特別訓練を最後まで戦い抜いた百名の南陽兵。
おそらく
半ば目は死んでいるような気もするが、その異様さもまた彼らの凄味を足す要因となっている。この百名を率いることになる李豊と雷薄が少し引くほどの彼らの立ち姿に「使い物になりそうだ」と孫堅もにっこり満足げに頷いた。南陽郡に巣食う賊徒を滅ぼす為に意気揚々と出発する孫堅軍を見送り、残された私達は南陽郡の地盤を固める為に各地へと奔走する。
――予定となっていたのだが、こちらはこちらでまた別の問題が生じていた。
「都市運営、強いては領地の開拓となれば、私には少し荷が重すぎると思うのですよー」
「えっ、冗談は頭の人形だけにしてください? 貴方以上の適任者が何処に居るというんです?」
「張勲、貴方が居るではありませんかー。私のようなポッと出が指揮を執っては見縊られてしまいますよー」
「それこそ荷が重すぎますよ、私だって身の程くらいは知ってます」
「私は頭脳労働は得意ですが人を使うのは苦手なんです」
とまあ、このように南陽郡では政策の指揮を執る人間がいない状態が続いている。
本来であれば、程立か張勲の内一人が全体指揮を執るべきなのだろうが、二人とも出世欲を持たず、贅沢をするよりも楽をしたい性格の持ち主であった。その為、二人は軍師という立場から逃れようと軍議や評定が行われる度に牽制をし合っている。今は
南陽郡の発展の為には政務を専門的に学んだことのある人物が必要になるのだが――
「そもそも私は片手間に学んだ知識ですよ?」
「私だって片手間ですよ。所謂、下手の横好きというものです」
「あはは、何を言ってるんでしょうか。このチビは」
――該当する二人が上の通りである。
これには美羽様も匙を投げてしまっており、今のところは
結美や橋蕤、私は悩む時間すらも惜しかった。
猫の手も借りたい、とは正にこのことだ。
†
少し情報を整理する為に執務室にて、私、橋蕤は集められた情報を精査する。
大陸全土の情勢を掌握する為に各所に放った草からの報告は密に行なわせているが、外よりも内に注力しなくてはならない現状、集められる情報は表面上のものばかりだ。それでもないよりはましだと掻き集めた情報を整理する。
先ず洛陽では、何進が大将軍になったという話で持ちきりになっている。名家や宦官といった連中の手による政治の腐敗に辟易としていた民草は、元は屠殺業を営んでいたという卑しい身分の何進に親近感を抱いており、民草の視点に立った政治を行ってくれるのではないか。と期待を寄せていた。そして、分かりやすく武威を示す為に涼州と并州の英傑である董卓を洛陽に招き入れたことから人気に拍車を掛けている。
次いで、冀州では近頃、袁紹が武名を轟かせていた。良く統治し、良く退治する。冀州、それも袁紹が本拠に据える勃海郡には賊も寄り付かないと専らの噂だ。そのおかげで汝南袁家の正当な後継者は美羽様に定められたというのに、実績のない美羽様よりも袁紹の方が汝南袁家の後継者と疑わない連中が後を絶たない。荀家の人間も袁紹に与しているのだったか、ふざけた話だ。
幽州では啄郡の太守を努める公孫賛が異民族相手に奮戦しており、豫州の陳留郡では太守の曹操がやり手という噂を聞いている。そして涼州では韓遂が謀叛を起こしたという話であり、董卓と並び称される英傑の馬騰が負傷。涼州は韓遂と同調した異民族により、占領されつつあるとのことだ。益州のことはよく分かっていない。お隣の劉表は不穏な動きを見せているようだし、荊州の南部では、四英傑を名乗る劉度、趙範、金旋、韓玄の四人組は分割統治し、朝廷の支配から外れた治外法権を主張している。
右も左も好き勝手する連中ばかりで嫌になる。まともなのは曹操と公孫賛くらいなものだ。
茶を啜る、そして深く息を吐いてから再び資料に目を落とす。
局部的には大陸全土の治安は改善の兆しを見せている。
しかし度重なる天災に食料そのものが足りていない現状、この慢性的な問題を解決するまでは賊が発生することは防げない。そして集まった賊徒は弱いものから集中的に狙うようになる。この辺りでいうならば、南陽郡。つまり私達だ。
とはいえ孫堅軍を招き入れたことにより、賊徒による被害は落ち着くはずだ。
今、私達が考えなくてはならないことは二つある。
南陽郡の発展および軍備の増強。そして、朝廷との連絡手段の確立だ。
前者は、まあ良い。軍備に関しては今、手を付けている最中だ。
問題なのは後者、そもそも私達は朝廷との伝手を持つ者がいないという事だ。
美羽様は孫堅に袁家の威光と見栄を切ったが、今や何処まで効果があるのか。
ほんっと袁紹、許すまじ。暗殺したい。
私は大きく息を吐き捨てながら首を横に振る。
冷静になれ、暗殺などと物騒で現実味のないことを考えている場合ではない。それに汝南袁家には誰よりも朝廷に通じている人物が存在しているではないか。その者の力を借りることは酷く億劫ではあるが、しかし他に頼める人物もいなかった。
そして彼女の力を借りる為には、誰を遣わせるべきか。考えなくてはならない。
私では駄目だ。私は汝南袁家の屋敷に仕える者で唯一、袁家の秘術と呼ばれるものに参加して来なかった人間である。袁逢にではなく、美羽様個人に仕える従者。故に侍女長、美羽様に関わる世話を全て任されていたから侍女長だ。だから袁逢に私の頼みを聞く道理がない。張勲も同じだ、裏切り者が今更なにを、という話になる。紀霊も後腐れがない関係を保っていたこともあり、わざわざ願いを聞く義理がなかった。
となれば思いつく適任者はひとりだけ――その者に今から頼みに行くことに億劫になる。
楊宏。袁逢に仕えていた身の上でありながら、袁逢自身の手によって裏切る要因を作った相手だ。
私達の中で彼にだけ、袁逢は貸しを作っている。
†
「楊宏、それでわざわざ妾の下まで来たと?」
いつか彼女が構えていた屋敷よりも半分以上も狭くなった別荘。
しかし名家が暮らすにしても大き過ぎる屋敷で、幼子の見た目をした女性、袁逢は侍女に耳掻きをして貰いながら問い返す。
行けと言われたから来た。それが美羽様の為になるのであれば、と。
「橋蕤はちと妾のことを恐れすぎておらんかえ? 娘の為になるのであれば、見返りなぞ求めんに決まっておろう」
若干、呆れたように告げるとパンパンと二度、手を叩いた。
「閻象、戻ってるかの?」
「はい、ここに」
ガチャリと部屋の扉が開かれる。
眼鏡を掛けた長身の女性、髪は全て後ろに束ねており、執事服を着こなしている。
背筋をピンと伸ばした姿勢は綺麗というよりも格好良かった。
「此奴の名は閻象、妾に仕える侍女長だが美羽にくれてやる。今の朝廷のことならば妾よりも此奴の方が詳しいからの」
「これからよろしくお願いします、楊逢様」
キビキビとした仕草で手を差し伸べてくる閻象に、おどおどしながら私は手を握り返した。
「それで楊宏?」
袁逢は妖艶な笑みを浮かべながらねっとりとした声色で問いかける。
「少し気持ちいいことをしていかんかえ? 其方は人気者でな。皆、寂しがっておる。そうじゃ、今宵は妾が直々に房中術の限りを尽くして、気持ち良くしてやらんこともないぞ?」
閻象が手を強く握りしめる。彼女の顔を見上げると、にっこりと笑顔を浮かべていた。
「そういえば筆下ろしは済ませた、と紀霊から聞いておるの。となれば、今夜限り、精を搾り取っても問題はなかろう……良い良い、遠慮をすることはない。今回、協力する対価を思ってくれれば良いのじゃ」
揚宏は逃げ出した、しかし周り込まれてしまった。
「知らないのか、
気付いた時には、朝焼けの空に鳥が囀っていた。
この作品で一番やらかしてるのは七乃が美羽様に惚れ込むイベントが入れなかった点ですね。美羽様ラブラブな七乃を書きたい気持ちが半分で書き始めたのに…残り半分は美羽様可愛いの心意気です。
正直まだ両方とも全然書けてないので消化不良中。