彼方のボーダーライン   作:丸米

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雨水の中に手を伸ばして

 日浦茜を染井華の部屋に送り届け。

 加山は変わらずランク戦の振り返りを行っていた。

 

 ──まだまだ齟齬がある。

 

 リアルタイムで想定していた各隊の動きと。

 実際にどう動いていたのか。

 

 見比べて、やはり差異がある。

 

 ──今、弓場隊は指揮官が不在だ。

 

 それは今回の解説員であった風間が指摘していた。

 指摘された部分に関して、加山は自覚している。

 自分は指揮官ではなく戦術家。

 

 策を用意することはできるが、陣頭指揮ができているかと言えばまだまだ。

 戦術の起点として動く事が多いゆえに、割と自分のことでアップアップになる。

 

「指揮、かぁ」

 

 以前なら東さんに指導を頼むこともできただろうが。

 流石にランク戦で争う相手に頼み込む訳にはいかない。

 

 ──どうしたものかなぁ。

 

「.....」

 

 Q:嵐山さんに頼むのはどうだろう? 

 A:木虎がうるさい。絶対にうるさい。余計なストレスがかかりそうだし何より嵐山さん自身が死ぬほど激務なのでパス。

 

 Q:太刀川さんはどうよ? 

 A:面識がそこまでないからどうとはいえないが、あの人に貸しを作ったらまずいことになる気がする。これは本能的直観である。

 

 Q:風間さんは? 

 A:最有力候補。死ぬ覚悟で行くべし。

 

 よし、と一つ頭の中を整理し。取り敢えず失礼に当たらず頭を下げる練習とスムーズに土下座に移れるイメージトレーニングを素早く行う。

 深夜0時。

 ここからが本番だ。

 机に向かい、再度ノートに向かい合おうとして。

 

 電話が、鳴る。

 

「ん?」

 

 着信ボタンを押し、スピーカーモードをオン。

 

「──染井です。こんばんわ」

「あら。染井先輩、こんばんわ。どうしました?」

「どうもないけど。──せっかくの機会だし、ちょっと話しておこうかと。さっき、日浦さんが眠ったところだったから」

 

 珍しい、と。

 そう思いながらも──。

 

 加山は幾つか思い当たる節もあった。

 彼女のスタンスの変化というか。その予兆みたいなものを。

 それも、そのうちの一つなのかな、と。そう思いながら、言葉を続ける。

 

「今、外ですか」

「ええ。──丁度雨が上がったみたいよ」

「そうみたいですね」

 

 加山は流れてくる音の色彩の変化で、既に雨が上がっていることは気が付いていた。

「じゃあ、ちょっと待っていてください。俺も外に出るので」

 

 

 夜風が吹き荒ぶ。

 びゅお、とふぶく風。されど、そこまでの冷たさは感じられない。

 

 ボーダー近くに建てられた寮。その近辺からは人の気配はしない。警戒区域ゆえに当然であるが、雨風の喧騒が過ぎた後だと、その乾いた空気がひどく際立っているように感じた。

 

 今日は、満月だ。

 

「──世間話をしようとして、月の話題を出そうとしたんですよ。たった今」

「へぇ」

「どっかの文豪のおかげで、月が綺麗に見えるかどうかは口には出せないと解って、口をつぐみました。──今日は満月ですね」

「そうね」

 

 寒々とした空気の中にも、月はそこにある。

 綺麗だなぁ、と純粋に思う。

 .....そんなもん易々と口にすんじゃねぇ、という漱石からのありがたい言葉であろうか。

 

「それで。どうしたんですか。わざわざ外まで俺を呼び出して」

「ん。──まず。一人暮らしおめでとう、って言おうかなって」

「ありがとうございます」

「気分はどう?」

「.....楽ですね。正直」

 

 気を遣う必要もなく。

 罪悪感を思い起こされることもなく。

 日々を過ごしている。

 

「.....そう」

「こんなに楽でいいのかな、と。時々思います」

「いいのよ」

 

 あの日。

 染井華は隠すことなく、自らの本心を加山に伝えた。

 

 加山は。

 善意に悪意を返すことはできない。

 誠意には誠意で返すことしかできない。

 

 だから。

 加山もまた、本音で話さなければいけない。染井華の前においては。

 

「他人に楽であってほしいと願って。自分は楽でいいのかって自問自答するのはおかしいことだと、私は思う」

「.....ですよね」

「さっきの日浦さんの事もそう。日浦さんのやりたいこととか。意思とか。それと家族の諸々。加山君は全部日浦さんに残せる選択肢を推していたじゃない」

「まあ、そうですね」

「他人はやってよくて。自分はやっちゃダメな事なんてそうそうないよ。他人に望んでいることは、自分だってやっていいの」

「....」

 

 染井華は。

 本当に、しっかりした人だ。

 生まれながらのしっかり者が、状況の変動によってその性質を遺憾なく発揮していて。

 思考も、行動も、──全て自分の中の明瞭な意思が存在していて。ふわふわした部分が全くない。

 

 でも。

 その意思の対象が、少しだけ広くなった。

 そう加山は思った。

 

 他人がどうであるか、というより。

 自分がどうあるかが重要だと。恐らく染井華はそう思っているのだと思う。

 だから他人に過剰な期待をすることは、自分の在り方と矛盾すると。

 そう、考えていたのかもしれない。

 自分は自分で、他人は他人。

 それは親友であろうと同じ事。

 自分は自分のやりたいようにやっておいて、他者には他者にありたいようにあるなと言う権利がどこにあるのか。そういう風に。

 

 でも

 その思考を変えぬまま。

 ──それでも。自分の意思を他者に伝えることは決して悪い事ではないのだと。自分の為ではなく、他者の為に、他者が変わってほしいと願い伝えることは。それは何も悪くないのだと。

 きっと彼女は知ったのだ。

 ──人間。誰も自分がありたいように生きている人間ばかりではないのだと。

 だから。

 その他者が本当はどうありたいのか、という部分に目を向けるようになった。

 

 そう考え方が変わった。

 だから今彼女はここにいる。

 

 ──問いかけは一つ。

 ──加山雄吾は、ありたいように生きているのか。

 

「この前、加古さんに」

「うん」

「誰かのせいにする人生はやめろ、と言われたんです」

「....」

「どういうことなんだろう、って。ずっと考えていたんです。──俺は誰かのせいにして生きてきたのかな、って」

 

 この地獄も。

 自分で選んだことだと。

 

 ゲロ吐きながらC級を乗り越えて。

 近界を滅ぼさんと覚悟を決めたのも。

 

 これは自分の意思だ、と。

 そう信じてきた。

 だが。──自分はどうやらそうではないらしい。

 

「ねぇ。加山君」

「はい」

「君の好きなものって、なに?」

 

 好きなもの。

 .....好きなもの、か。

 

「子供のころ。あの侵攻が始まる前でいい。好きだったもの」

「.....音楽が好きでしたね。多分俺は重度の音楽マニアでした」

 

 ずっとレコードを聴いていた。

 暇さえあれば、CDショップの視聴コーナーに何時間もいた気がする。

 

「今、音楽聞いてる?」

「聞いていないですね」

「なんで?」

「....何ででしょうね」

 

 何でだろう。

 多分。好きじゃなくなったからだろうか。

 

 ....前まで好きだった色が。

 途端に恐怖も伴うようになったから、かもしれない。

 

 かつて。

 親父が死んだときに。

 好きだった静寂の音の中に。親父の懺悔の声が思い出されて。

 

 そもそも何かを好きになる──という感覚が、壊されたからか。

 

「自分が好きなものとか。自分が本当はこうありたい、とか。そういう気持ちに、正直になれてる?」

「.....なれて、いないでしょうね」

「私もそう思う。──それって、誰の所為?」

 

 誰。

 誰と言われれば。

 自分、と答えたくなる。

 

 ──ああ、と思った。

 

 でも。

 自分が今までしてきた選択のすべてが。

 自分の本心とは異なる外側の部分から発生しているものだ。

 

 父親が死んだから。父親が死ぬときに犯罪を犯したから。自分の所為で誰かが不幸になったから。自分が生き残るために誰かが犠牲になったから。

 

 ──自分の本当の気持ちから離れている行為が、自分以外の別の事象が原因となって発生している。

 それは言い換えると。

 自分以外の別の事柄の所為で。

 ありたい自分を裏切っているともいえる。

 

「....」

 

 でも。

 それでも。

 どうすればいいのだろう。

 

 本当にありたい自分を取り戻せ、という事だろうか。

 それは。

 無理だと、やはり思う。

 

 それをするにはもう手遅れだ。

 自分が幸せになろうとするたびに、──自分が不幸にした人間の姿を思い浮かべてしまうのだろう。

 そうだ。

 確かに──自分は誰かのせいにしている。

 自分が不幸にしてきた人々を──言い訳にしている。

 

「加山君」

「....何ですか?」

「今度。私、最新の音楽プレイヤーを買おうと思っているの」

「....」

「プレーヤーだけ買っても仕方ないし。一緒にCDも借りようと思っている」

 

 染井華は。

 無駄を嫌う人間だ。

 特に好きという訳でもないものにわざわざお金をかける人間ではない。

 

「──音楽、詳しいんでしょう。一緒に来てくれないかしら?」

「......何でですか?」

「以前は好きで、今は好きじゃない。それが、加山君にとっての音楽なのよね。──じゃあ。特段音楽のことが好きでもない私が音楽を好きになれるのか、一度試してみる」

「何の為に...」

「私がこれを好きになれたら──もう一回、加山君が音楽を好きになれる余地が生まれるから」

 私はね、と。

 染井華は言う。

 

「自分が出来ないことを他人に押し付けたくないの」

 言う。

「もう一度好きになれる、なんて。無責任なことを私は言えない」

 ....言う。

「だから──試す」

 

 染井華は無駄を嫌う人間だ。

 ──そんな彼女にとって。

 ──加山雄吾がもう一度、音楽が好きだという気持ちを取り戻すことは。貴重なお金を削るだけの価値があると。そう判断をしたのだと。

 

「....何で、そこまでするんですか?」

「そうするようになった原因が、加山君だから」

 

 香取隊が変わり始めたのは、若村の変心から。

 その変心の原因は、加山だった。

 

「私が変わり始めたきっかけになったのが加山君なら。加山君が変わり始めるきっかけも私でありたい。そう、思ったから」

 

 因果は、巡る。

 自分が不幸にした誰かの思いが、自分に巡るように。

 自分が変えた人の思いが、自分に巡る事もある。

 

 ──目を背ける訳にはいかなかった。

 

 知ってはいても。

 目は背けていた。

 こういう、思いに。

 きっと。迅も。忍田も。弓場も帯島も外岡も藤丸も。誰もがこういう思いを持っていたのかもしれない。

 変わってほしい、と。

 そう願っていたはずなのだ。

 それを理解していたはずだった。

 でも見て見ぬふりをした。

 

 ──でも。

 こうして目を背けられない形で突きつけられて。

 やはり、困惑するのだ。

 

「....いつですか?」

「第3ラウンドが終わった次の日の日曜を予定している。空いている?」

「.....はい」

「ありがとう。――よろしくお願いします」

 

 

 染井華は。

 暗い部屋に戻り、すぅすぅと寝息を立てる日浦茜の声を聞きながら。ベッドの中に入る。

 

 ──自分は変わったのだろうか。

 

 最近。

 自分がやけに、他者を気に掛けるようになった気がする。

 その変化に、自分もまた戸惑っている。

 

 ──いや。

 

 きっと。

 根本の部分は変わっていないはずだ。

 自分の中にある意思と。

 生来の真面目さも。

 

 ただ。

 自分だけではなくて他者に自分の思いを知ってもらう覚悟が出来ただけだ。

 

 きっと。

 それだけなんだ。

 

 だから──借りは、返さないと気が済まない。

 そう。

 それだけだ。

 

 不思議と。

 面倒くさいと思えない。

 ──悪くはないな、と。少しだけ微笑んで。そっと意識を閉ざし、眠りについた。

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