逆行オイフェ   作:クワトロ体位

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第04話『鼻血オイフェ』

  

「あれは……?」

「──ッ」

 

 エバンス城へ進軍するシグルド一行。

 先行するキュアンら騎兵部隊が橋の確保に成功したとの伝令を受けていたシグルドは、王都バーハラの方向から現れし赤髪の貴公子の姿を見留めた。

 

 僅かな供回りと共にこちらへ近付く赤い髪、赤い服、赤い空気。

 それを見た瞬間、オイフェはそれまでの嬉々とした表情を一変させ、傀儡(くぐつ)の如き無表情を浮かべた。

 

「シグルド公子、久しぶりだな」

「アルヴィス卿!? どうしてあなたが!?」

 

 アルヴィスと呼ばれた赤色の貴公子。

 グランベル王国六公爵家の一つヴェルトマー家の当主であり、魔法戦士ファラの直系、炎魔法ファラフレイムを操る稀代の魔道士。

 そして、グランベル王アズムール王の近衛騎士団、ロートリッターを率いる若き公爵である。

 

「陛下が心配されてな。私に見てくるよう命じられたのだ。それと、これは陛下からの下賜品である。受け取ってくれ」

「これは銀の剣……なんと名誉な……」

 

 アルヴィスより渡された銀製の剣を受け取り、シグルドは感極まったかのように言葉を詰まらせる。

 儀礼用の装飾剣と侮るなかれ。

 その斬れ味は、重装甲を纏ったアーマーナイトですら容易に截断(せつだん)可能な程。

 アズムール王が秘蔵せし珠玉の逸品にして、武人の蛮用にも耐えうる大業物である。

 

「……」

 

 シグルドとアルヴィスが言葉を交わしている中、オイフェは無表情で沈黙を続けていた。

 

「ところでシグルド公子。我が弟のアゼルが貴公の軍に加わっていると聞いたが……」

 

 弟であるヴェルトマー公子アゼルを心配そうに気にかけるアルヴィス。

 鉄仮面の下に隠された家族への情愛を感じたシグルド達は、わざわざアズムール王の下賜品を携えて駆けつけたことも手伝い、アルヴィスへ好意的な感情を向けていた。

 

「……」

 

 だが、オイフェだけは。

 決して、アルヴィスの顔を見ようとはせず、顔を伏せたまま沈黙を保ち続けている。

 

 オイフェが、アルヴィスの顔を見る時は──

 

「──アゼル公子には、この戦いが終われば私からもヴェルトマーへ戻るよう説得してみます」

「それを聞いて安心した。では、私は王都へ戻ることにする……ああ、そういえば一つ忘れていた」

「なんでしょう?」

 

 馬首を返し、王都バーハラへ帰還しようとしたアルヴィス。

 だが、ふと思い出したかのように口を開いた。

 

「その、一緒に馬に乗っている少年は一体誰なのか。先程から気になっていたのだが」

 

 そのままオイフェへと視線を向けるアルヴィス。

 赤い視線を受けても、オイフェは沈黙を続ける。

 

「ああ、オイフェですか。彼はスサール卿の孫で、私の……いえ、我が軍の軍師として働いてもらっています」

「なんと、あのスサール卿の。随分若いが、スサール卿の孫ならば何も心配いらないな」

「はい。まだ子供ですが、色々な事に良く気付いてくれます」

 

 そこまで言ったシグルドは、自身の懐でじっと身を竦ませるオイフェへと視線を向ける。

 

「オイフェ。アルヴィス卿へ御挨拶を」

「……オイフェ、です」

 

 シグルドに促され、亡者の如き沈んだ声で応えるオイフェ。顔は伏せられたままだ。

 つい先程まではウキウキとした様子でシグルドと馬に乗り、不必要なまでに身体をこすりつけ甘えていたオイフェ。

 だが、今はまるで親の仇にでも出くわしたかのような暗澹たる空気を纏っている。明らかに様子がおかしいオイフェに、シグルドは戸惑いつつも雑な挨拶をした少年を咎めた。

 

「オイフェ。もう少しきちんと挨拶を──」

「いや、良い。スサール卿の孫とはいえ戦場は初めてなのだろう? 緊張するのも無理はない」

 

 叱りつけようとするシグルドを制し、アルヴィスは目を細めながらオイフェを見つめていた。

 その眼差しは、慣れぬ戦場に身を置く少年を慮るような、優しい眼差しであった。

 アルヴィスの配慮に、シグルドは一礼と共に言葉を返す。

 

「申し訳ありませんアルヴィス卿。後できつく叱っておきます」

「シグルド公子。甘やかすのは良くないが、厳し過ぎるのも良くない。私はアゼルに少々厳しくし過ぎていたようだからな」

「アルヴィス卿……」

「ではシグルド公子。私は王都へ戻る。ヴェルダンの蛮族共に、グランベルの威光を刻みつけてやれ」

 

 そう言い残し、アルヴィスは馬を走らせ王都バーハラへと戻っていった。

 

「……オイフェ。緊張するのもわかるが、貴人の前ではもっと誠実な態度で挨拶をしなさい」

「……はい。ごめんなさい、シグルド様」

 

 アルヴィスの言う通り、初めての戦場で余人には分かり得ぬ困惑があったのだろう。

 そう思う事にしたシグルドは、苦笑いを浮かべつつオイフェの頭を撫でた。

 

「次から気をつけるように。アルヴィス卿はお優しい御方だ。次に会った時にきちんと御挨拶をすれば、きっとお許しになってくれる」

「お優しい……御方……?」

 

 振り返り、思わずそう聞き返してしまったオイフェ。

 オイフェの困惑した表情を、シグルドは柔和な笑みを持って見つめる。

 

「そうだ。アルヴィス卿は陛下の近衛を預かる御方だ。その人柄、実力は私などでは及ばない。オイフェも見習うと良い」

「……」

 

 視線を前に戻したオイフェは、ただ黙ってシグルドの言葉に頷いていた。

 

「……っ」

 

 そのまま、シグルドが駆る馬に揺られるオイフェ。

 すると、そのあどけない鼻孔から、一筋の血が流れる。

 

「っ」

 

 慌てて、シグルドに気付かれぬよう血を拭う。

 幸いにして、オイフェが鼻孔から血を流しているのに気付かれる様子もなく。

 そのまま粛々と行軍するシグルド軍本隊は、ユン川の橋を確保する騎兵部隊と合流する。

 

 そして、全軍をもってエバンス城を包囲するのであった。

 

 

 オイフェは、アルヴィスの顔を決して見ようとはしなかった。

 宿敵と定めた男の顔を見る時は、必ず──

 

 

(殺す時だ──)

  

 

 見る時は、殺す時だ。

 そう易々と殺しはせぬ。

 惨たらしく(はらわた)を抉り出し、ゆっくりと死を認識させながら、嬲り殺しにしてくれる。

 首はバーハラの市街へ晒し、躯はグランベル全土へ引き摺り回してくれん。

 

 ただ殺すだけでは飽き足らぬ。

 滅するだけでなく、命乞いの涙も流させる。

 その様を目に焼き付けるまでは、決して奴の顔など見ぬ。

 見るわけには、いかぬ。

 

 そう、憎悪を燻ぶらせる、可憐な外見を持つ少年。

 その外見からは想像がつかない、悍ましいまでの毒気を内包する少年。

 それに気づく者は、この場には──。

 

 

 まだ、いない。

 

 

 


 

「エーディン様をどこへやった!」

「ま、待て、飛び道具とは卑怯だぞ──ぐあっ!」

 

 エバンス城周辺の敵を掃討し、重騎士アーダン、そして弓騎士ミデェールを先頭に城内へと突入したシグルド軍。

 守将ゲラルドは突入したミデェールと一騎打ちを演じるも、遠距離からの怒涛の速射を喰らい文字通り蜂の巣にされ討ち死にする。

 ゲラルド敗死の報はエバンス城内を巡り、抵抗するヴェルダン将兵は続々と降伏していった。

 一先ず、戦いはシグルド軍の勝利で終わろうとしていた。

 

 

「……」

 

 まだ城内での戦闘は継続してたが、ほぼ制圧は完了している状況。オイフェはシグルドから離れ、一人エバンス城の政務室へと入り込んでいた。

 

「……よし。これがあれば」

 

 落城寸前の政務室では羊皮紙が散乱し、統治情報が敵に渡らぬよう重要書類は焼却されていた。

 とはいえ、シグルド軍による迅速な攻城戦により、書類滅却は徹底されておらず、オイフェはいくつかのめぼしい情報を入手する事に成功していた。

 これは、前回では得られなかった代物であり、書面には領内の生産情報、村同士での利権問題、関所の通行税率などエバンス領の基礎情報が記載されていた。

 

 前回はこれらの情報は何一つ得ることは叶わず、エバンスの統治は手探りで行ったものだと、オイフェはため息をひとつ吐く。シグルドがシアルフィから呼び寄せた官僚団は、グランベル本国からも派遣された役人共にあれやこれやと都度横槍を喰らい、効率の良い行政は施行されず。エバンス領の生産力を十全に活用出来ぬまま、シグルド軍はアグストリアの動乱に巻き込まれていった。

 此度もシアルフィから官僚達を呼び寄せることになると思うが、グランベルの役人の横槍はこの資料を盾にすればある程度は防げる。

 少なくとも、以前のシグルド軍よりかは多少戦力を増強できそうだと、そう安堵してのため息でもあった。

 

「オイフェ、こんなところにいたのか」

「一人でうろついてちゃ危ないぜ。まだ城内の敵は完全に片付いていないし」

「ノイッシュ殿、アレク殿」

 

 そこに、ノイッシュとアレクの姿が現れる。

 二人はエバンス城に残されているかもしれないエーディン公女を捜索している最中であったが、途中姿が見えなくなったオイフェを心配し、こうしてわざわざ探し出していたのだ。

 

「シグルド様も心配されていた。直ぐに私達と──」

 

 ノイッシュがそう言った瞬間。

 

「オイフェッ!!」

「ッ!?」

 

 柱の影から、じっと身を潜めていたであろうヴェルダン軍残党が現れる。

 

「お前ら! 動くんじゃねえ! このガキぶっ殺されてえか!!」

「オイフェ!」

「くそ!」

 

 残党は一名。素早い動きでオイフェを捕らえると、血糊で汚れた鉄製の斧を少年の首筋へと這わせる。

 人質となったオイフェ。ノイッシュとアレクは抜刀するも、それ以上動くことは出来なかった。

 

「お前ら、剣をこっちへ投げろ! 妙なマネするとガキを殺す!」

「くっ……!」

「チッ……!」

 

 ノイッシュとアレクは数瞬躊躇するも、やがて言われた通り手にした剣を残党の足元へと投げる。

 残党の腕の中で身じろぎひとつしなかったオイフェは、おもむろにその口を開いた。

 

「あの、私を人質にしてもヴェルダンへ帰れる保証はありませんよ。大人しく降伏した方が身の為だと思うのですが」

「うるせえ! 黙ってろこのクソガキ!」

 

 突然発生した修羅場にも拘らず、オイフェは冷静そのものといった態度を見せていた。残党が残っていた事を察知せず捕まった瞬間はそれなりに動揺していたものの、直ぐに澄ました表情で降伏を勧告するその胆力。

 戸惑うノイッシュ、アレクを尻目に弁を立てるオイフェ。苛立つ残党を挑発するかのように、尚も降伏勧告を続けようとした。

 

「ですが」

「黙れっつってんだろうが!!」

「オイフェ!?」

 

 減らず口を叩き続けるオイフェに激高した残党は、斧の柄でオイフェの顔面を殴打する。

 少年の端正な鼻孔から鮮血が飛び散ると、アレクは思わず腰を浮かせた。

 

「だから動くんじゃねえって──」

 

 アレクを牽制するべく斧を構え直す残党。

 その、瞬間。

 

「ガッ!?」

 

 残党の肉体に、稲妻の如き衝撃が走る。

 

「えいッ!」

「うがぁッ!?」

 

 オイフェは素早い動きで残党の手首を極めていた。そして、そのまま小柄な体躯を大きく躍動させ、残党を背負い投げる。

 

「ッ、このガキァッ!」

「ッ!?」

 

 だが、残党もそれなりの手練なのか、投げ飛ばされつつも受け身を取り、勢いよく立ち上がり斧を振りかぶる。

 

「なっ!?」

 

 だが、斧はオイフェの身体を斬り裂く事は無く。

 ギリギリのところで斧を躱したオイフェは、足元に転がるアレクの剣を素早く拾い、そのまま残党の大腿部を斬り裂く。

 

「ギッ!?」

「──ッ!」

 

 怒涛の追撃。身体の随所に撃剣を受けた残党はたたらを踏み、少年の猛攻を防ぐ事は能わず。

 

「ゲェッ!」

 

 そして。

 残党の喉元に、オイフェは剣を刺す。流れるような必殺の一撃。

 斃れる残党の死骸に、オイフェは冷めた視線を向けていた。

 

「オ、オイフェ……」

「お、お前……」

 

 突然繰り出されたオイフェの大立ち回り。

 ノイッシュとアレクは予想外の出来事を受け、ただ呆然と立ち竦むのみであった。

 

「……ノイッシュ殿。エーディン公女は見つかりましたか?」

「……」

 

 流れた鼻血を拭いつつ、オイフェはノイッシュへ向けそう告げる。

 特に動揺も見せず、常の呼吸を保つオイフェ。ノイッシュは不気味なほど落ち着いている少年に慄くも、やっとの思いで言葉を返した。

 

「……いや、まだ見つかっていない」

「そうですか。なら、ノイッシュ殿とアレク殿はこのままエーディン公女の捜索を続けてください。もっとも、エーディン公女はもうこの城にはいないとは思いますが」

「あ、ああ」

「まだ残党が残っているかもしれません。捜索には十分気をつけてください。私はシグルド様の元へ戻ります」

 

 剣、ありがとうございました。と、アレクへ剣を渡しながら、オイフェはそのまま政務室から立ち去っていった。

 

「……いつの間にあそこまで。アレク、あれはお前の得意技だろう?」

 

 しばらく呆然としていた二人の騎士。困惑を隠せぬノイッシュは、オイフェが立ち去った方向を見ながらそう言う。

 オイフェが繰り出した怒涛の追撃は、アレクが独自に研鑽を積んだ剣法に酷似していた。

 

「ああ。でも、最後の一撃はまるでお前みたいだったぜ」

 

 妙に手慣れた手付きで剣の血糊を拭い、アレクへ剣を返却したオイフェ。その剣を見つめながら、アレクはそう言葉を返す。

 残党に止めを刺した一撃。それは、ノイッシュが得意とする必殺の剣法だ。

 

「教えたのか?」

「まさか。いずれは教えようと思っていたけど……お前こそどうなんだ?」

「私もまだ教えていない」

 

 二人はそれぞれの得意手をオイフェに伝授した覚えは全く無く。

 修練の場をこっそり見て覚えていたのかもしれないが、それでもあの動きは実戦を経験している者にしか出来ぬ動きであり。

 だが、それよりも、もっと気になる事が二人にはあった。

 

「アレク、オイフェは……」

「ああ。()()()()な。アイツ」

 

 十四才の、それもまだ初陣を経験したばかりの少年。

 その少年が、躊躇なく人間を殺害した。二人が知る限り、オイフェが人を殺すのはこれが初めてのはず。

 にも関わらず、オイフェは“殺しの童貞”を捨てた者特有の動揺を一切見せず、終始淡々とした様子を見せており、まるで歴戦の、それも屍山血河をくぐり抜けた(つわもの)の如き風格を備えていた。

 

「スサール卿が教えたのだろうか……」

「いや、流石にそれは無いと思うぞ……」

 

 オイフェの祖父、スサール卿が人の殺し方まで教えていたのだろうか。

 ノイッシュがそのような突飛な発想に囚われるのも無理は無いかと、アレクはなんとも言えない表情で相棒を見やっていた。

 

「……」

「……」

 

 困惑する二人の騎士。

 荒事とは無縁と思っていた少年が、唐突に見せた異常ともいえる戦闘力。

 それを目の当たりにしたノイッシュとアレクは、しばらくの間その場から動く事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 


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