私は、平凡で面白みの無い男だった。
そんな自分が嫌で、若い頃はロックバンドなんて始めて見たりもした。
小さな店で演奏したこともある。
妻とは、バンド仲間だった。
私はギターで、彼女がボーカル。当時はもう二人の仲間と、彼女を取り合ったものだった。
なぜ彼女が私を選んでくれたのか、今でも不思議に思う時もある。
だが事実として、私達は愛し合っていた。
それが変わったのは、その愛の結晶である娘が産まれて、彼女が小学生に入ってからだった。
娘は昔から絵が好きだった。
幼稚園の頃はよく妻や私の似顔絵を描いてくれた。
天真爛漫、というほどではなかったが、明るく優しい最愛の娘だった。
妻は将来娘は画家になると、自慢げに語っていた。
私は話半分だったが、彼女は本気だった。
妻の両親は幾つもの画廊のオーナーをしており、まあ彼女は所謂良いところのお嬢様だった。
だから、絵画の知識に彼女は明るかった。
彼女の両親も、孫である娘を可愛がって画材を与えたりもした。
結婚のご挨拶に伺った時はあんな厳しい表情をしていたお義父さんも、孫には甘かった。
そんな妻とお義父さんに、小学生に上がる時に娘は本格的な画材道具を頼んだのを覚えている。
思えば、その頃から私たちの娘は決定的に変わり始めていたのだろう。
それが最悪の形で表に出た時には、娘は世間と決定的な決裂を決めていた。
異能者。
ここ数年で、現れ始めた異様な能力を持つ人たち。
そう、娘は異能者だったのだ。
私がそれを知ったのは、娘がクラスメイト達の前で異能を披露し、気味悪がられて逃げ帰って来たのだと、仕事が終わって帰って来て妻に言われた時だった。
青天の霹靂とはこのことだった。
私のようなつまらない男から、尋常ではない能力を持った娘が産まれたのだ。
私は勿論混乱した。
この時期はまだ、異能者のことなんて全く分かっていない時勢だった。
私達両親が彼女に出来たことは、世間の偏見から守ることだけだった。
「お父さん、お母さん、私には前世の記憶があるの」
そう彼女が告白してくれたのは、それからしばらく経ってからだった。
娘は、私達に隠し事はしなかった。
でも私は半信半疑だった。
私達の最愛の娘が、娘ではないものに変わってしまったことを信じたくなかったのかもしれなかった。
だから彼女は、私達にそれを信じさせるように、少しずついろいろなことをし始めた。
塩で固めた人形を動かしてみたり、高度な数学や占いの知識、そして何より絵画の技術。
絵画に詳しくない私でさえ知っている偉人から教わったと言って、私達に見せた絵はとても小学生だった少女に描けるものでは無かった。
天才、という言葉すら適合しない、常軌を逸した才覚だった。
どんな天才であろうとも、学ばなければ才能を開花できない。
娘の才能は、すでに開花しきっていた。
私は日中仕事に出かけているが、妻は娘がその絵を描く姿を見ていたという。
そして、失われている筈の技法がいくつも使用され、再現して見せたと妻は興奮気に語っていた。
「芸術の神様が、あの子を私たちに授けてくれたのよ」
そう、妻は誇らしげだった。
彼女のその表情を見て、私は世間から娘を離すという選択が正しかったと悟った。
娘の絵は、その見た目や年齢不相応な退廃的なものだった。
キセルで薬物を吸う女性、処刑を待ち望む民衆、妻の不倫を目撃する旦那、ギャンブルですべてを失う男、などなど。
まるで、彼女の前世の記憶の風景を書き写したかのような、命の息吹があった。
彼女は市販の絵の具を使わず、植物や鉱石から色を抽出し絵具としてキャンバスに描く。
私のような知識のない人間にも圧倒される画力があった。
だから、妻やお義父さんの受けた衝撃は凄まじかっただろう。
お義父さんはすぐにでも娘の絵を売り出そうと提案したが、娘は首を横に振った。
自分の絵は、欲しい人間にタダであげてほしい、と希望したのである。
そのようにお義父さんに伝えた彼女は、どこか複雑そうにしていた。
私は分かっていたはずだったが、彼女の書く絵の題材から娘がそれまでと隔絶した価値観や知識を得たことを理解せざるを得なかった。
だが、これは娘の異様さの序の口でしかなかった。
「パパ、今日は仕事に行かないで」
順調に学校を卒業していたら、中学生になっていただろう娘が、朝の出勤前に私のスーツの裾を掴んで引っ張って来た。
「……急に、どうしたんだい?」
正直、休みの日か食事の時ぐらいしか、娘とは顔を合わせない。
彼女はいつも、自室に閉じこもってなにかしらの作業をしている。
「お願い、いかないで」
私は、困ったようにこちらを見る妻の顔を見て、肩を竦めた。
「わかったよ、今日は一緒にお買い物でも行こう」
「ダメ、外に出ちゃダメ」
娘はどこか、鬼気迫る表情で私にそう言った。
「あのな、どうしてなのか教えてくれないか?」
私は努めて優しく聞いたはずだったのだが。
「ッ!!」
次の瞬間、娘は私に香水瓶に入った何かの液体を吹きかけた。
私は前後不覚になり、玄関に倒れた。
「今日一日寝てれば、毒は抜けるから」
私は意識を失う瞬間、そんな娘の声を聴いた。
次に目を覚ましたのは、その日の昼間の事だった。
私の事を看病してくれた妻が、事情を説明するよりも早く、テレビを付けた。
「そんな、バカな」
私は驚愕した。
私がいつも通勤に使用するバスが、事故に遭って大破していた。
しかもぴったり私が通勤に行く時間帯のバスだった。
異能。
その言葉を、強く意識したのはこの時が初めてだった。
その日の夜、だいぶ調子を取り戻して、食卓に現れた娘を叱りつけた。
「今日事故に巻き込まれるとわかってたのなら、なぜそう言わなかったんだ」
私の声に、台所の妻の調理の手が僅かに止まった。
対面に座る娘は、ずっとしかめっ面だった。
「だって、信じてくれないもん」
「……私は至らない人間だとは思うが、十年以上君の父親をしてきたつもりだ。
それで信じて貰えないのなら、私の努力が足らなかったのだろう」
娘は顔を上げる。そんなことを言わせるつもりは無かった、と顔に書いてあった。
「だが、何も言わずに手を出すのはいけないことだ。
君は特殊な境遇ゆえに手は掛からなかったが、そう言うことを教えてあげられなかったのは私の不徳が致すところだ」
娘は、私のようなつまらない、言い換えれば普通の人間とは違う。
私の娘は、日本人なのにイタリア語を始めとしたヨーロッパの言語を日本語以上に操れる。
絵画だけでなく、薬物や宗教、数学など私が想像を絶する知恵や知識を持っている。
だがこの日本の常識を、根気よく教えたことはなかった。
「人間に毒を吹きかけてはいけないんだ」
「知ってる……」
「……そうか」
何なんだろうか、この会話は。
「ねえパパ」
「なんだね」
「あのね、前世の私に、パパとママはいなかったの」
それは、初耳であった。
「子供の頃に、ペストで死んじゃったんだって」
娘の前世は、ペストが猛威を振るった時代に生きていた、とは聞いていた。
当時のヨーロッパの人口の三分の一を奪ったという、病の蔓延。
確率にして三割、両親が居ないことなど、珍しくはなかったのだろう。
「だからいっぱい調べたんだ。
人間を解剖したり、お薬だったり、宗教だったり、占いだったり、魔術だったり。
いろんなことをいっぱい調べて、死んだらどうなるかずっと考えてた」
誰もが今よりもずっと死に近い時代など、比較的医療が進んだ日本では想像がつかなかった。
「古代メソポタミアより古くから、芥子の実から取れる乳液は優れた薬効と依存性を有していた。
古代の人々は、神が人間に与えた薬だと、そう称した。
その依存性は人間を殺すほどだったが、人々はその薬効から芥子を手放せなかった」
突如として、娘がそんなことを話し始めた。
ともすれば小学校でも習うかもしれない、歴史の話だった。
「そうして芥子はアヘンになった。昔の科学者たちは、どうにかアヘンから薬効だけを取り出そうと苦心した。そうして、モルヒネが産まれた。
そのモルヒネから薬効を取り出そうとして、キングオブドラッグことヘロインが産まれた。
依存性の無い芥子の秘薬は、人類の夢だった。
前世の私は、魔術の力を用いて芥子の依存性を打ち消す存在と出会った。
芥子の薬効ではなく、その神秘性に着目した人たち、古代の魔女の血族と魔術師たちの横つながりだった。
前世の私が、魔術師の一員になるのは当然の事だった。
そうやって、死後の世界を見ようとした」
「でも所詮、薬物が見せる幻覚症状だろう?」
「私がパパとママから産まれたのも、薬物の幻覚だっていうの?」
私は口を閉ざすことしかできなかった。
「魔術を窮め、薬物の扱いを極めると、普通の人間にはあり得ざる第六感が研ぎ澄まされ、手足のように感覚の延長になる」
そうして、彼女は食卓の上にタロットカードを並べ始めた。
「術者のシックスセンスが要求される占いで、今日のパパは酷い運勢だった。
だからバスの事故から、別の不幸に置き換えないといけなかった」
娘は、毒薬を吹きかける理由はそれだと語った。
確かに、説明されて信じられるかどうかは別だった。
「……パパに死んでほしくなかった」
「そうか」
実際のところ、例のバス事故に死傷者は出なかった。
それでも重傷者は数名いたし、もしかしたら自分は今頃病院のベッドで寝ていたかもしれない。
「次からはちゃんと教えてくれな」
「うん」
一先ず、今日はこれで終わりにすることにした。
ある時、妻の父親、つまりお義父さんが持病の悪化で亡くなってしまった。
葬儀に出席し、妻の血筋の本家とも言える場所で親戚が集まることになった。
そして、後悔した。
妻が泣いていた。お義父さんの財産目当てで醜く争い合う親戚たち。
葬儀の時間だというのに、怒鳴り合い始めた時は私も正気を疑った。
だがそれ相応の遺産を、お義父さんは私達に遺したのだ。
葬儀が一時中断となり、式場に戻って来た私たちは目を疑った。
「お前たち、私はちゃんと遺言を残したはずだ。
なぜその通りにして、粛々と静かに見送ってくれないのだ?」
棺の中から、死に装束のお義父さんが立ち上がったのだ。
親戚たちや葬儀場のスタッフも、悲鳴を上げた。
怯え竦んで、床に尻もちをつく親戚一同を睨みつけると、お義父さんは最期に自分の孫に笑いかけた。
そして、死に目に会えなかった妻に言葉を掛けると、何事も無かったかのように棺の中へと戻って行った。
まるで、最初から何もなかったかのように。
私は、娘が口に手を当てて笑いを嚙み殺しているのを横目で見ることしかできなかった。
最近で、一番衝撃だったのは私達が若い頃に憧れていたロックスターが亡くなったことだろうか。
御年八十を超えたお爺さんなのだから、何時亡くなってもおかしくはなかったのだが。
『イエーイ、お前たち!! 俺の人生最後のロックンロールを聞けぇえい!!』
私はテレビの前で、唖然としていた。
先日、テレビで亡くなったとされたロックスターが、葬儀場で蘇って棺の中に手向けてあったギターを弾き鳴らしたのである。
それどころか、まさか死後に自分の葬式で新曲の発表。彼の人生は、まさにロックだった。
ちなみにその曲は、オリコンチャートで前代未聞のヒットを飛ばした。
「これ、君の仕業だな」
同じ食卓にいた娘は、にやりと笑った。
「だってこの前、パパとママがこのお爺さんのこと昔ファンだったって言ってたから」
「だからって、こんな騒ぎを起こすようなことは止めなさい」
「はーい」
言葉の上ではそう言っても、かつてリスペクトしていた人の最期を彩ってくれたことを感謝してはいた。口にはしないが。
というか、娘が“化粧屋”なんて名乗って活動していることを初めて知った。
お義父さんの葬式以来、私の実家の田舎にお盆休みで帰る時に地元の爺さん婆さんたちと何だか仲良くなっていた。
後から聞いてみたら、娘は降霊の魔術で死者の言葉を聞かせていたらしかった。
だから私は気になって、聞いてみた。
本当にお盆には、死者が戻ってくるのか、と。
「日本と言う土壌だと、実際にそうであるかどうかにも関わらず、その行事としての認識が一定の効力を持っているから。
本物の幽霊にとってはある意味では過ごしやすい環境だと思う」
私は戦慄した。
この世に、ホンモノの幽霊なんてモノが存在することに。
私はその日娘に聞いた話は忘れるようにすることにしたのだ。
また、ある日、私はテレビのニュースで、異能者の子供を持った両親が上手くいかずに悲惨な状況であることを報道した。
「馬鹿な人たち、私はパパとママのこと大好きなのに」
その報道を見て、娘はそんなことを言った。
異能を持った子と、その両親の確執はお互いに原因はあったのだろう。
私としては、お互いに歩み寄る機会があることを願うばかりだ。
さて、今日も仕事だ。
「行ってらっしゃい、あなた」
「行ってらっしゃい、パパ」
今日も私は、妻と娘に見送られて仕事へ向かうのだった。
今回は化粧屋の話でした。
こういった話をちょくちょく進めたいですね。まだまだ書きたい話はあるので。
更新停止中の『ラウンドテーブル』も、時間が空いた時に完結させたいですし。
そういえば、こっちで宣伝してなかったので一応。
この作品『転生魔女の日常』のスピンオフというか、二部をすっ飛ばして三部をやっていると言いますか、魔法少女となった夏芽が活躍する『バッドガールズ・ダークサイド』を連載中です。
気が向いたら、是非読んでくださいね!!