袁公路の死ぬ気で生存戦略   作:にゃあたいぷ。

24 / 28
間幕.包の三日天下・壱

 どうやら魯粛子敬は天才のようです。

 幼い時から控えめに云って、人並み外れた記憶力を持っていた私は齢十歳にして屋敷中の書籍を読み尽くし、軍人将棋に至っては十二歳で相手になる者がいなくなってしまった。大の大人が私に教えを請う有様であり、そんなことも分からないんですか? と得意顔で定石とやらをご教授してやる。

 年配の方から先生と呼ばれるのは気分が良いものであり、苦しゅうない、と扇子を開いてパタパタと自らを扇いだ。

 

 人生に虚しさを感じるようになったのは十五歳を過ぎた頃合いだ。

 これは類稀なる才覚を持つ者の宿命と呼ぶべきものかもしれないが、私には私を理解できる友達と呼べる存在がおらず、そして私の相手に足り得る好敵手と呼ぶべき存在がいなかった。周囲には私と同じ次元でモノを語れる者がおらず、幼少期から退屈な思いをさせられる羽目となった。

 部屋に押しかけてくる大人達の相手を続ける日々、うちの息子をどうだ、と言われても苦笑を浮かべながら丁重にお断りをする。私から軍人将棋で一度でも勝つことができることが最低条件と言えば、村の大人達の全員が私から目を逸らして、翌日から縁談の話が忽然となくなってしまった。書籍を抱いて寝る女、と村の男達に罵られたこともあったが、誰彼構わず男を抱いて寝る女よりも健全なのではと思わざるを得ない。せめて私の話す内容の一欠片でも理解できる頭を持ってから出直して来いと切に思う。なにより私は腕自慢の逞しい男よりも知的で頼り甲斐のある男の方が好みだった。

 私の目に敵う異性も見つけられず、満たされぬ日々を送る。部屋の窓から夜空に浮かぶ満月を見つめながら溜息を零した。

 これが天才として産まれてしまった代償なのかもしれない、きっと世に伝わる歴史上の偉人達も私と同じように誰からも理解されない孤独を味わったのだろうと部屋で独り納得するように頷いた。それから先も良縁には恵まれることなく、自慰に耽るように歴史書を読み漁って、過去の偉人達の偉業に触れることで孤独感を紛らわせる――他の誰もが気付かなくても、(魯粛)だけは貴方の事を分かっていますよ。

 数多の偉人を胸に抱きながら、祈りを捧げるように眠る日々を送る。

 

 更に数年が過ぎて、

 度重なる天災による飢饉の影響で、賊徒が大陸全土に出没するようになった。

 人生というものに退屈をしていた私は、戦乱の世の前触れに恐怖するよりも先に心が踊った。何時も読み込んでいた歴史書に書かれるような時代が訪れたのだ。数多の英雄が鎬を削って争う時代の幕が開ける、こういった時代には必ずと言っても良いほどに天才と呼ばれる人間が輩出される。それは王佐の才と呼ばれた張良であったり、太公が望んだ者と称される呂公、軍事の才においては他に追従を許さない白起も忘れてはならない。そんな時代だからこそ、もしかすると私に匹敵する才覚を持つ者と出会えるかもしれない、という期待を胸に抱かずにはいられなかった。そういった者達と鎬を削り合ってみたい、それこそが孤高の天才である私の願いである。

 そんな私が村を出ることを決意したのは必然だったのだろう。

 あの時、胸に抱いた高揚感を今も忘れていない。

 空虚な退屈さで埋め尽くされた灰色の記憶、何処までも突き抜ける青空に吹き飛ばされた。風は吹いている。何処までも、私の旅路を祝福するように、これから私が進む道を吹き抜ける。それは私が何処までも歩けることを示しているかのようにも感じて、ならば歩こうと思った。何処までも、行けるとこまで歩いてみようと思った。

 旅立ちの時、村の若者達からは後ろ指を差される。上には上が居る、井の中の蛙、書籍狂いの気違い、男ではなく書籍と結婚した女。そんな罵声の数々を耳にして、言いたい奴には言わせておけば良い、と私は鼻で笑い飛ばす。

 ああでも、と最後に村の方を振り返って告げる。

 

「だって包は天才ですから」

 

 貴方達とは違うんですよ、と僻む彼らに同情心からの言葉を送る。

 私が天才である以上、世界が私という存在を欲しているのだ。そんな世界に愛された私が皆から嫉妬を浴びるのは、天才が天才である所以、謂わば宿命と呼ばれるものに違いない。まだ見ぬ誰か、私と同等以上の才覚を持つ相手を求めて私は旅に出る。後ろから怒声が響き渡ったが、もう雑音なんて耳に入らない。鼻歌交じりで小躍りするように歩を進める。そういえば彼らの内で誰一人も名前を覚えることはなかった、と今更ながらに気付いた。

 そのことも三日が過ぎた頃には綺麗さっぱりと忘れてしまった。

 

 

 数ヶ月後、

 私は独りだけの執務室で頭を抱えている。

 机に並べられるは書類の束、床に積み重なる木簡と竹簡の山、部屋の隅に固められるのは不祥事の箱、

 頭に詰め込まれるのは数字に数字、また数字、食事を摂る時も頭の中で常に数字が蠢いている有様で、夜中になれば数字に溺れる夢を見る。その数字も全てが黒色であれば良いのだが、血に染まったような赤色ばかりで手が付けられない。

 仕事を続けるのも億劫になった私は、深い溜息と共に背凭れに体重を乗せた。良い椅子を使っているようで優しく私の体を受け止めてくれる、目を閉じるとそのまま眠ってしまいそうだった。これを作ったのは誰なのか、何処かに銘が彫られてあれば良いのだが――そんなことを考える。天井を見上げる、ぼんやりと染みの数を数える。頭が休息を欲している、心が気落ちしてしまっている。それもそのはずで、机の上にある書類のほとんどが問題だらけで手に取るのも億劫な程だった。

 不自然に足りていない税収、水増しされる請求書、定型文のような報告書、どうせ誰も真面目に確認をしていないと高を括ったような舐め腐った書類ばかりが執務室に届けられるのだ。もういっそ書類を読まずに全部、送り返してやっても問題ない気がしないでもないが、こんな惨状であっても百に一つ程度は真面目な報告書を見つけてしまうのがまた面倒だった。そうであっても確認をしない訳にはいかないので――とりあえず報告書未満の紙屑の裏に名前を書き連ねて、次の書類に目を通す。斜め読みすること十秒未満、どうせ横領や着服をするならもっと上手くやりやがれ、と及第点以下の代物に赤筆で大きくバッテンを付けた。これはもう私のことを舐めていると云うよりも、この書類がまかり通っていた前執務長と各部署、各県令の癒着が酷かったのだろうと考え直す。

 私が赴任するまでの間、よくもまあ勢力としての体裁を保ててきたものである。

 

 此処は荊州南陽郡にある袁術軍の居城、

 こんなどうしようもない勢力になんで仕官をしてしまったのか――包は今、激しく後悔をしています。

 

 私が袁術軍を選んだのは、私にとって手頃な勢力であったためだ。

 袁術軍には目立った軍師がおらず、口煩そうな老臣がいない。功績を持つ武将も少なかった。そうであるにも関わらず、大陸全土で見れば有数の力を持った勢力であったので、身一つで成り上がるにはお手頃な勢力だと思ったのだ。しかし袁術軍に軍師希望で仕官した私が配属したのは執務室であり、待ち受けていたのは書類、書類、また書類、そして書類に次ぐ書類の束、書類の山、その書類のほぼ全てが問題を抱えている有様だった。

 当時、私の上官であった執務長の下には毎日のように不自然に重たい菓子折りが届けられる。箱に添え付けられた手紙と書類、手紙だけを確認して、書類は読まずに承認の判子が押される。こういった業界には多少の不祥事があることを知っているが――流石にそれは拙いのでは、と私が問いかければ、お得意様だからね、と彼はにこやかな笑みを浮かべて答えてみせた。そして口五月蝿い部下を黙らせるように書類の束を手渡される。その場で書類を流し読みしてみるだけで分かる拙い不祥事の数々、そのことを私が指摘しようとすると彼は、判子を押すだけの簡単な仕事だよ、と私の言葉を遮って告げる。不満はあったが、もう彼には私の相手をする意思はないようで菓子折りの中身を確認する。チラリと見える黄金色の菓子を目の端に捉えて、私は不満を飲み込んで自分の席へと戻った。

 こんな有様では軍師云々の話ではない。

 私は自分が使う判子などを懐に納めて、資料を求めて独り書庫へと赴いた。

 

 翌日、纏めた資料を届けに執務室に足を運んだ。

 遅いぞ、何処に行っていた。という彼の言葉を無視して、不祥事の在り処と合わせた資料をドサリと机の上に置いてやる。無言で見返してくる執務長、それを渾身のドヤ顏で迎え討つ。そのまま黙して睨みつけあった後、彼は大きく溜息を零すと資料を見ずに横にどかしてのける。

 そして、ポンと自らが持っていた承認の判子を押した。

 

「魯粛君、仕事の邪魔だよ。どかしたまえ」

 

 なるほど、そう来ますか。

 冷めた心で笑みを浮かべる私は資料を引き取ろうと手を伸ばすも、これは貰っておくよ、と不祥事を纏めた紙だけを抜き取られてしまった。余計なことをしてくれる、と彼は私の目の前で紙を細かく千切って墨に浸す。私は黙したまま目を伏せた、そして小さく深呼吸をしてから改めて笑みを作って頭を下げる。

 後で絶対に後悔させてやる、と心に誓って。

 

 彼を失脚させることは赤子の手を捻るよりも簡単だ。

 何故なら私は幼い時から控えめに云って、人並み外れた記憶力を持っている。

 不祥事を纏めた控えは、私の頭の中に残っている。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。