彼方のボーダーライン 作:丸米
音に色を感じながら生きてきて。
加山は自分の中で、どんな音と色の組み合わせが好きなのかを何となしに解っていた。
整えられ、計算尽くされた音を聞くと。
ある時は壮麗な山の頂から見たようなまっさらな青空のような青色が見えたり。
夕焼けに反射した湖のような瑞々しい赤色が見えたり。
静寂の中から生まれる音も。
無から有が生み出される。大げさな表現を言えば、誕生の奇跡が垣間見えるような、そんな感動が胸を打って。
音と。
そこから感じられる色。
この二つが連綿と続く感覚質の中。加山は確かな幸せを感じていた時期もあった。
人と違う感覚を持ったことで彼は他者から排斥され続けてきたが。
それでもこの感覚によって加山は人よりも多彩な情感の中で、音の美しさに魅了されてきた。
この感覚があって不幸せなこともあったし、確かな幸せを感じた時もあった。
あったのだ。
そんな日が。ささやかな不幸とささやかな幸せが同居していた時期が。
他者に否定されようとも。
自分を肯定してくれる家族がいて。音楽があって。
そんな日々の中、自分を包んでいた優しい殻があって。
そんな日々が、確かにあって。
「.....」
客席はまばらだ。
一番前を小学校の団体が座り、その後ろには老人の団体が座る。あとは聖歌隊の大本のカトリック系の団体だったりよく解らない団体だったり。
とにかく、団体客が非常に多い。
ホールの真ん中あたりで二人して座っている人間などごく僅か。
「団体さん多いっすね」
「チャリティだもの。元々三門市の各団体の支援者が企画したイベントの一環としてプロのオーケストラ呼んだみたい。だから、その協賛に関わった人たちが優先でチケットを配られるし、協賛した手前行かざるを得ない」
「....成程」
一時期三門市にはこの手のイベントが山ほど開かれていた。
要はあの大規模侵攻。何千人が死んで何千という家々が破壊された大災害だから。災害があるところにはチャリティが開かれるし、チャリティはメッセージの伝達能力に長けた芸術が好まれる。
このコンサートも、そういう流れの中の一つに違いない。
「.....このチケット。実は私が直接購入したわけじゃないの」
「あ、そうなんですね。誰かから譲ってもらったんですか?」
「うん」
「ちなみに、誰ですか?」
「ごめんなさい。教えないでほしい、って言われている」
「さいですか」
加山はこの時点で、誰が渡したのか確信を持った。
迅だろうな、と。
しかし、意図が読めない。
ここでコンサートを見せて、どんな未来が見えたのやら。
──多分、最初から迅の名前を出せば、加山は何かしらの作為を疑う。
それ故の名前を出すな、という事だろう。
「....加山君」
「はい」
「....誘いを受けてくれてありがとう」
「いえいえ」
「多分。加山君は誰がこのチケットを渡したのか、多分解っているとは思う」
「ですね。そこまで解ってて名前を出さない当たり、凄く律儀ですよね。染井さん」
「──その人から。昨日、加山君が何をしていたのか大体聞いた」
「...」
不意打ちだった。
まさしく。
「詳細は話せない、って事だったけど。──ねぇ、加山君」
そう染井が言葉をつづけようとして。
拍手が響く。
「....あ」
楽団が入り。
聖歌隊が入り。
それぞれの楽器の前に立ち、総員で一礼。そして黙祷。
司会の挨拶が数分入り、指揮者がまた一礼。
そして──始まった。
レクイエム。
「....」
静寂の間を一つ指揮者が取り、聖歌隊のソプラノから入ったその歌は。
次第に様々な音程の声に肉付けされ、音を形成していく。
とても高く、透き通るような声なのに。
そこに張りあがるような、ずしりとした重さもまたその声に同時存在している。
そこから派生していく色が。
加山の脳内を駆け巡っていく。
そして。
急流のようなオーケストラの音がまた響いていく。
重々しい低音と丘陵のようなソプラノが主役のその音は。
まるで滝のようだった。
ソプラノという水流が、オーケストラという岩場に叩きつけられる。
高い所。低い所。
その両方から音が響き、衝突し、しかしその全てが調和していく。
「....」
地の底から。
腹の底から。
音が来る。
そして。
色が舞い上がる。
「....」
ふと記憶が沸き上がる。
何故かと言えば。
この感覚には、覚えがあるから。
──同じ色だ。
──このレクイエムには、同じ色が感じられる。
親父が死んだ時。
あの時に吐いた呪詛の色。
あの時剥き出しだった色を。
整えて。
拵えて。
穏やかにオブラートに包んで。
盛大な色々を混ぜこぜにして。
加山の耳と、脳と、記憶に──入り込んでくる。
「...」
頭をもたげる。
あの時の記憶が。
──まさか。
──まさか。ここまであの男は理解したとでもいうのか。
レクイエムとは、死した魂を鎮めるための曲だ。
そこに浮かぶ色は、「死」を強く意識し、寄り添っている。
覆い隠していた感情が。
剥き出しにされていく感覚がある。
この音の群れに。
音楽を聴くのをやめたきっかけとなる音があって。
その所為で。
その所為で。
鼓動が早まる。
頭が熱くなる。
足先が震えて、奥歯が噛み合わず、
加山は──。
「あ....」
小さく。
ほんの。ほんの少しだけ。
涙を流していた。
──きっと。
昨日のあの事がなければ。
覆い隠せていたのだと思う。この感覚質と、そこから発生する記憶と自己を切り離して。受け止めず受け流す事が出来ていたのだと思う。いつもの事だ。耐えられたはずだ。だって、嫌なことを嫌なことのまま受け止める術を加山は知っていたから。
そして。
──きっと隣に染井華がいなければ。崩れ落ちて会場から逃げ出していたのだと思う。
綺麗だ。
綺麗な音なんだ。
綺麗な音から、綺麗な色が見えてくるんだ。
でも。
でも──その色は。その色だけは。
駄目なんだ。
どれだけ綺麗でも、駄目なんだ。
今の加山にとっては、本当に堪らなかった。
ずっとずっと。目をそらしていた感情が溢れていて。それを自覚していて。
そういう状態から更にこの音を聞かされて。
無防備の心に、ダイレクトに何かを叩きつけられたような。
そんな。
そんな──。
震える背中に。
そっと、手がかかる。
彼女もまた。
ぎゅう、と目を瞑って。
レクイエムを聞いていた。
※
「.....その」
「うん?」
「本当に、すみません...」
コンサートが終わって。
加山は暫しの間、動くことが出来なかった。
あのレクイエムから感じ取った色に。
かつての記憶が思い起こされて。
その時の感情まで掘り起こされた。
──そうだ。こんなんだから。こんなんだから、俺は虐められていたんだ。
ふとした音の中にも、かつて感じ取った音の色があるように聞こえて。
ちょっとした音に過剰反応して。
面白がられたり可哀想がられたり。
「謝らないで」
染井華は変わらない。
変わらないままの言葉を紡ぐ。
「だって──これが私が望んだことだから」
会場から出て、警戒区域付近のバス停まで向かって。
寮に向かうまでの通り道。
「望んだ?」
「うん。──昨日の事があって。それでも今日一日、加山君は変わらなかった」
「....」
「だから。本当の所で加山君がどう思っているのか。知りたかったの。だから──ああなると解ってて、私は加山君をあのコンサートに連れて行った」
そうか。
迅から渡されたという事は、その顛末もきっと解っていたはずだ。
このコンサートに行けば──加山がひどい状態になるという事も。
「前にも言ったけど。私は加山君に変わってほしいと思っている」
「....」
「その切っ掛けが私でありたいとも、思う」
「.....そう、なんですね」
「でもね。──変わる事は、苦しむ事だから」
染井華は。
ばつが悪そうな。
それでも──何処か覚悟を決めたような。
そんな表情と共に、言う。
「──きっと私は、加山君を苦しめ続けると思う。私がそう思い続ける限り」
──それはね、
「──他の人も同じ。チケットをくれたあの人も、君の部隊にいる人たちも。ボーダーのみんなも。きっと君の為に、君を思って、苦しめ続けるんだと思う」
変化とは苦しむ事。
そうなのか。
そうなのだろうか。
「悪意だって。善意だって。──人を楽にすることも、苦しめることも、どっちだってある。私が善意だと思ってやっていることも──巡り巡って、今日あんな風にさせてしまう結果になったりもする」
──それでも。
──それでも。
染井華は、染井華の言葉として。決意として。言う。
「私は君を苦しめる。──だって、変わってもらいたいと本気でも思っているから。きっとあの人もそう思っているんだと思う」
──だからね、
染井華は、続ける。
「──苦しい、って。私は今日言ってほしかった.....」
苦しい事を苦しいままに抱え込んで今の加山雄吾が出来上がったなら。
苦しい、を──表に出してほしい。
本当は。
苦しみは優しさで受け止めるべき事なのに。
苦しみを苦しみで流すことを覚えた加山という一人の人間に。
「──何でもよかった。今日のお出かけを断ったって。暗い表情をしてたって。それでもよかった。よかったんだよ、加山君」
ここまで来ても。
あれだけ心を追い詰められても。
それでも他者の前になるといつもの加山雄吾でいようとする誠実さをまだ優先させていた。
だから。
「...」
要は。
染井華はこう言っているのだ。
ボーダーの人間は加山を苦しめる。
彼等の優しさだとか善意だとか誠実さだとかが。
これまでの加山を変化させようとして、苦しめる。
昨日の事も。
今日の事も。
変化する加山の内面から生まれた苦しみだ。
この苦しみはずっとついて回る。
だから──その苦しみを隠すことは無い、と。そういっているのだろう。
「すみません染井さん」
「....うん」
「....俺は、何も言えないです」
何も言えない。
言えるはずがない。
お前らの善意が鬱陶しい。苦しい。
そんな言葉を、加山は吐けない。
「それでもいい。──そう言えることは、また確かな変化だと。私は思うから」
自分の誠実さゆえに、自分の内面を吐けません。
いいえ苦しんでいません、大丈夫です、──とは言わなかった。
以前の加山ならそう言っていただろう。
だから。大丈夫だ。
今もまだ。
加山は少しずつでも、前に進んでいると。
そう──染井華は思った。
※
「今日はありがとう。──そしてごめんね」
「はい。俺の方も、ありがとうございます」
そうして。
互いに寮につき、玄関前で別れる。
「──来週までに。この曲全部聞いてみる」
「.....はい」
なんて声をかければいいのだろう。
ありがとうございます、なのか。
大変でしょうから無理するな、なのか。
正常な判断が、今の加山には出来ない。
「──気に入った曲があったら、一緒に聞こう」
少しはにかんで。
染井華はそう言って──軽く手を振って自室に戻った。
「...」
ここ最近。
人と関わるたびに。
自分の駄目なところが掘り出されているような気がする。
多分だが。
この感覚は、普通に人付き合いしていれば発生する類のもので。
これまで──加山は気にもしていなかった事だったのだと。そう思う。
受け入れるほか、なかった。