都内の片隅にあるイヴの屋敷。
その主である彼女は、自室にて安楽椅子に揺られ、目を閉じていた。
本来彼女は睡眠を必要としない。
彼女にとっての睡眠とは、膨大な思考と記憶を整理するデフラグにも似ていた。
それだけなら人間と同じだが、彼女はそうしなければ忘れるということができない。
人類を超越するスペックを有する彼女も、それはあくまで人間サイズでしかない。モノには限度があるのだ。
そうして、彼女は記憶を辿る。
まずは、ごく最近の記憶だ。
「初めまして。会ってみたかったよ、我が“同輩”」
その場所は、病的なまでに白い部屋だった。
壁や天井、床や調度品まで白に統一された極限まで生活感が存在しない部屋だった。
それに反するように、その部屋の主は黒一色だった。
黒いローブを身に纏う、黒髪の少年。或いは青年かもしれない。
黄色人種に見えるが、どことなくイヴとはまた別に浮世離れしていた。
「ボクに協力を求めに来たんだろう?
構わないよ。君がしたい通りにすればいい」
彼はある種の非人間的に感じるほど透明な笑みを浮かべてそう言った。
「なぜ? どうして疑問を抱くんだい?
君は自分の思惑通りことが運ぶことができるんだから、それ以上は必要ないはずじゃないか。
それとも、ただ了承するだけじゃ信用できないかい?」
くすくす、と少年は笑った。笑った、という動作だけだった。
「未知なるものは恐怖に値する。
随分と君は人間らしいんだね。羨ましくなんてないけど。
それに、ボクの事なんて知っても面白くないよ。必要でもない。
それよりも、君はもっと知るべきことがある。そう、君たちの計画の助けになるものについてだ」
イヴは彼に何一つ、自分から何かを話していなかった。
なのにこの少年は全てを決定ありきで話している。まるであらかじめ受け答えが録音された機械のように。
そうして、彼はイヴに預言を齎した。
それは確かに彼女の助けとなる物だった。それさえ有れば、彼女と召喚士の計画を大幅に前倒しできる。それどころか……。
「話すべきこと、伝えるべきことは伝えた。
この場においてボクの役割は終わった。
だけど君はこのまま帰ったりしない。そうだろう?」
イヴは彼に尋ねた。
──お前に自分の意志はあるのか、と。
「難しい質問だね。例えば誰かに銃を突きつけられて脅され、親しい誰かを殺せと言われればそこに自由意思は無いとも言えるし、決死の覚悟で反抗することもできる。
少なくともそんな哲学には意味が無い。
君だってそう思うだろう?」
イヴは同感だった。
思想に耽ることに彼女は意味を見出せない。
「意思、と言えば君は自分の意思に限界を感じたことはあるかい?」
そこで彼は、こんな質問をしてきた。
「君はたぶん、この地球上で誰よりも頭が良いだろうし、優れているのだ。
だけどそれに意味が有ると思うかい?」
馬鹿馬鹿しい質問だと、イヴは思った。
意味が有るかどうか、よりもその事実が重要なのだと。
「確かに、それは事実かもしれない。
でも君は自分の才覚に限界があるのを感じないかい?」
無い、とイヴは言い切った。
少なくともイヴは必要な物をすべて備えて誕生した。
彼女にできないことは何一つとして無かった。
「ああ、言い方が悪かったかな。
この世界の最高値である君の頭脳は、そこで制限を迎えている。そうは思わないかい?」
イヴは鼻で笑った。所詮は哲学か、と。
「よくあるだろう?
物語の登場人物は、その作者の頭脳を上回ることはできない。
世界最高の天才という設定の持ち主である登場人物が、凡人の作者の頭脳を上回ることはできない。
もしかしたら、この世界を神が創ったとして、その神は他の神々と比較して微妙な成績を学校の通知表で貰ってるかもしれない。
もしかしたら君の頭脳なんてモノは、その程度なのかもしれない」
だとしたら私以外はそれ以下ね、なんてイヴは笑う。
「どうかな、或いは個々に制限があるだけで、この世界の住人は等しく同じだけの頭脳を有しているのかもしれないよ。
君が万物の創造主なら、個体差なんて無くして性能を均等にするだろう?
そして役割を課して、それぞれ必要な仕事をさせるはずだ」
それは。
それは。
たまらなく不愉快な言葉だった。
「怒らないでよ。
さっき必要なことは終えたと言ったけど、これも必要なことなんだ」
不服そうに、少年はぼやいた。
イヴの怒りを買った彼は、今まさに殺されかけていた。
「君は、自分の創造主を覚えているかい?
そう、親しい者たちから“博士”と呼ばれていた人物だ」
彼は少しも躊躇なくこう続ける。
「そんな人物って、本当に居たのかな?」
「いやいや、怒らないでって。ボクは君を怒らせたいわけじゃないんだ。
これもよくある話だけど、誰かが死んでしまったとして、その友人たちはこういうわけだ。
あの子の思い出が私たちの中で生き続ける、ってね。
じゃあ誰の思い出にも残っていない人物はどこにもいないのかな。
歴史上の人物や、自分の先祖とか。物語の登場人物の両親とかが描写されないのと、これって同じだと思わないかい?
存在を確認できないのなら、それは居ないのと同じだ」
くだらない、とイヴは吐き捨てた。
自分は自分だと、彼女は言った。
「君の言うところの自分は、君の名前が書いてある文章を塗りつぶせば存在しなくなってしまう程度のモノなのかもしれないよ。
──ああ、はいはい、黙ります。これ以上は余計な事は言いません」
イヴの殺意が増し、やがて降参するとでもいうように彼は両手を上げた。
「なぜ君は特に検証することも無く、今この時代を騒がせる異能者たちの転生の秘密に気づけたのかな?
研究者であるはずの君が。なぜ確信を持てたのか?
ああいや、疑問に持つ必要は無いよ。どうせしばらくすれば勝手に分かることさ。
……ほかに何か台詞はあったっけ?」
ああそうだ、と次に彼はこう言った。
「よく、思い出すことだね。
自分が何者なのか、そして自分が何をしたいかをね」
…………
…………
………………
最古の記憶を呼び覚ます。
「イヴ、そこの棚の薬瓶を取ってくれ」
「分かりました、ご主人様」
「その後に、次の調合する薬のレシピを書き起こしておいてくれ」
イヴは道具だ。
それも、とても便利な道具だ。
だから彼女の記憶にある主人との思い出の大半は、作業風景だった。
彼女の主人の工房を訪れる人間は様々だ。
「お願いです、学者様。
うちの娘が病気で倒れちまったんです!!」
主人を頼る村人たちであったり。
「これが明日のパーティの招待状です。
錬金術師殿につきましては、ご参加のほどよろしくお願いいたします」
欲にまみれた貴族が従者を寄越したり。
「貴様が異端の魔術師か!!
神の御名において、貴様を処断する!!」
馬鹿な聖職者気取りどもであったり。
「助かるわ博士。イヴもまた会いましょう」
道を同じくする同業者であったり。
長い、長い時間を過ごした。
「……イヴ、お前にはいつも世話を掛けるな」
ある時、彼女の主人が従者を労った。
「私はご主人様に尽くすのが使命ですから」
イヴは機械的にそのように応じた。
「使命か。随分と懐かしい言葉だ」
どこか目を細め、主人はそう呟いた。
「イヴ、この世界に神は居ると思うか?」
「あの愚かな連中曰く、人は神に似せられて作られたとか。
ならば、私にとっての神とはご主人様です」
「違うな。私は失敗したのだ」
主人は溜息と共に首を横に振った。
その言葉の意味を、イヴは理解できなかったし考える必要も無かった。
「だが、その代わりお前を造ることができた」
彼女は誇らしげに、己の従者を見やる。
「本来なら、お前を従わせることさえおこがましいことなのだ、私は」
「仰っている意味が分かりません」
「分からなくてもいい。だがお前は特別なのだよ、イヴ。
お前は私ではなく、神の現身なのだ。私は所詮、出来損ないなのだ」
そう言って、イヴとよく似た顔を歪めて笑う錬金術師。
「イヴよ、どうかこの世界の礎となるのだ。
そして、いずれ私の代わりに我々の使命を果たせ」
「……私の使命」
人間でいうところの、パソコンの古いフォルダのデータを掘り返したイヴは、目を開けた。
目の前には、己の従者が勢揃いして待機していた。
「お姉さま、すべての準備が整いました」
「分かったわ」
イヴは従僕たちを従え、召喚士と合流すると港へ向かう。
「あなたが計画の修正を言い出すとは思いませんでした」
「ずっと探していたモノが見つかりそうなのよ」
意外そうにしている召喚士に、イヴはそう答えた。
船で無人島に到着した一行はそこに隠してある大型の転移装置へと向かった。
これは世界中のどこにでも一瞬にして移動できる錬金術の粋を集めて作った魔術装置だった。
以前イヴは高速の移動手段について伊藤刑事らに語ったが、それを応用したものだ。
人体が超長距離まで一瞬で移動した際に生じる時間的矛盾を別人に肩代わりさせることによって、自分たちは移動したという結果だけを得られる。
「行ってらっしゃいませ、お姉さま」
もうすぐ跡形も無く爆散するというのに、従者のホムンクルスはイヴに一礼する。
イヴは召喚士の他に、
「ご武運を」
そうして、イヴの従者たちは己の命を終わらせる装置を起動させた。
「この氷の下に、例の遺跡があるのですか」
「ええ、見つけたわ。
私たちに魔術を齎した、神々の遺産を」
防寒具を身に着けた二人が分厚い氷の下に眠る巨大な影を見下ろし、笑みを浮かべた。
「本来ならその影響力を期待していたのだけど、これだけの物を引き上げるにはテンペストの力が必要そうね」
「それが最もローコストでしょう。
では、先日話した通り、彼を味方に引き入れるということで」
そうして、この日二人の計画が一段階進むことになった。
§§§
「じゃあ、あなたは前世で師匠の弟子だった、と言うことですか」
春美は自分たちの前に現れた女に、そう尋ねた。
あの後、面々は近くのカフェテラスの席に座って彼女の事情を尋ねたのだ。
「そうだねぇ、昔の知り合いからあの方がこの街に居ると聞いて出向いたて来たんだよ」
「生憎ですね。師匠なら今田舎に帰ってます」
「そうかい、なら出直すかねぇ」
望海の言葉に、彼女は特段残念そうにするでもなく、そう呟いた。
「それにしても、どういう経緯かは知らないけどね。
私の妹たちが教会の人間と仲良くしているとは驚きだ」
肩を竦めて、彼女はカタリナを見やる。
当然ながら彼女はカタリナが一般人ではないことぐらい気づいていた。
「ヒヒヒ……まあ、ここはお互いに踏み込まないでおこうかねぇ」
だがジッと警戒を露わにしているカタリナを見て、彼女は面倒ごとを避けることにした。
「まあ、しばらくこの街で待つとするかね。
いずれ戻ってくるだろうし、押しかけるのも悪い。
二人も、何か困ったことがあればいつでも相談するといい。
同胞として、いつでも歓迎しよう」
彼女はそう言って、連絡先を春美に渡した。
「そうそう、ところでさっき例の事件の犯人について話してたみたいだけど。
あの男に何か用でもあるのかい? 身内に被害者でも出たかい?」
「あー、どうするカタリナさん?」
「気を使わなくても良いですよ。時間を掛けて探せばいいだけですから」
夏芽がカタリナを気遣うが、カタリナはただそう述べた。
「……知り合いかい。あんたも、あたしと同じってわけか。
これも縁だ。私も偶然警察に協力を求められてあの男と係わったんだが、今どこに居るか教えてやってもいい」
「知っているんですか?」
「警察に教えられたわけじゃないがね。
呪術的な繋がりはまだ残っているんだよ」
それで大体の位置は分かる、と彼女は言う。
「案内してやってもいい。ただし、報酬は貰うがね」
そう言って、どこか意地悪く笑って彼女はそう言った。
…………
…………
………………
その日の昼過ぎ、副長の病室にてドアが開いた。
てっきり看護婦が昼食の食器を下げに来たのかと思った副長は、目を見開く。
「やはり、あなたが来ましたか」
副長は通路側から堂々と入ってきたカタリナの姿を認めて、どこか安堵したようにそう言った。
「私を殺しに来たのでしょう?」
「その前に、尋ねたいことができました。
さっきの放送の事です」
「ああ、総長も見ましたか?
我ながら大根芝居だったでしょう?」
でしょうね、とカタリナは呟いた。
彼はやろうと思えば、あの時警官たちを殺して押し通れたはずだった。
そして先ほどの配信だ。出来すぎている、と彼女は思った。
「誰に頼まれましたか?
我々に、術を呪符に付与する技術は無かったはず。
それをするには高度な魔術の腕が必要だ」
「まず一つ目の質問に答えましょう。
誰に頼まれたか、でしたか? 私の意思ですよ」
カタリナの追及に、包帯だらけの副長は口角を上げてそう言った。
「一連の事件は、私のやりたかったことだ。
馬鹿な連中に、馬鹿を見させてやる。それが楽しくてやったことだ」
「副長……!!」
「総長、あなたはいつ己の記憶を取り戻しましたか?」
怒りを滲ませるカタリナに、副長は語りかける。
「自分は、学校で宿題をするのを忘れ、放課後にやらされている時でしたよ。
俺は小中高とずっといじめられ通しでしてね。
ある日、俺は偶々その日残っていたクラスの女子グループに取り囲まれて好き放題笑われていたんです。
特に関わり合いがあるわけでもない女子どもに囲まれて侮辱され続け侮られ、ペンをひたすら進めるしかない屈辱が分かりますか?
そして思い出したのです。俺は前世でも今生でも同じなんだ、と」
自嘲するように低く笑って、副長は言った。
「俺を嘲笑った連中に報復するのは簡単でした。
ある者は自滅させ、ある者は呪いを掛け、ある者は仲間割れさせ……傭兵団での経験が生きましたよ。
ねえ総長。学校が社会の縮図だというのなら、今の世の中は我々に対してどうしてくれるのでしょうね」
「…………」
「そう思って、馬鹿な連中が自滅していく姿をほくそ笑んでいたら、技術提供者から話を持ち掛けられたのですよ。ああ、これが二つ目の質問の答えになりますかね」
「誰です?」
「総長も知っているでしょう?
あの女ですよ。あの薄気味悪い、色白のヒトモドキ」
副長の言葉で、カタリナは目を瞑った。
そして思った。なんとなくが、確信に変わったか、と。
「自分は彼女と取引をしたのですよ。
もし捕まるようなことがあれば、前世の境遇を話せ、と。
そうして今の社会に一石を投じるのだ、と」
「なぜ、そんなことを?」
「さあ? でも俺は愉快だと思ったのでやってやりましたよ。
その結果がどうなるのか、俺は今から楽しみですね」
くつくつ、と他人事のように副長はそう述べた。
「……副長、あなたは虐げられる者の気持ちを理解していながら、なぜ」
「人の痛みを知るから誰かに優しくなれるとでも?
馬鹿馬鹿しいじゃありませんか。そんなのはやり返す力も度胸も無い連中の傷の舐め合いだ。
やられたらやられっぱなしで、やった方は自分の与り知らないところで報いを受けるとでも思うのですか?
嫉妬の神とさえ呼ばれる我々の神が、私たちの痛みを知ってそいつらに天罰を与えるとでも思うのですか?
ははは、総長はもう一度聖書を読み返した方が良い」
本心からそう語る副長は、邪悪ですらなかった。
ただただ、寂しいだけの弱い男だった。
「だから自分はあの女の茶番に乗ってやったんですよ。
──我々は、やられるだけじゃ終わらせない、とね!!」
「ただひたすらに、残念ですよ、副長」
カタリナはただ目の前で今も見えない恐怖に怯え、苦しんでいるかつての同胞の苦しみに涙していた。
「もっと、もっと早く、あなたに逢えればよかったのに」
ただそれだけが残念だった。
彼を止めるには、もう遅すぎたのだ。
「……帰ります。次会う時はどうか罪を償っていてくれることを祈ります」
「さようなら総長。もう一度貴方に会えてよかった」
がたん、と病室の扉が閉じ、カタリナの姿が消える。
魔術によって感覚が狂っている見張りの警察官の前を過ぎ、カタリナは警察病院の駐車場へと出て行った。
「どうだった? って聞くのは変かな」
「別にどうもしませんよ、ただ古い知り合いに会っただけですから」
わざわざ東京まで付いて来てくれた友人たちに、カタリナはそう答えた。
「せっかくここまで来たんです。
どうせだから、こっちで何か買い物でも楽しみましょう」
「そうだね、じゃあ何して遊ぶ?」
切り替えの早い夏芽が、心配から一転して他のみんなにそう尋ねた。
「はいはーい、ケーキバイキング行きたい!!」
「太るよー」
「私は賛成」
早速相談し始めている友人たちを見て、カタリナはほんの少しだけ微笑むのだった。
最初にイヴと話している彼、いったいだれなんだろうなぁ(棒読み
実は彼のキャラは先日まで定まっておらず、今回の話で第一部の着地点が決まったとも言えます。
メタな内容を物語に組み込んでこその創作だと思います。
そして次回は、意外な組み合わせでこの謎の人物に迫る予定です。
それではまた、次回!!