これは、春美が高校に入学して半年頃の話である。
「……師匠、前々から気になっていたんですが」
「なにかしら?」
春美はすり鉢で乾燥した植物や昆虫をすり潰し、秘薬の調合をしている最中に己の師に疑問を投げかけた。
「今作っている薬品って、一応魔術の産物になりますよね?」
「そうね」
スマホゲームのエンドコンテンツに挑んでいるらしい彼女は、真剣な表情でスマホの画面をぽちぽちしながら頷いた。
「でもこれって、普通の人でも作れますよね?
私たちの認識だと、なんかこう魔法は物理的に不可能なことを実現するようなことを言うような気がするんですよ」
「魔力を扱った術について言いたいの?」
「そう、それですよ!!
そのなんかスピリチュアルな不思議エネルギーのことです!!」
「私に言わせれば電気で動く機械も未知の力で動く十分不思議な物なのだけれど」
この魔女は未だに魔力と言う物に幻想を抱く人々に首を傾げるのだった。
「魔力とて既知のエネルギーの筈よ。
ただ、万人に扱える電気の方が便利だから淘汰され、遺失しただけのことでしょう?
私たちと同じ境遇ではない人間で魔力を扱える人間を、私はそこそこ知っているし。
でも、それらを実感できるほど扱いに習熟した現代の人間は出会えなかったわね」
「やっぱり、魔力を実感できないとそれを扱う術は使えないんですね……」
「電気回路の使い方も知らずに機械を組み立てるような物ね」
「はぁ、先は長いなぁ」
こんな調子の春美も、半年先には曲がりなりにも魔力を扱えるようになるのだから師の教え方は確かであった。
「本当ならもっと幼い感受性の高い年頃から修業する方が良いのだけれど。
そう言う意味ではあなたは飲み込みが早いわ。私が教えているのだから当然だけれど」
「え、それって本当ですか!?」
「嘘を言ってどうするのよ」
春美は才能があると褒められてうきうきしながら地味な作業を続けるのだった。
勿論、それが彼女の師の飴と鞭であることに気付かぬまま。
「…………へぇ、面白いわね」
ふと、スマホで遊んでいた魔女が唐突に顔を上げた。
「師匠、何か言いました?」
ごりごりとすりこぎを動かしながら、春美が彼女の方を向くと、何やら己の師は鏡台の前に立った。
「え?」
春美は目を見開いた。
鏡台の鏡に映っていたのは、師の顔ではなく見知らぬ少女の驚く顔だった。
黒い魔女は鏡にそっと手を添えて、その少女の首を絞めるようにゆっくりと手を握りしめた。
すると、鏡に映る少女は涙目になって、いやいやするように顔を左右に振った。
まるで本当に首を絞められているかのようだった。
「春美、よく見ておきなさい。
これが呪術の基本よ。今時の言い方をするなら類感呪術ね。
魔力の性質を理解すれば、直接手を触れずとも遠くの人間に手を触れることができる」
「あの、師匠、その子めちゃめちゃ苦しそうなんですけど……その子、魔法使いなんですか?」
「おそらく違うわね。同業者ならこんなお粗末な遠見はしないわ。
多分だけれど、突然変異ね。今時の言い方なら超能力者かしら?」
「えッ、超能力者なんですか!?」
春美の記憶には、数年前に高校生が超能力に目覚めたとしてテレビで騒がれていた覚えがあった。
基本的に、超能力者は前世の記憶を持ち魔道の知識や技術の持ち主たちとは別口の存在だった。
ある時を境に現れるようになった、超常の異能を生まれながら宿している人たちである。
「……師匠、そろそろ放してあげませんか?
死んじゃいますよ、本当に」
鏡を通した向こう側では、超能力者の少女が絞首を振りほどこうと足掻いて両手が空を切っていた。
その顔色はかなり切迫していた。
「え? 殺すつもりよ」
「ちょ、え、マジですか!?」
まさか本当に殺す気でいるとは思わず、春美はギョッとして声を上げた。
「遠見の術で対象を視認し、呪詛を掛けるのは呪殺の典型例だわ。
私たちの業界では霊的に位置を探り当てられるのはそれだけ致命的なのよ。
これは明確な敵対行為だわ」
この魔女が語るように、約半年後に化粧屋が大まかな彼女の位置が分かっていても明確に特定せず回りくどい真似をしたのはこんな理由があったからである。
「……あの、私、師匠が誰かを殺すところ見たくないです」
小市民でメンタルクソ雑魚の春美は流石に目の前で殺人が行われようとしていることに忌避感を抱いていた。
それでも、大恩ある師匠に口答えするのは憚れるのか、ぼそぼそした物言いだった。
「……そうね。わざわざ今生も、己の魂を汚す必要も無いか」
彼女も思うところがあるのか、その手を放した。
鏡の向こう側で、少女が解放され倒れた。そして必死に呼吸を整えている。
「春美、行きと帰りの分の薬を」
「はい、師匠」
春美は薬品棚から、魔女の軟膏を師に差し出した。
「じゃあ、ちょっと“飛んで”くるわ」
彼女は服を脱ぎ捨てそれを身体に塗った。
そしてその姿がスッと消えたように春美の目には映った。
己の師の姿が消えた後、春美は無意味に周囲をきょろきょろすると、床に残された衣服を畳んで無言で顔に押し付け、しばらく色々と堪能するのだった。
§§§
どうして、こうなったんだろう。
「ふぅん、あなた、望む海って書いてノゾミって言うのね」
覗き見の方があっているんじゃないかしら、と望海は目の前に突如として現れた素っ裸の魔女に頭を掴まれ、早くも後悔していた。
彼女がその異能に気付いたのは、全くの偶然だった。
今時、赤ん坊すらスマホを持つ時代だと言われている。
だと言うのに、望海の両親は時代遅れなことに中学の卒業まで携帯機器の所有を許さなかった。
中学時代の友人たちには古臭いと笑われ、SNSで当たり前のようにやり取りする彼女らを横で見ることしかできなかった。
高校に上がり、念願のスマホを手に入れた彼女はそれで遊び倒した。
毎夜のようにSNSで友人たちと話し込んだり、ゲームアプリをとっかえひっかえし、様々なスマホの機能を使用してみた。
そんな彼女が、スマホの写真機能に目を付けたのは当然の帰結であった。
今はスマホ一つで映画すら作れるような機能が備わっている。
自撮り写真等にスタンプや文字を書いて加工することなど朝飯前だ。
彼女の友人たちの間で、そう言った自撮り写真をSNSのグループにアップして見せ合うのが流行っていたのである。
どんな感じで撮ろうか、と悩みながら角度を考えている、偶然ぱしゃりと一枚撮れてしまった。
失敗失敗、とそのミスショットを消そうと画像フォルダを見てみると、望海は困惑した。
それは到底自分を映したようには見えない、靄が掛かったような一枚だったのである。
気のせいかと思い、その写真を消してもう一度自撮りに挑戦した時も、また真っ白だった。
これは壊れているのか、と家族に相談したところ、彼らが試しても異常は全く無かった。
不思議に思った彼女だったが、ようやく己が取りたい自撮りが決まったので、ぱしゃりと一枚撮って、目を見開いた。
その一枚は明らかに、自分の全身を映していたのである。
自撮りなのだから普通は上半身が収まるのが精々で、スマホを持つ手が何の道具も無しに映るはずもなかった。
明らかにスマホのアプリの範疇を超えた異常現象だった。
人によってはホラーな出来事であり、悲鳴の一つも上げるような事態だったが、望海は生来好奇心が強かった。
他人の噂話が大好きであり、当然それは現代に蔓延る異能者への興味も殊更だった。
だから彼女は試した。
そして気付いてしまった。己が、異能者であることに。
彼女の異能は、端的に言って“念写”だった。
遠くの場所の光景をカメラなどの撮影装置を通して何かしらの媒体に映し出すことだった。
その汎用性は静止画に限らず、動画さえも撮影可能だった。
そう、好奇心旺盛な彼女はこれ以上ない“オモチャ”を手に入れてしまったのである。
彼女は異能を使い、遊びに遊んだ。
最初は、物理的に不可能な位置からの写真撮影程度で満足していた。
だが、望海の好奇心はどんどんエスカレートしていった。
彼氏の居ないはずの友人の逢瀬の瞬間、遊んでいると噂の女子生徒の援助交際の現場、近所の人妻の不倫の様子などなど。
他人の色事情で喜んでいた彼女は、次第にスリルを求めるようになり始めた。
芸能人の麻薬売買の瞬間、ヤクザの銃取引の様子、そして、ついにはヤバイと噂の同じ学校に通う魔女の真実へと手を伸ばそうとしたのである。
……手痛いしっぺ返しが来るなどと、想像さえせずに。
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「うわぁ、趣味悪い」
望海のスマホに保存されている写真の画像を見て、春美は呆れたようにそう言った。
「……これを使って誰かを脅したりしてないでしょうね?」
「ま、まさか!! そんなことはしてないですよ!!」
そんなことを疑われては堪らない、と慌てて弁明する望海だった。
「師匠、どうします、これ?」
学校の放課後の屋上にて、鴉と戯れる己の師に春美は尋ねた。
「別に。私は好きに生きて勝手に死ねばいいと思うわ」
「まあ師匠はそう言いますよね」
春美としても望海の覗き見趣味を咎めるつもりはなかった。
流石に今回のことで大分懲りているようであったし。
「それにしても、えへへ、魔女さんにお弟子がいたんですね……」
望海は卑屈に笑いながらも、好奇心が抑えきれない様子でそんなことを言った。
「そう言えば望海さん、あなたこの超能力のことを誰かに言ったりしたの?」
「いやぁ、まさか。こんなこと、誰かに言えるわけないじゃないですか」
望海は浅はかではあったが、馬鹿ではなかった。
「アメリカじゃあ、異能者は魔法使いだろうと超能力者だろうと“ミュータント”だって蔑称で差別されたり排斥運動までされてるじゃないですか。
ちょっと前に超能力高校生がテレビに出まくってましたけど、プライベートが丸裸にされて周りは相当大変だったみたいですし、揚句飽きられたし」
望海は現実を見ていた。
自分の異能は、己の身を守るのに役には立たないと。
彼女にとって異能とは、ただの変わったオモチャに過ぎなかった。
「でもまあ、将来はこの力を有効活用して、フリーの記者とか探偵とかやってみようかなって思ってますけど」
その言葉を受けて、春美はたくましいなぁと思うのだった。
「異能に目覚めて、それほど時間が経っていないのよね?」
「え、はい、そうですけど」
「私、あなたの異能を伸ばす手伝いをしてあげてもいいわよ」
その魔女の言葉に、二人はぽかんとした表情になった。
「ちょ、し、師匠!! それってどういうことですか!!」
「少しばかり、興味があるのよ。超能力者が普通の人間と何が違うのかとか」
「そんなぁ、私と師匠との時間が減るじゃないですかぁ」
春美が彼女の足元に泣きつく。鴉が迷惑そうに春美を見下ろしていた。
「……え、あの、それって本当ですか!?」
「勿論。だってあなたは本当に運が良いもの」
望海は目の前の恐ろしい魔女に手解きをして貰えると言う事実に、殺され掛けたことなど忘れて喜んだのだが。
「あなたの能力、ある種の霊視も含まれている。
あなたの写した写真の幾つかに、肉眼では見れない者も映っていたわ」
「……え?」
彼女の言葉に、望海は冷や水をぶっかけられたように青くなった。
「そのうち良くない物を見て死ぬ未来しか見えないから、今のうちに身の守り方を教えてあげるわ」
黙り込んでしまった望海に、魔女は慈悲深くそう告げるのだった。
「むうう、でも、師匠の一番弟子は私ですからね!!」
春美は威嚇するように、彼女を睨み付けるのだった。
さて、こうして魔女の手解きを受けることとなった望海だったが、彼女の能力は思いのほかすぐに頭打ちになった。
その為、二人の時間を取り戻したかった春美はホッとしたのだが。
まさか、望海が彼女らにとって日常を騒がしくするトラブルメーカーになるなど、魔女たる彼女にも予想ができなかったのである。
今回登場した彼女ですが、彼女はいわゆる導入キャラです。
四人組の誰かで良かっただろ、とか言わないでください。
作者の書く小説に計画性とプロットはないのです。
次回は、アンケートの結果を見て決めます。
気になる、またはもっと登場してほしいキャラクターは?
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