袁公路の死ぬ気で生存戦略   作:にゃあたいぷ。

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第二話.

 姓は袁、名は術。字は公路。

 名門袁家の嫡子にして、正当な後継者とされている。

 大切に育てられているせいだろうか。姉の袁紹がよく市内を歩き回るのに比べて、袁術は部屋の外に姿を現すことは少なく、その姿を周りに知られることはほとんどない。そのため絶世の美女と謳われることもあれば、容姿の醜さゆえに未だ許嫁の一人もできない。もしくは病弱であるが故に部屋から出られない幸薄の少女という信憑性のない噂が飛び交っている。

 そして現実は見ての通り、私の膝に乗って鼻歌交じりに絵本を読み漁るような歳相応に自分勝手で可愛らしい幼子であった。

 口遊む声の調子に合わせて、幼い体が左右に揺らされる。それに合わせて、少女の金色の髪もふんわりと揺れる。手に触れると肌触りが良く、品質の良い石鹸の香りが鼻先を擽る。背凭れの代わりにしているのか、暫くすると彼女は私の体に背中を押しつける。重心を傾けられる。いくら彼女が軽いといっても長時間そのままでいるのは少し辛かったりする。

 多くを語らない寡黙な少女を懐に収めながら私は和足で書類を広げて、新しく入った書籍を目録に書き込んでいった。

 

 どういうことか、あれから私は袁術に懐かれている。

 事ある度に書庫まで遊びに来ては私を椅子代わりにしながら書籍を読み漁るのだ。時間がある時には読み聞かせをしてあげることもあるが、仕事をしている時は基本的に大人しかったりする。どうにも彼女は本質的に図々しくはあるのだが、それとは裏腹に内向的な性格でもあるようだった。話をしようにも、うむ、とか、そうじゃの、とか適当な相槌しかしてくれないので正直なところ持て余している。ともあれ彼女にどういった事情があろうとも、今の平々凡々なる日常を過ごせるのならば構わないか、と目前の問題から目を逸らし続けているのが現状であった。

 ともあれ彼女も一応、賓客ではあるか、と思った私は来客用の茶請けを棚から取り出して与えている。手渡しする時、目を輝かせながら大切に受け取る姿が可愛らしかった。ご飯が食べられなくなるから一個だけ、そう言い聞かせるも少女は話も聞かずにゴクリと喉を鳴らしてから菓子に食らいついた。

 むしゃむしゃと貪る幼子を懐に抱えながら、目の前で揺れる金髪に惹かれるように頭に手を添える。

 思わず、と言った行為ではあったが当の本人は御菓子を食べるのに夢中になっており、気にする様子はない。その鈍感さに付け入るように優しく頭を撫で続ける。質の良い髪を手に絡めるのは思っていたよりも楽しい。今度、編み込みについて勉強してみようかと思いながら彼女の髪を手で梳かす。こうも間近にあると少しの乱れも気になるもので、手櫛でどうにか直そうと試みたが上手くいかなかった。

 次に会う時までに櫛でも買っておこうか。そんなことを考えていると袁術は菓子を食べ終えてしまったようであり、名残惜しむように自らの手をぺろぺろと舐める。

 

「其方、もう一個渡すのじゃ!」

 

 お口にあったようでなにより、しかし約束は一個だけだ。

 そう宥めると袁術は不貞腐れるように頰を膨らませ、私に書籍を手渡してきた。読めということだろうか、少女が急かすように両手で机をパンパンと控えめに叩いている様子からまず間違いない。仕方ない、と私は書類を片付けると彼女に読み聞かせを始める。彼女が好むのは旅行記や冒険譚といったものであり、目を閉じながら私の声に耳を傾ける彼女は何処か懐かしむに耳を傾ける。

 子どもとは心変わりが早いもので、先程まで不貞腐れていたのが嘘のように穏やかだ。

 

 翌日、喧騒の仲に私は居た。

 豫州汝南郡で最も賑やかとされる市場、立ち並ぶ屋台と露天商の迷宮を彷徨っている。

 目的は来客用の茶請けと櫛だ。末端とはいえ仮にも官職に就く身の上、酒は程々に、女を買うことはしないので資金には余裕がある。意匠を凝らした櫛を買うことはできないが、せめて髪を傷つけないような材質の良い物を探し求めて歩き回り、それで結局、給料一ヶ月分の品質のものを買うことになった。

 櫛はなくしたりしないように大切に懐に収める。

 そして周囲を見渡せば、随分、歩き回っていたようで人気の少ないに来ていた。あと茶請けを買う必要がある、と元の通りに戻る為に歩み出そうとした時、ふと甘い香りが鼻先を擽ったい。甘ったるい臭いに誘われるまま、視線を動かすと小瓶を売る露天商を見つける。

 なんとなしに気になって、露天商の店主に、これが何なのかと問いかける。

 

「蜂蜜だよ」

 

 女店主は素っ気なく答えてみせた。

 料理に興味を持つ一人として一度は味わってみたいと思っている代物だが、その高価さから手を出すことができずにいる。

 それが最高品質の蜂蜜ともなれば――この小瓶だけで私の給料の半年分が消し飛ぶほどの値段設定がされている。じっと見つめていると「それが何なのかわかっているのかい?」と女店主に問われたので首を傾げると「常識人はこっちにしな」と人懐こい笑みで安価の蜂蜜を差し出された、それでも月給の半分もする。どうしようか思い悩み――ふと菓子を食べる袁術の笑顔を思い出した。まあ私も舐めてみたかったし、と軽い気持ちで蜂蜜を仕入れる。普段の私なら絶対に手を出さないが、櫛という多額の買い物をしたことで気が強くなっていたこともあったのだと思う。

 知っているかい、兄ちゃん。と支払った貨幣の金額を上機嫌に数える女店主が世間話をするような気安さで語りかける。

 

「世の中には不思議な蜂蜜があるんだってね。男性が食べるとただの精力剤に過ぎないが、女性が食べると陰茎が生えるっていう代物だ。市場には滅多に出回らない代物だが、裏商人が名家を相手に多額で売り捌いているとのことだ。もしかしたら、あの子も、その子も……あんたの想い人も……」

 

 にっしっしっ、と下品な笑い声を上げる。

 元より名家の生まれにある私は、不思議な蜂蜜の話も知っている。というよりも一定以上の資産を持つ家に生まれた者にとっては常識的な話だ。そして不思議な蜂蜜の存在は富裕層における女尊男卑を助長させる原因にもなっている。言ってしまえば、不思議な蜂蜜で陰茎を生やせる以上、当主は必ずしも男である必要はなくなったのだ。ここから転じて子を孕む能力を持たない男性は女性に比べて劣っている、という思想が高祖劉邦の時代、権力者の間で流行ったこともあって富裕層の間では今でも男性軽視の風潮が根付いている。これは極端な話になるが――昔は男と目を合わせただけで、全身精液人間、と罵倒する女も居たとか居ないとか。

 最も後漢が成立して以来、性差別は徐々に改善されつつあるので私個人が陰湿な虐めを受けたことなどはない。

 ちなみに庶民の間では普通の蜂蜜すらも手に入れることが難しいので、女尊男卑の思想は浸透しなかった。文醜が私のことを蔑視しないのも、馬賊出身という経歴を持っている為を思われる。そういえば、彼女はよく話に出てくる顔良とよろしくやっているのだろうか。想像しかけて、頭を振って無理やりにかき消した。

 女性が口にすることじゃないよ、と曖昧に笑いながら自分自身を誤魔化した。

 

「私もどっちかっていうと価値観は庶民に近いから話せることだが――こういう行為をする時、男性は性欲に忠実になるだけで良いだけの話になるんだけどね。肉棒を差し込まれる側はいくら相手が愛する者とはいえ、行為中に組み敷かれて常に陵辱されるという背徳感を悦楽に変えなきゃならないんだ。それは相手を攻め立てている時でも同じ話、相手を受け入れる以上、興奮できなきゃ地獄に等しい苦痛を味わうことになる――こと性行為に関しては男性よりも女性の方が余程えげつなくて闇深いんだぜ。特に愛を知る者は性癖の開発に余念がない」

 

 そういえばお兄さん可愛いね、と微笑まれる。頰を指先で撫でるように手を添えられる。

 屈辱の快楽を味わってみたければ良い仕事を紹介するよ、と女店主に舌舐めずりをされた私は一歩、距離を取った。

 

「残念だ、私が最初を貰ってやったのに」

 

 小瓶を片手に摘まみ上げる女店主に、私は表通りに向かって逃げ出した。

 不思議な蜂蜜。男が舐めると中毒性の高い媚薬効果があり、よく女性が男性を貶めるのに使われるという話も聞いたことがある。そして今でも快楽漬けにされた破産者が男女問わずに奴隷堕ちするという話は絶えない。あの給料半年分の蜂蜜はおそらく、そういうことだったのだろう。戦々恐々、あの店には二度と近付かないでおこうと思った。

 懐に入れた小瓶を握り締めて、この蜂蜜は大丈夫なのだろうか? と思ったが改めて話を聴く気にはなれなかった。

 

 ところかわって翌日、

 今、私の膝上には袁術が蜂蜜を口に含んで目を輝かせているところであった。

 そんな上機嫌な彼女の髪を両手を添えて、最高級の芸術品を手入れするように優しく丁重に櫛で梳かしている。

 手で触れるだけでも穢してしまいそうな程に美しい金髪、光の当たり方で様々な輝き方を魅せる彼女の髪は見ているだけでも飽きず、触れているだけでも感動に吐息が溢れた。思わず顔を埋めてしまいたくなる程の髪質であり、ついつい顔を近づけてしまうと袁術が擽ったそうに身を震わせた。耳に息が吹きかかっておるぞ、と彼女は不機嫌に頰を膨らませるが髪そのものに触れることを禁じられることはなかった。

 綺麗ですね、と伝えると、そんなことはない、と素っ気なく返される。

 

「お主の方がよっぽど綺麗ではないか」

 

 そう言うと彼女は懐に収まったまま、天井を見上げるように私の顔を見つめる。

 面倒で切らずに伸び放題になった黒髪。このまま、もう少し経てば売り物になると思って今は整えるだけで意図的に伸ばしている。後ろに纏めている黒髪を、半身に座り直した袁術が私の頭の後ろに幼い手を伸ばして、シュルリと髪留めの紐を解いた。縛っていた髪がばらりと広がる一瞬の開放感、髪がうなじに覆い被さって、耳元が隠される。なんとなしに慣れない感覚、まるで女子のようじゃの、と袁術は楽しそうな笑顔を見せる。

 そろそろ切ろうと思っています、と言えば、勿体ないの、と袁術が少し残念そうな顔を見せたので切るのはもう少し後にしようと思った。

 

 

 


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