彼方のボーダーライン 作:丸米
思えば。
同じ空間を他人と長い時間共有する、という行為は加山にとって随分と久しい光景であった。
学校にもロクに行かず、叔父一家には当然団欒の輪に入る事などできるはずもなく。
何というか、妙に落ち着かない。
「おい、加山ァ」
「うっす。どうしましたか、隊長」
「何やってんだ.....って。ああ。前回のランク戦の振り返りか」
「そうっすね」
「そりゃあいいんだけどよ。加山ァ」
「はい」
「──お前、何でそんな端っこにいるんだよ」
加山は。
作戦室最奥の最西部のかどっこに椅子を置き、そして黙々とノートに何事かを書き込んでいた。
「そういうお年頃なんです」
端っこが落ち着く性質の人は時々いる。
加山もその一人だ。
「くっだらねぇ事言ってねぇでこっちに来やがれこのアホが」
そう言われ加山は、弓場に引っ張り込まれ作戦室の中央に呼び戻される。
そういうやり取りが何度かあった。
加山雄吾は。
思うに──ボーダー隊員ではない自分に対しての自己評価が非常に低いのだろう。
そう弓場は判断していた。
ボーダー隊員としての発言に関しては非常に積極的だ。作戦を立て、隊長である弓場に対してであってもはっきりと意見を言うべき時には言う。
そこに関しては、加山自身が0から積み上げた自負があるからであろう。
逆に言えば。
ボーダーで積み上げたもの以外で、彼は彼を評価できないのだろう。
というより。
評価する必要性もなかったのだろう。
それ故に、あまり自分のプライベートな話はしないし、作戦室内での雑談も基本的には聞き役に徹していることが多い。
さて。
どうしたものか。
「.....」
面倒、とは思わない。
加山のような人間もまた、あの侵攻の一側面であろうから。
加山が弓場隊に入隊した時。
迅がこんな事を言っていた。
──割と、可能性の低い部隊に入ったな、と。
加山が入隊の可能性があった部隊として、一番可能性があったのは鈴鳴か玉狛第二だったのだという。
弓場隊への入隊、というのはかなり意外だったらしい。
とはいえ。
新しい人間を受け入れるというのは、そういう事だ。
キッチリ、面倒は見てやらないといけない。
「もう二月も終わるな。そういや、帯島」
「ッス。どうしましたか、隊長」
「親御さんがみかん農家やってたみたいだな。もう収穫終わったのか?」
「そうですね。12月から収穫が始まって、そろそろ締めの時期です」
帯島の実家はみかん農家であるらしい。
12月に実が熟し、3月までに卸すのだとか。
「今年、すっごく豊作で。それ自体は嬉しいんですけど、在庫が凄く余っちゃっているんですよね」
「そうなのか」
「はい。なので、時々余ったみかんをボーダーに持ってきているんです」
へぇ。と加山は呟き。
席に置いてあるみかんを一つむしって食べる。
これも豊作ゆえに持ち込まれたものなのか。
「今夏に向けて冷凍みかんも作っているんです。冷凍庫に保管するだけですけど」
「.....在庫が余っているのか。そうだ」
弓場は。
一つ思いついたように、呟いた。
「今度よ。俺が車出すから余ったみかんまとめて買いに行ってもいいか?」
「え、いいんですか?」
「おう。買って、今度実家に持って帰るわ」
「それは凄く助かるんですけど....」
「直接買えば安く済むしな。──そうだ、加山」
ん?
弓場隊長滅茶苦茶いい人だなー、とか思っていたら。
何故か知らないが、唐突に声をかけられた。
「お前もついてこい」
「えーと。──何故ですか?」
「休みの間何やってんのお前」
「そりゃあもう、俺は真面目ですから。研究ですよ研究」
「はい決定。──ずっと部屋に引き籠ってそんな事やっててどうする。暇だったら可愛い後輩の家業の手伝い位してやれ」
「いえ、そんな無理してもらわなくても大丈夫ッスよ....」
「いいんだって。時々は生身の身体に日光当てろ。もやしみてぇに真っ白でどうすんだ」
「身体がもやしなら、中身は鶏ガラですからね俺。力仕事の戦力に数えられても困りますよ」
「だったら時々は身体動かせ。長生きできねぇぞ」
という訳で。
半ば強引に──加山は帯島のみかん農地に向かう事になりました。まる。
※
後日。
本当に車が来た。
「おゥ。乗れ」
「了解です」
もうこうなってしまえば仕方がない。
抵抗は無意味。
そのまま連行されるのみ。
どうやら帯島は一度本部で訓練をしてから、実家に戻るのだそうで。後部座席にちょこん、と座って窓から手を振っていた。
そのまま助手席に乗り込もうとしたら、
「帯島を後ろに一人座らせんのも可哀想だろうが。お前も後ろに乗れ」
「えーと、助手席開けたままでいいんですか?」
「俺もまだ免許取って一年のペーペーだ。集中したいから後ろに乗っとけ」
という訳で。
加山と帯島は後部座席に座る事となりました。
──まあ、これは隊員同士で親睦を深めろ、って事だろうなぁ。
「あの、今日は手伝いに来ていただいてありがとうございます」
「いや。マジで戦力としては期待するなよ」
見よ。
子供のころから基本家に引き籠ってた男の見事に肉のついていない細腕を。
真面目に、普段からしっかりと身体を動かしている帯島なら自分を絞め殺せるだろうと加山は思っている。
「いえ。いいんです。休日はいつも、家族で手伝いをしているんですけど。人出が多いと助かるのは勿論なんですけど──賑やかになるから、楽しいッス」
「賑やか、ね....」
この鶏ガラ状のもやしとインテリヤンキー投入して賑やかになるのだろうか.....。むしろ凍り付かないだろうか。
「あ.....そう言えば、お昼も用意してる事伝え忘れてたッス」
「げ。そうなの? やっちまったな。俺もう弁当持ってきてしまった」
「あ.....そうなんですか。すみません....」
この会話に耳を傾けていたのだろうか。
弓場が声をかける。
「加山。お前、その弁当の中身なんだ?」
「ささみとキャベツの芯と人参をボイルして塩振った奴です」
「.....」
「.....」
最低限の調味料と鶏肉と野菜。
これこそ最強の栄養食であろう。
「帯島ァ。冷蔵庫あったけ?」
「はい。あるッス」
「腐らせちゃいけねぇから、その弁当ちょい冷やしといてくれ」
「了解ッス」
という訳で。
無事お昼も一緒になる事になりました。
※
その後の話なのだが。
帯島の実家の農地に着くと、親御さんに一つ挨拶。
農地は日当たりを考慮してか、斜面を棚田式に切り開かれた場所にあった。結構高さと広さがあり、多分上り下りするだけでも結構足腰に来るのだろうなぁ、と身震いしながら農地を見ていた。
その後、主目的である隊長のみかん購入のお手伝いを行う。大量に余っているみかんの冷蔵室から二箱分程度、隊長の車に持ち込む単純作業だ。
段ボール一杯に満たされたみかん。もうそれを運び込むだけで膝が笑い始め腰がみしみしと軋みをあげはじめる。ひ弱を超えたクソカスの肉体に唾を吐き掛けたい気持ちを粛々と収め、加山は気を取り直して次なる作業を始める。
次の仕事は、収穫作業だ。実が熟したみかんを一つ一つハサミで切って籠に入れていく。実に簡単な作業
さあここでも加山の貧弱肉体クオリティが炸裂する。小柄かつ手先も不器用とあって中々裁断が上手く行かず、斜面を昇るたびに足を滑らし転げ落ち、転げた先で一人で笑っていた。
収穫が終わった後、それを倉庫に持っていく。一度倉庫で細かい汚れなどを落として冷蔵室に入れて、発送まで保管するのだという。さあ持ち運ぶぞという段階になった時には腕が震えて使い物にならない。どうやらもやしのなかにある繊維がもう伸び切ってしまったらしい。肉体スペックがクソカスにも程がある。
されど加山は奇妙な程に精神力の強い男であった。
戦力にはならないと前もって言伝し、そして実際に戦力にならなかったこの惨めな在り方。先輩はおろか後輩にすら散々にフォローされる醜態を晒しながらも彼は実に涼しい顔をしていた。
昼飯時までは。
「──加山先輩、お昼にしましょう」
これらの作業が一段落したころには。
既に昼が回り始めていた。
え?
何で?
働かざるものが何故に飯にありつけられるのだ?
その理屈が全くもって解らない加山は、幽霊でも見るような目つきで、帯島を見ていた。
「帯島」
「えっと.....何ですか?」
「俺がこのままお前の所の飯の厄介になるって事がどれだけ惨めなのか、察してくれ.......!」
「あ、あはは....」
散々足を引っ張って、最後に昼飯まで厄介になる。何だこれは。迷惑という言葉を擬人化させたような存在ではないか。
やめてくれ。なんだこれは。手伝いに来た人間の姿か、これは......!
これ以上生き恥を晒さないでくれ.....!
「──うるせぇ。生き恥晒したんなら最後まで晒しとおせ加山ァ」
自分が作った弁当を食べると主張する加山の襟を弓場が掴み、そのまま強制連行。
棚田の脇に炭火が用意され、そこでは野菜とウィンナー、そして醤油が塗られた握り飯が焼かれていた。
「......」
取り分けられた焼きおにぎりを、一口食べてみた。
......ああ。
ご飯って、こんなにも美味いものだったんだなぁと。
そんな風に、思った。
──ふと、周りを見てみた。
上を見上げれば青空があって。
切り開かれた棚田に生えるみかんの樹があって。
家族と笑いあっている帯島がいて。
そして。
「──辛気臭い面してんなァ、加山」
弓場がいた。
「いつもこんな面ですよ」
「だな。いつもお前は辛気くせーや」
肩にポン、と手を置いて。
「だから──美味いもん食べてる時くらい、楽しそうにしやがれ」
そう言って弓場は帯島の父親の所に足を運び、そして話し込んでいた。
恐らく、ボーダーでの帯島の近況について話しているのだろう。
「お疲れ様ッス、加山先輩」
そうして。
帯島が、加山の隣に腰掛ける。
「皮肉か?」
「違うッス」
「.....すまなかったな。色々迷惑をかけて」
「大丈夫ッス。いっつもボーダーではフォローしてもらっているので。こういう時位は」
屈託なく笑って。
帯島はそう言った。
「はい」
「ん.....?」
「今日、先輩が収穫したみかんです。──どうぞ」
汚れが落とされ、少しひんやりとしたみかんが手渡される。
「先輩。今日は本当にありがとうございます」
帯島もまた。
周りを見渡して。
「.....隊長が無理矢理連れてきた形みたいになっちゃいましたけど。本当は自分が、加山先輩とゆっくり話す機会が欲しかったんです」
「あ、そうなの。それだったら飯でも誘ってくれればよかったのに」
「それは、そうなんですけど。──何というか、加山先輩の素の部分が見れればな、ってちょっと思って....」
「よかったなぁ。──トリオン体なくなりゃ素の部分はこんなもんだ。よーく見れただろ」
「い、いや......。でも、ちょっと安心しました」
「何がよ」
「先輩も──ずっと気を張っている訳じゃないんだな、って」
「.....」
加山は。
一つ息を吐き──。
「そうだな」
と。
呟いた。
※
その後。
弓場に乗せられ寮に戻った加山は、幾つかみかんの袋を渡された。
何となしにそれを剥いて、食ってみた。
みかんを食って思い出すのは──今日食った昼飯の事だった。
美味かった。
そして──楽しかった。
あれだけ醜態を晒してもなお。
気を張らずに、自然体でいた証拠だったから。
「.....」
楽しくも。
このままでいいのか、という自問自答が自然と始まる。
これこそ。加古が以前に言っていた自分が自分を不幸にしている現象なのだろう。
「......ありがと、帯島」
答えの出ない問いかけを続けるのは不毛だ。きっと木虎辺りはそう切り捨てるのだろう。だから、加山も自問自答を打ち切った。
だから。
この時間をくれた可愛い後輩に──せめて一つ、感謝の言葉を天井に投げた。
こういう話をちょくちょく書こうと思います。