹でもなく、蟻でもなく、ましてや腐乱死体でもなかった。名状し難い形状のソレは蜥蜴に似ていた。蝙蝠のような羽根が生えている。頭からは昆虫のような触覚を生やしており、四肢もまた蟲を彷彿とさせる。肩の付け根から生やした手は、人の首を刈り取る形をしていた。爬虫類と昆虫が入り混じったかのような姿、自身よりも一回り大きなソレを御母様は慈しむように顎を撫でる。

 その姿は人ではなかった。人の形をしたなにかが、人あらざるなにかを産み落とした。袁家を象徴する黄衣を纏って、ソレを従える姿はまるで王と従者のようにも感じられた。

 人理の保証対象外。妾を産んだ、その股ぐらから人以外のなにかを産み落とした。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!??!!!!??」

 

 脳が理解を受け付けず、発狂する他に術がなかった。

 

 

 御姉様の悲鳴を耳にしながら私は吐瀉物を床に撒き散らしていた。

 それが黄ばみがかった透明色をしていたことに安堵し、寸でのところで正気を保った。私の肉体は辛うじて人間だ、少なくとも目の前の何かとは同一ではない。まだ震える体、細剣を握り締め直して飛びかかった。もう殺すしかない、と御母様だった存在に細剣を突き出した――キィン、という甲高い音と共に刀身が宙を飛んだ。手には根元から折れた細剣、そして私を睨みつけるのは爬虫類と昆虫の混合体。私が持つ細剣をいとも容易く折ってのけたのは鍵爪だった、それが私の首を刈り取ろうと動いていた。

 ソレの感情が読み取れない目と視線が合った時、私は死を予感した。

 

「その子は殺したら駄目じゃよ、妾の子じゃ」

 

 その言葉で鍵爪が下される。安堵する間もなく、脇腹を蹴り飛ばされた。

 骨が折れるほどではない衝撃、しかし私の小さな体は宙に舞って、その身を壁際に叩きつける。全身が痛む、しかし動けないほどではなかった。戦わなくては、と思う。しかし体が動いてくれなかった。死が鮮明に視えた、あの一瞬、私は死んでいた。死は覚悟できる、しかし、魂に植え付けられた死は拭えなかった。あっ……と声が漏れる。太腿に温かい液体が流れ落ちる。腰から力が抜ける感覚に私は声も上げられず、涙だけが溢れた。

 情けなく尿を垂らしながら蹲るように戦線を放棄する。

 

 

 美羽様の悲鳴を聞いた時、体が動いていた。

 護身用の剣を引き抜いて、先に動いた袁姫の後ろを駆ける。その次の瞬間で袁姫の細剣が根元から折れて、その直後に袁姫の体が真横に蹴り飛ばされた。あまりの実力差に臆する。思わず、踏み留まった鼻先を化け物の鉤爪が掠めた。そのまま尻餅を着いて、腰が抜けるように爬虫類型の化け物を見上げる。鍵爪を振り上げていた、逃げ出したくても体がいうことを聞いてくれなかった。殺されるのだろうか、ここで死ぬのだろうか。人間ですらもない相手に命を奪われるのか。

 臆病な私は突きつけられた死から目を逸らすこともできなかった。直視する、死の瞬間を。

 鍵爪が振り落とされる時も私は目を見開いていた。

 

四ツ葉(楊宏)は私のだッ!!」

 

 だから見た、英雄の姿を。

 私の前に割って入り、両刃の剣を以て振り落とされた鍵爪を払いのける。

 その背中を、私は見たことがなかった。

 何故なら私は彼女を真正面からでしか見たことがなかったからだ。

 安堵に股下から温かい液体が漏れる。

 

「お前……?」

 

 震える声で呼び掛ける。紀霊、いや六花は振り返らず逞しい背中を見せたまま答える。

 

「当然だろ? ひと目見た時から好きなんだ」

 

 彼女は私に向けて微笑むと化け物に斬りかかった。

 

 

 発狂する美羽様を真正面から抱き締めて、暴れる体を必死で抑え込んだ。

 ここで無闇に動かれては命の保証はできない。ならせめて戦闘に巻き込まれないように美羽様が正気に戻るまで押さえつける。それまで、この身を盾にしてでも守り抜く決意を固める。横目に後ろを振り返れば、化け物と切り結ぶ紀霊の姿が映り、そして足元を泥で汚した袁逢の姿があった。まるで陸に上がった魚のようにビチビチと汚泥が跳ねており、その中から掌大の塊が三つ飛び出した。襲い来るソレらに私はギュッと目を瞑って、美羽様を強く抱き締めた。

 ――覚悟した痛みがいつまで経っても来ない。どうしたのか? 恐る恐ると目を開ければ、剣を抜いた張勲が庇うように私達の前に立っている。

 

「私、戦うのは苦手なんですよ?」

 

 大きく剣を横に振るって剣身に付いた泥を払った。

 

「正直に言いますと分が悪いと言いますか、なんと言いますか? 今すぐにでも裏切りたい気分ではあるのですが?」

 

 そして、ゆっくりと構えを取り、袁逢と対峙する。

 

「流石に人以外には仕える気はないですねえ」

 

 頰に冷や汗を流しながら口の端をペロリと舐めた。

 強がっているのが分かる。ヴヴヴと音を立てる小型の蟲が袁逢を守るように展開される。ソレは蟲の羽根に海老のような体を持ち、幾つもの触覚を生やした奇妙な頭を持っていた。可愛いじゃろう? とソレを指先で愛でる袁逢は悍ましくて仕方なかった。我が子には知性が足りていない、と袁逢は告げる。だから其方の脳に興味津々なようじゃ、と袁逢の形をした何かが口にする。

 彼女の身振り手振りの全てが恐ろしく、そして悍ましかった。

 

 

 チッ、と舌打ちする。

 背後には発狂した袁術、それを抑え込む橋蕤の二人。それからまともに戦力になるのは紀霊だけだった。

 私は剣術を修めているが一般的な兵士よりかは強いといった程度、精鋭と呼ばれる軍の一兵卒といった程度の実力しかなかった。後ろの二人を守りながら戦えるだけの腕はない。どうする、と思考する。思案する。ここは生き延びる一手、いや、勝たなければ私には先がない。人生崖っぷち、覚悟を決めるしかない。泥の中から次々と生み出される海老型の昆虫を斬り落としながら勝つ為の一手を探る。そして、やはり私では勝てない、と結論が出て、否定するように勝機を探った。防戦一方のじり貧で、このままではいずれ食い潰されることを悟る。ならば一か八かの勝負に出るか? いや、そんな破れ被れが通用する相手かと自らを叱責する。

 息を腫らしながら八匹、九匹と切り落とした後、疲弊から荒い息を吐き出した。そして目の前の光景に絶望する。

 私が九匹を倒している時間で、袁逢は数十匹もの化け物を生み出していた。

 

「我が子には手を出してはならん」

 

 そういって解き放たれた蟲共に、あっ、と私は死を悟る。

 これはもう駄目だ、と諦めの笑みを浮かべた――次の瞬間、私のすぐ横を蜥蜴の巨体が吹き飛んできた。

 バチュッと幾つかの蟲を巻き込みながら壁に叩きつけられる。

 

「ああ、うん、やはり、化け物退治には蹴りの一撃だな。物理こそが正義だ――いや、それは間違っている」

 

 紀霊が無傷の体で剣を肩に抱えながら、ゆっくりと告げる。

 

「愛だ、愛が私を強くする。そうだ、化け物。私の勝因を教えてやる」

 

 蜥蜴は、蹴破られた腹から黒い泥を吐き出しながらビクンと身を跳ねさせた後、黒い霧状になって蒸発を始める。それでも紀霊は構わずに言葉を続けた。

 

「私は四ツ葉を愛していた。それ以外に理由はなに一つない、それだけが私の勝った理由だ」

 

 袁逢が咄嗟に海老型の蟲を紀霊に解き放ったが、横薙ぎのひと振り、それだけで蟲共が砕け散る。

 

「そしてこれからも勝利する。所謂、約束された勝利というものだ」

 

 驚愕する袁逢のすぐ側まで歩み寄った紀霊は、剣を振り上げると、その柄頭で袁逢の首の裏を叩き落とした。

 

「まあ、殺しはしませんよ。良い思いをさせてくれましたしね」

 

 前のめりで倒れる袁逢を紀霊が片手で抱きかかえる。

 今度こそ気絶したのか足元に展開されていた汚泥が霧状になって蒸発した。

 なんとも呆気ない幕切れに、私は暫し呆然とし、そして腰が抜けたように地面にへたり込んだ。

 

「えっ? 納得でき兼ねる? なら勝因は筋肉で、筋肉が全てを解決する」

 

 もう絶対に、剣を使わない。前線に出ない、とそう誓って。

 

 

 




ようやっと次回から恋姫ができますねえ

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