「まず、事の発端について語ろうか」
無機質な天使は、イヴの抜け殻を掻き抱く召喚士に一瞥し、その場の全員に語り出した。
「今より、この世界の時間の単位で一万年前に遡る。
この世界に移民の為に異世界の住人がやって来た。
そう、君たちの祖先であり、魔術という文化を齎した始祖たちだ」
天使はスッと腕を振るう。
すると、特別展望室から見える景色が宇宙色へと変化した。
その虚無の狭間を潜行する、卵型の船が原始の地球へと舞い降りる光景が外に映し出される。
「彼らは、とある使命を我が主上、ボクが仕える女神によって与えられていた。
この星を、この地球に文明を根付かせ発展させる、と言う使命を」
だが、と天使は首を振った。
「ハッキリ言って、これは失敗するはずの無い事業だった。
なぜならば、我が主上の偉大なる権能は“文明を与えること”。
失敗すればそれは我が主上の沽券に係わる。
身も蓋も無い言い方をするなら、ボクのような存在は万が一にも事業が失敗しないように監視する為に派遣される」
しかし彼の背後に映る光景は、魔法使い同士の殺し合いだった。
当時の地球の原住民を率いていたり、一対一だったりと様々だが。
「どう見ても、これって行儀よくお勉強を教えているように見えないが」
食い入るようにその光景を見ている化粧屋が皮肉気にそう呟いた。
「この移民団の船長は、我が主上たる至高の女神に願った。
貴女のような偉大なる存在になりたい、と。不相応にも。
──これがすべての始まりだった」
天使は目を瞑り、溜息を吐いた。
彼の背後の光景が映し出すのは、一人の女性が漠然とした巨大すぎる何かに祈りを捧げる宗教画のような光景が繰り広げられていた。
「これを我が主上は、自分のような至高の神に成りたい、と解釈なされた」
その言葉に、これを聞いた面々は明らかに両者の食い違いを感じた。
プッと妖精が噴き出す声が響いた。
「だから我が主上は、彼女に与えたのだ。
かつて人間だった自分の姿、自分の才覚、自分の知性、自分の名前を。
そして、移民の責任者としての任を与えた。
だがここで、我が主上はそんな簡単な仕事を成功させる程度で、自分と同じ領域にたどり着けるわけがないと判断なされた」
ここに来て、一同は嫌な予感を感じていた。
そう、大抵の場合、女神という連中はろくなことをしないと言うことを。
「故に、我が主上は彼女に試練を与えた。
ボクは我が主命により、彼女に数々の挫折と失敗を授けた」
彼が横目で見る先には、メアリー船長の必死の奔走が映し出される。
やることなすこと空回りし、心労ですり切れる彼女の姿が。
「だが、その甲斐あってか彼女は魔導の秘奥を試み、この世界には存在しないはずの魔力を齎すという偉業を成した」
「魔術の秘奥……まさか!!」
「君にも覚えがあるだろう? 魔術を窮め、魂の位階を極限まで高めた者にのみ許される、究極の魔術。
そう、──世界法則の改変だ」
仮面の魔術師はその事実に呻いた。
彼は知っている。その秘奥を以ってペストそのものになってしまった哀れな成れの果てを。
「君たちには神になれるだとか、天国に行けるとか、アカシックレコードに至れるとか伝わっているそれだよ。
そうして、この世界にはたった一人のエゴによって都合の良いように魔力が産まれるようになった。
だが、それだけだった。一度の秘奥によって改変できる事象は一つだけ。
その偉業だけで彼女は満足できなかった。
だから彼女は自己増殖を行い、現世に分身を残していた。
彼女らは我が主上の御業を再現すべく、接ぎ木のようにこの世界の改変を密かに続けて行った。
その最新にして最高傑作の分体が、イヴだった」
そして、彼女は己の使命を果たした。
自らを犠牲にして、この世界に革新を齎したのだ。
「……ちょっと待ってほしい、天使殿。
では、イヴはいったいどのような改変をしたのだ!?」
その事実を聞いて、ティフォンが青ざめる。
どう考えてもイヴがまともな法則の改変をするとは彼は思えなかったのだ。
「安心するといい。言っただろう?
イヴは最高傑作だと。彼女は本当に特別な個体だった」
だがその不安を払しょくするように、天使は微笑む動作をした。
「ひとつ、真理を語ろう。
例えば、君たちの魂。並行世界や全く別の異世界であろうと、探してみれば完全に同一の魂と言うのを見つけることが出来る。
そして我が主上は、人間にして人間たる人間の為の女神。
もうこれ以上は言わなくても分かるだろう?」
ここにいる面々は、全く話についていけない東京都知事を除いて、誰もが魔術に精通している。
だから、理解してしまった。イヴの行った、あまりにも大掛かりなこの世界の改変を。
「なるほど、イヴは異世界の女神の完全な同位体だったのね」
納得したように黒衣の魔女が関心のあまり溜息を吐いた。
この世界に魔力を齎したイヴ達の始祖は、唯一願った神と同じではないものがあった。
それが、魂だった。魔術に精通した者たちが、才能の根源と考えるそれだ。
「途方もない類感呪術だな。
イヴ達は、異世界の女神と同じ魂を引き当てるくじ引きをずっとしていたのか」
儀式に参加していた陰陽師が引きつった笑みを浮かべてそう言った。
「そして彼女は、我が神と同じように神域へたどり着いた。
これにて漸く、我が主上に願った彼女の願いが完遂されたのだ。
これで一万年もの計画の遅延も清算できるというものだ」
まさに、一万年越しの大願成就だった。
メアリー船長の願いは、イヴによって果たされたのだ。
「──人類よ、祝福しよう。
我が主上と完全に同一となった彼女によって、この世界の人類繁栄は約束された。
イヴ様はこの世界の守護者となり、人類だけを贔屓し、人類だけを優遇し、人類だけを発展させるシステムそのものになった。
君たちが精神的安寧の為に縋る神とは違う。実在し、祈り願えば対価と引き換えに恩寵を齎し祝福する、人類の“文明”そのものになったのだ」
天使が翅を羽ばたかせる。
幾学的ながらも神秘的な模様な翅から、光の粒子が舞い散った。
「そこの、この都市の指導者よ。
新たなるこの世界の神たるイヴ様を奉るのだ。
さすれば人類の終末まで、この都市は衰えることなき繁栄が保証されるであろう」
「は、はいぃぃ、天使様!!」
単なる一般人に過ぎない都知事は、ただただ平伏して天使のお告げを聞き入れるばかりだった。
「じゃあ、今回のボクの仕事はこれまで。
諸君、次の歴史の転換期にまた会おう」
天使は踵を返すと、元通りの景色になった展望室のガラスを素通りして、虚空へと飛び去って行った。
§§§
「先ず、皆さんを利用したことをイヴに代わって謝罪させてください」
彼女を床に下ろし、その遺骸にローブを掛けた召喚士が一同に頭を下げた。
「魔術の秘奥によって神域への扉を開けるには、魂の循環を利用するのが手っ取り早いのです。
瞬間的に死者が大量発生することにより、彼岸との距離が縮まる。
どのみち被害が発生するなら、それを利用する手は無いと」
「どこまでも人でなしだったな、こいつ」
「ああ、本当にな」
化粧屋とティフォンが複雑そうな表情でぼやいた。
二人は、いや二人以外の大勢が彼女との長年の知己との永遠の旅立ちを、言葉で表現できないでいた。
「まさか、あなたがヘカテー様みたいになってしまうなんてね」
だが黒衣の魔女が彼女の髪を撫でる。
その表情は慈愛に満ちていた。
「利用されたこと、それ自体に不満はないが……」
「あの女が自ら魔術の法則のそのものになったのあれば、それ自体は喜ばしいこと」
「だが例の話はどうなるのだ?」
そう、彼女は自分たちの盟主となるはずだった。
その為の根回しはとっくに終わっており、組織体制もある程度協議し終えている。
彼女はその全てを放り出して、神の領域へ旅立ったのである。
「それについては、イヴは後釜を用意しています。
私個人としては少々不安ですが、そのうち発表があるでしょう」
イヴの盟友として、召喚士はそのように答えた。
一先ず面々はそれで一応の納得をした。
「もう一つ、問題があります」
カタリナが前に出て、更なる問題を提起した。
「イヴの遺骸を、いえ、この場合は聖骸と言うべきでしょうか」
その言い方で、この場の面々は事態を認識した。
「この最新の聖遺物の扱いを、どのようにするべきでか決めるべきでしょう」
カタリナはイヴの抜け殻を見下ろしてそう皆に告げる。
「ふふ、さしずめこのローブは聖骸布になるのかしら」
召喚士は思わず低く笑ってしまった。
「この私が、聖ヴェロニカのように神の子を気遣っただけで聖人になるのかしら」
笑えない冗談だった。
ならばこの場に居る全員は天使の降臨を目の当たりにし、神の化身が天上に帰るのを見届けたことになる。
この場の面々は、もう既に奇跡の二つや三つを目の当たりにしているのだから。
「我が教団で、御神体として安置すべきでは?」
予言者を崇めていた教団の教祖が申し出る。
「いえ、万が一にもこの御神体を辱められることが有ってはならないでしょう。
この国の作法に則り、火葬にて葬るべきでは」
処刑人が周囲に睨みを利かせ、そのように反論した。
「まあ、アウトローとして意見を言わせてもらうと、霊験あらたかな逸品ってのはどんな手を使ってでも欲しがる連中は幾らでも出てくるぞ。
不心得者がこの場の面々以外に確実に出てくるだろうな」
海賊少女が肩を竦めてそう言った。
「そんな世俗の価値などどうでも良い。
この遺骸は、もうすでにそれだけで途方もない触媒となろう」
眉を顰めている吸血鬼が、皆が扱いに困っている抜け殻に歩み寄る。
「例えばこの遺髪だけだろうとも──」
彼が身を以て、その遺骸の価値を示した。
吸血鬼たる彼がイヴの髪に触れた瞬間、その指先が発火したのである。
「……なるほど、この場合、人間判定なされなかったことを喜ぶべきか否か」
手を振って火を消し、彼は忌々しそうに距離を取って更に顔を顰めた。
「なんなら、今から私が降霊でもしてどうすればいいか当人に聞くか?」
こんな馬鹿馬鹿しい話し合いに嫌気が差したのか、化粧屋が嫌味っぽくそう言った。
「いえ、この儀式、“人位遡行”は自身の穢れを完全に漂白する代わりに自意識さえも消失させてしまうもの。
イヴという特別な存在だから成しえた荒業なのです」
だからもう、イヴの意識はどこにも存在しないだろう、と召喚士は小さく漏らした。
「本来かの秘奥は気の遠くなるほどの修業期間を要し、ゆっくりと世界に同一化すると聞いた。
それを大幅に短縮する代わりに、それくらいの代償はあるだろう。
尤もそれは、異界の女神と同一化した彼女にとって代償とは言えないかもしれないが」
失敗例を見たことが有る仮面の魔術師にすれば、ものの見事に成功させてみせたイヴに呆れや関心が混じっていた。
「イヴの遺骸は、彼女の妹たちに引き渡すべきでしょう」
「それが一番かしらね。調停者、立ち合いをお願い」
「任されました。皆さんもこの場はそれで構いませんね?」
召喚士の提案は最も無難な選択しに落ち着いた。
魔女がそれに頷き、仮面の魔術師が周囲に同意を求めた。
周囲の反応は、消極的な同意。すなわち無言だった。
この場に居る面々の誰もが、この先この遺骸が世間を騒がせるだろうと予感していながら、誰も口を出さなかったのである。
§§§
日本から離れた、中国の奥地。
前世の自分が修行した霊峰にて、老師は瞑想をしていた。
「(あのイヴとかいう女、邪法を用いたか)」
彼は意識を自然に向けており、この世界が改変されたことを認識していた。
「(多くの命が消えた、天へと帰って行った。
私もこの世界の礎となり、師や兄弟たちのところへ行くべきなのやもしれぬ)」
とは言え、それ早くて数百年。時間をかけて、意識や肉体を世界に同化させながら行う。
本来、世界を改変するとはそれほどまでに大掛かりな、だからこそ究極の奥義なのだ。
彼は懐古する。
「師よ、今日も自然に語り掛けていたのですか?」
「ええ。この世の自然は澄んでいて冷たい。
ですがそれ故に心地よい。静かで、壮大だ」
霊峰にて瞑想する彼の師は、一本の樹木のように静かで根深く不動だった。
「まだ、魔力がこの世界に馴染んでいない。
私たちが生きるにはこれだけでは不足でしょう。
やはり、この世界の異物である私たちが献身を行うべきなのでしょう」
彼の師が言うことは、彼にはよく理解できないことが多かった。
「天女である我が師にも、悩みがあるのですね」
「いいえだから、私はエルフ族……いえ、もう天女で良いです」
なにやら複雑そうな笑みを浮かべて、彼女は彼に向き直った。
「我らのエゴに、あなた達に付き合わせてしまうのは心苦しいのですが……」
「何を仰る!! 師は疫病に見舞われていた我が村を救ってくださった!!
その神通力で惜しげもなく多くの病人を治癒なされた!!
そのあなた様の行くところに、我らが供をしない理由などない」
そうだろう、と彼は共に修行する兄弟たちに語り掛けた。
背後で多くの賛同が上がった。
彼女の容姿ではなく、その行動に魅かれて数多くの同胞が居た。
「……ありがとう、皆さん。
だからこそ、私は
「我が師……?」
老師は思わず瞑想を止め、意識を覚醒させた。
彼は見た。
この世界を蝕もうと徐々に広がって行った病魔の化身が、絶大な何かによって跡形も無くこの世から消し去られたのを。
そのイメージは、後光によって全体の容姿が見えないが、その姿は女性であった。
それにより、断末魔すら無く悪の病巣は消滅させられた。
老師があれほど苦戦した相手、赤子の手をひねるかのようにあっさりと。
手にした弓を下げ、死の風を薙ぎ払った神域の天女はより上位の次元へと帰って行った。
老師は、天女の消えた先を名残惜しそうにずっと見上げていた。
主要人物が死んだのに死体の処理を相談するシュールな今回の話でした。
イヴの遺骸はきっと第二部ではいろいろと話の起点なってくれるでしょう(まだ何も考えていない。
予言者、もとい天使の言う女神がどんなのかは拙作の『ラウンドテーブル』を読めばわかります。
それでは、今年のこちらの更新はこれで終わりになるかもしれません。
漸く休みになったので、今年中には斬りの良いところまであちらを勧めたいですね。
では、また次回!!
良いお年を!!