彼方のボーダーライン 作:丸米
沼底から浮き上がるように。
意識が覚醒に向かって行く。
「起きたか」
ぼやけた視界に映ったのは。
白い天井だった。
その中で──声が聞こえた。
「よぉ。加山。──随分長い間眠っていたじゃねぇか」
「...隊長」
「お前には色々聞かなきゃならんことがある」
弓場の表情は、やけに静かだった。
恐らく──感情の置き所に少しばかり迷っているのだろう。
怒るべきか喜ぶべきか。
どうするべきなのか。
「──お前の戦闘記録、見せてもらったぜ。あの黒トリガーを手にした経緯も、使った経緯も」
「....」
「俺が一番知りたいのは──何でお前は、あの黒トリガーをこんなになってまで拘ったのか、って所だ」
加山は。
大規模侵攻の中でエネドラが黒トリガーとなり、そしてそれを守る為に文字通り命を懸けた。
黒トリガーは、当然重要な代物だ。
それが一つあるかどうかで、大きくこの先の防衛力も違ってくるだろう。
だが。
弓場の価値観であっても。ボーダー全体の価値観であっても。
──人命以上の価値はない、と考えるのは至極当然であり。
その価値観を大きく裏切った加山に対して、大きな怒りを持っているのだと思う。
今は。
弁明の時間だ。
「.....俺は」
加山は。
答える。
「.....あの近界民が、余りにも哀れに思ってしまったんです」
「....」
弓場は。
黙って聞いていた。
その様を見ながら、加山もまた変わらぬ調子で言葉を紡ぐ。
「理屈じゃなかった。──アイツが命を懸けて作って俺に託したものを。俺は、どうしても渡したくなかったんです」
あの時のエネドラの絶望が、今でも加山は忘れられない
あらゆる全てが利用され、そして棄てられた事を知ったエネドラ。
「託された.....か」
その弁明を聞いた弓場は。
ふぅ、と一つ息を吐いた。
「ボーダーの為だとか、そういう言葉を言ったなら本気で俺は怒っていた。そんな事誰も望んじゃいねェ」
「.....」
「まあ、でも──託されたものを、命を懸けてでも守りたいって思いは。俺にも理解できる」
だから。
もういい、と弓場は言った。
「だが。お前は弓場隊の隊員だ。俺にとっても、お前に託しているものがある」
「.....はい」
「それだけは、忘れんじゃねぇぞ」
それで、と弓場は続ける。
「お前.....あの黒トリガー、使い続けるつもりか?」
ああ、と加山は心中呟いた。
そうだった。
黒トリガーを使うなら──隊にはいられないのだった。
「その事なんですけどね、弓場さん」
「.....」
「俺は、弓場隊を抜けるつもりはありません」
ほぉ、と弓場は言う。
「いいのか? あの黒トリガーの使い手になれば、多分無条件で遠征に行けるぞ」
「俺は、約束は守ります」
そう。
これははっきりと決めた事だ。
弓場隊で、A級に上がると。
「退院したら、俺から上層部に説明します」
※
そう言った三日後には。
退院の許可が下りた。
加山の怪我は重要な臓器が傷つけられたわけではなく、出血量が問題だったのであり。輸血が上手く行ったため、意識さえ戻れば長期の入院は必要ない、という見込みなのだそうで。
そういう訳でボーダーに戻ると。
加山は、上層部に呼び出された。
「退院してすぐに呼び出して申し訳ないな」
「いえいえ。長い間眠っちゃっててすみません」
城戸からの言葉に、いつものように返す。
「君が持ってきた新たな黒トリガーなのだが」
「はい」
「他の隊員をあらかた調べて──合致するのは君しかいなかった」
「....」
「どうするかね?」
このどうするかね、とは。
S級隊員になるかどうかの選択だろう。
答えは決まっていた。
「この黒トリガーは、本部預かりの状態のままにしておいた方がいいと、俺は思います」
「.....理由を聞こうか」
「一つ。この黒トリガーは、アフトクラトルの人型近界民、エネドラのトリガー角から作られています。そのトリガー角は、エネドラの脳から採取された情報が詰まっています。一旦技術部に預けて取れるだけの情報を取った方がいい、というのが一つ」
「成程....続けてくれ」
「もう一つ。単純にこの黒トリガーは個人で扱うには不便です」
「....不便、か」
「はい。第一に、これアフトクラトル製なので本部との通信が取れません。これがまずトリガーの管理上大きな問題点で、基本は通信ができる隊員とツーマンセルで行動させるのが望ましい。第二に、この黒トリガーはアフトクラトルにもう大きく伝わってしまいました。再度こちらの侵攻がされたと仮定すると、真っ先に狙ってくると思います」
本部と通信が出来ず、
敵勢が積極的に狙いに来るであろう、黒トリガー。
「性能としても、まだ未知数ですが......解っている限りでは、このトリガーは対人性能で言うならそこまで高くない。電撃を浴びせて、トリオンを膨張させて、敵のトリオンを尽きさせてようやく撃破できる」
この黒トリガーは。
恐らく対多人数での戦闘には向いていないタイプだ。
トリオンへの干渉の仕方が破壊ではなく膨張の為、トリオンを特殊な方式で使ってくるトリガー相手には非常に強力であるが、純粋な物量戦を仕掛けられたら弱い。
今回の大規模侵攻におけるハイレインの撃破も、東の一撃があってこその成果だ。
「なので。管理上の問題を考えても、実際の戦闘においても、基本的には誰かと組ませて戦うのが有効になるトリガーです。それならば、本部が主導となって運用する方が非常にいい。逆にこれは個人に持たせていたら非常に危険です」
加山の弁舌に。
忍田は大きく頷く。
「なので。俺は本部の要請があるたびにこいつを使うのがいいと思うんですよね。安易に使うと取られるリスクもありますし」
「....成程な」
城戸もまた、頷いた。
「了解した。一旦はこの黒トリガーは本部技術部の預かりとする」
「ありがとうございます」
「しかし。申し訳ないが、この黒トリガーについては未知数な部分が多い。調査の過程で、適合者の君に協力を申し出ることも多々あると思う。その時は力を貸してほしい」
「それは、勿論」
「感謝する。──そして、もう一つの議題に移ろう」
鬼怒田本吉が腕を組みながら加山を一瞥し、変わらぬ不機嫌そうな表情を浮かべ、言った。
「加山。お前はあの黒トリガーを使った時に、角が装着する形となったな。──その時に、あの角に保存されたデータを、受け取ったりはしているか」
「結論から言うと、しています」
鬼怒田は、そうか、と呟く。
「我々が懸念しているのは。記憶が追加されたことでお前が混乱していないかどうかだ。記憶の消去はともかく、記憶の追加に関しては我々も未知数だ。今の所、何か異常があったりするか?」
「特に異常はないですね。俺の中の記憶と、エネドラの記憶は今の所完全に分離しています。混合していたり、自分の記憶があいまいになったりってのはないです」
「.....その部分でも少し気がかりなのでな。これから定期的に調査をさせてもらう」
「了解です」
「その、エネドラの記憶なのだが──こちらに話せることはあるか?」
「すみません。報告したいのは山々なんですけど。ちょっと情報の整理が追いついていないっす」
エネドラの記憶は、昔の記憶であればあるほど曖昧になるし最新の記憶になればなるほど人格の影響が出ている。
そしてエネドラが「常識」として捉えている事項に対して詳細な記憶が浮かび上がらない。
「そうか.....。解った。また何か思い出したら、忍田本部長か鬼怒田室長を通じて報告を頼む」
「了解です」
「それでは。今日の所はこれくらいでいい。ご苦労」
「ありがとうございます。──それでは」
※
「──あ、加山君」
上層部への報告も終わり、隊室に戻っていると。
見慣れた女が声をかけてきた。
「おや。木虎じゃないか。珍しい。お前から声をかけるなんて」
「死にかけたんですって?」
「死にかけたぜ」
「......何でそんな能天気な口調なのかしら。死んで迷惑がかかるのは広報部隊の私達だって解ってる?」
「なにおう。お前なんざ”同期が死んで悲しいですあーさめざめ”って市民の前で嘘泣きしとけば勝手に点数が上がる立場だろうが」
「......そのセリフ、隊長の前で言ってみなさい。きっと素敵な説教をくれると思うから」
「でしょうな」
「はあ......で、もう大丈夫なの?」
「この通り」
はぁ、と。
また一つ木虎が溜息を吐く。
「まあでもよかったじゃない。──貴方、特級戦功でしょ?」
「いきなり預金通帳が七桁になっててびっくらこいたわ」
今回。
エネドラの撃破に絡んだのと、敵の首魁に対して決定機を作った事を評価されて七桁のボーナスが振り込まれていた。
棚から牡丹餅にも程がある金額だった。
「それだけお金貰ったんだから、ちゃんと栄養のあるもの食べなさいよ」
「そうするよ.....」
「あら。存外素直ね」
「医者にめっちゃ怒られた。栄養のあるもの食えって。じゃないと今度同じ出血したら死ぬぞ、って」
「.....」
木虎は何だか微妙な表情を浮かべる。
「まあ金は取っとかねぇとなぁ。引っ越しの費用もあるし、後は一人暮らししねぇといかねぇし」
「......高校、行くのね」
「行かねぇと弓場さんに殺されるからなぁ」
さて、と加山は声を上げ。
「そろそろ隊室に戻るわ。──じゃあな、木虎」
「はいはい。──気を付けなさいよ。余計な仕事を増やさないで」
「まあ、死んだときに何かするのはそれがお前の仕事だ。頑張れ~」
けらけらと笑って、その場を後にした。
その様を見ながら。
「──本当に。いい加減にしなさいっての」
そう呟いて、彼女もまた去っていった。
※
「──お久しぶりでーす」
弓場隊の作戦室を開くと。
全員がいた。
「──加山君! 話には聞いていたけど、本当に無事だったんだね!」
「──おかえりッス! 無事で何よりです!」
そう外岡と帯島が言うと、
「──おい加山!」
ずんずんと藤丸が近づき。
加山の髪を掴んだ。
「──よくもまぁ勝手に死にかけてくれたもんだなぁ、おい。心配していたんだからな? 解ってんのか? ああ!?」
「いや、もう、マジですみません....」
向かい合うその存在の全てが怖い。声の圧も怖いし、何よりマジで少し浮かんでいる涙が本当に怖い。鬼の目にも涙どころの話じゃない。ひぇぇ。
「──まあ、その辺で許してやれ、藤丸」
結局。
弓場が間を取り持ち、その場は収まる。
「ま、これでようやく全員揃うことが出来た訳だ」
弓場は一つ息を吐くと。
加山に尋ねる。
「黒トリガーの件は、上層部に納得してもらったか?」
「はい」
「おし。──それで、加山。話があるって言ってたな」
「はい。──あの、弓場さん」
「おう」
「俺。──射手に転向しようと思っています」
ほぅ、と。
弓場は呟いた。
「何故?」
「ちょっと。俺の中で発見があったのと、──コツが掴めました」
加山の中で得られたのはエネドラの「記憶」だけではなかった。
エネドラの中で培われた経験や感覚も、その身にある程度入り込んでいた。
「──なので。ちょっと訓練室入って貰っていいですか。新しいトリガー構成での戦いを見てもらいたいんです」
「了解だ。──中々、面白いじゃねぇか」
エネドラが操っていた”泥の王”。
アレを操る感覚が加山の頭の中を巡った時──射手トリガーの使い方に応用できる、と確信を覚えたのだ。
今の加山は。
エネドラの経験もその身に眠っている。
そして。
加山は一刻も早く──その眠っている経験を叩き起こす所存であった。