誰かを本気で好きになる、それはとても大変なことだ。
気付いた時にはもう幼馴染の
とある日、私は恋をした。たぶん、それは一目惚れだった。
祝宴が開かれた時、部屋の隅の方でちびちびと酒を飲んでいる優男が居たから絡みにいったのが始まりだ。そいつは華奢で撫で肩で髪が長くて、下手な女性よりも整った顔をしている。話しかけると程々に返事を返してくれるが会話は長続きせず、下世話な話をすると顔を赤くして目を逸らす。そして酒を舌先で舐めるようにちびちびと飲むのだ。それが可愛らしくて、絡み続けていたら――気付けば、見知らぬ部屋に運び込まれていた。生活感のある部屋に、サアッと血の気が引いたことを覚えている。思わず、近場の屑箱の中身を覗き込んだけど、まあ中にはそれらしい痕跡はなかった。そもそもあたしが着ている衣服は、祝宴に向かったのと同じものだ。乱れもない。親切な誰かが連れ込んでくれたのだろう――あたしは記憶に残ってないけども、悪意を持つ相手の時は撃退していると話に聴いている。
しかし、と布団に潜りながら周囲を見渡す。なんとなしにここが男の部屋だということはわかる、臭いからして違っている。
ガチャリと部屋の扉が開けられる。
「ああ、起きたんだね」
彼女――いや彼は目覚めた私の姿を確認すると、そのまま扉を閉じ直した。
数分後、水の入った杯と粉薬らしきものを持ってくる。
「二日酔い用のよく効く薬なんですけど、いりますか?」
「くす……!? いや、頭も痛くないし、そんな高価なものなんて使わなくとも……!」
「まあ、それっぽいものを用意しただけだったりします。思い込みだけでも結構、効果があるのは実証済みなので」
蕎麦粉です、と彼は悪戯っぽく歯をみせた。
その顔が可愛らしくって、朝御飯の準備ができています。と彼が扉を閉めた後、パンと自ら頰を叩いた。
うん、顔が熱くなっているのがよくわかる。
朝御飯は白御飯に味噌汁、それに焼き魚が用意されていた。
添えるように置かれた漬物を箸で摘み、ポリッという小気味よい歯応えにしょっぱい味付け、それがまた炊き立ての熱々ご飯によく合った。ほっかほかのご飯を、はふはふっと口の中で冷やしながら少しずつ歯で噛み潰す。それは劇的な味ではなかった。まだ馬賊だった頃、もしくは、それ以前だった時は蒸した芋に塩を振りかけるだけでご馳走だった。袁紹に仕えるようになってからは生活水準が劇的に上がり、食べるもの全て、感性が弾けるほどに刺激的で美味しかった。今、食べている味は袁紹のところで出される料理と比べると素朴だ。しかし、ほっと安心するような味付けであり、それでいて美味しい。いつも食べている料理よりも質素なはずなのに、どういう訳か私の舌にはよく馴染み、体の内側が癒されるような優しい味がする。これなら毎日でも食べれそうだ。実際、豪華な料理というのは、毎日食べていると胃が靠れて、体全身が鈍くなっていくような感覚がする。重い、ではなくて、関節辺りが少し鈍くなる
ような――違和感に近いものだ。たぶん、あたしには脂身の強い豪華な食事が合っていない。だから質素で簡素な味付けであっても美味しさを損なわない彼の料理が胃に合うのだろう。
少し物足りない量の食事を、ものの数分でぺろりと平らげた。
「昨晩は酒をたらふく呑んでいらしたので、あっさりとしたものを用意しましたが――少し物足りなかったですかね?」
そう申し訳なさそうにはにかむ笑顔に、あたしは暫し見惚れてしまった。
三日が過ぎた頃には彼の料理が恋しくなり、それを理由に彼の屋敷に訪れる。急な来訪に困り顔を見せたが、既に用意していた料理に加えて、簡単で量もある料理をささっと大皿に乗せて用意した。酒はない、彼自身、あんまり酒は飲まないようだ。来るのであれば先に連絡を入れるか、もう少し早めに来て欲しい。と咎められたあたしは翌日、酒を持参して夕餉には少し早い時間に訪れた。彼はあたしが持ってきた酒をひと舐めすると私を連れて買い出しに出かける。食材は十分に残っていたはずだ、と言えば、あれだけだと食材が足りないからね、と返される。その日の酒はとても美味しかった。料理がとても酒に合っており、酒を飲むと箸がよく進んだ。いつも酔い潰れるほどに飲むのに、今日はほろ酔い程度でお腹が満足し、気分良く酔うことができた。少し頭が浮ついている、夜風が涼しくて、とても心地良かった。彼の寝台の上で寝転がり、意識が深い闇の中へと沈み込んだ。
料理を作る時の些細な気遣いが真心と呼ぶべきものだと実感するのはひと月が過ぎた頃だ。
馬賊の頃は料理なんて食べられれば良いと思っていた。袁紹に仕えた頃は料理なんて美味しければ良いと思っていた。でも違っていた。武に意志を乗せるのと同じように、料理には真心が注がれている。きっとこの世にある行動の全てには想いが込められており、そうして世界は築かれているのだと知った。
嗚呼、素晴らしきかな世界。嗚呼、素晴らしきかな人生。この素晴らしき世界に祝福を、この素晴らしき人生に福音を。そして彼の人生には誰よりも素晴らしき幸福を祈る。あたしはきっと、あの時、初めて料理を振舞ってくれて、はにかんだ笑顔を見せてくれた時、一目惚れしてしまった。あたしのような粗暴で軽薄な女では、彼の隣は相応しくない。隣同士で歩いても似合わないと思った。
でも惚れてしまったから仕方ない。あたしは彼が好きなのだ。
あたしが彼を幸せにしたい、と願った。
斗詩に抱く感情とは、また違っている。この心を焦がすような想い。どうしようもなく自分勝手で自分本位な考え方こそが恋心だと知った。追い求める心は醜くて、ただ欲しい、と相手の都合も関係なしで身勝手に求めている。相手を求める心こそが恋心、でも、幸いなことに私は愛を知っている。見返りを求めずに相手の幸せを純粋に願い、行動する。そのことに利害はない、ただ幸せになって欲しい、と願う想いこそが理由であり、原動力だ。ひとつ間違えれば、自己犠牲。自分の心を押し殺す訳ではない、相手の幸せを願って行動する。それこそが愛なのだ。
私は彼を欲している、幸せにしたいと願っている。その上で愛して欲しいと思っている、恋して欲しいと思っている。矛盾しているかも知れない。共依存と思われるかも知れない。だが全てが本心、私は彼を幸せにしたくて、その上で彼の側に居たいと思っている。それが全てだ。それこそが恋愛だ。
ただ相手に尽くすだけでは愛情、見返りを求めないのは、それはそれで身勝手だとも思う。
苦しい時は私を呼べ、辛い時も私を呼べ。悲しい時もだ。
会いたくなったら呼んでくれ。楽しい時も、嬉しい時もだ。私は何時でも待っている、何処にだって飛んで行く。
あたしはお前がはにかむ顔を、特等席で見せてくれたらそれで良い。
そう想える相手に出会えたことは、きっと奇跡的に幸せなことなんだと思った。
あたしのものになってよ、と告げた言葉が受け入れられた時、きっとあたしは世界で最も幸せなんだと錯覚した。
世界は幸福で包まれた。幸せが全てを眩く彩っていた。歩く歩調は幸せ一色、喜色の心を隠せない。福音の鼻歌を口遊む、世界はきっとあたし達が中心に回っている。世界はあたし達の幸せの色で染め上げられる。浮ついた心のまま、勢い任せに指輪を購入する。誓いの指輪、その健やかなる時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時も、貧しい時も、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命がある限り、真心を尽くす。そんなことは天に誓うまでもない。もし仮に誓う相手がいるとすれば、ただ一人、あたしが恋して愛して止まない彼だけだ。
嗚呼、今からもどかしい、楽しみだ。にへらと緩む頰を引き締められず、次会う時を想って糧に気合いを入れ直す。
そして約束の日、
指輪の入った小箱を片手にお花畑が満開の頭で彼の屋敷に訪れる。
そこに屋敷はなかった、焼け焦げた跡だけが残っていた。
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