彼方のボーダーライン 作:丸米
玉狛支部内──。
木崎レイジはまさしく
冷静沈着であり、ときに厳しくときに優しい。自らを鍛え磨き上げること厭わず、年下の隊員からも尊敬の念を抱かれている。
如何なる状況下でも生き残れるよう鍛え上げられたその身体。落ち着き払った所作に雰囲気。彼はまさしく、ゴリラの中のゴリラ。完璧万能手の名に相応しい男である。
されど。
悲しいかな。これら素晴らしき風体はすべからく自然体のものであり、演技として形成されたものではなかった。
自然体で形成されたそれらは、その自然性が崩れる瞬間にどうしようもなく取り繕えなくなる。
「今日、なんかレイジさんそわそわしてないか?」
修は思わず、そう言葉を零していた。
そう。
いつも冷静沈着な男である木崎レイジは、支部の中をうろうろと歩きまわり、周囲を見回したりと──挙動不審極まりない様相であった。
その表情もまた。
いつもは一文字に閉じたままの口の形が、少し混迷気味にうにょうにょ動き、目線もあちらこちらに飛んでいる。
他人のことに鈍い修も、あそこまでの異変には流石に気付く。気付かざるを得なかった。
「気にしないで。いつもの事だから」
いつもの事?
いつもの事とは──何であろうか。
今小南が言った言葉を反芻した。
だって。こんな様子一度だって見たことなかったのに──。
確かに、聞いてはいた。
今日のうちに──玉狛の古株二人がスカウト旅から戻ってくると。
玉狛第一のオペレーター、林藤ゆり。
技術者、ミカエル・クローニン。
とはいえ。
あのレイジをここまで動揺させる人物とは如何なるものなのだろうか──?
──ほら。襟が曲がっている。恥ずかしくないようにしゃんとしていろ。
遂には他人の風体にすら口を出す始末。
森の賢人が聞いて呆れる。
「帰りましたー」
扉が開かれると同時。
白髪を後ろに纏めた外国人の男──ミカエル・クローニンと、
同じ髪型をした女性──林藤ゆり。
その二人が玉狛支部の中に入ってきた。
「お、お久しぶりですゆりさん」
「うん。久しぶりレイジ君」
非常に──非常に慌ただしく。木崎レイジはその女性の下に駆けよる。
明らかに動揺しているゴリラに対して、ゆりは変わらぬ柔らかな物腰で微笑みかけている。
「荷物を運びましょうか?」
「荷物? 宅配便で送ったから何もないよ」
「あ、そうでしたか.....。流石はゆりさん」
「うん。ふふふ」
その様子に気付いているのかいないのやら。挙動不審ゴリラと化したレイジの姿を、おかしげに笑っていた。
「こんにちは。修君、遊真君、千佳ちゃん、ヒュース君。私は林藤ゆり。林藤支部長の姪なの」
「よ、よろしくおねがいします」
「元々電話で皆の事は聞いていたから。初対面って感じがしないわ。よろしくね」
軽く腰を曲げ挨拶を一つすると。
「おお。お帰り~」
「ただいま叔父さん。──支部、爆撃があったって聞いたけど無事だった?」
「おう。玄関口が吹き飛ばされただけだよ。どうだ。玄関だけは真新しくなっているだろ?」
「ふふ。そうね」
・ ・ ・
「おお。君が──俺の息子か」
「息子は無茶じゃない?」
「なら甥だな」
所かえて。
ヒュースはクローニンと会い、握手を交わしていた。
「次のランク戦から参加するみたいだな」
「ああ」
「なら、トリガーを組もうか。ついておいで」
その後。
クローニンはヒュースと遊真を引き連れ別室へ向かう。
「──メインは弧月かな」
「ああ。だが弾トリガーも欲しい。──ナスが使っていた、変化する弾が欲しい」
「バイパーね。オーケー」
「それと。──銃も入れたい」
へぇ、と。
クローニンは一つ呟く。
「そりゃあいいけど。バイパーも使うのにわざわざ銃を使う理由は?」
「タマコマに足りないものを考慮したのと。──今流れている噂を、逆に利用する為だ」
「利用?」
「弧月を使い、バイパーを使う事はもうバレている。なら──別の隠し玉で対処する」
「まあ、何のことだか解らんが了解した。銃はどのタイプにする?」
「フォルムが大きい機関銃タイプがいい。B級なら、キタゾエが使っていたタイプだ」
「了解」
こうして。
ヒュースのトリガー構成が完成された。
メイン:弧月 旋空 シールド 突撃銃(アステロイド)
サブ :バイパー 空き シールド バッグワーム
「一つ空いているけど」
「今のところはこれでいい」
こうして。
ヒュースは──攻撃手・射手・銃手トリガー全てを使う万能手型の構成のトリガーを手にする事となった。
トリガーが完成すると、ヒュースは遊真を見る。
「試し撃ちだ。──少し付き合え」
「了解」
※
「....そう。そんな事が」
林藤ゆりは、叔父である林藤支部長の部屋に呼び出され、一連の出来事についての説明を受けた。
主に。
支部が襲撃された事件について。
「本当に色々あったのね」
「ああ。──もし陽太郎が一歩間違えりゃ殺される事態だったなんて
「でしょうね.....。あの、その加山君って子は、遠征に行くんですか?」
「行くぞ。間違いなくな。たとえ、あいつが所属している弓場隊が遠征の条件から外れたとしても、上層部はアイツを連れていく」
「....そこまで重要な人なんですね」
「黒トリガー唯一の適合者で、アフトクラトルの情報持ってて、そして上層部に基本的に協力的だ。連れていかない理由はないだろうな」
「...」
内心、複雑であった。
頭では理解している。
それでも、複雑な思いが彼女の中にはある。
林藤ゆりは旧ボーダーの一員である。
防衛が主たる目的である現行のボーダーではなく。
近界との交流を目的としていたボーダーの。
現ボーダー司令である城戸や、本部長の忍田なども──元々は旧ボーダーの人間だ。
城戸は、この玉狛を出た。
出て、現行の組織を作った。
近界を敵とする構図を作り、その構図を基に組織を形成した。
そうして集めた人員が、現在三門市を守る大きな力になっている。その事実があって、尚且つ代案も出せないままの自分達に──城戸の方針に文句をつける資格など無いのだ。
それでも。
「....その黒トリガーの性能は」
「──トリオンへの膨張作用。トリオンで作られたシステムのクラッキングにハッキング。割とシャレにならん」
「....どういう部分で?」
「条件さえ揃えば──マジで近界国家を滅ぼす事が可能ってこった」
近界は、トリオンという器官エネルギーによって成り立っている。
そのエネルギーは風を吹かせ、雨を降らせ、大地を形成し、光を作る。
玄界でいう所の神羅万象全てがトリオンにより構築されている。
そして──国一つを運営できるほどのトリオンを賄っている装置が、近界の国々に存在している。
それが。
マザートリガー。
「まあマザートリガーを破壊できるかどうかは今のところ本気で解らん。所詮黒トリガーの一つだ。──とはいえ、それぞれの国家の産業なりライフラインなりにとんでもない損害を与える可能性は大いにあり得る」
「....それが本部の手の中にあって、使い手が近界に強い恨みを持っている...」
「....そういう意味でもな。あいつ等には出来れば遠征に行ってもらいたいんだ」
林藤の表情は変わらない。
笑みを浮かべている。
「──加山には加山の理念があるように。俺達には俺達の理念がある」
だから、
「俺達も俺達で、やれることはやろうかね」
※
「──今日はお世話になりました。ありがとうございます」
加山は太刀川隊の作戦室を出ると共に、一礼する。
「おう。次の試合俺が解説だからな。頑張ってくれ」
「あ、マジですか。じゃあちっとは頑張りますね」
「おう。頼むぜ」
「.....」
和やかに会話する出水と加山の背後。
唯我は疲弊したのか、げっそりと下に俯いている。
「唯我先輩も今日はありがとうございました」
「.....ハウンド、ハウンド、アステロイド、メテオラ、アステロイド」
唯我尊。
本日──通算七十もの死を経験。
そのどうしようもなさに本人は当初の内は泣き叫んでいたが、次第に泣くことも忘れ、最終的に半笑いのまま殺され続けていた。いとあはれ。
それじゃあ、と一つ挨拶をかわし。
加山はそのまま個人戦ブースまで行こうとして──。
「...」
その途上。
一人の女が、こちらを睨みつけていた。
「こんにちは香取先輩」
「.....久しぶりね」
「どうしました?」
「まず一つ」
びし、と。
香取はこちらに指差す。
「ちょっとウチの作戦室に来てもらう。──あの近界民について。聞きたいことがあるの」
「ああ、そっか。了解です」
そうか。
香取隊は──ヒュースの姿をしっかり見ていたのだった。
大規模侵攻時に戦い、捕えた捕虜が──何故かこちらに入隊し、遠征一歩手前の部隊に入っているのだ。
その後。
加山は香取隊作戦室まで来る。
「お邪魔します~」
香取が入室すると同時、その背後から部屋に入る。
「よお、加山」
「やあ加山君。こんにちは」
「....こんにちは」
作戦室でそれぞれ寛いでいた香取隊の面々が、加山の入室に反応する。
「久しぶりっすね皆さん」
「それで? どういうことか説明してもらえる?」
香取は、いかにも柔らかそうなソファの上に座ると、睨みつける様に加山を見上げる。
「──上からの指令。”ヒュース・クローニンについての正体について言外する事を禁止せよ”って。隊のメンバー全員呼ばれて忍田本部長と城戸司令直々にこの前言われたわ」
「でしょうね」
「あの近界民が玉狛に入隊して──嘘っぱちの噂が東さんの名前もくっ付いて流れ始めて。今度はアンタの名前がくっついて別の噂が流れ始めた。──どういうことか説明してもらえる?」
加山は頬をぽりぽり掻くと。
特に感情を動かすことなく話し始める。
「そりゃあ──玉狛に近界民が入りましたなんて言えるわけないでしょう」
「なんで言えないようなことを上は認めている訳?」
「そこは本部と玉狛との交渉の結果ですね。──あちらさんは遠征でとにかく便利アイテムである雨取千佳さんを借り受けることを求めて、そして玉狛はヒュースの入隊を求めた。それだけですよ」
「──待って。玉狛、遠征行くつもり? 近界民連れて?」
「みたいですよ」
「....」
香取は。
十秒ほど口を閉ざしていた。
「──あいつ。C級攫った奴よね?」
「ですね」
「──なんで、遠征なんかに。一緒に連れていったら裏切るに決まっているじゃない」
「ですね」
「ですね、って。──アンタそれでもいいの!? あの噂だって、アイツの正体隠すための嘘っぱちでしょうが! なんでアンタがむざむざ協力してやっているのよ!」
香取はソファから立ち上がると、加山の胸倉を掴んだ。
「ちょ、ちょっと葉子ちゃん...」
「葉子! 落ち着け!」
男二人が即座に止めに入り、加山の胸倉は解放される。
「...」
加山は無言を貫いていた。
「──アンタは。いいと思っている訳? あんな奴が遠征に行くの」
「....信じてもらえるかどうかは解りませんけど。思っていませんよ」
「だったら....!」
「──アイツが遠征先で裏切る時。俺が殺します」
香取は。
その声に、表情を変える。
殺す、というその言葉は。
本当にその剣呑さを乗せた重さが存在していたから。
「どんな手を使ってでも」
その宣言は。
突っかかっていた香取の怒りを鎮火させるには十分な威力があったようだ。
「そう」
と。
そう香取は呟いた。
「──解った。そこまで言うなら信じてあげる」
「ありがとうございます」
「もう隊で遠征行く目はほとんど残っていないけど──私も私で遠征に行く目的が出来たわね」
え、と。
全員が呟く。
「加山」
「はい」
「アタシも──個人選抜での遠征入りを目指す」
「.....そう、ですか」
「そして──裏切り者をアンタが殺すって言うなら。それを手伝ってあげる」
と。
そんな言葉もまた──彼女は付け加えていた。
「──アンタがヒュースの戦い方についての噂を流していたのは、玉狛への妨害でもあるんでしょ。だったらその手伝いもしてあげる。だから、アタシにもあの近界民についての情報を寄こしなさい」
「....」
その迫力に晒されて、無言のまま。
加山は一つ頷いていた。
こうして。
意図せずして──加山にはまた一人、協力者を得る事となった。