「あの、カタリナさん。そろそろ何かお話になってくれませんか?」
警察官たちは困り果てていた。
その理由が、目の前で祈りを続けている修道女のことである。
鋭利な刃物を所持し、暴行の疑いで警察署に同行してもらうこととなった。
彼女の所持品から、身元は判明していた。
だが、彼女は事情聴取に一切応じない構えを見せていた。
困り果てていた理由は他にもある。
彼女から押収したロングソードが行方不明なのである。
より正確に言えば、物証としての機能を失っていた。
「剣がいつの間にかバラの花びらになっていたなんて、どう調書に書けばいいんだ……」
重たい剣を抱えていたはずの警察官は、突如としてその重さが消えて無数のバラの花びらが目の前に散らばっていたと話した。
その上、暴行の容疑と言うことで手錠を掛けたら、現場の警察官の手錠がいつの間にかすべて破損していた。
ハッキリ言って、地方の警察署ではお手上げの事態である。
こう言う場合、すみやかに警察庁の異能係に連絡することがマニュアル化されていた。
下手に突いて呪いの類でも掛けられても困る為、事情聴取もまともにできない有様だった。
「相手方の方も、訴える気は無いと言っているし、こちらとしてもちゃんとお話をしてくだされば不起訴にしてもよろしいんですよ。
だから聴取に協力してくださいませんかね?」
実際に剣で人を斬り殺しているわけでもなし、彼らは彼女におかえり願うことで終わりにしたかったのである。
警察庁には報告だけ済ませ、不思議な力があったのでちょっと舞い上がった、的な感じで厳重注意しておいたとでも調書に書いて終わらせようかという現場の判断になろうとした時だった。
「あの、カタリナさんの保護者の方がいらっしゃったのですが」
婦警が初老の神父を連れて現れたのである。
彼は彼女の姿を認めると、表情を変えた。
「申し訳ございません、うちのカタリナがご迷惑をお掛けしたようで!!」
「神父様、私は悪くありません。これは不当な弾圧です」
「だまらっしゃい!! あなたがそんな態度だから話がこじれているんでしょう!!」
神父は彼女を叱りつけると、警察官たちに謝り始めた。
「皆さん、すみません。カタリナは昔から変わったところがありまして……」
「あー、それはつまり、押収品をバラに変えたりですか?」
「はい?」
警察官も言い難そうに神父に尋ねると、彼も素っ頓狂な声を上げて彼女へと振り返った。
「カタリナ!! あなた、神聖なる御業を悪用したのですか!!」
「神父様、なぜ彼らは奇跡を目の当たりにしても自分たちの行いを改めず、改宗しようとしないのですか?」
「ダメだ、こいつ自分がなぜ悪いのか分かっていない……」
この物言いに、神父は頭を抱えた。
「あのですね、今は民主主義の時代なんですよ。教会が権威を保証する時代じゃないんです!!
しかもここは日本です!! 国家が個人の信仰を決める国ではないのです!! 前に教えたでしょう!?」
「だからこそ、教化は必要なのでは? 人間宣言のようにアマテラスはヤハウェであると言わせれば万事解決です」
「馬鹿ッ、このお馬鹿!! そしてこんな風に育てた私の馬鹿!!」
神父は目の前の保護対象がここまで世間知らずだとは思わず、がっくりと肩を落とした。
「すみません、見ての通り、あまり教会から出ないもので、世間知らずなものでして」
「ええと、失礼ですが、年齢は十六歳とのことですが、通学は……」
「一応、通信制で。当人はあまり身に入っているとは言えませんが」
神父も警察官の質問に、心苦しそうにそう言った。
「本当に申し訳ございません、当人が特殊な事情ゆえに私が甘やかしすぎたようです。
今回のことはよく叱りつけておきますので、どうか穏便に……」
ひたすらに頭を下げる神父の姿に、警察官たちも居心地が悪そうに顔を見合わせるのだった。
§§§
「カタリナ、あなたが他人とは違う事情の持ち主だと言うのはよくよく理解しています。
今回は私も悪かった。少しでもあなたの力が人々の役に立てるのならと、一人で送り出したのはまだ早かった」
何とか神父は警察に謝り倒し、カタリナを連れ出すことができた。
そして彼の運転する車で帰路につく最中だった。
「まったく、こんなものどこで調達したのやら」
神父は助手席に立てかけられているロングソードを苦々しげに視線を一瞬だけ向けた。
「良いですか、この国では、いえこの時代では人を傷つけたら傷害罪、人を殺したら殺人の罪なのです。
あなたは悪霊が出たと言う部屋の調査をしに行ったのでしょう? なぜこんなことに」
「魔女が居たのです」
車窓から夜の町並みを胡乱な視線で眺めているカタリナは、そう言った。
「私の魂の記憶にも刻まれた、邪悪な魔女が活動しているのです。
この私が見間違うはずがない。奴が、この時代にのうのうと生きている!!」
その言葉は、保護者の神父にして初めて聞くほど感情の籠った声だった。
「そうは言いますがねぇ、カタリナ」
神父とて、昨今のオカルトブームには物申したい気持ちはあった。
だが、それでも言わなければならない言葉があった。
「あなた、別に異端審問官でも魔女狩り担当の判事でもなかったのでしょう?」
「…………」
「あなたはかつて、私に言いましたね。──この世界は地獄だったと」
カタリナには、今生とはまた別の人生の記憶があった。
だがそれはキリスト教徒としては認められない事実だった。
それが事実なのだとしたら、カタリナは天国に行けなかった罪人なのだから。
その記憶が彼女を苛み、幼い頃から教会で引き取ることになった要因にもなった。
この人のできた神父にも、彼女がこの時代がどのように映っているのかまでは分からなかった。
「私はそうは思えませんよ。
あなたの記憶も、何かしらの神の思し召しなのですから。
昨今の異端の術を扱う者達が現れたのも、もしかしたら神様が機会を与えてくださっているのかもしれません」
「それで? その連中が神のアガペーを理解するような連中なのですか?」
「少なくとも、剣で叩き伏せるようなことをしては人のことを言えませんよ」
そんなことをする時代ではない、それはもう彼女も何百回と聞いた言葉だった。
「それに、あなたが所属していたという組織の目的はもう達成されているのでしょう?
ならばこそ、今度こそ天国に行けるように善行を積んでいきなさい」
神父は最初カタリナの告解をした時、その荒唐無稽な話を信じることはできなかった。
だが、彼女の持つ奇跡の力を見て、考えが変わった。
彼としては神の実在を確信したほどである。
だが、当人はこの世に絶望しきっていた。
まるで本当に地獄に居る亡者のような生気のない様子に、度々彼も心を痛めていた。
だから今回、彼女だけができることをやらせて、自信や生きる理由を思い出してほしかったのだが。
「カタリナ、どうか馬鹿な真似は考えないでくださいね」
「…………」
返答は無かった。それが、どうしようもなく彼の不安をかきたてるのだった。
カタリナの住む教会の敷地には、見事な桜の木がある。
しかし今の時期はもうほとんど花びらが落ちて、緑色の葉が顔を覗かせている。
落ちて黄ばんだ花びらを掃除するのが、彼女の最近の日課だった。
「カタリナさん、おはようございます」
「おはようございます」
「今日もお掃除ご苦労さまです、カタリナさん」
「どうも」
朝の礼拝の時間に教会にやってくる人たちに挨拶をするカタリナ。
愛想は悪い彼女だったが、日本人には物静かで物憂げに見えるらしい。
「……この世界は狂っている」
カタリナは常々そう思っていた。
邪悪な魔女が蔓延り、それを持てはやしている世間。
便利さを理由に人々は堕落の限りを尽し、貞淑は美徳ではなくなっていた。
彼女の記憶には、人々はもっと必死だった。
おぞましいペストが過ぎ去り、周辺諸国は戦乱の時代に彼女の前世は産まれた。
所謂ルネサンス期と呼ばれる、当時のイタリアだ。
芸術の黄金時代であった当時は、しかし彼女の前世はそんなものとは無縁だった。
彼女は傭兵団の一員として育てられた。
それもただの傭兵ではなく、百年も昔に壊滅したテンプル騎士団の末裔だという。
それが真実かどうかは眉唾だったが、験を担ぐ傭兵団でもとりわけ信仰に厚く、そして正義の為に戦った。
この時代、魔女とは人の姿をした人ならざる怪物だった。
人肉を食らい、魔術で人心を惑わし、堕落させる。
彼女のいた傭兵団の最終目標は、異端とされた祖先であるテンプル騎士団の名誉回復だった。
そのために、異端まがいな術に精通し、聖人たちの奇跡を再現し、領主に金を貰い魔女を殺して回った。
現代では当時の魔女狩りは集団ヒステリーやら何やらが原因だとされているが、当時を生きていたカタリナがそれを歴史書で知った時は思わず鼻で笑ってしまった。
彼女は実際にホンモノの魔術を操る人間と殺し合ったのだから。
邪悪な人体実験で神の御業を汚す錬金術師、死者を冒涜する死霊術師、ペストを自在に操る死神の如き呪医、人々を扇動し惑わす呪術師、そして見本のような黒衣の魔女が世に跋扈していた。
ジャンヌダルクが本物の聖女か確かめる為に、調査団を派遣したことさえあった。
当時の権力者たちは、そんな連中の実在を許さなかった。
だから彼女のいた傭兵団は珍重され、必要なくなったら潰された。
その最期は無様なもので、味方から作戦行動中に命令違反をしたとして見せしめに処刑されたのだ。
彼女の傭兵団が歴史に名前すら残っていなかったことを今生で知り、彼女は絶望した。
そして彼女たちの活動如何など関係なく、数百年後にテンプル騎士団の名誉は回復していた。
彼女の前世が善行と信じて行った全てが無意味で、天国に行くどころか約六百年も先の時代に再び生を受けることとなった。
彼女が無気力になって、亡者のようにかつての信仰にすがって生きるだけになったのも無理はなかった。
「よう!!」
だから、まさかかつての仇敵が目の前に現れようなどと、彼女は想像する気力さえもなかった。
「……誰ですか?」
カタリナは掃除の手を止め、胡乱な視線を向ける。
黒い皮製の服装に、サングラス、動物の毛並みのような髪型の女が居た。
当然、知らない人物だった。だが、彼女の嗅覚は死を経ても衰えていなかった。
瞬時に魔術の臭いを感じ取ったカタリナは、地面の桜の花びらを蹴りあげた。
桜の花びらが舞い、彼女の手元に集まった。
その手には、いつの間にか先日神父に没収されたロングソードが握られていた。
「その術はシエナのカタリナの聖骸隠しの、ってことはお前、総長か!! 神聖聖堂騎士団の!!」
「その名を知っているということは、貴様も同じ境遇か。
そしてこの臭い、覚えがある。死臭に混じった毒薬の臭い、貴様、あの時に出会ったネクロマンサーか!!」
奇しくも、一目でお互いにお互いが誰だったか気付いてしまった。
「いやぁ、お互い女になるなんてなぁ。
こんなこともあるもんなんだな、いやあ面白い」
「私は再び貴様の顔を見る羽目になって不愉快極まりないがな」
カタリナに剣の切っ先を向けられる女は、しかし緊張感も欠片も無かった。
「おーい、見つけたぞ」
「おい化粧屋、お前何したんだよ、剣なんて向けられて!!」
女が振り返ると、教会の敷地の外から男が現れた。
「待て待て、俺は警察庁の物だ。先日の事情を窺いにきただけで、俺たちに危害を加えるつもりはないんだ」
この平和な日本で危害を加えるもなにも無いが、初めにこれを言っておかないと酷い目に遭うことをこの刑事は良く知っていた。
「警察が、なぜそんな邪悪な人間と一緒に居るのですか?」
「うん? そりゃあ勿論お前らの顔を見たかったからさ」
化粧屋はニタリと笑ってそう言った。
「なんですって?」
「私は今、警察に協力していてな。他の同業者の橋渡しとか捜査協力とかしてんの」
「どうかしている」
「俺もそう思う」
吐き捨てるようなカタリナの言葉に、思わず刑事も頷いてしまった。
「いやぁ、まさかあんたに会えるとはなぁ」
「前世での知り合いなのか?」
「そうそう、こいつは昔異端狩りの傭兵団をしててな。私も何回か斬り殺された覚えがある」
「何回かって」
刑事が絶句していると、化粧屋はニヤニヤと笑ったまま切っ先を微動だにさせていないカタリナを見やった。
「なあ、どんな気持ちだ?」
「何が言いたい」
「時代が変わって、正義を遂行していたはずのお前たちは今同じことをすればただの殺人鬼だ。
それでいて私のような人間がお偉いさんに重用されている。くやしいだろうなぁ」
当人も知らぬうちに生気の無い表情に怒りが満ちているのを見て、化粧屋は実に邪悪に、満足そうに笑っていた。
「天国に行けなくて残念でしたねぇ~、お前のお仲間も、他のバカどもも!!
────結局は神の教えを無視したタダの人殺しどもだったわけだ!!」
「おい、何を煽ってるんだよ」
「ちょっとぐらい良いだろぉ、これが楽しみであんたらに付き合ってやってたんだ」
刑事は化粧屋の思わぬ本音にもう一度絶句していると、彼女は手に持つ剣の切っ先が揺れているカタリナの方に歩み寄る。
「ほら、斬ってみろよ。人殺し。それとも今生はまだかい?」
「ぐ、この、ッ!!」
怒り心頭のカタリナが刃を振るっていないのは、ひとえに理性が働いていたからだった。
世話になっている親代わりの神父に迷惑を掛けまいと、目の前の邪悪を見逃そうと必死に己を抑えていた。
「何の騒ぎです!! って、カタリナッ!?」
そうして矛盾に葛藤していると、教会の扉を開けて神父が現れた。
「何をしているんですかあなたは!!」
彼の声に、ハッとなってカタリナは術を解いた。
ロングソードが桜の花びらとなって地面に散っていく。
「まったく、ホント、今生で最も楽しい時間だった」
カタリナの殺意が消えたことを悟り、化粧屋は愉悦に満ちた表情のままで刑事に向き直った。
「さて、仕事をしようぜ」
「お前、来世は地獄に堕ちるぞ」
「じゃあ、ここが地獄だな」
刑事の皮肉もなんのそので、化粧屋は可笑しそうに笑っていた。
嫌いな相手に会えて煽り全開で絶好調の化粧屋さん。
あ、もちろん作者には特定の宗教に対して何かしら貶めるような意図はありません!! この小説はただのフィクションです!! 実在の何たらかんたらとは関係ありません!!
カタリナさんは、魔女さんたちと同じ境遇ながら、立ち位置が完全に異なります。
魔女さんたちは精神的にも実力的にも完成されていますが、彼女は転生を経て足元が全て崩れたような状態にいます。
彼女の苦悩や、他の面々とどうか関わっていくのかと言うのを今後はお楽しみください。
気が付けば、赤バーになってた!!
趣味全開であんまり伸びないだろうなとは思ってましたが、みなさんありがとうございます!!