彼方のボーダーライン 作:丸米
ヒュースが放った斬撃は、影浦の左肩から腹先にかけて斬り裂いていた。
かなり深い傷であったが──ヒュースの想定よりも遥かに手ごたえのない一撃となった。
そしてヒュースは──影浦の背後にあったスパイダーが全て両断されていることに気づく。
──そうか。斬りかかられると同時に、スコーピオンでスパイダーを切断していたか。
だから背後へと瞬時に後ずさる事により、斬撃を致命傷一歩手前までずらす事に成功できた。
──いい判断だ。
ヒュースは更に一撃を食らわせんと踏み込もうとして──止める。
背後からの香取葉子からの攻撃を警戒したため。
──背後に来ていた香取は拳銃を構えヒュースに狙いを定め。
──とどめを入れられなかった影浦はマンティスでの斬撃をヒュースに行使していた。
ヒュースは。
シールドを使わなかった。
影浦の斬撃で左腕の全体が吹き飛び。
香取の弾丸がトリオン供給器官スレスレの部位に着弾する。
それでも。
ヒュースは身を捩り二つの攻撃から心臓を守りながら攻撃を行使する。
身を捩りながら弧月の回転斬り。それに伴う半回転の旋空の斬撃が両者に襲い来る。
香取も、影浦も──共に身を屈め、その横薙ぎの旋空を避ける。
その動作が終了している、その時には。
もうヒュースの頭上に──バイパーのキューブが生成されている。
生成し、分割し作り上げた半分を影浦に。半分を香取に放つ。
「チッ.....!」
ヒュースは弧月を振り終えると、その視線は香取に向けていた。
当然バイパーが射出される瞬間を副作用で察知することが、影浦には出来ない。
影浦の脚部、そして腹部がそれぞれ削られる。
先程の一撃も合わせ──トリオン漏出による緊急脱出の刻限が一気に近くなる。
「....おい」
そう影浦は言うと。
マンティスによる波状攻撃を反撃代わりにヒュースに叩き込む。
ヒュースはシールドでその動きを止め、シールドが割れる直前に背後へと引く。
その瞬間──影浦は香取へとゆっくり近づく。
「──勝てよ」
ぼそり、香取にのみ聞こえるほどのひそやかな声でそう呟いた。
そう呟く彼は、──トリオンの漏出により緊急脱出直前の有様。
形だけでも攻撃のフリでもしようとしたのか。速くもないスピードで影浦が香取に手を振り上げた瞬間、
「──当然よ」
そう香取は呟き──影浦の首を跳ね飛ばした。
「成程」
その様を見つめながら。
ヒュースはただ、呟く。
「そういうのもアリなのだな」
敵部隊同士の三つ巴の戦いのはずが。
徹底した2対1の構図が繰り広げられ、その果て。影浦は玉狛に点をやるくらいなら、と──香取に自らの首を差し出した。
──加山か、もしくは眼前の女の仕込みか。
そのどちらかは解らないが。
随分と、自分は恨まれているらしい。
「何か文句ある?」
苛立たし気に、香取はそう呟く。
「いいや。──こうなったからには、確実にお前から点を取らせてもらう」
「やれるもんなら、やってみろ」
影浦が残した置き土産。
ヒュースに刻まれた左腕の欠損と削れた足。
追い込まれているのは自分だけではない。
奴もかなり辛い状況のはずだ。
それでも──焦りの欠片も見られない。
ヒュースという男の強さの神髄はここなのかもしれない。そう香取は思った。
苦境の中においても常に平常心を維持できる冷静さ。
冷静であるが故に、思考を放棄しない。最善を選び続けられる。不利に陥ろうとも切り抜けられる。
だからこそ。
こちらも最善を選ばないといけない。
片腕が千切れて足も削っている。
千切れている腕側から攻めるか、機動力を活かした戦い方を選択するべきなのだろう。
ただ、その狙いは相手も読んでいる。
──結局、アタシがあの近界民を倒せる手段は二つに一つ。
懐に入り込んでの真っ向からの差し合いか。
グラスホッパーを合わせての機動戦か。
このどちらか。
どちらも懸念点がある。
片腕のヒュース相手だ。純粋な近接戦で圧し負ける事はない。
しかしヒュースにはバイパーがある。
恐らくこちらが肉薄する瞬間にはバイパーを作出し、差し合いの中で使ってくるだろう。
故にこの近接戦は──バイパーが射出するまでの間で仕留めねばならない。
ならばグラスホッパーを使用した機動戦を行えるか、というと。
やはり──直線行動を取るグラスホッパーと、曲線での攻撃が可能なバイパーでは純粋に不利。
よって。
香取が出した答えは──。
「──これで」
グラスホッパー陣を大量にヒュースの周囲に撒き、
「終わらせるわ.....!」
──乱反射。
敵の周囲をグラスホッパーで囲み、高速移動しながら攻撃をする技法。
.....恐らくヒュースはこれまでのランク戦をチェックしているはずで、そして同じ技を使える空閑遊真と訓練も重ねているはず。
だから対策も練っているであろう。
ヒュースはバイパーを作成し、分割する。
──そうでしょうね。そうするわよね。
グラスホッパーは弾丸トリガーで破壊できる。
陣を破壊さえすれば、この技はもう使えない。
当然、バイパーで破壊しにかかるだろう。
──それでいい。
乱反射は、あくまで撒き餌。
バイパーの射出方向を香取個人へ集中させるのではなく、グラスホッパー目掛けての全体に移行させるため。
そして。
乱反射での手数による猛攻を注意させての──初手への警戒を薄めるため。
グラスホッパーにて移行するのは。
──斬り飛ばされた左手側。
バイパーを使用しているためシールドは使えない。弧月は右手側で振りかぶっている。
左側が、空いている。
そちら側にグラスホッパーでの移動を行い。
千切れたヒュースの腕側から、右足を前に突っ込む。
右の斬撃が到達するよりも、グラスホッパーを利用した飛び蹴りの方が速い。
バイパー弾の幾つかが香取を削るが、それでも香取の動きは止められない。
香取の右足は──ヒュースの供給器官を貫いた。
「──終わりよ」
「いや──まだ終わらない」
そうヒュースが呟くと同時。
ヒュースの心臓を貫いた香取の背中側から──バイパーの弾雨が叩き込まれる。
「.....!」
香取は驚愕の表情で周囲を見回す。
周囲に撒いたグラスホッパーは、そのまま残っていた。
──読まれていた。
グラスホッパーが撒き餌だと。ヒュースは読んでいた。
だからバイパーはグラスホッパーを狙うように見えて──むしろ避ける軌道で放ち、更にそこから香取に向けて折り返す形で仕留めた。
──備えていた。
間違いなくヒュースはこの場面を想定し、そして備えていた。
グラスホッパーは弾丸で破壊できる。
この対策を実際に以前のランク戦で弓場が実行していて、当然その研究もしている。
だから──その対策を実際に持ってくるであろうという想定で香取は動いた。
乱反射の陣を敷けば、その対策をヒュースは実行するだろう。
その思考の下に香取は自らの策を打った。
しかし。
対策を裏手に取る作戦を更に上回る想定で、ヒュースは動いていた。
その結果として。
腕も足も削られているという圧倒的不利な状況から。
相打ちに──
「.....これで四点目か」
ただそうぽつりと呟いて──ヒュースは緊急脱出した。
結果的に相打ちの形となった。
香取は穿たれた胸の穴に一つ手をやる。
まなじりは泣きそうに歪んで。
しゅうしゅうとトリオンが垂れ流されている穴をぐっと掴んで。
何かを言おうとして言えず──ただ下に俯き、そのまま緊急脱出と相成った。
※
「──すまない。落とされてしまった」
ヒュースは淡々とした口調ながらも、言葉通りの感情も少々滲ませた口調でそう部隊に伝えた。
「いや、こちらこそすまない。援護が入れられないで申し訳ない」
「結果的にはかげうら先輩とかとり先輩も仕留めてくれたからな。一番厄介な二人だったから、本当に助かった」
香取がヒュースの想定を超えることが出来なかった、と悔いていたように。
ヒュースもまた──自らの想定の甘さを悔いていた。
ランク戦という環境と、これまでの戦いを研究してきた結果生まれた先入観を持ち戦った結果──想定外が連続してしまった。
──加山に自身の情報が流された時点で、警戒しておかなければならない事態だった。
部隊の垣根を超えた影浦と香取の連携により、自身は葬られた。
加山はああいう戦いをする人間で。
そして自分はああいう戦いと相対しなければならない人間で。
香取からありったけの憎悪の言葉と、脅しの言葉を突き付けられたとき。
警戒すべきだったのだ。
香取が向かう先に影浦の反応があった時も。
三つ巴戦で香取が有利を取ろうとしているのだろう、としか思っていなかった。
二ポイントを取れ、そして脅しにかけている香取を仕留める好機だと──そう思い安易に追ってしまった。
そこからの立ち回りは最善を取れたからこそ二ポイントを取れた。
しかしそもそもあの香取の挑発を受け入れなければまだ生きていて、部隊の援護が出来ていた可能性が高い。
冷静さを持っていれば、想定できた事だった。
香取が自身の正体を知っている、というのならば。
当然加山にとっては、より深く近界民である自身についての情報を共有できる相手であるという事である。
ヒュースは──あの挑発に乗った時点で香取に負けた、と感じていた。
まだまだ甘い、と。
そうヒュースは思いつつ──残るメンバーのサポートに注力する事にした。
※
「.....」
負けた。
何もかも手を打って、負けた。
香取は緊急脱出先のベッドの上。
目頭を摘まむ。
怒りに震える、というのは本当に久しぶりの事だった。
実力で負ける、という事は幾らでも経験していた。
それなのにこの怒りは何なのか。
理解できている。
あいつは敵だ。
敵なのだ。
記憶が蘇る。
──いい動きだったな。無駄だったが
大規模侵攻。
敵の首魁、ハイレインに挑み、敗れたあの時。
悔しくて仕方がなかった。
華の家族を奪った連中の一人がまた攻めてきて。
一矢報いる事も出来なかった無力感。
あれと同じだ。
敵に負けたんだ。
あの圧倒的な無力感を味わわされる、敵への敗北を懲りもせずまた舐めさせられた。
そして。
『敵』を前に、その力を超克できない自身への怒りも合わせて──震えていた。
「ムカつく......!」
何より腹が立つのが。
この怒りを──過去の自分はすっかり忘れていて。自分を磨くことを放棄していた事実だ。
あの空白がなければ勝ててたのではないか?
そんな風に思ってしまう自分の悔恨の情すらも、腹立たしい。
「ムカつくんだよ.....!」
ベッドに拳を叩きつけ、涙を滲ませる。
腹立たしい。
腹立たしくて仕方がない。
「──葉子」
声が聞こえる。
若村の声だった。
「まだ雄太が生きている。──最後までサポートしようぜ」
「....」
素直に一つ頷き、オペレーターのモニターまで歩いていく。
解っている。
ここで感情を解放しても意味なんてない。後悔もまた同様だ。
──もうアタシの心は折れない。
この煮え滾るほどの後悔も飲み干す。
現実を現実として受け入れて──歩いていくしかないのだから。