彼方のボーダーライン 作:丸米
三浦雄太と香取葉子が落ちたことにより。
若村麓郎だけがこの場に残されることとなった。
「──こうなっては仕方がないわ。何とか一点、取りなさい」
香取葉子の声が、若村に届く
「....」
若村麓郎は。
ぐ、と歯を食いしばった。
──以前の香取葉子が、この言葉を吐けたのだろうか。
自分が落ちた後も「仕方がない」と冷静に口に出せていただろうか。
「いい機会だわ。──アタシ達も指示を出していくから。取れる駒を沈めていきなさい」
「.....取れる駒、って」
「いるじゃない。アンタと、玉狛に挟まれて突破口が見えていない癖ににやけ面してる──アンタの師匠が」
ごくり、と。
若村は喉を鳴らした。
「今、犬飼先輩は二宮さんと合流する為の経路を探している。そうなると──突破口はアンタの方角という事になる」
いい、と香取は言う。
「アンタ一人で犬飼先輩殺すなんて出来るなんてこっちも思っていない。でも──この環境を利用すれば、アンタにだって犬飼先輩を倒せる」
「この....環境...」
「弟子のアンタなら解るでしょ? ──犬飼先輩は今何をやられたら困るの? 何の為にアンタは
「.....」
一つ息を吐く。
息を吐いて尚──心臓は早鐘を打ち鳴らし続ける。
ランク戦。
他メンバーは倒され、一人残される。
この状態から思い浮かぶ光景に──成功体験を想起させるものは最早皆無であった。
「....」
でも。
今はどうだろう。
早期に落とされた香取葉子が──こうして自分の背中を押すような言葉をかけた事があったか?
まだ。
──葉子は、勝負を投げてねぇ。
「.....華さん」
うん、と。
頷きの声が聞こえる。
「──
※
偶然が、戦いを運んでいく。
下層から上層へ向け雨取千佳を狩りに向かう二宮と辻も。
その動向を見守りながら変わらず下層への爆撃を行う玉狛第二も。
そして──二宮との合流を目指す犬飼も。
香取隊唯一の生き残り──若村麓郎の新トリガーによって戦いの絵図が変わる事となる。
「.....ダミービーコン」
観客席で試合を見ていた加山雄吾は、その光景を意外そうに見ていた。
「.....ジャクソンも、ここで珍妙な手を打ってきたね」
「珍妙言うな」
加山は王子がポツリ呟いた言葉に、思わずツッコむ。
珍妙だとぉ....。あんなにも便利で素敵なトリガーなのに....。
「とはいえ....この状況下だと、確かに効果的かもね。ジャクソンはカメレオンを持っている。偽のトリオン反応の中で身を潜めて、カメレオンでスミ君を待ち伏せして急襲すればいい」
「.....十中八九対応されるでしょうね」
「だろうね。──でも”襲撃されるかもしれない”という意識を根付かせることが出来る。それに」
「それに?」
「──スミ君を狙っているのは、何もジャクソンだけではない」
※
レーダー上に現れたダミービーコンの反応を見て。
犬飼は、少しばかり思考を巡らす。
──ろっくんが新しい
恐らくは加山か、東辺りから影響を受けたのだろうか。
現在犬飼は後方に行けば玉狛の陣があり、単独で向かうには相応の覚悟がいる。前方には若村がいて、ビーコン地帯の最中隠れている。
当然、犬飼が取るべき行動としては──若村を片付けた上で二宮隊に向かう事。
実力的にも負けることは無い。そして何より自分は若村の師匠でもある。
彼の手の内のほとんどを知っている。
だが。
それでも彼と交戦するうえで犬飼はもう一つ考えなければならないことがある。
それは──玉狛第二の、空閑遊真の存在。
現在下層に向け二宮と撃ち合いを行っている雨取千佳と合流し、サポート兼盾役をしているかと思われる空閑遊真。
されど。
恐らく弓場隊とのランク戦を参考に戦術を組み立てたと思われる玉狛第二の、これからの行動として。
犬飼澄晴を殺しにかかってくるだろう、と。
──奇しくも、あの時と犬飼は同じ状況に立たされている。
二宮・辻と離れ単独行動中。その上で合流を目指しているという状況下。
加山雄吾は、合流に向かう道すがらにビルの爆破からの狙撃という罠を仕掛け、自身を仕留めた。
今もまた。
目に見える罠地帯を、若村は敷いている。
加山のそれとは違い、隠す気がない。
なぜならば──犬飼がこの道を選ぶことを、若村は知っているから。
犬飼にとって。
若村の襲撃が問題ではなかった。
──若村の襲撃に対応する最中で、更に空閑遊真の襲撃によって自分が殺される事。
犬飼と若村が交戦している中で吸収するのならば。
玉狛は必ず自分を狙うはずだ。
何しろ、ダミービーコンが周囲にある。
このビーコンが若村によって設置されたものだろうと解っていれば──遊真にとってもここは絶好の潜伏場所になりうる。
と、なれば。
犬飼がこのビーコンが撒かれた地帯に足を運ぶ上でやるべきことは。
若村との交戦は多少ダメージを負う事になろうとも、素早く仕留める。見つけ次第最小限の攻撃を捌き、フルアタックで殺す。空閑遊真がこちらに急襲をかける暇を与えない。
ランク戦ラウンド4。
あの時も犬飼澄晴は落とされている。
油断はしていなかった。ただ、そこに潜めていた相手の戦術を知らなかった。だから落とされた。
今日の犬飼澄晴は、もうその手を知っている。
知っているならば、警戒も出来る。
──同じ手の焼き回しで落とされるほど、俺は甘くない。
そう一つ思考を巡らせ。
犬飼は──合流に向け、走り出した。
※
加山雄吾は。
犬飼と、そして若村の動きを見ていた。
犬飼は直線を走っていく。二宮隊との合流路に向かって。
細い路地を避け、周囲の様子がよく見える大型の道路の上を。
観客席で見ている加山も、
そして実際に現場で戦っている若村も、
共に同じ光景を思い出す。
──加山と犬飼・辻コンビが訓練を行った際に使った手口。
ビーコンで隠れているのならば、敢えて攻撃させてその位置を特定させようとしている。
あの訓練の時の加山よりも、若村は条件が悪い。
あの時の犬飼は加山の撃破が条件であった。
されど、今回の犬飼は若村を撃破する必要はない。
このビーコン地帯を抜け、二宮達と合流できればいい。
つまり──若村は、ここで釣られるほかない。攻撃して足を止めなければ、もう得点の好機は無くなってしまう。
だが。
若村は用意していた。
ここで──自らの姿をさらすことなく犬飼の足を止める手段を。
「.....お」
犬飼の頭上から、弾丸が降り落ちる。
下層の爆撃音のせいか。射撃音がかき消されて反応が遅れてしまったが──それでも十分に対応可能な範疇だ。
その弾丸は。
発射地点から離れた建物の裏手側から犬飼に向け誘導を開始する。
若村の位置を隠しながら、──ハウンド弾が犬飼に向け降り注ぐ。
「──これも、加山君の手口だね。よく研究しているじゃないか」
この手口を、犬飼は知っている。
加山が逃走の為に行った手口だ。
「でも。それでも居場所は解るんだよ」
加山は軌道を隠しつつ、置き弾という手段をもって時間差まで生み出してこの手法を行っていた。
発射時の軌道を隠せたとしても、結局自身にやってくるハウンドの速度や追尾の仕方を観察すれば──隠された発射点も、読める。
犬飼は即座に割り出した発射地点へ向かい、周囲のクリアリングを行う。
そこに。
若村はいなかった。
代わりに
「.....へぇ!」
周辺に撒かれた。
──
「──やるじゃない、ろっくん」
置き弾が光り、犬飼に向け放たれる。
射手トリガーを一度たりとも使ったことない、若村の罠。
そこに足を踏み入れながらも、それでも犬飼は対応する。
細々としたその弾丸は、大した威力は存在しない。犬飼のトリオンならば、十分にシールドで防御可能な範疇。
「若村先輩....」
加山が、渋面を作りその様を見ていた。
惜しかった。
本当に、惜しかった。
爆撃音が鳴り響いた時に合わせて置き弾のハウンドを射出させたのも。
爆撃で発砲音が聞こえなかった、と犬飼を判断させ射手トリガーからの攻撃であると誤解させるため。
そこから犬飼を偽の想定場所におびき寄せ、隠し弾の置き弾で攻撃する。
犬飼でなければ。
マスターランクの銃手である彼でなければ──きっと仕留められたはずだった。
「惜しかった、ね。ジャクソン...」
王子もまた。
そう呟いていた。
若村の位置は、犬飼の視界の裏手にある建造物の影。
犬飼の警戒心の高さから考えると、死角側に完全に意識が向いているはずだ。このタイミングで突撃銃トリガーに切り替えて攻撃を仕掛けても、間に合わない。
されど。
若村の表情は。
未だ──敗北の苦渋の色に、染まってはいなかった。
その時。
犬飼の左手側から。
ダミービーコンが一つ、起動した。
あ、と。
加山は呟いた。
──そうだ。
──今、犬飼先輩は防御の為に足を止めている。
それは、ただダミービーコンが犬飼の視界の外から発動したというだけである。
だが。
犬飼の脳裏には──常に、”空閑遊真”の存在が、頭にちらついている。
足を止め、
シールドも展開している。
例えば──あの場所からグラスホッパーで自身に向けて襲撃をかけようとしている空閑が、バッグワームを解いた瞬間だとすれば?
犬飼澄晴は、聡い。
その聡さゆえに──反応してしまった。
新しく生まれたそのビーコンの先に、空閑遊真の姿があるように思えてしまって。
だから。
その方向に──振り返ってしまった。
「.....おおおおおおおおおおお!!」
犬飼の意識が、ダミービーコンに移った瞬間。
それを逃すことなく──若村は、突撃銃を犬飼に向け、トリガーを引いた。
タタタタタタ、という軽い銃声。爆撃の音にかき消されたその音は、腕から振動となって若村の脳にだけ届いていた。
犬飼は。
穴だらけの自分の肉体を──とても驚いたような表情で。
そして。
その視線の先に若村を捉えた瞬間に──とても嬉しそうに微笑んで。
「やるじゃん、ろっくん」
と。
それだけを言い残して──緊急脱出した。
若村もまた。
信じられぬ面持ちで――自らの師が消えていく様を、見守っていた。