やはり俺の青春ラブコメの相手が魔王だなんて間違っている。 作:黒霧Rose
扉の前に立つ。ここに立って、これ程の緊張感を覚えたのはあのクリスマスイベントの時以来だろうか。
いや・・・今はあの時以上だ。緊張・・・恐怖に近い感情と言うべきだろうか。
昨日、俺は一色いろはによってここを行くことを決められた。その選択は本来俺がきちんとしなければならなかった。しかし、そうやって問題を先送りにしていたところで何かが変わる訳では無い。結局、こうでもされなければ俺は自分に『今ではない』という言い訳をし続けていたのだろう。
扉をノックし、中から聞こえてくる彼女の声に導かれるように俺はその扉を開けた。
「・・・話を、しに来た」
その部屋は、暖かい紅茶の香りに包まれていた。
*
「今日は、全部を言いに来た。話さなければいけないこと、全部を」
「・・・そう」
雪ノ下は、ただそう言った。
「いや、分かっている。こうしてここに来ているのだって、俺は」
「比企谷くん」
彼女の俺を呼ぶ声に、俺は思わず口を閉ざす。
冷たくはなく、どこか安心感さえ覚えてしまいそうなその彼女の声音・・・彼女は、何を思っているのだろうか。
「いいの。そんな能書き、もういらないわ・・・そうでしょう、由比ヶ浜さん」
笑顔だった。
そこにあったのは、穏やかな微笑みだった。
諦めてしまったようなあの人のそれとは違う、優しい微笑み。
「うん。ずっと・・・ずっと待ってた」
「なん、で」
「理由なんて、特にないよ。ただ、ゆきのんとそうしようって決めただけ。ヒッキーがちゃんと自分の口から伝えてくれるのを待つって・・・そう決めたの」
『今のあなたを知っている』
涙を浮かべた表情で、そう言った彼女を思い出した。
・・・こんな、こんな簡単な話だったのか。
俺はただ、信じればよかったのか。
なんて、情けない。
「・・・・・・すまない」
「違うよ、ヒッキー。そういう時、なんて言えばいいのか、分かるでしょ?」
「・・・ありがとう」
*
「さて、じゃあ今後の方針を決めようか」
「・・・ですね」
お互いにコーヒーを飲み、頭を切り替える。
「それに当たって、私は比企谷くんに聞かなければいけないことがある・・・分かるでしょ?」
「まぁ、大体は」
「うん。じゃあ質問するね・・・比企谷くんが動いていたのは、誰のため?」
来ると思っていた。その質問が来ると分かっていた。あの文化祭の日、誤魔化してしまったその質問が。
決まっている。
既に、その答えは決まっている。
もう、頭に浮かび上がっている。
「・・・雪ノ下雪乃のためです。俺の中にある『彼女』と、現実に居る彼女、そのどちらもです」
結局、雪ノ下のためだった。
「ん。ありがと、ちゃんと答えてくれて」
納得をした様子だった。無理もない、彼女からしてみれば答えの分かり切った質問だ。ここで辺に疑う必要などない。
「・・・雪乃ちゃんの本質、分かってる?」
「・・・・・・依存、ですか」
「正解。もっと言えばね、あれはトレースだよ」
トレースと、彼女はそう口にした。
つまり、模倣。
なるほど、思い当たる節がある。
「私が文化祭の日、雪乃ちゃんの提案を蹴った本当の理由・・・あまりにも大き過ぎるデメリットこそ、これだよ」
そう、文化祭での時間稼ぎの際に雪ノ下は自分を手札にするという手法をとった。
まるで、誰かと同じように。
「流石に看過できなかったよ。だって、奇しくもそれはあのスローガン決めの際に比企谷くんがやったことと全く同じだもん。いや、それより前の依頼とも、かな」
「・・・つまり、雪ノ下は」
「そう。雪乃ちゃんはね、『比企谷八幡』に依存し、トレースをしている。残念だけど、これは事実だよ」
「・・・」
否定しようと思えば幾らでも出来る。ただ、そんなのは言葉の上では、という話に過ぎない。どうやってもその疑い、或いは事実は俺の中に記録されてしまっている。
「だからもう、君を雪乃ちゃんの近くに居続けさせることは出来ない。幸い、これはまだ初期段階だからね・・・ここで切ればまだどうにか出来る」
「です、ね」
「問題なのは次の段階・・・そう、君の方」
「俺の、方?」
「そ。あの子に頼られるの、気持ちいいでしょ?まるで自分が上なったような気分になれて、まるで自分が特別であるような快感を得られる」
・・・そういうこと、か。
さっきまでの俺と雪ノ下さんが陥っていたその関係、即ちそれは・・・。
「・・・共依存の始まりだ」
俺に寄りかかって来る雪ノ下を肯定し、雪ノ下に寄りかかられる俺を肯定し、俺達はそんな『俺達』から目を逸らしてしまう。
それが俺だと、それが雪ノ下だと、それが俺達だと、押し付けてしまう。
「比企谷くんがどうするべきか、分かるよね?」
真剣な眼差し。本気で妹のことを案じている時の顔だった。
「離れるしかない・・・です」
「半分正解。それじゃあ足りない。それだけだと、君はまた雪乃ちゃんを助けちゃう。雪乃ちゃんはまた、君を頼っちゃう」
雪ノ下の依存を、トレースを止め、俺の押し付けをこれ以上進めないための方法。
そのために、俺が出来ること。
考えろ。
考えろ比企谷八幡。
これはきちんと俺が出さなければいけない答えだ。
俺が自分に押し付けている『俺』はなんだ。
その『俺』に依存し始めている雪ノ下を止めるには、終わらせるにはどうすればいい。
「雪ノ下を・・・傷付ける」
ぽつりと、漏れた言葉だった。
意図しない発言・・・ある意味、本音。
それが、俺が弾き出した答えだった。
「なんだ、ちゃんと分かってるんじゃん」
満足気に彼女は笑った。馬鹿にするかのように、ケロッと笑っていた。
「雪乃ちゃんにとって比企谷くんは必要では無い・・・そういう傷を付けなきゃいけない。それが、君が雪乃ちゃんに出来る最後の事」
「・・・」
「そして、それは君が君に押し付けている『比企谷八幡』を終わらせることにも繋がる」
「・・・ええ」
「お、言ってみな」
妖しく笑うその彼女に応えるかのように、俺は自分の中にあった答えを放った。
「『比企谷八幡は雪ノ下雪乃には必要無かった』」
「・・・正解」
一見すると、2つのことは同じことのように思える。実際のところ言っている事は全く同じだからその通りだ。
しかし、この2つは大きく違う。
そう、『雪ノ下雪乃は比企谷八幡が居なくても大丈夫』という事実。
『比企谷八幡は雪ノ下雪乃には必要無かった』という真実。
より正確に言うなら、『雪ノ下雪乃は比企谷八幡無しでも依頼を解決出来る』この実感こそ、雪ノ下に与えなければいけない傷。
文字通り『比企谷八幡は雪ノ下雪乃には必要無かった』という実感こそ、俺が抱く傷。即ち、『比企谷八幡』が不要であるという証明。
「・・・となると、俺はどこかで奉仕部に・・・雪ノ下に依頼をしなきゃいけなくなりますね」
「頭の回転が早くて助かるよ。加えて、ハッキリ言って君よりガハマちゃんの方がそこら辺はよく分かってる。彼女は雪乃ちゃんに優しくはするけど甘やかしはしない・・・そう意味で言うなら、君が離れてガハマちゃんがそばに居てあげるべきだ」
通りで由比ヶ浜が俺達のような面倒な奴らから離れていかない訳だ。
由比ヶ浜は、俺達なんかより・・・よっぽど大人なのだ。
「もう分かったでしょ・・・比企谷くんが、自分に押し付けている『比企谷八幡』が」
「・・・まぁ、はい」
「つまり、君は人として、或いは世の中で起きる当たり前のことが容認できない」
分かり切った答えの、答え合わせ。
今だけは、意味のあることだ。
「意識的に、或いは無意識的に人は人を傷付けてしまう。その了解を飲み下す事、それそのものを受け入れる事なら比企谷くんは出来る」
そう、これは当たり前の事だ。人は人を傷付ける。意識していても、意識していなくても・・・傷を付けたくない、そう思って行動することが逆に相手を傷付けることだってある。
「でも、君は自分が人を傷付けるという事実を、自分が誰かから傷付けられるという事実を、受け入れる事が出来ない。傷を付けたくない、傷を付けられたくない・・・だから、自らに傷を与える」
だから、俺は俺を手札にするやり方ばかりをする。
「そうすれば、君を傷付ける人は自分だけになるから」
そうすれば、俺は俺の事だけを考えていられるから。
「そうすれば、君は君自身に傷付けられたという自覚だけを抱いていられるから」
そうすれば、俺は他人を傷付けていないという実感に酔えるから。
「そうすれば、君は誰かの、自分の痛みに、傷に・・・鈍感でいられるから」
そうすれば、俺は『誰も傷付かない世界』を完成した気になれるから。
「それが、『比企谷八幡』の正体だ」
それが、比企谷八幡が抱いてしまった自意識。
比企谷八幡が、『自意識の化け物』たる所以。
「そして、きっとそんな『私達』が望んでいるものはそれでは手に入らない」
彼女はきっと、俺と同じなのだ。
やり方も、過程も、何もかも違えど彼女に向ける気持ちは同じ。
『雪ノ下雪乃を助けたい』
「傷付けないように・・・そんな考えで、そんな接し方で手に入らないんだよ」
傷付けたくないから助ける、大切だから傷付けたくない・・・だから、そういう『自分』を自分に押し付ける。
「傷を付けたくない程に大切で、大切だからこそ傷を付けなければならない」
それは、究極の自己矛盾。
「その傷の名を知ってる?」
ならばきっと、俺は『それ』を求めてしまった。
「それをね、人は・・・『絆』と呼ぶんだよ」
傷付け合いの中でしか得られない・・・『それ』を。
*
「・・・俺が雪ノ下さんと始めた事・・・要は、雪ノ下の俺に対する依存を止めることであり、終わらせることだ」
全て話した。あの日、雪ノ下さんと話した全ての内容を。正直に言えば、雪ノ下も、俺も、聞きたくない話ばかりだ。
「じゃあ・・・ヒッキーが生徒会に入った本当の理由って」
「ああ・・・雪ノ下と、離れるためだ。そのために、生徒会役員というものを利用した。ただそれだけだ」
まぁ他にも、一色を会長にした責任があったりと色々とあるのだが・・・それはまぁいいだろう。
「比企谷くんが、クリスマスイベントで私達に頼ったのも」
「俺が依頼者となって、雪ノ下と由比ヶ浜がそれを解決する。そうすれば、俺は不要であるという実感をお互いに抱ける・・・・・・はず、だった」
「はずだっ、た?」
「・・・俺が言ったこと、覚えてるか?」
少し恥ずかしくなってきたが、もう後の祭りだ。なんならさっきの話の方が余程恥ずかしい。
「『私達を知りたい』」
「そう、だ。理由は今も見つけてる最中だが、俺は雪ノ下と由比ヶ浜をちゃんと知りたいと思っていた。それが爆発して、俺は・・・奉仕部を、結果的に繋ぎ止めてしまった」
「・・・そう。姉さんの言ってた予想外の展開って」
雪ノ下も合点がいったらしい。そういう事だ。
本来、あれは俺が離れるために行うはずだった最後の行動。なのに、結果としては真逆のことが起きてしまっていた。
繋ぎ止め、奉仕部はその形を歪めながらも留めていた。
「・・・・・・そっか・・・やっぱりヒッキーは、そうだったんだ」
「・・・由比ヶ浜」
「ヒッキーは、誰よりもここを・・・奉仕部のこと、ちゃんと考えてたんだね」
「・・・でも、俺は」
「後悔、してるの?あたし達を、繋ぎ止めたこと」
「それ、は・・・」
答えられない。どう答えても、俺はそれに納得出来そうにない。俺はどうしたかったのか、俺はどうするべきなのか、今になってもそれは分からない。
「あたしはね、嬉しいの。ヒッキーが離れていかなかったことが・・・嬉しい。あたし、ズルいからさ・・・誰のためにもならないって分かってるけど、あたしは、あたしは」
「由比ヶ浜さん・・・それ以上、言わなくても大丈夫。ちゃんと、伝わってるから」
目に涙を浮かべ、少し俯く由比ヶ浜を雪ノ下が優しく抱きしめる。
あの時とは、逆の構図だった。
そう、か・・・雪ノ下は、もう・・・。
「比企谷くん」
「・・・」
真っ直ぐに、いつもの雪ノ下らしく真っ直ぐに俺を見てくるその瞳から、俺は目を逸らせなかった。いつもなら逸らしていたはずなのに、今この瞬間だけは、それが出来なかった。
否、したくなかった。
「大丈夫・・・私はもう、大丈夫だから」
「・・・・・・」
初めて見る笑みだった。
安心していいよと、ニッコリと、そんな拙い表現で表す他ない程に、彼女のその笑みは大人びていた。母親が子供を安心させるかのような、そんな慈愛に満ちたそれは、俺を・・・安心させた。
「ありがとう・・・私の事、助けようとしてくれて・・・助けてくれて。私はもう、十分救われたから」
「・・・そう・・・か」
力が抜けるのが分かる。まるで、俺の役目は終わったと、そう自覚したかのように全身の力がふっと抜けた。
「だから、今度は私があなたを助けさせて」
「それは」
「ええ・・・プロムのこと」
「・・・いい、のか」
いいのだろうか。
俺は、雪ノ下に、この2人に、助けてもらっていいのだろうか?
前の依頼とは違う・・・策も狙いも何も無い、ただの依頼。俺に、そんな資格があるのか?離れようとし、傷付け、泣かせ、そんなことをした男が今更『助けて下さい』と、そんなことを言ってもいいのだろうか。
「これは、私が決めたことよ。それとも、比企谷くんにそれを止める権利があるのかしら?」
いつも通りの雪ノ下だった。我が道を往く、雪ノ下雪乃がそこに居た。
「それに、言ったじゃない。『いつかあなたを助ける』って」
「・・・・・・だな」
「ええ。私を有言実行出来ない女のまま終わらせないでほしいわね」
いつも通りだ。俺の知っている、強い雪ノ下のようだ。
ああそうだ。
俺は、俺はこの雪ノ下に・・・。
*
さようなら・・・・・・私の初恋。