夜の十二時、日付が変わると同時に繁華街の店が閉まり始める。
この一角はキャバクラやクラブが並んでおり、風営法によって十二時以降は営業できない為一斉に店が閉まるのだ。
中には朝まで営業している店もあるが、この町では長く続かないのが常だった。
そして、今日もあるキャバクラ店が店じまいをし、キャストたちが帰宅しようと店から散り散りになろうとした時だった。
「ちょっと、えりなちゃん」
その呼び声に、えりなと呼ばれた女性はびくりと固まった。
女性と言ってもまだ彼女は十代後半で、まだ幼さが滲み出ていたが。
「な、なんですか、るり子さん」
えりなは背中にぴりぴりしたものを感じながら、振り返った。
そこに居たのは、えりなより少し年上に見える女がいた。
えりなと同じ店に勤務しているキャストの一人だ。
だが、見た目は若そうでも彼女はこの町で十年近くキャストを続けている大先輩だった。
彼女の店の同僚だけでなく、この繁華街で彼女に頭の上がる人間は少ない。
古臭い言い方をするなら、まさにこの繁華街の女王だった。
「あなた、厄介な客につかまってるって聞いたけど、本当なの?」
「え、それは……」
「本当なのね」
えりなの態度を見て、るり子はこつこつとハイヒールを鳴らして彼女の目の前まで歩み寄った。
「他の子が噂してたわよ、客からのメールを見て辛そうにしてるって」
「で、でも、私、要領悪いし、同伴してくれるお客さんは貴重だから……。じゃないとお店のノルマが……」
「ノルマなんてどうでもいいのよ、スマホ見せて」
るり子の感情の見えない視線に耐えかねて、えりなはスマホを差し出した。
「ヤラせろ、ヤラせろ、二言目にはヤラせろ、ね。
えりなちゃん、まさか応じたりしてないでしょうね?」
彼女のスマホのメール画面を見たるり子の詰問に、えりなは涙目になって何度も頷いた。
「そう、ならいいわ。体は大事にしておきなさい。
私はこの勘違い男を呼び出して話を付けておくから、あなたはもう帰りなさい」
「は、はい、ありがとうございます」
「ノルマも、店長が何か言ってきたら私に相談しなさい。
私の客をそっちに回してあげるから」
るり子はメールを打って客に送信すると、彼女にスマホを返した。
「それじゃあ、行ってくるから」
そう言って、るり子はネオンの灯りに照らされる夜道を去って行った。
その後ろ姿を、えりなは頼もしそうに見ていた。
§§§
同僚に付きまとう厄介な客に話を付けると、るり子はその客に車で送らせて帰宅した。
同じ車に客と乗るのを怖がる者も多い中で堂々と彼女は客の足で帰ったのである。
「ただいま」
二階に明かりがついていることを確認していても、るり子は習慣的にそう口にしてしまう。
真っ暗な一階の玄関から廊下に明かりをつけることもせず、彼女は自室へと向かった。
彼女が自室の扉を開けて、壁のスイッチを入れて電気を付ける。
すると、彼女は部屋の変化に気付いた。
安物の折り畳み式の小さなテーブルの上に、一枚のA5用紙が置かれていた。
るり子はそれを手に取ると、その内容を目で追った。
そこには、『授業参観及び保護者説明会のご案内』とあった。
提出期限は明日だった。彼女は初耳だった。
彼女は参加不参加を記入する欄に、チェックを入れた。
“参加”の方へと。
るり子はそれを一階の階段へと置いた。
それが、彼女と娘の数日ぶりのコミュニケーションだった。
今にも、彼女は夢に見る。
「お母さん、これを飲んで」
僅か八歳の少女が、ぐつぐつに煮えた液体の入った巨大な窯を背に言った。
差し出されたのは痛覚を麻痺させる毒薬だ。
そうとも知らず、夢の中のるり子は少女からそれを受け取って飲み干した。
るり子はその場に崩れ落ち、声も出せずに少女に何度も問いかけた。
どうして、と。
驚愕の表情のままで固まっているるり子に、少女は無垢に笑いかける。
「大丈夫だよ、お母さん。それを飲んでいれば痛くないから」
そして少女は用意していた短剣を取り出した。
何をこれからされるのか察したるり子は、恐怖のままにうめき声を出すことしかできなかった。
彼女はどうかその想像が現実にならないことを祈った。
「えいッ」
非力な少女が渾身の勢いで短剣を振り下ろす。
彼女の祈りは、届かなかった。
少女は何度も、何度も何度も短剣を振り下ろした。
痛みは無くても、異物が自分の体を削り取っていく感覚だけはどうしても残る。
「えい、えいッ」
少女は健気に作業を行う。
両手両足を苦心して切断し、返り血でまみれたまま少女は馬乗りになって血まみれの短剣を振り上げた。
やめて、と心の中で何度叫んだか分からない。
少女はやはり止まることなどなく、首の切断を始めたのだった。
不思議で、不快極まる感覚だった。
五体と首がバラバラにされ、それでもなお意識を保っているというのは。
「それ、よいしょっと」
少女が、母親と呼んでいた物体の四肢や胴体、首を窯の中に放り込んだ。
その中身はいかなる薬液なのか、苔のように濃い緑色をしていたそれの中身が真っ赤に染まる。
少女は窯の中身をかき混ぜながら、呪文を唱え続けた。
それは女神ヘカテーへの祈祷の文言であり、賛歌だった。
少女は三日三晩、窯の中身の液体が無くなるまでかき混ぜつづけた。
るり子が目を覚まし、最初にしたことは実家に電話することだった。
三日に及ぶ儀式に疲弊し衰弱していた少女の姿も目に入らず、駆けつけてきた彼女の両親が発見して初めてるり子も気付いたほど彼女の精神状態は平常ではなかった。
「おまえさん、いったいその体どうしたんだい。
まるで、うちを出て行った頃のまんまじゃないか」
もう六十を超えたるり子の母が、その姿を見て驚愕したのは無理はない。
るり子の実年齢は、もう四十歳を超えていた。それがどう見ても学生のように若々しい姿をしていた。
それが、少女の儀式の成果だった。
しばらくの間、自分の母親に世話になりながらそれまでの半生を彼女は振り返った。
両親と大喧嘩して、家を飛び出した彼女がやれる仕事と言えば水商売くらいだった。
幸いなのか、当時はバブルの真っ最中。
お金を持っている連中に貢がせるのは容易な時代だった。
勿論、それは長くは続かない。人はずっと若くはいられない。
東京の繁華街でいつまでも客を維持することは難しかった。
そんな彼女が三十を超えた時、彼女はある男の愛人になった。
一番の理由は生活苦だったが、このままずっと水商売を続けていられないだろうと心のどこかで思っていたのだろう。
カネと権力を持ち合わせた男だったが、ある時を境に姿を消した。
彼女と、彼女のお腹に居る子供を残して。
そうなった時には、もう彼女は子供を下すという選択肢は取れなかった。
彼女にとって、自分の娘は他人も同然だった。
男と自分を繋ぎ止める楔にしか過ぎなかったのだ。
それでもお腹を痛めて産んだ子を見捨てるほど、彼女は薄情でもなかった。
愛を注いだ覚えは無かったが、生活に不自由はさせなかったはずだ。
そうして仕事をすればするほど、自分と周囲の空気が浮き彫りになる。
どんどんと若い子が、お店で成績を伸ばしていく。
若い子たちからいつまでもこの業界にしがみ付いていると笑われる。
執念だった。その道以外で、生きる方法など彼女は知らなかった。
日に日に荒んでいく彼女に、小学生になった彼女の娘がこう言った。
「お母さん、わたしお肌を良くする方法を知ってるよ」
顔を見れば当り散らすのが当たり前だったのに、その時ばかりは彼女は娘の話に聞き入っていた。
そして次へ、次へと、るり子は魔術の泥沼に嵌まって行った。
やがて、最大の秘術に手を出してしまうほどに。
魔術に手を出して、その神秘に触れるようになって、彼女は気付いてしまった。
自分の胎から生まれ落ちた実の子供が、想像を絶する化け物だということに。
それ以来、るり子は自分の娘と目を合わせたことがなかった。
§§§
授業参観日当日。
いつもの四人は居心地が悪そうにしていた。
「うちの両親、忙しいのに二人とも来てさぁ」
「それだけあんたが心配なんでしょ」
夏芽は教室の後ろで話している保護者達に目を向け、そうぼやいた。
千秋の母親も夏芽と真冬の親と話している。当然、彼女らは昔から知り合い同士だった。
「授業参観とかテンション下がるよね。
そう言えば、春美ちゃんの親ってどこに居るの?」
真冬は少しでもこの居心地の悪さを共有しようと春美に話しかけたのだが。
「うちの親は来ないよ。不参加」
「え、そうなの?」
「脳みそにカビ生えてるの。
私が師匠に魔術を習うことを伝えたら、狂ったみたいに猛反対してさ。
そんなものに関わるな、だとか、もっとまともな将来を考えろ、とかさ。
ホントマジでウザいの」
露骨に嫌悪感を露わにしている春美に、幼馴染三人はそんな家庭環境だとは知らずに顔を見合わせた。
「私の両親さ、昔から書道だとか学生塾だとか水泳だとかピアノだとか、色々習い事をさせられてたの。
高校になったら流石に減らしたけど、まだ習い事とかしてたの。
それを全部やめて師匠に師事することにしたから、そりゃあもう大激怒でさ」
「……まあ、気持ちはわかるけど」
千秋はそんな風に当たり障りのない言葉で春美の不満を受け流した。
「カタリナさんの親は、って、聞くまでも無いか」
夏芽の視線の先には、神父服の中年の男性が立っていた。
「神父様は親代わりですが、肉親ではありませんよ。
私の両親は都合がつかなかったのです」
「まあ、割と急だったしね」
カタリナの言葉に、夏芽も納得した。
学校側はとにかく早く保護者に説明したかったのか、急な日程だったのだ。
それでも、保護者の人数は教室の後ろ側に入りきらないほどだ。
「まるで入学式か卒業式みたいな人数だね」
真冬は廊下にまで保護者達が溢れかえっている様子を見て、そんなことを呟くのだった。
そして授業参観は、つつがなく終了した。
生徒たちは午前中で下校になる為、彼らは昇降口に向かおうとするのだが。
「人が多すぎて邪魔すぎる……」
「この町って、こんなに人居たんだね」
廊下を少しずつ進む千秋と真冬が辟易していた。
帰ろうとしている他の生徒もいるので、廊下は混沌としていた。
四人が何とか昇降口にたどり着くと、混雑は大分マシになっていた。
「お母さん、説明会にはいかないの?」
「ええ」
すると、そこには黒衣の魔女とその母親らしき人物が話していた。
娘の方はこの学校では知らぬものが居ない有名人である為、多くの生徒たちが遠巻きに彼女らを見ていた。
「えッ、あれが魔女さんのお母さん? すごく若いね」
「ああいうのを美魔女っていうんだろうね」
夏芽と千秋が二人の様子に驚いていると。
「だって、あなたを心配する必要なんて無いでしょ?
学校側がどんな対策をしたところで、ねぇ」
「……」
「私はこれで帰るから」
それだけ言って、彼女は昇降口から出て行ってしまった。
その背を、魔女は黙って見ていた。
「あの女、来てたんだ」
軽蔑に満ちた視線を向けていた春美が、ぽつりと呟いた。
「春美ちゃん、あの人知ってるんだ」
「そりゃあ、師匠の家で修業してるんだし。ホントにたまに顔を合わせるの。
あの人とも滅多に顔を合わせないし、あんなのネグレクトも同然よ」
意外そうな真冬の言葉に、春美が吐き捨てるようにそう言った。
だが、すぐに春美の表情がこわばり、額に汗が浮かび始めた。
「人前で、そんな人聞きの悪いこと言わないで」
見れば、黒いケープの魔女が自分の手の中指を限界まで後ろに曲げていた。
「ご、ごめんなさい、師匠、言い過ぎでしたぁ」
「……」
春美は素直に非を認めて涙目で謝ったが、彼女は無言だった。
ぎりぎり、と彼女の中指の角度が外側に徐々に狭まっていく。
「わ、わぁ、魔女さんって指きれー!!
どんなケアしてるんですかー!!」
ここで真冬が彼女に近づいてその手を取った。
それで術が解けたのか、春美は手を抑えてぷるぷると震えて痛みに耐えている。
「私も気になるなー、私乾燥肌だし」
「うんうん、私も洗い物とかしてるとすぐにあかぎれとかできるし」
空気を読んだ夏芽と千秋も彼女の元に歩み寄った。
「何をしているのですか、あなた達は」
その一連の様子を見ていたのか、カタリナがやってきて呆れたようにため息を吐いた。
「どうかしたのですか、カタリナ」
「ああ神父様、彼女ですよ」
彼女の後ろの人ごみを避けるようにして、神父が現れた。
「ああ、彼女がカタリナの言っていた……」
カタリナの促す先に居る黒いケープの魔女を見て、神父は頷いた。
「どうも、あなたのことは彼女から窺っています」
「こちらこそ」
傍から見れば、神父と魔女の邂逅である。
アニメやラノベの設定によっては殺し合いが始まってもおかしくない組み合わせだった。
尤も、神父の方はただの一般人に過ぎないが。
「あなたとカタリナが同じ時代の同じ国に、それも同じ年齢で生を受けたのは神の思し召しなのでしょう。
どうか、彼女と仲良くしてやってください」
「いいんですか、私は正真正銘の魔女ですよ」
「意味の無い出会いならば、それはこのような形にはなっていないでしょう。
それに遠目からでも、あなたが母君を慈しむ心を持っているのが見て取れました。
どうかあなたも、生まれ変わって再びカタリナと出会った意味を探してみてください」
「神父が、転生を認めるの?」
「全知全能たる我らが神にそれが不可能だとでも?
神が未だ我らに与える奇跡の恩恵は計り知れず、教えや聖書にその全容が網羅されているとは限らない。私はカタリナと接して、そう思うようになりましたよ」
見ようによっては緊迫した状況なのに、温和な神父の人柄なのか一触即発という空気には見えなかった。
「……あの時代、あなたのような人ばかりだったら良かったのに」
黒衣の魔女は若干目を伏せ、心の底から惜しむようにそう呟いた。
それは、彼女のどうしようもないほどの本音だった。
「買い被りすぎですよ。私はこの時代の一人の人間に過ぎません。
さて、カタリナ。保護者説明会の会場は体育館で良いのかい?」
「ええ、あちらですよ」
そう言って、神父は一人で廊下を進んでいった。
「二倍、ね。数字で計り知れないほど、あなたは恵まれているわよ」
その姿を見送っていたカタリナは、その言葉に何も言わなかった。
ただ、普段の無表情な彼女の口の端がつり上がっているように見えた。
「そうだ!! せっかくこうして顔を合わせたんですから、これからなにか食べに行きましょう?」
「あ、賛成!! 近くのファミレスとか行く?」
その場の空気を換える様に、千秋の提案に夏芽が乗った。
「良いね、魔女さんもカタリナさんも一緒に行く?」
真冬が二人に尋ねると、ええ、と二人も頷いた。
「じゃあ、望海も誘っておくね」
「食べ終わったらカラオケでも行かない?」
春美がスマホで望海にメールを送り、食後の予定も話し合い始める面々。
この日は、こうして何事も無く過ぎていくのだった。
今回はようやく授業参観の話を書けました。
まだ話のタネのストックはあるのですが、次回はどのような話にするのかまだ決まってないので、アンケートを実施します。
ご協力くださると幸いです。
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