「ねぇ、どうするのよ、これ」
千秋が望海を見やり、そう言った。
それは彼女を咎めていると言うよりも、この場で話し相手がいるという事実を確かめたかったようにも思える。
「なによ? 私の所為だって言いたいの?
勝手についてきたくせに、私一人だけ神隠しに遭えばよかったって言いたいの?」
だが、精神的に参っている望海にはそうは聞こえなかった。
「そうは言ってないじゃない!!」
「それ以外にどう聞こえるって言うのよ!!」
二人の怒鳴り声が、二人の座る田舎の古びたバス停の待合席に空しく響いた。
やがて、無駄な体力を使うだけだと悟り、二人の言い争いは鎮火した。
「もうやめよう……」
「そうだね……」
どちらからともなく、二人の勢いは無くなった。
二人が身も心も疲れ果てているのは、理由があった。
彼女らが見知らぬ田舎道に放り出されてから、既に一時間以上経過していた。
最初は民家や人里を求めて歩いたりもした。
だが、一向に田舎道は続いて行く。目に映るのは田んぼと、道だけだ。
「ねぇ、このバス停、さっきも通らなかった?」
「そうかも……」
千秋の指摘に、望海も見覚えのあるバス停を見やる。
この道はループしている。二人がそう結論を出すのは当然だった。
……やかましいほどのセミの鳴き声が、ずっと鳴り響いていた。
「ねぇ、最初に都市伝説だって言ってたけど、あなた何か知ってるの?」
「知らない。私の知っている都市伝説は、いつの間にか知らない遠いところに人が飛ばされているってものだった。
こんな、奇妙な場所に連れて来られるなんて、どこにも……」
望海は待合席に座ったまま頭を抱えて首を振った。
「……あのさ、待っていればバスが来ると思う?」
「そんなのが来るって、少しでも期待しているの?」
会話が途切れるのが嫌で、千秋が言った言葉は即座に否定された。
二人の居るバス停の時刻表やその地区を示す文字はまるで子供が書きなぐったようにぐちゃぐちゃだった。
ここが狂った異常な空間である証左でもあった。
「もし来るとしたら、それは
正気を失いつつある望海は、低く笑い声をあげた。
§§§
春美が友人たちを先に帰して、向かったのは美術室だった。
美術室では、美術部が活動している時間だった。
部員たちは各々活動していて、新しく入って来た春美など気にも留めていないようだった。
その中で独り、浮いている人物がいた。
窓際の席で、夕日に向かってキャンバスに筆を走らせているのは、黒いケープの魔女だった。
彼女は迷いなく絵具をキャンバスに塗り、平面に世界を彩らせていた。
春美はその後ろ姿を、美術室の椅子を借りて黙って見ていた。
彼女はこのどこか幻想的で、哀愁に満ちた姿が好きだった。
魔女が描く絵は、まだまだ未完成だった。
油絵は乾くのが遅く、一日に描けるペースがある程度決まっている。
一枚の絵を描くのに数か月掛かるのも普通だった。
「…………」
春美は、少しずつ毎日彩られていくキャンバスを見やる。
そこに描かれているのは、独りの女性と大勢の人々だった。
テーマは以前に聞いていた。“ジャンヌダルク”の火刑である。
そしてそこに描かれているジャンヌダルクの姿は、現代において名誉を取り戻した聖女ではなく、当時のプロパガンダで魔女としての汚名を着せられた姿だった。
その表情は憎悪や怒りに満ちていて、足元の炎にはボロを着たドクロがくべられていた。
春美は特に何かを考えるわけでも無く、遠くの景色を見るように完成に近づいて行く絵を見ていた。
最近は友達付き合いがあった為、しばらく来れなかったので以前より大分彩が増えていた。
絵の中の聖女は、以前より明確に感情を露わにしている。
そんな静かな時間も、唐突に終わりが訪れる。
ぴろりん、と春美のスマホに着信音が鳴った。
春美は静かに廊下に出て、スマホの画面を確認した。
夏芽たちのグループチャットからだ。
夏芽
『千秋が大変なの、すぐに来て!!』
真冬
『ごめん、ちょっと冷静じゃないの。
場所はすぐ伝えるからちょっと待ってて』
春美
『わかった、すぐ行く』
春美はすぐにスマホをしまって、昇降口へと向かった。
「二人とも、何があったの!!」
昇降口の下駄箱から出て、二人の場所を確認した春美は駆け足で二人の元へとたどり着いた。
「それが、それが、私たちにもわかんなくて!!」
「千秋ちゃんが、目の前で、目の前で消えちゃったの!!」
二人は混乱していて、目に見えて怯えていた。
「わかった、わかったから落ち着こう。ね?」
春美はとにかく二人を落ち着かせることにした。
カバンから自作した特性のアロマキャンドルを取り出し、火を点けた。
心を落ち着かせる香りが、周囲に漂い始めた。
「なにこれ、良い匂い……」
「すごい、落ち着く」
二人は落ち着くを通り越して若干うっとりしているが、春美は気にせず二人から話を聞き出すことにした。
「つまり、千秋ちゃんと望海が目の前で急にいなくなった、と」
「そうそう」
「私たちにもいったい何がなんだか」
二人の話を聞いて、春美は何が起こったのか大体理解した。
「望海の奴、怪異に近づきすぎたな」
望海たちが怪異に遭遇したのは、ある意味偶然ではない。
昔から、怪異や超常現象がそれ足らしめていたのは、それらが正体不明だったからだ。
それらは、自分たちを暴こうとするものを許さないのだ。
都市伝説とて、それは同じだ。
「私が望海に聞いた話では、どこか別の場所に飛ばされているって話だったけど、連絡は取れないの?」
二人とも、春美の質問に首を横に振る。
彼女の望海のスマホに電話を掛けてみたが、電波が届かないと出るだけだった。
「二人が消えたのは、どの辺りなの?」
「ちょうど、あの辺だけど」
夏芽が、道路の真ん中あたりを指差す。
「…………うーん」
夏芽が指差した辺りを目を凝らして見てみるが、春美には特に何も感じ取れなかった。
「これ、バレるとちょっとヤバイ薬なんだけど……」
春美は友人たちに聞こえないようにぼやきながら、常備していた秘薬を口にした。
魔女たちが霊的感覚を養う為に使う薬で、一時的に霊感が高まる代物だった。未熟な春美にはそれを使用しないと何も感じ取ることができない。
そして、それを服用した春美の視界に、別の世界の視界が重なった。
「……ああ、見える、妙な魔力の痕跡が」
「何か、分かったの? 春美ちゃん」
「うん、人為的って言ったら語弊があるかもだけど、ここに空間の捻じれた痕が見えるの」
おずおずと尋ねる真冬に、春美は雲の輪郭をなぞるように両手で魔力異常の残滓に触れた。
「ど、どうにかなりそう?」
「わからない。わからないけど、たぶんこれって扉のようなもので、今は不活性状態になってるんだと思う。
だからきっと、こうすれば……!!」
不安そうにしている夏芽の視線を背に、春美は閉じた空間の歪みに魔力の乗った指で触れた。
すると、解きほぐされるように、空間の歪みが開かれた。
時刻は六時過ぎ。空は夕焼けと星空がせめぎ合っている。
だというのに、その空間の歪みの奥に見えるのは、美しい夕焼けの空と田舎道だった。
「……ねえ、二人にはこれが見える?」
春美は後ずさり、後ろの二人に問いかける。
二人は無言で横に首を振った。
「望海の言っていた都市伝説って、人が別の場所に飛ばされるんじゃなくて、神隠しの類だったのかも」
或いは、望海が調べていた都市伝説とは全く別の怪異に遭遇した可能性すらあった。
「あの、何かわかったの?」
「たぶんだけれど、二人は今、異界に居るんだと思う。
それがどういう場所に繋がっているか分からないけど、今はまだ狭間にいるかもしれない。
そのままでも戻ってこれるかもしれないし、二度と戻ってこれないかもしれない」
春美は己の師からそう言った話を何度か耳にしていた。
「異世界、異世界かぁ、神様が出てきて転生させてくれるわけでも無さそうだね……」
「魔法の国の使いのマスコットとかも居なさそうだ……」
真冬と夏芽は精一杯の冗談を口にしたが、異界に迷い込んだ二人が無事か気が気でない様子だった。
「下手に手を出すと、マズイと思う。
中の二人に出口が開いたこと、気付いてもらうしかないか」
春美はこの場からどうやって中と連絡が取れるか、思案するのだった。
§§§
異界に取り込まれた二人の間に、会話が途切れて少しの時間が経った。
少年誌ならここで友情が芽生えたりするのだろうが、元々初対面に等しい相手同士だった。お互いに励まし合うなんて出来るはずもない。
だが、そうも言ってられない事情が目の前に迫っていた。
「……え?」
千秋が異変に気づき顔を上げ、釣られて望海も顔を上げた。
ぶろろろろ、とセミの鳴き声に混じって自動車の音が聞こえた。
二人が狭い待合席の室内から立ち上がって外に出ると、昔の歌の歌詞にでも出てきそうな古臭い田舎のバスがやってくるではないか。
どうしよう、と二人はお互いに示し合わせたかのように顔を合わせた。
そうしている間に、バスはバス停の前へと停車した。
そして、バスの入り口のドアが開いた。
乗客は中に誰も乗っていなかった。
「……運転手に誰かいるみたいだけど」
少しでもバスに近づこうとした千秋を、望海は手を取って引き止めた。
「下手に近づかない方が良いと思う」
「でも、道ぐらい聞けるかもだし」
「馬鹿じゃないの!! こんな場所でまともな道なんてあるわけないでしょ!!」
望海の叫び声に、思考が麻痺していた千秋もハッとなった。
「とにかく、こんなあからさまに危ない物の近くに居ない方がいい。逃げよう!!」
彼女は千秋の手を取ったまま、バスの進行方向とは反対の方へと走り出した。
徐々にバスの後姿から遠ざかっていく二人。
やがて、バスからどれだけ離れたか確認しようとした二人が振り返った時、二人の表情は恐怖で引きつった。
そこに、黒い壁があった。
「なによあれ!!」
千秋がカバンを抱きしめながら絶叫した。
それは迫りくる、黒い靄のようなものだった。
そしてその中から這い出ようとするような、無数の手が蠢いていた。
こっちにおいで と、得体のしれない声音が二人を誘う。
悪夢のような光景だった。
「うえッ」
その光景に目を奪われ、望海が足を取られてすっころんでしまった。
「ちょっと!! 嘘でしょ!! こんな時にベタなことしないでよ!!」
そんな悪態を吐きながら、千秋は足を急停止させて盛大に地面に倒れて蹲っている望海の手を引っ張り上げた。
「痛い、めっちゃ痛いよぉ」
「泣きごとは後にしなさいってば!!」
今にも泣きだしそうな望海を引っ張り、少しでも後ろから迫りくる悪夢から逃れようとした。
「……待って」
「なぁに!!」
恐怖に焦る千秋に、望海がか細い声を掛けた。
「なんとかなるかもしれない……」
「嘘ッ!? そう言うことは最初に言ってよ!!」
「だって自信無かったし……効果あるかもわからないし」
「それってこうして当てもなく走るのとどっちが良いの!!」
千秋とて、このまま足手まといを連れて永遠に逃げ切れるとは思っていない。
望海がこの場から逃げられるお呪いとかを知っているのなら、試す以外手立てはなかった。
「丁度、ここは十字路みたいだし」
望海は周囲を見渡す。田んぼだらけの田舎道なので、十字路はそこらじゅうにあった。
彼女はスマホの画像フォルダから、一枚の女神像を選び出し地面に置いて、蜂蜜入りのジュースのペットボトルを並べた。
そしてすがるように跪き、手を組んで祝詞を述べる。
「冥府の女王にして我らを守護せし大いなる女神ヘカテーよ。
我が願い、我が訴え、我が祈りを聞き届けたまえ。
どうかこの地に来訪し、暗雲に閉ざされた道を示したもうお願い致します」
「ちょ、この土壇場で神頼みなの!?」
「ただでさえメッチャ略式なのに、女神様への礼を失してどうするのよ!!」
望海のとった手段に不満を言い始めた千秋だったが、彼女はかなり切羽詰まった形相で睨みつけた。
「あなたも祈って、ほら!! 決して目を開けちゃダメ!!」
「わ、分かった、分かったわよ!!」
千秋とて祈る為の偶像がスマホの画像で、捧げ物がジュースなこととか言いたいことは沢山だったが、黒い靄はもう目の前に迫っていた。
もはや神頼みぐらいしかする余裕などない。
もう細かいことを考えるのを止めて、千秋は望海に倣って祈りを捧げ始めた。
「もう神様でも何でもいいですから助けてください、お願いします!!」
視界を閉じる恐怖に震えながら、彼女は必死に祈りを捧げた。
耳障りなセミの鳴き声と、おぞましい呼び声が遠ざかっていく。
その代り、何かの足音が聞こえてきた。
それは、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「目を開けちゃダメ、見たら怒りを買う、帰ってこれなくなる」
ぼそり、と望海が言った。
千秋は何度も頷いて、この場を乗り切る為に必死に祈った。
やがて、足音が二人の近くで止まった。
そしてゆっくりと遠ざかって行き、すぐに聞こえなくなった。
二人はどちらからでもなく、目を開けた。
供物のジュースは中身が空っぽになっていたが、それを気にしている余裕は無かった。
夕焼けの田舎道は、不気味な暗い夜道へと様変わりしていた。
「た、助かったの?」
「たぶん、まだ。ねぇ、百円玉持ってる?」
「え、あるけど、どうして?」
望海はカバンから財布を取り出し、顔を顰めてから千秋に尋ねた。
「あとで返すから、一枚貸して」
千秋は言われるがままに望海に百円玉を取り出し渡すと、彼女はそれを口に含んだ。
「えッ、汚い……」
「……日本人なら、死神の渡し賃ぐらい知ってるでしょ? 六文銭とか言われているやつ」
「そりゃあ、まあ……」
「古代のギリシャじゃ、死者に銀貨を含ませて弔ってたんだって。
銀貨は向こうの死神の渡し賃。要するにあの怨霊の塊みたいなのに私は死者の仲間ですって示しているのよ」
それがある種のお呪いだと悟り、嫌々ながらも千秋も彼女に倣って百円玉を口に含んだ。
「あれは、たぶん私たちを向こう側に引きずり込もうとしてた。
あのバスもきっと、死神の渡し船みたいなものなのかも。なら進行方向の反対側に行けば出られるかもしれない」
それは、希望的観測に過ぎなかった。
だが千秋は、その望海の推測に従うほかなかった。
二人が歩いていくうちに、周囲が霧が出てきた。
その霧はすぐに前が見えないほど深く、濃くなっていった。
「ねぇ、あれってやっぱり」
「知らない振りをして」
二人は濃い霧からはぐれないように、手を繋いでまっすぐ進んでいた。
彼女らの周囲には、黒い人影がぼんやりと浮かび上がり後ろの方へと過ぎ去っていく。
望海は努めて正面だけを見ようとしていて、千秋も周りを見ないようにしていた。
やがて、二人の前に黒い影が現れた。
思わず足を止めた二人だったが、黒い影は霧の中から輪郭が露わになる。
それは、黒い犬だった。
その犬は二人を見やると、くるりと踵を返して去って行った。
「……あ、あっちが出口なんだ!!」
「ほ、本当なの!?」
「それ以外考えられないじゃない!!」
望海は確信があった。犬は彼女が祈りを捧げる女神の遣いなのだから。
二人は走って、黒い犬の影を追う。
やがて、周囲の黒い影も見えなくなっていった。
「…………え?」
誰かの声が聞こえた気がして、千秋は振り返った。
そこにあったのは、電灯に照らされた暗闇だけだった。
「千秋!!」
「千秋ちゃん!!」
聞きなれた声に前を向くと、そこには幼馴染の二人がいた。
「か、帰ってこれた……の?」
「春美さーん!!」
望海は、目の前で跪いて女神像に祈りを捧げている春美に抱き着いた。
「助けてくれたんですねー!!
ありがとうございますー!!」
「……すごく略式の儀式だったから、この後正しい手順で供物を捧げるわよ、手伝ってよ」
「はい、喜んで!!」
望海はわんわんと泣きながら春美にしがみ付き続けた。
「…………」
「大丈夫か、怪我は?」
「千秋ちゃん……?」
もう一度背後を振り返った千秋の姿に、幼馴染二人は心配そうに声を掛けた。
──まだ、こっちは早すぎるよ、千秋ちゃん。
「ううん、気のせいだった」
未だ耳に残る言葉に物悲しさを感じながらも、千秋は二人に微笑んで見せた。
「これ、昨日借りた百円玉です。きっちり洗っておきました」
翌日、お昼休みの時間に望海が春美たちのクラスにやってきて、千秋の前にやってくると百円玉を差し出した。
「普通に別の奴にしてくれればいいのに」
しぶしぶながら、千秋はそれを受け取った。
脳内で早めに自販機に入れる算段をしながら。
「昨日は御迷惑をお掛けしました。春美さんも、お手数おかけしました」
「別にいいわよ、私も助けられたし」
何だかんだで、望海の知識は魔女に師事しただけあって確かだった。
その知恵と機転が無ければ、千秋もきっと亡者の一員となっていたのだろう。
「ところで」
マーガリン入りコッペパンももしゃもしゃしていた春美は、望海に鋭い視線を向けた。
「何であなた、都市伝説なんて調べてたの?」
「あ、いやー、それがですね……」
望海は彼女の追及に言いづらそうにしながらも、観念したようにスマホを操作し、画面を見せた。
「実は、ブログを始めようかなって。
ブームは繰り返すって言うし、私もオカルト写真をアップして広告料で荒稼ぎしようかと」
「ふっざけんな!!」
激怒した春美を三人が取り押さえ、望海は脱兎のごとく逃げ出した。
「もう二度と私の前に顔を見せるな!!」
春美は早くも、望海を助けようとしたことを後悔し始めるのであった。
五人の馴れ初め、或いは顔合わせシナリオはこれにて終了です。
主人公なのに殆ど物語に介入しない回でした。
当初は今回の彼女と春美ちゃんのシーンのように哀愁に満ちた場面ばかりを描こうとしてたんですが、やっぱり無謀でしたね!!
そして役者も殆ど出揃ったって感じです。
次回も、またよろしくお願いします!!