「……これは酷い」
警視庁異能係の伊藤刑事は、魔術テロがあったと言う高校の教室に入って、その惨状を見てそう言った。
閉鎖された内部は呪術的防御が見込まれる特殊防護服を着た捜査官たちが写真を撮ったり、調査をしていた。
教室は中心から室内の約半分の床や机や椅子が焼け焦げていた。
単純に見るなら爆弾でも爆発したようにも見えるが、衝撃波が周囲に襲った形跡もなく、窓ガラスや隅の備品は無事だった。
鑑識は机や床などから、原因不明の腐食が見られると話していた。
科学では説明できない、何かしらの魔術的現象が関わっていることは数多の目撃者の証言からも確かだった。
「校長先生」
「はい、何でしょう」
伊藤刑事はブルーシートで閉鎖された教室の外へと出ると、廊下で不安そうにしている校長や事情聴取を受けている教師たちの前に出た。
「率直に尋ねますが、この呪術汚染の被害を収束させたのは誰です?」
「そ、それは……」
伊藤刑事の質問に、校長は露骨に視線を逸らした。
「被害は局所的で、迅速に処置されていました。
これは高度な魔術的な知識を持つ者が対処した形跡に他なりません。
でなければ、この教室の半分程度で被害が収まるはずが無い」
彼もこれまで、異能係の刑事として多くの魔術被害を見てきた。
そして対処が遅れた結果、家一軒分の敷地が向こう数十年ほど霊的に使い物にならなくなると言った事例も珍しくなかった。
これは明らかに、その場に居合わせた誰かが被害を抑えたのだ。
教室の廊下側の壁には、書き掛けの魔法陣まで存在しているのだから、疑いようも無い。
「……当校では、異能の持ち主を認識しておりません」
「あのですねー、これはテロなんですよ!!
誰かが、無差別に、学校で学ぶ何の罪も無い生徒たちを狙った卑劣な犯行なんです!!」
「だとしても!!
当校の生徒たちは法律上未成年なのです!!
教師としても、学校としても、大人としても、生徒たちを守る義務がある!!」
校長の態度にイラついた伊藤刑事が声を挙げるも、校長とて保身以外の感情も確かにあったのだ。
当然、こんなおぞましい所業を行う犯人に怒りが無いわけでもない。
それでも、それが建前だとしても、無意味な虚勢でも、校長はそうしなければならなかった。
「……わかりました。記者会見は必要ですものね。
学校としては、ただ魔術被害に遭っただけ、それでよろしいでしょう?」
「申し訳ありません」
「いえ、心中お察しします」
建前は大事だった。それが社会と言う物だ。
「事情を知るだろう生徒を、明日呼びますのでどうかそれでよろしくお願いします」
「わかりました」
当然、それは学校関係者立会いの上での事情聴取だろう。
だが円滑に捜査が進むのなら、それは仕方がないことだ。
今日は化粧屋もなぜか来るのを渋ったことだし、と彼も納得することにした。
§§§
高校の校長室に、七人の人間が集まった。
高校の校長、教頭、呼び出された生徒の担任の一人である早瀬。
伊藤刑事、化粧屋、先日協力を取り付けた仮面の魔術師。
そして修道女に、黒衣の魔女。
「こうして昔の面子が集まると、何だか奇妙に感じるよな」
口火を切ったのは、化粧屋だった。
「魔女殿、御無沙汰しています」
「あなたも、お久しぶりね」
木製の仮面を被った魔術師は黒衣の魔女に丁寧に一礼した。
「それで、彼女があの総長だと? 信じられんな」
「間違いないぜ。あの剣筋、忘れるはずもない」
化粧屋が太鼓判を押すと、魔術師は唸った。
「ごほん、旧交を温めるのは後にしてくれ。今回の事件はシャレにならん」
「ああ、あれ? あれのどこがシャレにならんのか分からんな」
「平日の学校で、生徒がたくさんいる教室を狙われたテロだぞ、当たり前だろう!!」
正義感から声を荒げる伊藤刑事の様子を見て、化粧屋は小さく笑った。
「断言するよ、あれはテロ目的じゃない」
「なんだと?」
「ど、どういうことです? あれだけの被害が出たのに」
目を丸くする伊藤刑事だけでなく、校長も化粧屋に尋ねた。
「ツァーラアトは確かに周囲に伝搬する呪詛です。
ですが、あれはおそらく術者も想定外の規模だったはずでしょう」
それに答えたのは、修道女のカタリナだった。
先生方は一般人だと思っていた彼女が魔術に精通していることに未だ信じられなかった。
「想定外? どういうことだ?」
「刑事さん、呪詛とはどういうものだと思いますか?」
黒いケープの魔女が、疑問を浮かべた伊藤刑事に尋ねた。
「呪いの中で、特に殺傷性の高い殺害目的の物だ」
「そうだ、そう言う意味ででは、これは呪詛じゃない」
「なに? あれに殺意が無かったと言うのか!?」
化粧屋の言葉に、伊藤刑事も驚愕が隠せなかった。
「ハンセン病は、たしかに酷い病気だ。
だが掛かって即座に死ぬようなものじゃない。
でもその特徴的な症状から他者に忌避され、差別され、偏見の原因になった。
その病に掛かった人間は当時、多くの権利を剥奪され、社会的に死んだも同然だった」
化粧屋は、まるで見てきたようにそう語った。
「この呪いの本質は、殺害では無いと?」
「この国には、人を呪わば穴二つって言葉があるだろ?
誰かを呪って殺すって言うのは、それだけの代償を払う必要がある。
ある程度ランクを下げればそれだけ呪いの扱いも簡単になり、精神的敷居も低くなる」
「それは、確かにそうだが」
呪殺の類が術者の命を脅かすことは、伊藤刑事も承知していた。
それでも呪殺事件が多く発生するのは、それだけ他者に恨みを持つ人間が多いからだ。
「で、では、なぜ教室中にまで呪いが及ぼうとしたのですか!?
テロではなく、うちの生徒一人を狙ったものだと!?」
「まあ、少なくとも無差別テロでは無いわな」
その恐ろしい事実にたまらず声を挙げる教頭に、化粧屋は頷いた。
「呪いの範囲が急速に拡大したのは、術者と被害者両方が原因かと」
そして魔術師が冷静に次の疑問にそのような結論を述べた。
「両方に、原因が? どういうことです?」
両方に原因があると言う事態に理解が及ばず、教師の早瀬が尋ねた。
「ツァーラアトという言葉は、ハンセン病を単純に言い表す言葉じゃないのです。
この国にもある神道でいうところの、穢れの概念に近い」
「穢れ? 実際の病気を発生させるわけではないのか?」
「ええ、分かりやすく言うのなら、この呪いは相手の穢れを増幅させて人体に影響させる攻撃、と言ったところでしょうか。
そして──」
魔術師は、オークの杖で虚空に文字を描いた。
それは『く』の字に似ていて、何も無いところから炎が発生していた。
伊藤刑事だけでなく、先生たちも突如の魔術の行使に驚き、離れた。
「あの、早く消してください!!」
恐れ戦いた早瀬先生が叫んだ。
「そう、魔術には術を終了させると言う工程が必要なのです」
オークの杖で虚空に浮かぶ文字を消し去り、炎が消失すると魔術師は言った。
「術者はそれが出来ていなかった。明確に素人です。
そして術の対象も、予想以上に増幅元の穢れが存在していた」
それが結果として予想外の効果が出てしまった原因だと、魔術師は語る。
何のことも無い。単に恨まれるには、恨まれるだけの理由がある、と言うだけの事だった。
「……被害に遭った女子生徒はなんと?」
「何も知らないの一点張りで……」
テロかと思ったこの事件、紐解いてみれば下らない真実が見えてきそうで、伊藤刑事も彼に問われている教頭も言い辛そうだった。
「私は帰るわ。痴情の縺れに付き合ってられん」
化粧屋はうんざりした様子で、一人さっさと校長室から出て行ってしまった。
「あの女、また勝手に……」
伊藤刑事もその勝手な行動に物申したかったが、事件は進展しそうだったので言葉を飲み込んだ。
実際に魔術的知見は得られた。容疑者の確保は彼らの仕事だった。
「私も帰ります。一大事と聞きましたが、これ以上お役に立てることも無いでしょう」
仮面の魔術師も立ち上がる。
「先生」
「あ、ああ、刑事さん。そろそろ生徒たちを」
「……わかりました。お二人もお帰り頂いて結構です」
黒衣の魔女の視線に促され、校長は伊藤刑事に生徒二人の退出を許可した。
大人たちが彼女らを見送ろうとして、それを許さぬ人たちがいた。
「校長先生!! 魔術テロとの事ですが、なぜこの学校が狙われたのでしょうか!!」
「今後の安全対策はどのようになさるおつもりですか!!」
「その二人は事件関係者なのでしょうか!!」
門前で待ち構えていたマスコミ関係者たちである。
彼らを警戒して裏口から出たのに、かなりの数がいた。
「あー、皆さんおちついて。
当方の捜査によりますと、テロ事件である可能性は著しく低くなりました。
今回の一件は特殊な案件ですので、後程学校側と一緒に記者会見を──」
伊藤刑事はマスコミの前に出てそのように説明した。
まだ未確定な捜査状況を話すはよろしくはないが、異能係は社会の異能事件の収束を第一にしている。
凄腕の異能者が揃いも揃って、テロではない、と根拠を述べて太鼓判を押しているのだから、彼も信じることにしていた。
何より、事件の被害者は未成年なのだから。その人権が報道屋に食い物にされて言いわけが無いのだ、と。
無論、その程度で納得するほど素直な連中なら、彼らを毛嫌いする人々も多少は減っていただろう。
「では、犯人の目星は特定できたのですか!?」
「学校関係者のお話だけでもお聞かせください!!」
「この学校が呪われているという噂に心当たりは!!」
「以前にこの学校で心神喪失者が出たというのは本当でしょうか!!」
もはや拭いきれぬ悪評が流れていることに、校長たちの表情も青くなるのだが。
「静まりなさい」
魔力の乗った声が、彼らを黙らせた。
一瞬にして、あれほど騒がしかった裏門前は水を打ったように静けさが訪れた。
「調停者たる私が宣言する。
流言飛語に惑わされず、世間の混乱を招くような報道は控えなさい。
被害者や学校関係者、そしてそこに通う生徒たちに最大限の配慮をすること。
この裁定に異議を成す者は神々の怒りを買い、祝福を失うだろう」
魔術師の言葉を、喧々轟々としていたマスコミたちは粛々と受け入れていた。
まるでそれが当然のことのように、彼らは自然に受け入れていた。
「あ、ありがとうございます」
「被害者やこの学校に通う生徒たちが彼らの食い物にされる必要はありませんから」
何が起こったのかは分からないが、マスコミが最低限の人数を残して撤収を始めたのを見て、校長は魔術師に頭を下げた。
校長たちも、これで過剰な報道は控えられると自然と悟ったのだ。
「そして二人とも、今日は無理言って来てもらってすまない」
校長は生徒二人にもそう言った。
「刑事さん、彼女らは事件の目撃者に過ぎなかった。それ以上でもそれ以下でもありません」
「分かっていますよ、どんな事情があろうとも、この国では法律上未成年なんですから」
伊藤刑事はやりにくい世の中になったと、つくづく思うのだ。
「正直、今生で化粧屋の顔を見た時は不愉快極まりなかったですが、こうしてあなたにもう一度巡り合えたのならそれも悪くない。
今も弟子を取っているのですか?」
「ええ、一人、見込みがあるのが居てね」
「そうですか。人間同士がやたらと殺し合う必要が無くなっただけ、この時代に移り変わった価値は有ったように思えますよ」
帰り道の道中に、仮面の魔術師はカタリナを見てそう呟いた。
「それはどうでしょうか。多様化と言えば聞こえはいいですが、私には堕落と退廃の言い訳にしか聞こえません。
それどころか人々は魔術の存在に惑わされ、神の御許に行こうとも考えない。本当に、度し難い」
そのカタリナは胡乱な視線でそのように吐き捨てた。
「お前さ、さっきはこいつのお蔭で面倒事にならずに済んだんじゃないか」
いつの間にか、化粧屋がコンクリートの塀に背中を預けて立っていた。
「少しは感謝してやったらどうなんだ?」
「戯言ですね。それで魔術を用いて人心を操ることが正当化されるとでも?
あなたの場合、それで自身の行いの邪悪さや醜悪な内面を覆い隠せると思っているのですか?
調子に乗るな外道、お前のような下衆が社会に混乱をもたらしているのだ」
「あ゛あ゛?」
「止めなさい、二人とも。
今生でも殺し合うつもりですか?」
殺気をまとう二人の間に、魔術師が割って入った。
「そうね、お互い昔のようなことはこりごりでしょう。相手に謝れとは言わないけど、それ以上は止めなさい」
「……」
「……」
化粧屋は舌打ちし、カタリナは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
仲裁をした魔術師と魔女は、やれやれとため息を吐いた。
「……彼に免じて、その仲裁を受け入れましょう。
その代りと言ってはなんですが、あなたの弟子を借りますよ」
「うん? どうして?」
「あの被害者を通じて術者を特定する為ですよ。
邪悪な術を行使する者を野放しにはできません」
「好きにすれば? それなら、もう一人の方も連れて行きなさい」
その辺が落としどころだろうと、黒衣の魔女はカタリナに弟子の貸し出しを許可した。
「ふん、異端狩りの総長が魔女に人手を借りるなんて墜ちたもんだな」
「この一件には、思うところがあるのですよ」
化粧屋の皮肉を受け流して、カタリナはそう言った。
その生気の無い双眸には、何かしらが見えているように化粧屋は思えた。
「そうそう、この後暇かしら?」
「いえ、特に用件はありませんが」
魔術師は魔女がなぜ予定など聞いてくるのか分からず、不思議そうにしていると。
「あなたのファンだって子が友達に居るのよ。少しで良いから会ってあげて」
「はぁ、構いませんが」
まさかこの人がそんなことを言うなんて、と仮面の魔術師は驚きながらも仮面の下で小さく笑みを浮かべるのだった。
彼を紹介された真冬の叫び声がご近所に響き渡ったのは、この十数分後だった。
今回は魔術師さんの回と言いましたが、書いてみて彼がメインっぽく無いな、と思ったので、後で改めて彼の回を書こうと思います。
切りが良いので、今回はつなぎの回となりました。
次回はカタリナさんと姉妹弟子コンビの捜査パートか、キンクリして別の話を挟むかして、魔術師さんの話にしようと思います。
前回のアンケートは実に参考になる結果になりました。
もう十分だと思いますが、締め切りは次回投稿時とさせてもらいます。
それでは、また次回!!
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