彼方のボーダーライン   作:丸米

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変わらないもの

 加山雄吾と染井華は、今まで幾らかの会話をしてきた。

 その回数はそこまで多くない気がする。

 

 互いに頻繁に会っているわけでもなく。

 互いに多弁な訳でもない。

 

 というより。染井にとってはどうだか解らないが──加山は普段はどちらかというとしっかり話せるほうなのだが。

 この先輩に対しては、自分の内心も含めて──本来的な部分をしっかりと握られているが故に、取り繕った言葉が出てこない。

 

 .....本当の自分。

 本当は。どうしようもなく臆病で、繊細で、一人殻に籠っていた人格。

 音楽が好きで。

 争いや諍いが嫌いで

 音に色を感じる世界の中で悲喜交々味わい続けてきた。

 

 そして。

 いつの間にか捨て去ってしまったもの。

 

 そういったものを。

 彼女の言葉だったり。行動だったりが。一つずつ掬い上げて、提示されて。

 どうしようもなく、取り繕っていない一人の人間としての自分を出すほかなくなってしまう。

 

 

「もう大丈夫みたいだね」

「はい」

 

 エネドラの人格に苦しんでいたあの時も。

 この人からかけられた言葉があった。

 

 ボーダー本部からの帰り道。

 一人と一人が、歩いている。

 

「大丈夫というより──何というか、吹っ切れた感じがする」

「吹っ切れてます?」

「うん」

 

 少しだけ微笑んで、染井華は言う。

 

「....言葉にすると難しいね。でも、加山君は以前とは変わったと思う」

「そうですかね?」

「今、私と会話をしている表情とか。こう、時々辛そうだったのがあんまりない気がする。気がするだけなのかもしれないけどね」

「....辛そうでした?」

「うん」

 

 ──ああ、でも。

 

 いつかの言葉を、加山は思い出す。

 

 ──きっと私は、加山君を苦しめ続けると思う。私がそう思い続ける限り。

 

 彼女の言葉は、加山を変える為の願いが籠められていて。

 籠められていたその思いを加山もまた理解していたから。

 変わらないでいようとする自分と。

 変わらなければいけないと自覚する自分と。

 

 その双方の中で──苦痛が生まれていて。

 その苦痛を、やっぱり染井華も読み取っていて。

 

 だからこその言葉だったのかも、しれない。

 

「....変われたんだね。加山君」

「....恐らく」

 

 エネドラの記憶を受け入れた事で。

 エネドラの感情を理解した事で。

 押し殺していた自分の感情もまた──静かに、自分の中で受け入れたのだと思う。

 

「──よかった」

 

 その様子に。

 染井華は、ただそう呟いた。

 

「あの時はどうなるかと思ったけど。──結末がこうなら、よかったと思う」

「....」

「変わる切っ掛けが私であってほしいと思っていたけど。──君が受け入れたその誰かの記憶によってそうなったというなら、それはそれで」

 

 少し切なげに、染井華は言った。

 その声の感じを聞き取って。

 少しだけ──微弱な色の変化を感じる。

 

 本当に微弱だ。

 加山が変われた事に対して、きっと嬉しいと感じているんだと思う。

 それと同時に。

 その直接の原因が──あの出来事であったことに対して、複雑な感情を持っているんだと思う。

 

 いや。

 それは、

 

「染井先輩。──それは違います」

 

 違う。

 

「俺が変われたのは染井先輩のおかげです」

 

 自然とそう思考し、自然とそう言葉が流れた。

 

「俺を変えようとしてくれた人たちが、俺をこうさせたんです。それが切っ掛けにあったから──俺はアレに立ち向かわなくてはいけなかったんです」

 

 加山の中で自覚した感情が、あの人格を浮かび上がらせた。

 浮かび上がらせた人格が、加山という人間性を破壊せんと襲い掛かった時も。

 ──結局は他者の手で助けられた。

 

 それは染井華や加古望、そして弓場隊の人間によって確立されてきた加山雄吾という人間性であり。

 そして、──迅悠一という男によるものであって。

 

 

 積み上げてきた全てが、結実して。

 乗り越えた先の今がある。

 

「染井先輩。ありがとうございます。──今は、あの時よりもずっと自分らしくあれていると、思っています」

「....色々苦しんでいた時。加山君は、この先にいる自分が、自分じゃなくなることを怖い、って言っていたと思う」

「はい」

「どう。今──そこにいる君は、君自身だと思っている?」

「はい」

 

 迅悠一に斬り伏せられ。

 エネドラの記憶から生まれたあの人格を記憶の彼方に沈めてから。

 

 

 その中で。

 加山は──自分は加山雄吾という一人の人間であることを、目覚めた瞬間から理解できた。

 

 それは何故なのか。

 自分が自分であることに明確な立証方法はない。

 それは全て感覚でしかない。

 

 

 でもあの時。

 迅悠一を見て、浮かんだ感情や。

 周囲の残骸を見て覚えた虚無感や。

 自分がやらかした記憶の残滓を見て感じた後悔や。

 

 自分が自分として、過去も現在も感じ取って。

 感じ取ったそれらから、未来でどうするべきかを考えた時。

 紛うことなき──自分である事を感じ取った。

 

「染井先輩が言っている事は正しかったです。──過去が俺を作っていくなら、これまで関わってきた人すべてが俺の一部なんです」

 

 過去の積み重ねで現在が生まれ。

 生れ落ちては過去となり死んでいく現在という地点に立っている自分は。

 

 常に流動していて。あやふやで。

 現在の自分は常に変化していて、明確な代物は何一つなかった。

 

 ただ一つ、明確で確立されているものは。

 事実として刻まれた──過去の存在なのだと。

 

 

「俺の中には、加山雄吾として歩いてきた過去があります。その記憶があって、その記憶から生まれた感情があって。それら全てをひっくるめて──俺が俺であるんだと、俺は言えるんです」

 

 自分が何者であるのか。

 解らなくなった時。

 それらを繋ぎとめているのは、過去だった。

 

 自分のこれまでの生き方を決定づけたあの地獄の記憶から。

 そこから紡いできた人たちとの悲喜交々も。

 

 全てが、全て。

 ひっくるめて──自分という存在の証明なのだと。

 

 

「.....そっか」

「はい」

「恥ずかしそうな顔している」

「あの時の染井先輩も、多分おんなじ顔をしていたと思いますよ」

 

 似合わない台詞を吐き出す事は何処までも気恥ずかしい事だ。

 それでも、言わなければいけないタイミングというものは存在していて。

 染井先輩にとってはあの時で。

 そして加山雄吾にとってはたった今この時だった。

 

 

 それだけだった。

 

 

 

 

「それじゃあ。また明日」

「はい」

 

 寮に辿り着き、加山は染井と別れ自室に戻る。

 

 ──ありがとうございます、染井先輩。

 

 おかげで。

 少しだけ、覚悟が決まった。

 

 加山は、携帯を手に取る。

 以前から何度か連絡があり、そのたびボーダーの任務を理由に断りの返事を入れていた。

 ようやく。

 自分の中でも、向き合う覚悟が出来た。

 

「──久しぶりですね」

 

 

 それは。

 もう出ていったかつての家。

 そして──恐らくもう二度と戻る事のない場所からの電話。

 

 従弟からであった。

 

「何の用ですか?」

 

 自分が放った言葉なのに、自分でゾッとするほどに冷たい声音だった。

 こんな風に声を出すような、そんな人間ではなかったと思っていたのに。

 

 

 ──お前に謝りたいんだ、と。

 そう従弟は言った。

 

 ──お前が出ていってから。これまでの事をずっと考えていたんだ。自分がやってきたことも。お前に対して、何をしてきたのかも。

 

 ああ、と思った。

 あの家から加山という人間がいなくなって。

 直接に憎悪をぶつける対象がいなくなって。ただ内に抱えるだけになって。

 

 自分がこれまでにやってきた事と向き合う事になったのだろう。

 

 抱えてきたものを吐き出すことが出来ずにいたら。

 どうしたって、それを自覚しなければならないから。自覚したそれを認識して、どういうものかを理解して。

 

 それが

 罪悪感になったのだと。

 

 そう、加山は理解できた。

 

「....」

 

 理解できる。出来てしまう。

 自分も同じようなものだから。

 

 自分という存在が何者なのか。

 加山はそれを他者の中で知ることが出来た。

 

 きっと。

 この男は孤独の中で知る事になったのだろう、と。

 

 

 ──それで。

 ──俺に何をしろと言うのだろうか。

 

 許せばいいのか。

 それとも断罪すればいいのか。

 

 許すも何もない。

 加山にとっては──許さなければならない事象も、断ずるべき罪もこの男にはない。

 この懺悔に対して。

 加山は何も言うことが出来ずにいた。

 

 こういう時。

 加山は決まって、自分が何をするべきかより──相手が何を求めているのかを考えることにしていた。

 自分の感情だったり、そういうものを一旦脇に置いて。

 相手が心地よくなるような言葉を投げかけてやればいい。

 そうやって対人関係を築いてきたし、そうやって自分を押し殺してきた。

 

 許しが欲しいのだろう。

 その次に断罪でも欲しいのかもしれない。

 自身の中にある罪悪感を──どんな形でもいい。吐き出して消してしまいたいのだろう。

 

 

 吹き溜まる前に。

 耐えられなくなる前に。

 

 言えばいい。

 大丈夫だ、と。

 その一言で──きっとこの男は、一時的な救いを得ることが出来るのだろう。

 

 そう思って。

 口を開いて。

 

 

「──知らないです」

 

 そんな言葉が、吐き出されていた。

 

「──俺にとっては、許すも何もない。謝られる筋合いはないんです。貴方は俺の親父によって夢を台無しにされた被害者で、俺にとってはそういう人でしかないんです」

 

 通話先から、凍えるような冷気と苦悶の声が聞こえてくる。

 理解している。

 今自分は──この男が一番恐れている言葉を吐きかけているんだという事を。

 

 許しも断罪もない。

 何をしようとも──お前が根付かせたこの関係性が変わることは無いのだと。

 

「もしも。俺に対して何かをしてきた事に罪悪感を覚えているなら──それは、貴方だけのものです。自分で消化して向き合っていくしかない。俺とは無関係のものです」

 

 逃げたいなら。救われたいなら。

 勝手に一人で逃げて、勝手に一人で救われてくれ。

 ──俺も。自分の中で抱えたものは、俺自身で消化するしかないと思っているから。

 

 加山雄吾は──ここではじめて。

 自分というものを受け入れた気がする。

 自分という存在の本音を、喉奥から吐き出せた気がする。

 

 エネドラという存在は、自分を変質させたからなのだろうか。

 きっとそれは違うのだと思う。

 

 人は変わっていくものだ。

 変わっていく中でも、それでも自分は自分であるという確固たるものを探しながら人は生きていくもので。

 

 エネドラによって変わった諸々は。

 むしろ──それでも変わることなく残り続けたものに、スポットライトを当てたのだと思う。

 

 

 それは。

 いつしか自分の中で消していたもの。

 罪悪感として消化し、押し殺し、失くしていたもの。

 

 

 それは、──やっぱり、憎いという感情。

 

 

 近界も

 あの大規模侵攻も。

 そして──自分を責め立ててきた諸々も。

 

 

 誤魔化しきれぬ本音が、自分の中に零れだした。

 

 

 仕方がない、と諦めた。

 自分のせいだ、と自分を責め立てた。

 そうして殺していった感情の諸々。

 

 それらが。

 どうしようもなく──自らの本音の部分として明瞭に存在していた。

 

 

「もう。俺に連絡してこないでください」

 

 

 もう二度と。

 俺に救いを求めるな。

 

 ひたすらに怜悧な拒絶の言葉を吐き出し──通話を終わらせた。

 

 

「....」

 

 

 自分が何のために生きるのか。

 一つ自分の中で本音が出来た。

 

 

 この連中の為に生きているわけではない。

 

 

 その答えに──加山はようやく、ここに来てその本音を受け入れることが出来るようになった。

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