異能者がこの現代に現れて以来、世界は空前のオカルトブームが続いていた。
人々は魔術的謂れのある物品に価値を見出し、世界各地のパワースポットは連日観光客でいっぱいである。
スピリチュアルな宝石や石、異能者でなくとも占いや風水といった知識の持ち主は持てはやされ、テレビやネットを賑わした。
そんな中で、所謂ホンモノとされる異能者は一部を除いて不気味な静寂を保っていた。
日本では異能者が認知されて、公共の場に姿を現したのは妻鳥が初めてという程で、既に異能者の出現から五年以上経過していた。
アメリカやヨーロッパ、中国ではもっと派手な事件が起こっていたりしており、単純に人口の違いだろうと有識者はテレビの中で語る。
だが水面下では、魔法や超能力といった異能を悪用する者も着実に現れ始めたのである。
異能犯罪で逮捕された人間というのは妻鳥以前にも日本に存在していた為、彼らは別に示し合わせたかのように異能を隠しているという訳でもなかった。
ただ、世間の目を嫌うという性質はある程度共通していたと言える。
各国は自国の異能者の所在を把握することに躍起になったが、自ら異能者だと名乗る人物の大半は偽物だった。
ただ、日本にも最近は異能持ちというステータスを引っさげた芸能人まで登場し、ある者は新興宗教の教祖、ある者は動画配信者、ある者は警察に協力を申し出た。
世界は、着実に移ろいつつあった。
故に今日も異能係の警察官は休まることを知らない。
「伊藤さん、今日はここですか?」
「そうだ」
妻鳥と伊藤の二人は、今日都内にある美術館へとやってきていた。
本日から、この美術館は曰くつきの美術品を展示し始めるのである。
入り口にはまだ開館時間でもないのに、それらを一目見ようと長蛇の列が出来上がっていた。
「どうも、警察の方ですね」
二人が中に入ると、館長らしき身なりの良い男が彼らを出迎えた。
「はい、警視庁異能係の伊藤です」
「妻鳥です、本日は魔術品の展示ということで、注意喚起に参りました」
二人がやってきた理由はそれだった。
今の時代、魔術品の売買の為に盗難は珍しくなかった。
最近はお寺から仏像を盗む外国人より、美術館から曰くつきの品を盗む方が増えているレベルだった。
とはいえ、それはどちらかと言うとレアケースだった。
魔術品の流入は主に空港からであり、一見すると海外のお土産にしか見えない代物ばかりで判断が難しく、世界各国でそれらの規制には難儀しているのだ。
ただのお土産を魔術品だと偽って販売する詐欺も社会問題と化しており、ヤクザの資金源となっているという。
「せっかくだから、お二方もご覧になっていきますか?」
一通り注意を促すと、館長は親切そうな笑みを浮かべてそう言った。
「よろしいのですか?」
「ええ、開館時間までまだ一時間以上ありますし」
「それで、あの行列ですか」
「はい。昨日から並んでいる方々もおりまして、私たちの方も困惑しているほどです」
苦笑を浮かべる館長に、伊藤刑事も苦笑を返した。
「芸術家の多くに、魔術に携わったという逸話を持つ者がいるのは御存じですか?」
館長の案内に従い館内を歩く二人に彼は語りだす。
「ええ、その中に本物の異能者が居たのではないか、という話も」
「その通りです。今回の展覧会の目玉は、その筆頭たる人物の作品です」
現代に現れた異能者のうち、転生を経験した過去の時代の人物がそうであるのなら、それは不思議なことではなかった。
「これが、イタリアからわざわざ取り寄せた稀代の逸品です」
外の行列はこれを見に来ているのですよ、館長は子供っぽい笑みでその絵画を見上げた。
一方、警察官二人はその絵を見て絶句していた。
その絵は、寝台に寝かされ目を瞑っている男性に覆いかぶさるようにした男が至近距離までその男性の顔に自分の顔を近づけ、蜜蝋を塗っている光景が描かれていた。
その絵のタイトルは──『化粧を施す男』だった。
そのタイトルの下に、誰もが知っている偉人の名前が作者として刻まれていた。
「興味深い作品でしょう?
当時、化粧はキリスト教の影響で公然の場ではされなくなっていました。
そしてこの構図は、同性愛を彷彿とされる。彼の未発表作として数年前まで死蔵されていたと言うのも納得の一作ですね。
しかも化粧を施されている相手というのも」
「死体、ですか?」
「よくお気づきになられましたね」
妻鳥の言葉に、館長も笑みを深めた。
「死体にエンバーミングが施されるようになったのはかなり近代になってことです。
そもそも当時のキリスト教の価値観から言って、死体に手を施すことを許すとは思えません。
十五世紀後半のイタリアでは教会によって死体の解剖すらも禁じられるほどでしたから」
「そんな作品が、良く現代まで現存していましたね」
「ええ、これはイタリアで異能者が魔術的な隠蔽が施された工房の跡地から発見した物なのだそうです。
保存環境は悪いの一言に尽きるというのに、この作品はほぼ劣化が見られなかったという話です」
伊藤刑事に、館長は楽しそうに説明をした。
まさに稀代の芸術品にして魔術品だった。
「向こうの本場の学芸員たちが修復する必要もなかった。
かの偉人は異能者だったという、明確な裏付けに他なりませんよ」
館長は自信満々にそう語った。
「……」
妻鳥は別の作品を見に行った館長と伊藤刑事から離れ、一人『化粧を施す男』を見上げていた。
たった一枚に、ありとあらゆる当時の禁忌を表現した偉人の作品を。
ふと、彼は興味に負けて、周囲に誰も居ないのを確認し、そっとその作品の額縁に触れた。
彼の異能が、その作品が辿った歴史を彼に見せた。
§§§
十五世紀、イタリアのフェレンツェ。
あらゆる芸術の黄金時代、ルネサンス期。
その当時もっとも活気あるだろう広場に、一人の男が衆目を集めていた。
「さあさあ皆さん、お立合いお立合い!!
我が芸術を、我が作品をご覧あれ!!」
彼は大仰な仕草で、自身の隣に置かれていた布を被った物体を示した。
民衆はその大きさから、それは何かの石像だろうと当たりを付けた。
何の後ろ盾も無い無名の芸術家が民衆にパフォーマンスをすると言うのは、珍しいことではなかった。
それが人々に受け入れられるかどうかは別として。あるいは、この町で有数の工房たちがそれを許すかどうかも。
だが、民衆の想像は遥か斜め上に裏切られた。
男が布を取り払うと、そこにあったのは棒に縛り付けられた男だった。
民衆が絶句し、距離を取ると、男は満足そうに笑っていた。
そして拘束され、口に円状の物を噛まされ呻いている『作品』に目を向けた。
「今から、この男に天国を見せてやるのだ!!
さあ、さあ、この毒薬で、神の国を垣間見よ!!」
そう言って、彼は取り出した瓶の中身を男の口に注いだ。
男は激しく痙攣し、顔は蒼白になりながら、目や口から血を流した。
「今彼は!! 生から死へとシフトしている!!
人間の想像する最も神秘的な体験をしているのだ!!
見えるだろう!? なあ、天国が!! 見えるんだろう!!」
民衆が悲鳴を上げ、逃げ出すのも気にせず、男は哄笑を上げる。
やがて、縛り付けられた男は息絶えた。
それを見ていた彼は、可笑しそうに笑っていた。
すぐに警備隊が駆けつけてきたが、公然と殺人を犯したその男は大勢に目撃されたと言うのに捕まらなかった。
縛り付けられていた作品となった男は死刑囚だったことが判明したくらいで、犯人が誰かも不明だった。
そんなおぞましい光景だったのに、その場に居たと思われる妻鳥が感じ取ったあの絵画の作者は鮮烈な記憶として残っていたのを感じていた。
場面は変わる。
それは、集会の様子だった。
どこか宗教的な建築の建物で、奥に十字に薔薇のシンボルが掲げられていた。
それは現代では架空の存在だとされている、薔薇十字団の紋章だった。
まさかホンモノが実在したのか、と妻鳥は深く作者の意識を読み取ると、落胆した。
これは要するに、薔薇十字団を自称する集団の集まりに過ぎなかったのだ。
当時、いやこういった集団は現代まで続いて無数に存在したのだと作者の落胆の意識から妻鳥は悟った。
そんな中で、妻鳥は見覚えのある人物を見つけた。
あの、フェレンツェの広場で公開殺人を行ったあの男である。
その人物が、なぜか自称薔薇十字団の集会に参加していた。
絵の作者は、それに気づいて彼について他の参加者に尋ねた。
曰く、メディチ家も恐れる男。
曰く、C.R.Cの元側近。
曰く、ただの狂人。
と、散々な評価だった。
そして、その男のことを尋ねて回ることを彼が興味を引いたのか、男が近寄ってきた。
「なあ、あんた名前は?」
そして作者は名乗った。
そのいづれ後世に、人類史に名を残す、その名を。
場面は変わる。
「なあ、ピエロちゃん。
あんたは人が死ぬとどうなると思う?」
薄暗い地下室で、男は刃物を持って絵の作者に尋ねた。
彼と作者の視点で物を見ている妻鳥は思わず吐き気を催した。
二人は、死体を解剖している真っ最中だったのだ。
「それを調べるための解剖でしょう?
人間に魂は実在するのか。精神とは肉体のどこに有り、そしていつ消えるのか。
人間はなぜ機能を停止するとそれらが抜け落ちるのか。
それらはどこへ行き、なぜ生を受けるのと同時に獲得するのか」
「ピエロちゃんは難しく考えすぎだよ」
目の前の男は、ピエロと呼んだ作者を見て笑っていた。
この当時、死体の解剖は限られた場所でしかできなかった。
だが、目の前の男に言えばどこからともなく鮮度のいい死体を調達してくれる。
その多くは戦死したものであったり、病死していたり、と死体の構造や死因を見たいピエロにとって好都合だった。
二人は密会を重ねて、秘密の研究を行っていた。
「天国は本当にあるのか、とか。
死んだら本当にそこに行けるのか、とかさ。
俺はそれを信じてる連中が馬鹿馬鹿しくて、調べて回ってるのさ」
「天国が実在するかどうかはともかく。
神は実在するでしょう。 そうでなければ、ここまで雑多で無秩序な世界が存在するわけがない。
天国の実在性については、一時的に死の状態に移行できる薬を開発してから確かめればいい」
「うーん、少し前まで教える立場だったのになぁ」
「あなたは確かな技術を持っているのに、向上心が足らないのです。
自分を前に進めるには確かな好奇心と、飽くなき向上心なのですから」
「いやぁ、流石にピエロちゃんぐらいの探究心は無理だわ」
二人はそんな会話をしながら、作業を進めていく。
そんな仲の良く見える二人だったが、袂を分かつのはそう遠くは無かった。
「あなたの芸術は、ただ悪趣味なだけだ」
ピエロは冷たく彼に言い放ったのだ。
「人は死の瞬間こそ、真理を垣間見る。
なぜ町中の人間が宗教画ばかり有難がってるのか分かるか?
人々が思う美の中に、その奥底に感じ取れる感性に、真理が隠されているからだ」
「あなたがやっていることは、ただ気に入らない相手を貶めようとしているだけだ。
あなただってわかっているでしょう? そんなものは芸術とは言えない。真理があるとは言えない」
「黙れ!!」
目の前の男は、基本的に死体しか持ってこなかった。
だがある時、彼はピエロの前で人を殺した。何か興が乗っていたのか、嬉々として。
それが芸術であると。
その行いや行動理由が、ピエロにはいたく気に入らなかったのだ。
「お前なら、分かってくれると思ってたのに」
男は落胆して、ピエロの前から去って行った。
それ以来、彼が姿を現すことはなかった。
場面は変わる。
老境に入ったピエロは、弟子にも教えていない二人の隠し工房で、絵を書いていた。
書いているのは、あの『化粧を施す男』だった。
二人が解剖した死体は、決まってあの男が外見を整える。
そして死化粧を施し、手厚く葬った。
その絵だけを残して、老いたピエロは工房から去って行った。
魔術の研究などの資料は全て処分して。
そして長い年月を、暗い工房の中を絵画は過ごした。
ある時、その工房の扉を開けた女の姿が見えたところで、妻鳥は記憶の世界から戻ってきた。
数日後、休日に妻鳥はあの美術館へやってきていた。
あの絵を展示している美術館は空前の大盛況で、写真を取ろうとしているマナーの悪い客を学芸員が注意していた。
大勢の客に揉まれ、妻鳥も絵画を見上げる。
偉人の残した芸術と魔術を。
「よう、お前も来てたのか」
人ごみに疲れた妻鳥が美術館から出ると、見知った顔が声を掛けてきた。
「化粧屋さん」
「なんだ、お前って芸術とかに興味あったのか?
それなら言えばいいのにな、私の芸術を見せてやるのに」
「あ、いえ、結構です」
反射的に妻鳥は拒否した。
何だかとんでもない物を見せられそうな気がしたのだ。
「何だよ、私はこれでも普通に絵とか得意だぞ?
メッチャ上手いやつに教わったからな。今だと少々古臭い画風かもしれんが」
「メッチャ上手いやつですか……」
得意げに笑う化粧屋を見て、妻鳥は苦笑した。
「化粧屋さんも、絵を見に来たんですか?」
「ああ、毎日来てる。
昔に見た絵とか今生でもみれたりするから、なんだか感慨深いんだ」
それは、転生を経験しないと分からない感覚だろうと、彼は思った。
「……それに、友達の絵もあるしな」
ぼそり、と呟いた彼女の言葉は、風の音に掻き消されたのだった。
作中に出てきた架空の絵画ですが、まあ誰が書いたか言わなくても分かりますよね。
敢えて明言はしませんが、様々な逸話を持つ誰でも知ってるあのお方です。
こう言う風に昔の偉人と知り合いだって設定が作れるので、現代ものの転生は面白いと思いませんか?
そういうわけで、また次回!!
お楽しみに!! 次はいつもの四人組み+α!!