彼方のボーダーライン 作:丸米
いや、ダメだ。
訳解らない。
おかしい。これは、本当におかしい。
加山雄吾は頭を抱えていた。
ボーダー本部のロビーにあるソファの上、加山は端末を見ていた。
そこにはランク戦の様子が映っている。
そこにはB級ランク戦の様子が映っていた。
加山はこの試合について、幾度も見て幾度も思い返し、幾度も分析をしていた。
だが、理解できない。
理解できない動きをしている男が一人いる。
――東春秋。
ボーダーの文字通りの生き字引き。
ボーダーに「狙撃手」というポジションを生み出した元祖。
かつてのA級1位チームの隊長。
現在は、恐らくは後進の育成であろうか。奥寺・小荒井とチームを組み、率いている。
その実績を見るだけでも後光が眩しすぎて直視できないレベルなのだが、実際に戦う場を見てみるともうゲロ吐きそうな程の衝撃があった。
------いや、本当に訳解らない。
弓場隊・生駒隊・東隊でのランク戦。
場所は市街地B。
その試合において奥寺と小荒井は共に各隊のエースに早々に見つかり落とされる事となった。
序盤で味方二人を失い、一人となった東。
そこからの彼の動きを列挙すると、
・奥寺を仕留めた弓場が一瞬射線に入った隙にイーグレットで仕留める。
・射線を読んだ上で追跡してきた王子・神田のコンビを序盤に仕込んだダミービーコンに誘導された生駒とぶつけ、自らは逃走を成功させる。
・上記の状態で1対2の状況となった生駒を援護する為に移動してきた隠岐に神田を撃たせ、そのタイミングで隠岐を仕留める。
・接敵してきた生駒隊の南沢へと放った蔵内のサラマンダーの爆発の延長線上に予め移動。爆発で空いた射線から緊急脱出寸前の南沢を仕留める。
・これだけ好き放題動き回ってなお最後まで自身の隠蔽を成功させ生存する。
という。
信じられない立ち回りであった。
結果は敗れたものの、東一人で三ポイントを奪い二位に着地できた。
全員の配置を理解し、各々の動きを見て、試合を最後まで見終わり、逆算的に試合結果を見てようやく東の動きの意図が理解できる。
それ故に理解できない。
盤面全体が見えているわけではない。当然のことながら、全て見渡しているわけではない。
でも。
東の頭の中には、アレが全て見えていた。
弓場を狙撃で仕留めた瞬間から王子・神田がどう動くのか。
その動きに対して逃走の為にダミービーコンが必要であろう事。
それからの隠岐の動き。蔵内の動き。その全てを把握したうえで動かなければ、ああは出来ない。
――何を根拠に、東さんはあの行動を取ったのであろうか。
根拠が。
根拠が解らない。
そこに根拠を持てる意味が解らない。
東には何が見えているのか。
幾度もこのランク戦を見た。幾度も東の行動を辿った。何度もマップ図を作成しそれぞれの隊員の動きをトレースした。
だが、何処に根拠が拾えるのか、全く解らないのだ。
端末を置く。
考えすぎて頭が痛くなる。
「----戦術、かぁ」
ぼそりと呟く。
加山は、戦術についても現在進行形で学んでいる最中であった。
やるならば、徹底的にだ。
彼は昨期のランク戦を全て追っていった。
だが。
この試合だけは、全くと言っていいほど理解できない。
「-----あー」
やめたやめた。
ぽい、と端末をソファに投げる。
解らないと解り切っていることに時間を費やすなら、それは木虎の言う「無駄な努力」であろう。
加山は取り敢えず「解らない事を理解する」為の努力はした。これ以上はもう方向性が定まっていない努力になるだけだ。
端末にはランク戦の映像が流れている。
その映像を、
「-------」
「-------」
ジッと眺める男が、そこにいた。
黒いスーツを着ていた。
「-------」
「-------」
スーツの男は、映像を見て
加山は、その男を胡乱気に見ていた。
あの。
端末投げたの謝るので、回収してもいいでしょうか----。
男は端末を見て、そして加山を見た。
「-------」
「-------」
沈黙。
沈黙が回り続ける。
嫌です。
会話する努力を続けてきた加山雄吾であるが、やはり世の中どうしようもなく話しかけたくない人種というのはいる。
思考・感性・性格全てが噛み合いもせず理解できる自信もない。そんな人物と会話するという行為は、二つ並行した道を通り過ぎる事と同じなのだから。
二宮匡貴とは加山雄吾にとってそういう人間であった。
隊服にスーツを選ぶ理由が解らないし、ポッケに手を入れたまま戦う理由が解らないし、誰彼にも不遜にコミュニケーションを取る理由も解らない。
何も解らない。
解らないから、何をしても多分驚かないと思う。
ランク戦でいきなり遊び出しても多分驚かないと思う。例えば、雪だるまとか。
「-----お前」
「はい?」
うわ、声をかけられた。
「----何でこの試合を見ていた?」
しかも、何か詰問され始めた。
「えーと。自学自習の為です」
「そうか」
聞き、返答し、一言で終わる。
これこそ。
これこそ、二宮流コミュニケーション術。
ボールを投げ、相手のボールを受けたら後は脇にポイ、とボールを捨てる。そのコミュニケーションに一切の疑いを持っていない男。これこそが二宮。
「------ふん」
そう一言残し、二宮は歩き去っていった。
※
荒船哲次は加山雄吾にとって数少ない親友と言える間柄であった。
年齢も離れてはいるが、お互い妙にシンパシーを感じたというか。
とある日。
加山が狂ったようにランク戦を端末で見ては戦局図を書き記している様を荒船は見かけ、声をかけた。
実際狂っていたのだろう。
加山は声とは呼べない声で汚い虹色の唸り声を上げながら、エナジードリンクをがぶ飲みし、血走った目で何事かを書き続けていた。
その時、加山二徹目。
荒船はその様子を眺め、近寄りがたい、というか近寄りたくもない――そんな意図を込めてそっと離れようとしていたのだが。
彼が書いている戦局図に興味を持ったのか、その時声をかけたのであった。
それから、お互いにかなり打ち解け、何となしに仲が良くなった。
「ああ。そりゃあお前、その試合解説二宮さんだったからだよ」
ヴぇ、と加山は呟いた。
「え。あの人解説するんですか哲さん」
「そりゃするだろ。あの人東さんの直弟子だし」
「違う。違うんです哲さん。あの人の頭の中身が滅茶苦茶上等なのは理解できていますよそりゃ。でもね、あの人それを言葉にする時、容赦するとか希釈するとかそういう事をしないじゃないですか。何で呼ぶんですか。――ああ、でも相方次第で何とでもなるか」
「相方、小南だったな」
「リアクション芸人呼ぶんじゃねぇよ!」
「まあ、だからほとんど全部一人で解説していた」
「観覧席はどうでしたか-----?」
「通夜だったよ----。小南がいなければ多分極寒になってた」
「でしょうね-----」
「でも、解説は本当に全部正しかった。思わずこっちもすげぇってなる位には」
「へぇ」
そーなんだー。
見たいなー。通夜な雰囲気含めて。
でもなー。
「音声は記録で見れないのですよねー-----」
記録は映像だけで、実況・解説音声は残念ながらない。
諦めるほかない。
「いや。待て。実況と解説を聞ける方法はあるぞ」
「なに!?」
ウソだろ!
実況・解説があるだけで今自分が行っている作業はかなり捗る。そんなものまであったのか!?
「ど、何処にあるんですか哲さん――!」
「ああ、それはな」
荒船は答える。
お前と同い年の変態が、全部のランク戦の実況・解説録音して自室でニヤニヤしながら聞いているぞ、と。
※
その名は、武富桜子。
うん。
何一つ間違っちゃいなかった。
変態だこの女。
「ですよねですよね!凄くいいんですよ解説のシステムって!」
ぱぁ、とした笑顔を浮かべて武富は興奮気味にそう言っている。
とはいえ、この変態はただの変態ではない。
本当に――この女は間違いなくボーダーにとってシャレにならないくらいの功績を残した変態だ。
実際に上で戦っている人間が俯瞰的視点からの戦術の解説をさせながらランク戦をさせるというシステムの構築。その理論を上層部に交渉してごり押しし実現させたという脅威の行動力。多分組織全体の戦術理解に大きく貢献したのは間違いない。それは本当にすごい事であると思う。
――という部分を。
滅茶苦茶褒めた。
心の底から変態であろうなと思っていても、その変態性から滲み出る行動力によってもたらされた結果には確かな敬意をこめて、褒めた。
荒船の紹介でロビーで出会ったその女は適当に見たランク戦の話を一振ると十返ってきた。もう本当にヤバい。何だこの女。
とはいえ必死になって話を合わせるのだが。
で、話を合わせ――あの、東が大活躍したランク戦の話を振る。
「あの試合ですか!凄いですよね!――あれ、二宮隊長の解説がないと本当に意味が解らなかったと思います!」
という話の流れに持っていき。
加山はまんまと彼女の手からその試合の実況・解説音声を手に入れたのであった。
しかし。
ボーダーは広い。
そして、変態の世界もとにかく広い。
でも。
そんな変態が、きっと世界を助けることもあるのだと思う――。
さあて。
じゃあ。
解説を聞かせてもらいましょうかね
※
荒船哲次と仲が良くなったのは、お互いに共通点があったからだ。
それは「ボーダーを強化する」という目的と、
その手段に「理論のアウトプットを選んだ」事。
目的と手段の結びつきが、両者とも同じであった。
荒船は、自身の経験を流用しての「攻撃手・銃手・狙撃手」の育成理論を作り上げてのパーフェクト万能手の量産という野望を。
そして、
加山は「ボーダーの武装・戦術・戦略」に対する規格を作り上げての効率的な育成環境を作るという目的を。
互いに持っていた。
加山はその為、自身の訓練は無論の事、各トリガーの解説書・戦術運用の基礎に関して文書という形に残しながら、ボーダーのC級隊員にとっての規格を作りたい、と考えているのだ。
加山と荒船は、目的も手段の本質も同じ。
仲良くなったのは、その部分に対しての強いシンパシーがあったからだろう。
――そして加山自身もまた、荒船に強い敬意を抱いていた。
彼の理論が完成すれば間違いなくボーダーは強くなる。
それが実現したあかつきには――加山自身の目的もまた、ぐっと近づくことになる。
近界を滅ぼす。
その日まで。