彼方のボーダーライン 作:丸米
「.....」
目覚めた。
午前四時。
本日は日曜日。
気分は何やらどんよりしている。
これまで、良くも悪くも一定に保たれていた加山の精神が、少しだけ淀みが生まれていた。
さて。約束の時間まで残り七時間ばかり。
まあ何となく解っていた事であるが。
昨日のショックを一日で内心で氷解させることは不可能であると加山は判断した。
なので。
仕方がないため、この淀みを内心に抱えたままでも普段通りの表情と態度を作れるかどうかに腐心し、この六時間を過ごすことに決めた。
「.....何でかなぁ」
加山は。
これまで一定の精神を保ちながら生活をしてきた。
ここまでの人生──というより、第一次侵攻から数えて数年間であるが。
何を言われようが情動の波が一定だったと思う。
褒められて嬉しい、とか。
貶されて悲しいとか、恨めしいとか。
そういう感情を自覚しなくなっていた。
でも「ああここでは怒るべきなんだろうなぁ」とか「嬉しそうにするべきなんだろうなぁ」とか。
自分が他人に気にかけられている事実そのものは受け取っているから。
感情を発信源にした行動ではなく。
感情を模倣した論理を発信源に行動をしていた。
当然自分の中に感情はある。そこが死んだわけではない。
でも、あの日を境に発生した自身の中の義務感だとか、責任感だとか。そういうものが心のキャパシティと合理性を埋めていくようになって。
感情から行動することがなくなっていった。
ただただ。自分の中で作り上げた合理基準を因果にした行動を積み重ねてきた。
発生した感情。そしてそこから何某の行動をする。
感情と行動のリンクを切っていた。
感情を見て見ぬふりする術を、覚えた。
つもりだった。
なのに今はなんだ。
自分の中に発生した感情で、.....少なくとも表情とか、体の動作とか、そう言う部分に大きく影響を受けている。
鏡見て自分で自分にムカつきましたわ何だこの拗ねたガキンチョの表情は。こんな顔面を晒して染井さんの前に出れるわけがない何とか矯正しろこの馬鹿野郎。
ボールペンを手にして。
まずは一回、ペン先を掌に叩きつける。
流石にこれで怪我をするのはあまりにもアレなので、多少は手加減して。
丸みを帯びた先端の痛みがじんわりと拡がり、表情が痛みに染まって、作り変わる。
感情的になった表情を痛みで無理矢理崩し、いつもの素敵スマイルを顔に張り付ける。
よしよし。
これでOK。
身体の動作とかも明らかに気分に乗ってないんです~みたいな思春期めんどくさ満点ムーブをかましているので、ここいらも矯正矯正。一秒間当たりの歩数を意識しろ。のろのろ動くな。しゃっきり動く事を意識せよ。
よしよし。
いつもの調子に振舞え。
※
まあ。
互いに寮生な訳でございまして。
「じゃ、行きましょう」
「ええ」
待ち合わせ場所は寮の前。
そのままお出かけ、という。
あんまりロマンを感じない始まりであった。
それもそのはず。
この両者が、男女のお出かけに関する情緒なんてものを感じ取れる人間であるはずもなく。
荒れ果てた警戒区域を、抜け、三門市内へと急いでいく。
その間。
互いに無言であった。
その無言というのは。
何というか。
互いに話すことがない故の無言ではなくて。
「.....」
「.....」
──かつて地獄だった場所を、この二人が並んで歩く、という事象に対して。
少し感じ入るところがあったが故なのかもしれない。
三門市内に入りバスに揺られながら。
市街へと向かう。
その中で。
「お」
加山は外の光景の中に、風に揺られるのぼり旗を見つける。
「嵐山さんだ」
そこには。
ボーダーの顔役たる嵐山准の姿が。
「.....流石ね」
「流石っすねー」
普段の生活圏内ではあまり気づけないが。
嵐山隊全員、三門市では知らぬものが(多分)いない有名人だ。
「加山君、この前嵐山隊の作戦室に入っていたよね? 仲がいいの?」
「うーん。そりゃあ、まあ。──仲がいい、って言っても。嵐山さんと仲が悪いのってよっぽどの人格破綻者じゃないと難しいでしょうし」
「それじゃあ言い方を変える。普段から関わりがあるの?」
「嵐山隊の異色分子かつ狂犬の木虎とかいう女がいるじゃないですか。あいつ、俺の同期なんですよね。その関わりの関わりで結構一緒になることが多いんですよ」
「.....貴方と木虎さんは、間違いなく互いに好きにはならないでしょうね」
「ですね」
アレはもう。多分水と油というより着火剤とガソリンの例の方が正しい。木虎の神経を逆なでする形にピッタリと加山という人間が作られている。
「まあでも。俺は嵐山さんの事好きですよ。多分心の底から尊敬している」
「.....それは何というか。意外」
「意外ですか?」
「.....いや。意外でもないかな。うん」
「でしょ?」
染井は、加山という人間のパーソナルな部分を見てきて、そして深い共感を覚えた。
その共感部分というのが。
恐らく染井と加山の共通項の過去から派生している部分での、共感なのだと思う。
共に。
両親がなくなった。
その過程で。
加山は親に救われ。
染井は親を見捨てた。
そういう両者から見ると。
──家族というものに心底から愛情を注ぎ、ボーダー隊員を全うしている嵐山というのは、曇りのないまっさらな光と同様の存在で。
今となってはもうどうにもならないし、なる事も出来ない、純然たる理想の姿なのだ。
加山という人間が持つ「犯罪者の子息」という情報の一面だけを切り取れば、加山と嵐山は水と油かもしれない。
でも。
そこから形成された人格部分と重なり合って、そうではないのだとやっぱり気付く。
嵐山と加山は、同じ水だと思う。
ただ。
嵐山は濁らず。
加山は濁った。
結果──濁ることなく在り続ける嵐山という存在に、深い憧憬を覚えるのだろうと。
そう染井は思った。
理解できる。
──自分もまた、そうだから。
「次のバス停ですかね」
「そうね。──お腹すいたし、モールに行く前にご飯食べようか」
※
その後。
「ランチ用のお店ってどういう所がいいんでしょうね....?」
「.....解らないわ」
「そもそもボーダーの食堂以外で寮の外で飯を食べましたか?」
「.....食べていないわね」
「あ、あそこのお店なんてどうですか。──ひぇ。見てくださいよ染井さん。パスタ一皿で1500円ですって」
「.....ここは、うん。別の所にした方がいいわね」
「ですね。ただでさえ染井さん、最新のプレーヤー買うんですから。食事にこんなに出させるわけにはいきません。──あ、俺払いましょうか。それなら万事解決」
「私は葉子じゃないの。当然個別会計よ」
「まあでも。こういう時男の方が払うのが定石なんでしょ?」
「そういう時に甲斐性を見せつけたいのなら、普段の生活をもっと見直して」
「ぐうの音も出ない.....!」
「とはいえあんまり高いのもあれだし」
という。
男女が食事を行う際の会話としておよそ相応しくないが、両者としては悉く自然な会話を繰り広げた後に結局値段設定優しめのファストフード店に入るという選択を行ったのでした。何の色気もない。
「....」
「....」
加山の卓の前には。
ちびたチキンナゲットとコールサラダ。
染井の前には。
ワンコインバーガーとコールサラダ。
両者合わせて500円。
ワンコインランチ。
「....」
「....」
吝嗇家同士。
言葉はいらない。言葉はなくとも両者は両者ともに互いを理解できる。
二人は互いに互いを「もっと食えよ頼めよせめてドリンクぐらいつけても罰が当たらないだろう」と思いながらも「でも結局外食にお金出すのはそりゃあ勿体ないよな」という共感からなる発想の転換により、その有様を納得するという心理変化が起こった。それ故に何だか互いに「理解も納得も出来るけど何処か釈然としない」感覚を抱いて、食事を開始した。
そういう流れでの沈黙である。
「....そういえば」
「ん?」
「染井さんは、どういうジャンルの音楽を聴くんですか?」
そもそも加山は染井に音楽を勧めるためにここに来たのだ。
好みのジャンルは知っておきたい。
「私が知っているのは。普段テレビとかお店とかで流れているような有名なものしかないわ」
「まあ、そうですよね」
そもそも音楽にそこまで興味がない、というのが出発点な訳で。
ジャンルとかもそもそもそこまで知らないのだろう。
──私がこれを好きになれたら。もう一回、加山君が音楽を好きになれる余地が生まれるから。
あの時の言葉を思い出す。
染井華は。
本当に誠実な人なのだと思う。
加山自身の心が、音楽から離れたから。
そんな加山に、もう一度好きになれるよ、と。そう言葉を投げかけることを彼女は不誠実だと感じたのだ。
だから。
彼女はその言葉じゃなくて。
「私は好きになれたよ」
と。
そう言葉をかける事こそが誠実さであると。
そう思って。彼女は加山に依頼をかけたのだ。
「音楽を好きになりたい」と思っている人間に、
「好きになってもらえる」音楽を選ぶ為に。
真面目に選ばなきゃな、と。
そんな事を、加山は思った。
※
しみったれた食事を終え、二人はモールに向かう。
CDレンタルショップに向かう、その最中
「実は」
「はい」
染井は。
変わらぬ無表情のまま、加山に言った。
「──もうプレーヤーは買っています」
「へ?」
え?
「ネットショップで割引があって安かったから」
「そうですか....」
そうなのかー。
「その分──選ぶ時間があるから。よろしくお願いします」
はい。
──という訳で。
加山は必死になって過去の記憶を参照しながら広い店舗を歩いていく。
何がいいだろうか。
加山は考える。
──そもそも俺がかつて音楽が好きだったのは、共感覚があったからだ。
音声に色を感じる副作用と、音楽という文化がフィットしたからだ。
そもそも。
加山自身の感覚を、押し付けるようなチョイスでいい訳がない。
それよりも。
もっと。
もっと別の何かを伝えられるものにしなければならない、と感じた。
「あ....」
その時だった。
一つ。
眼前に、アルバムが一つ。
それは古書のようなデザインが目に付くジャケットのアルバムだ。
色褪せた山が、色褪せた古紙の上に描かれている。
その色褪せ方が、水滴が上に落とされて、それがそのまま古びていくような。そんな褪せ方をした山が一つだけ描かれていた。
何となく気になって。
その曲目をネットで調べ、動画サイトで視聴してみた。
それは。
時雨をテーマにした曲目だった。
大切な人との別れ。その追憶。恐らくは、時雨と共に霧が降る中で思い出を振り返っているのだろうか。
別れた誰かがあった記憶と。
そこに内在する思い。
それを淡々と、語り掛けるような調子で歌い上げていた。
.....加山は。
ただただ、そこに含有されるメッセージがいいな、と思った。
眼前に大切な誰かがいなくても。
その誰かは何処かで生きている。
それが前提となって作られている曲だったから。
それが、とても心に残った。
そして。
──同じような思いを、染井さんは持ってくれるのではないかと。
結局。
自分の感覚の押し付けであった。
※
その後。
加山はそれぞれのジャンルでアルバムを一つずつ選定し、染井に渡した。
一つ礼を言って染井はそれをレジに持っていった。
さて。
これで染井の用事は終わった。
──色々あったけど、楽しんでくれていたらいいなぁ。
まあでも。共に寮で暮らしている同士。
互いに用事もないのなら、帰路も同じになるだろう。
「今日はありがとう。加山君」
「いえいえ。こちらこそ」
これは本当の意味で。
いい気分転換となった気がする。
昨日あれだけ吹き荒れた負の感情が。
この時間だけなのかもしれないけど、忘れることが出来た。
「それで。──これで私の用事は終わり」
「はい?」
染井は自らの財布を取り出し、
紙切れを一つ、加山に提示する。
それは──。
「チケット?」
二枚のチケットだった。
「うん。今日、東京の楽団が三門に来ているの」
チケットの文字を、ジッと見つめる。
三門市のアマチュア聖歌隊と、東京のプロオーケストラがコラボしてコンサートを行うとの事。
──四年前の大規模侵攻の犠牲者を悼むためのチャリティコンサート。
チャリティ故に値段も安く、当然収益も全て寄付に回されるという。
「一緒に行かない?」
その時。
いつも表情を変えない染井さんが、ほんの僅か。
僅かだけ、声音が黒く染まった感覚を覚えた。
この黒い色は、不安の色だ。
加山は──その色に少しだけ動揺し、思わず首肯した。
本当は1話で終わるつもりだったのに.....。続く。
今回、加山が選んだCDは原曲がありますけど、ショップに置いているわけがないくらいドマイナーな曲なので、リアル感がないので曲名は伏せました(単に私の趣味が知られるのが恥ずかしいという訳ではないので悪しからず)