彼方のボーダーライン 作:丸米
楔が、打ち込まれた。
あの日。
あの時に。
香取葉子という人間の奥底に、打ち込まれた楔。
忘れたくとも忘れられぬ。
記憶。そして事実。
──もう。アタシの心は折れない。
眼前の敵は強大で。
そして──あまりにも腹立たしい。
──ぶっ殺す
※
──もう二度と心が折れぬようにやってきた。
「……」
斬り結ぶ。
撃ち合う。
孤月とスコーピオンが。
バイパーと拳銃が。
その度に。
削られダメージが蓄積されていくのは──どうしようもなく香取葉子の方であった。
背中側に回した孤月による横薙ぎの一撃。
香取はそれを上体を沈ませ避けつつ拳銃を向ける。
ヒュースの目を見て、その視線の先を辿る。
斬撃が避けられた瞬間から、もう次の行動が開始されている。
香取の腕の動き。そしてその銃口の向き。それを観察しつつ、体勢を整えている。
──イメージできる。
胸元。頭部。どこを狙ってもきっとヒュースは対応する。攻撃が外れた後の動きに油断も隙も存在しない。撃ったところできっとシールドで弾かれる。それがイメージできる。
だから。
香取はその銃口を──ヒュースの足元へ降ろした。
引金に指をかける。
銃声が響く。
当然のようにシールドに弾き返される。
解っている。
ここまでは問題ない。
足元への銃撃に、ヒュースはシールドで対応した──それが香取にとって重要だった。
ヒュースの視線は下に向いている。
向いた視線がまず足元に向かって、その後は視線は追撃を警戒して香取の銃口に向かうはず。
香取は銃口を右手側に移動させながら──体軸を回す。
銃口に視線が向かうヒュースの視界は横にずれていく。
拳銃の動きに着眼し、視線が誘導されたその一瞬。
香取の左手側に、ヒュースの死角が生まれた。
その死角に向け。
回した体軸から、後ろ回し蹴りの要領でスコーピオンによる足先からの斬撃をヒュースの首元に叩き込む──はずであった。
「──!」
しかし、それが行使されるよりも前。
ヒュースもまた視線を即座に逆側に戻す動きと同時に体軸を回し──死角に向け孤月の斬撃を放つ。
その動きに勘付いた香取は、回し蹴りの為に込めた足先の力を背後への回避行動に転化し、斬撃からなんとか逃れる。が、自らの胸元が斬り裂かれる。
この瞬間。
香取は──自身の危機を察知した。
ヒュースは。
その瞬間からシールドを解除しバイパーをセット。
生成、分割し──放つフリをして、その場に留める。
「──ぐ!」
バイパーの起動タイミングが読めず、どうしてもそちらに意識が向けられる中。
ヒュースが自身の側面へと移動しつつ斬撃を放つ。
斬撃を受ければ、足が止まる。
足が止まるとあのバイパーに全身を貫かれて死ぬ。
でも今の自分は背後へと回避行動をし終わった直後で、あの斬撃を避ける手段がない。
──足を止めてはならない。
──でもあの斬撃を無視もできない。
結果。
香取が選択した方法は──。
ブーツの先端から、鉤爪状のスコーピオンを生成。
それと同時に、斬撃の軌道上に集中シールドを置く。
当然、ヒュースの孤月の一撃にシールドは砕かれる。
されど。一瞬、斬撃のスピードが落ちる。
──ここだ!
香取は、シールドが砕かれた瞬間から──ヒュースの孤月に向けて蹴りを繰り出す。
鉤爪状のスコーピオンが孤月の峰を絡めとり、斬撃を地面に叩き落とす。
ヒュースの斬撃への対処は、ここで完了した。
後は──時間差で向かいくるバイパーを処理せねばならない。
──加山が、バイパーへの対処方法を示してくれた。
バイパーは香取を取り囲む形で迫ってくる。
逃げ場が塞がれている。
ならば。
逃げ場を──切り開く。
──アタシは加山みたいに潤沢なトリオンはない。シールドを細かく分割する技術もない。それでも、アタシはアタシとして積み上げてきたものが、ある。
トリガーをシールドとグラスホッパーに変更。
迫り来る弾丸の、正面部分だけをシールドで打ち消し。
打ち消し、作出した空間に向け──身体をねじ込ませ、グラスホッパーを発動。
弾丸のいくつかが左肩と右脇腹を貫く。
それでも──生き残るべく急所と足だけは守りつつ。
香取葉子は、自らの身体をグラスホッパーにて跳ね飛ばす。
「……生き残ったか」
ヒュースもまた、──ポツリそう呟いた。
好機を見極め、仕留めるつもりで行使した攻撃であった。
それでも──香取葉子は、その身にダメージを刻みつけながらも生き残った。
全身からトリオンを溢れさせながらも。
香取葉子は──再度ヒュースと向かい合う。
一連の攻防で理解できた。
間違いなく、ヒュースは自身よりも格上であると。
積み上げてきたものも。
才覚すらも。
自身よりも上のものを持ちながら──洗練され、磨き上げられている。
「……」
それを自覚したのならば。
逃げるべきなのだろう。
眼前の男よりも、香取は機動力だけならば優っている。逃げることならば難しくない。
それでも。
香取はその場に留まった。
──ヒュースは、逃げて態勢を整えればいいのに、と思った。
香取のその行動を、感情を優先させ、冷静さを無くした愚行であると。そう思った。
しかし。
香取葉子の想定は異なる。
──まだ勝機はある。そう明瞭に思っていた。
気持ちで実力が上がることはない。
それはあくまで、燃料。
今、確かに香取葉子の中に──着火した炎が内側に存在していた。
燃え上がるそれらは。
自らの燃料で作り上げてきた、香取葉子という存在そのもの。
これまでの道程であり。
怒りであり。
そして──打ち込まれた楔でもあった。
燃え滾る炎が、自らに告げる。
──まだ、勝機は残されていると。
──あの時に。
──華がアタシを助けてくれて、ボーダーに入って。
──その時は、折れてしまった。
折れて。
折れたままで。
イラついて。どうしようもなくて。
今となっては──ひたすらに屈辱だった。
──二度も、華と約束した。そうしたからには、もう。
香取は、もう。
とうの昔に、覚悟は決めている。
──アタシの心は、折れない。
「──言ってしまえば、これはチャンスなのかもしれないわね」
ヒュースと向かい合いながら、香取は呟く。
無視されるが、構わず言葉を紡ぐ。
「ねえ、知ってた? ランク戦って音声記録残んないの」
そう言われた瞬間。
ヒュースの表情が変わる。
──よし。話に食いついた。
香取は、内心ほくそ笑む。
さあ。
時間稼ぎをしよう。
「……それがどうした?」
「アタシはアンタの正体を知ってる。でもアタシは上から箝口令敷かれて自由に喋れない。──でも、ここだと音声は拾われないからアタシがなにかを口走ったとしても証拠は残らない事に気付いたのよ」
実際のところ、ランク戦で音声の記録が取られているのかどうか。それは香取としても解らない。
記録として配布されたり、実況席から戦いを見る分には音声が入らないというだけで、技術班が解析でもすれば音声は拾われるかもしれない。
でも。その実際の部分なんてものを近界民であるヒュースが知っているわけがない。
だから、効く。
「他の部隊がいるところで──さっきみたいにアンタが近界民だって思わず口走る事もあるかもしれない。アタシ、気が短いし」
笑う。
愉快故に、香取は笑う。
「……何が言いたい?」
「……ここでアタシを止めないと、後悔することになるかもしれないわよ。──嫌なら、かかってこいってだけの話よ」
さあ。
時間は十分に稼いだ。
そして──ヒュースの中に幾分かの危機感を植え付けることができた。
先程香取はヒュースに対する悪感情と、遠征に行かせないという目的をはっきり告げた。
脅しではないと。そう思っているはずだ。
だから。
──香取を他の部隊が集まる前に絶対に仕留めねばならない。そう思い込むはずだ。
香取はその瞬間、背後へと飛び去りながらヒュースに弾丸を打ち込んでいく。
ヒュースは、追う。
香取が向かう方向へと。
想定通りだった。
それだけで──もう十分。
オペレーター、宇佐美栞の警告がヒュースの耳に入る。
香取が向かう、その先には──。
「よう、新入り」
黒を基調とした隊服から、伸びる一筋。
鞭のようにしなるそれを──操る、その男は。
「遊ぼうぜ」
影浦隊、隊長。
影浦雅人であった。
※
──そうか。
ヒュースは一つ納得した。
香取葉子の狙いは──この状況なのだと。
影浦雅人を追加しての、三つ巴戦。
確かに、三つ巴での戦いならば──実力差もあり、負傷している状態でも勝ちの目が出てくる。
香取はこの状況を作るために。
ヒュースが興味を持たざるを得ない話題を口にして時間を稼ぎ、香取を追わざるをえない状況にヒュースを追い込んだ。
その果てに現れたのは。
──ヒュースに匹敵する実力者である、影浦雅人。
影浦のマンティスが首目掛けて放たれる。
それを避けると同時。
香取が──何やら爽やかな笑みを浮かべながら、拳銃を放つ。
その弾丸は──影浦の攻撃と同時に構えられ、ヒュースの回避動作と共に放たれる。
「……」
銃撃に体が削られつつ、香取と影浦の双方へバイパーを放ちつつ──香取に向け孤月にて斬りかかる。
しかし香取は特に焦る事なく。
バイパーをシールドで防ぎ、拳銃から切り替えたスコーピオンで斬撃を受ける。
──迷いがない。
ヒュースは違和感を覚える。
香取の動きを見ると、影浦に全く警戒を割いていない。
その状態に呼応するように。
影浦もまた──ヒュースのみに狙いを絞り攻撃を放っていく。
「──成程」
これは三つ巴の戦いなどではない。
──純然たる、二対一の戦いだ。
※
「──修くん! ヒュース君が香取隊長と影浦隊長に狙われてる!」
その状況は、玉狛の部隊員にも伝わる。
「──空閑! 最短ルートでヒュースと合流できるか!?」
「すまん隊長」
そして。
偶然が──試合の状況を変えていく。
「見つかった」
遊真は──バッグワームにて潜伏をしていた生駒達人と遭遇を果たしていた。
これにて。
事前に立てていた、遊真とヒュースを合流させる計画は頓挫することとなる。
「──千佳! 場所を移動する! ヒュースを援護できる位置まで出る!」
「うん、解った」
「一帯にエスクードを敷いて二人の退路を確保した上で、移動する──頼んだ!」
千佳はビルの上から飛び降りると、地面に手をつける。
──周囲一帯を飲み込むような、エスクードの山々。
それらが、千佳を中心に作り上げられていく。
「行くぞ!」
※
「ゾエさん。玉狛の二人が動き出した」
「ん。了解。それじゃあこっちも移動しようか。──ねぇユズル」
「ん?」
「大丈夫? ──雨取ちゃん、撃てる?」
「……」
千佳と修がヒュースの援護のために壁を作り、移動していく様を、ユズルは80メートル離れたビルからスコープ越しに眺めていた。
迷う事なく。
ユズルは、言う。
「大丈夫」
と。
※
「──成程ね」
観戦席。
木虎は──加山に訝しげな視線を浴びせる。
「香取隊長と影浦隊長──何か吹き込んだでしょ。加山君」
「影浦隊長には置き弾の対策を伝えて、香取隊長には聞かれたことを答えただけですよ。──あんな風に動くように段取りした覚えはないね」
「ふーん。なら……香取隊長は、影浦隊長が自分ではなくヒュース隊員を狙うことを貴方からの情報抜きで判断したわけなのね」
「状況判断、って事もあり得るな。俺が影浦隊と接触していたことは知ってたみたいだったから」
今のところ──加山の情報戦は想定以上の結果となっている。
それはひとえに、香取の高い状況判断によって弾き出された結果ではあるが。
「──さぁて。どう来るかな」
玉狛が誇るエース二枚は合流が叶わず。
雨取千佳は現在何者の庇護もなく単独で移動を開始している。
ジッと、加山は──試合の行く末を見守ることにした。