彼方のボーダーライン 作:丸米
煮え湯を飲まされた。
これは慣用句としてよく使用される言葉であるが。
こと加山雄吾から別役太一へとの言葉としては、慣用句ではなくそのまま文字通りの意味である。
煮え湯を飲まされ加山の口腔内に多少の炎症を引き起こした。
より具体的に言うと──食堂内で加山が一つあくびをして歩いているところに、太一がうどんを乗せた盆を持ったまま突撃してきたのである。
訓練の時間が差し迫っていたため慌てていたのであろう。かなりの勢いを以てタックルをくらわされた加山は、あくびで吸い上げた酸素をそのまま思い切り吐き出しながら地面に倒れる羽目になり──そして。
空気を吐き出したその口の中に──宙に舞ったうどんが顔面に叩き込まれ、熱を伴った出汁が大量に加山の口と喉を通り過ぎていったのであった。まる。
加山が口と喉と胃が灼熱に暴れだすままにぎゃああああああああああああ、と喚き散らしていたその時。太一は数秒の間自らのしでかしたことを認識していなかった。
あれ、俺また何かしたんすかね──そんな言葉を呆けた表情にしっかり刻み付けながら、地面に倒れ伏す加山を見つめていた。
これが。
加山雄吾と別役太一とのファーストコンタクトでありワーストコンタクトであった。
※
「げ....」
鈴鳴第一支部のソファで寝転がりながら次なる対戦相手の通知を見た太一は、愕然とその表情を歪めていた。
「次弓場隊かぁ~。はぁ~」
彼の脳裏によぎるのは、恐ろしい顔ぶれの二人。
メガネをかけたハイセンスオールドヤンキー風味のある弓場拓磨。
そして──以前、後輩でありながら鬼の如き形相で太一にありとあらゆる罵詈雑言をぶつけた加山雄吾。
「──なに溜息ついているの」
鈴鳴第一オペレーター、今結花がその太一の様に思わず声をかける。
「だって今先輩~。怖い面子が二人もいるんですよ~」
今は知っている。
太一が”怖い”と他者を評価する場合、大抵はこの男が原因となって発生している事象であると。
「......隊長。何かあったんですか?」
「あ、うん。実は太一と加山君が同期なんだ」
「あ、そうみたいですね。それがどうしたんですか?」
「その....。C級で一緒になると、物凄く間が悪い事が起きていたんだ」
来馬は、少しばかり顔を引きつらせながら、必死になって言葉を選ぶ。
その姿に一をもって百を知った今は、太一に睨みを利かす。
その視線に気づいてか気づかずか。太一は来馬に言葉を重ねていく。
「本当ですよ~。あの時来馬先輩が間に入ってくれなければ何をされていたかって話ですよ~」
「まあまあ。加山君もあの時は虫の居所が悪かったんだよ。本当は凄く優しい子だよ」
「....何をしたの?」
「....うどんを顔面にぶっかけて。その後何回かドジをやらかしました」
「怒るに決まっているでしょそんなの」
呆れながら、今は太一の頭に拳を軽く落とす。
うべ、と叫ぶ太一をよそに、彼女は来馬を経由してキッチンに向かう。
「隊長、お茶がなくなっていますね。淹れ直します」
「あ、ごめんね今ちゃん」
「いえいえ」
「あ、俺が淹れますよ!」
「うるさい。座ってなさい全く。──今は騒がしくしないの。鋼君、眠っているんだから」
現在。
村上鋼は別室にて睡眠をしている。
「.....新加入の加山君。集められるだけのデータは全部集めたけど.....。多分、別の対策を打ってくるでしょうね」
「うん。.....でも鋼なら乗り越えられるさ」
村上鋼。
彼が持つ副作用は──『強化睡眠記憶』
眠っている際に、経験・学習した事象の再整理を行い、記憶する脳機能。
それが──村上は副作用によって大いに発達しているのだ。
その結果として彼は、──覚醒している間に学習・経験した事象を眠ることで記憶することが出来る。
「.....鋼が起きたら、一回作戦会議をしようか。鋼の報告も聞きたいしね」
※
学習した内容が、記憶を巡る。
弓場隊。
新加入した加山雄吾。
隊全体の動きの変化として、戦術の仕掛け人である加山が出来たことで地形戦で大きく有利を取ることが出来るようになったこと。
基本はエスクードでの地形変更を基軸として、隊全体で連携を取りながら各個撃破する戦略を使用する。
加山は基本はエスクードでの援護を行いながら、射手として戦闘を行う。
射手としての動きも及第点レベル。その上で非常にトリオン量が高く、一発一発の威力が重い。
弓場の瞬間火力に加山が連携を取った場合、かなりまずい。玉狛第二の空閑遊真であっても、成す術もなくやられていた。こちらの防御も崩れてしまう。よって弓場と加山の分断は、勝利するにおいて必須条件と言える。
第2ラウンドではその狙いが看破されていたのか、自身に敵を集めて被害をもたらす戦術を行使していた。あれは弓場隊にマップ選択権があったが故にできた事であったが。基本的に加山は攪乱と逃走に秀でた駒である。加山自身に敵を引き付けておいて、他のメンバーが有利を取っていく可能性は十分にあり得る。
弓場隊の構成は、銃手、射手、万能手、狙撃手の四人構成。銃手の弓場は中距離で優位を取れるエースで、攻撃手に非常に強い。外岡を除いたその他のメンバーも全員が中距離での戦闘手段を持っており、合流し連携を取られるとこちらも非常に厳しくなる。元々、弓場隊は上位部隊だ。戦力差はかなりあるが、それでも乗り越えなけれならない。
.....巡る記憶は、村上自身の経験を基軸として自然とその対応策まで構築されていく。
そして。
村上は更にまどろみの中──同じ時期に入隊した加山自身の記憶もまた、再生されていく。
犯罪者の息子と噂を立てられて。
それでも意に介さずに日々を過ごしていた、加山の姿を。
一度。
村上は自らに張られたレッテルに、心が折れかけた時があった。
その時に、色んな人に救われた事もしっかり自らの記憶に根付いている。
──ついに、ここまで来たんだな。加山。
面識も特にはない。
それでも──張られたレッテルを意に介することなく進み続けている事は知っている。
その事に、一つの敬意を払うと共に。
敬意の証明として──自身が持つ全力を、叩き込む。
「....」
まどろみから、意識が覚醒していく。
「おはよう、鋼君。──おさらいはばっちり?」
「ああ」
目を覚ませば。
全てが身体に定着していた。
「──それじゃあ、作戦会議に入ろう」
村上鋼。
数ある攻撃手の中で№4の地位を築いたこの男の中に──慢心はない。
※
「おいおい、こりゃなんだ帯島」
その日。
とても強い雨が降っていた。
「え? マジでこれ貰っていいの? そりゃ嬉しいけどさ。──心配せんでも、俺はもう栄養失調で死ぬこたないって。あんまり気を遣わなくてもいいんだぜ~」
加山は電話先の声を聴きながら──つい先ほど送られてきた諸々を見やる。
冷凍ミカンと、ポンカンジュース。そして、農協関連の商品。肉とか野菜とかその他諸々。
「へぇ。付き合いで買わなきゃいけないのね。農家も大変だねぇ──あ? 大変だからまた手伝えってか? 馬鹿言うな。あの時俺がどれだけ惨めだったか知っているかこの野郎。次行くときはもっと今度の対戦相手の別役先輩連れてくるぞ。──あ。駄目だ。あの野郎連れて行ったらバーベキューで農園全焼させかねん。すまん。俺の発言は思い切り馬鹿だった。謝る。──ん?」
お礼の電話から、自然に雑談へと移っていった中。
玄関口から、チャイムの音が響いた。
「あれ? 今送ったもの以外で何か送った? ──送ってない? だったら珍しい。今度は誰から送られてきたかなっと。あ、すまん帯島。宅配がまた来たから、一回切るな」
断りを入れ電話を切って、玄関口へ向かう。
「わざわざ雨の中ご苦労様ですー」
ノブを回し、玄関を開く。
そこには
「.....へ?」
「こ、こんばんわ...」
骨の折れた傘を片手に、非常に申し訳なさそうな表情を浮かべた──雨に濡れた帽子が見えた。
「....日浦さん?」
「あの、本当に、すみません....」
くしゅん、と。くしゃみを一つ。
.....帽子だけではなく、全身がずぶぬれとなっていた。
「──事情は聴くし着替えも用意するし俺は一旦部屋を出とくから。まずはシャワー浴びてこいっ」
「どぅわああああ~~~~~~! すみませんすみません!」
ちびたタンスからバスタオル、ジャージ一式を投げ、浴室の方向を指差す。
日浦は実に泣きそうな表情で、浴室まで向かって行った。
※
「あの~。加山君、上がりました....」
雨が降る中。
加山は部屋の外で日浦が浴室から出てくるのを待っていた。
.....実は。
加山と日浦の身長に大きな差はない。
その上体重に関していえば、加山の方が軽いまであるという始末。
その為男物のジャージが日浦茜が着れるのか、という心配は一切しなくて済んだ。この貧相なもやし体型が、はじめて役に立った瞬間であった。
「ほいじゃあ、事情を聴こうか」
「はいぃ...」
結論を言うと。
日浦茜は家出してきたのだという。
ランク戦ラウンド2が終わった後。
家族会議が行われた。
会議、といっても形だけで。
両親の決定を最後通牒として通告されるだけのものであったわけだが。
必死に説得を試みた。
ボーダーという組織で、誇りをもって隊員をやっている事。
とても大切な友達ができた事。
今の時間が、とっても楽しい事。
.....だが。
その全ての言葉が、申し訳なさげな両親の言葉に斬って捨てられた。
──ボーダーが必要な組織だという事は理解しているが、それでも娘を危険な目に遭わせたくない。
両親は。
娘を傷つける覚悟で──この通告を行ったのだ。
全部織り込み済みで。
「その時に....反射的に家出してきたんだ....」
雨の中。
ビニール傘一つ手に取って。
出ていく先で雨足が強くなり。風も強くなり。錆びたビニール傘の骨も折れて全身びしょぬれになって。
.....行きついた先はボーダーの寮で。
そして加山の表札を見て、思わずチャイムを押してしまった。
と、いう事らしい。
「.....」
さあ。
加山雄吾。
発言を振り返ってみよう。
お前は何と言ったか。
家出覚悟で全力で抗えと。
はい。
言ってしまいましたね....。
言ってしまったのですね....。
重くのしかかった責任を両肩に大きく感じながら、あー、と加山は呟いた。
「うん」
だからこそ。
この行動を咎めるわけにはいかない。
「....ご両親には、報告した?」
ぶんぶん。
日浦は横に顔を振る。
「.....」
加山は。
自身の携帯を手に取る。
「すまんな日浦さん。流石にねー。男の部屋に泊めてしまう訳にはいかなんだわ」
そんなことやらかしたら多分ボーダー上層部に首を斬られる前に那須隊に殺される。
日浦の表情が、申し訳なさげに曇る。
「──こんにちわ。華さん。今部屋にいます?」
そして。
加山は──同じ寮生に電話をかける。
「申し訳ないんですけど。今から連れていきますので──ちょっと俺の同級生を置いてくれません?」
通話先の染井は、予想外の言葉に閉口し。
そして──日浦は戸惑いを隠せず、その顔面を右往左往させていた。