彼方のボーダーライン 作:丸米
ボーダーラウンジには頭のおかしな新人がいる。
そんな噂が巷に流れ出していた。
誰だろうなぁ?
基本的にこのラウンジに居座っている身分であるがそんな頭のおかしな人はいなかった気がする。
まあ、いいや。今日も日課をこなさねばならない。
そんな事を思いながらも、加山雄吾は今日も端末片手にボーダーラウンジのソファの上に居座る。
本日。
平日13時45分。
学校はどうしたのか。
知った事か。
皆さんご存じの通り、中学の卒業要件に出席日数はない。
なので、まあ。そういう事だ。
義務教育よりも果たすべき義務が自身にはあり、そしてその義務を果たすことで名もなき市民の犠牲がまた一人減るのかもしれない。素晴らしい循環だ。どうせ高校にだって行くつもりもない。ボーダーはこの素晴らしき人材に涙を流して感謝してほしい。粉骨砕身をもって自己鍛錬と分析に励む自身の執念を。わはははは。
「――何をしている?」
そんな時。
声をかけられた。
「あ、こんにちわ風間先輩。何してるかって?俺は今、ランク戦の映像を見ているんです」
声の主は、体躯の小さな少年といった具合の風貌の男であった。
だが侮るなかれ。
風間蒼也。
A級3位部隊、風間隊隊長でありかつ、個人ランクでも2位を付けるボーダー最強攻撃手の一角である。
化物じみた機動力を背景にしたカメレオンによる隠蔽・そしてその圧倒的な技量によって攻撃手トップ陣の一人としてその猛威を振るっている男だ。恐ろしや。
「成程。――では、加山。今何時か解っているか?」
「お昼のいい時間ですね。――ああ、ランチのお誘いですか?すみません、風間さん。俺は今このランク戦の戦略図を完成させるまで飯は食わないと心に決めているんです。先に行っててください」
「-----」
「-----?」
「お前は、中学生だろ?」
「うす」
「お前は本来、何処にいなきゃいけない?」
「何処なんでしょうか----?」
「-----」
「-----」
風間は、実に冷たい視線を加山に浴びせていた。
「まあ、いい」
「うっす」
「だがな。――お前はもう忍田本部長に目を付けられているからな。気を付けとけよ」
「げ。マジですか。――畜生。このソファの座り心地最高だったんだけどなぁ。しゃーない自室でやるしかないかねぇ」
「お前は――将来というものを考えた事はあるのか」
「未来の事は考えるだけでも煮詰まってしまって、話が長くなって、結局結論が出ないんです。別の事を考えましょう。例えばこのランク戦で孤立した照屋先輩をどうカバーすれば柿崎隊が全滅しなくて済んだか、とか。そういう事を考えるんです。そっちの方が生産的です。俺がいて、諏訪隊と荒船隊に囲まれた柿崎隊がいて、目の前に立ち向かうべき現在がある。この三角線上に人生というものの哲学が詰まっている。解りやすいでしょ?」
「-----」
「-----」
「気が変わった」
「へ?」
「――模擬戦をするぞ。その舐め腐った根性叩きなおしてやる」
※
「------」
「ふん。生意気な口を利いていた割に情けない」
「大人げないのは風間さんの方っすよー」
風間蒼也との模擬戦は、10本勝負で8本取られるという見事なボロ負けで終わった。
いや、二本取れただけでも大健闘だろう。
本来であれば。
゛機動力に富んだ攻撃手”は割と加山にとって相性のいい相手なのだ。
エスクードという機動力に大きく制限をかけられる武器を持ち、機動力で襲い掛かられようと副作用である程度判別できる。ハウンドという追跡機能を持つトリガーもある。
のだが。
風間のそれは、もう何もかもがおかしかった。
エスクードの発生地点に敢えて身を置きその上に予め乗る事で゛乗り越える”という動作を省く。
ハウンドは曲線に沿うような軌道で前進しながら避ける。常に軌道スレスレの回避行動なのに傷一つ付かない。
こちらが色を感じるよりも早い捌きで仕掛けられる。
何というか、無駄の省き方がとんでもない。
どんな攻撃も紙一重で避ける。そしてどんな攻撃も手早く的確に急所を抉ってくる。
身体の使い方、身のこなし含め――戦闘における一連の行動に一切の無駄がない。最適解を最速で無駄なく選べる洗練された強さがある。
ここまでの人間になると、機動力を殺す手段なんてない。
加山は、副作用によってカメレオンの使用中であろうとも風間の位置を把握できる。それでいて中距離から迎撃できる武器も多く持っている。
その強みをもってしても、二本取るのが精一杯。
切り取られた腕を餌にメテオラを仕込み、その爆風に乗じた射撃で仕留めたのと、カメレオン使用中に拳銃をつるべ撃ちし偶然に当たったものの二つ。
「気が済みましたでしょうか、風間さぁん」
「-----お前もな」
「へ?」
「いい気分転換になっただろう?」
-----ああ、確かに。
何だか爽やかな気分だ。
「一つの事に頭を悩ませているなら、気分転換ぐらいしろ。お前は頭がいいんだか悪いんだか時々解らなくなる」
「俺と同じ方向性のバカの話なら多分風間さんもそうでしょう――痛い痛い、頭を捻らないで下さいって」
「お前は段々俺に遠慮がなくなってきたな」
「二宮さんとかいう色んな意味で理不尽の権化を前にしたら、俺、風間さんも超いい人に見えてきたんです。というか実際超いい人で超熱い人です。いい人には馴れ馴れしくしとかなきゃ損ですから」
「もう一度痛い目見たいのか?」
加山雄吾はその後もまた十本勝負を仕掛けられ、一勝で終わる。
3勝17敗。
これが現在の風間との戦いにおける勝敗であった。
※
ボーダーラウンジには頭のおかしな新人がいるらしい。
そいつは小柄な体躯を更に縮こませ、猫背で一心不乱に端末を見てはその後にノートを取り出し何かを書きなぐっているという。
そうして書きなぐってはノートを破り捨て「違う、違う」とうわごとのようにぶつぶつ呟き、まるで汽笛のような叫び声を唐突に上げるのだという。
で。
香取隊隊員、若村麓郎(16)はその姿を遂に見てしまった。
小柄なその少年は、本当に何かうわごとをぶつぶつ呟きながら端末に繋いだ映像を眺めている。
そしてうんうん唸りながら頭を捻り、映像を停止させてまた戻ったり、そして唐突に笑顔になったり、また更に表情を曇らせたり。とにかく忙しそうな奴だった。
そして。
少年はソファに背を預けると――そのままピクリとも動かなくなった。
「------」
若村。
そっと、そっと近づく。
少年は、目を空け、口を半開きにし、涎を垂らしながら――気を失っていた。
「------」
そりゃこんな事繰り返していれば、噂もたつに決まっている――そう思いながら、若村は何となくその噂の少年に近付く。
そこには端末と、ノート。
端末には、
「-------」
映像が、流れていた。
つい先日行われていたランク戦の様子であった。
そこには――自らの姿も、あった。
「------」
そして。
悪いと思いながらも、ノートを覗き見る。
そこには、
こんな文章が書かれていた。
――狙撃手の警戒をしなければいけない場面で、何故機動力のない銃手である若村が射線を横切ったのか。あの場面において、香取は一瞬で横切れる機動力と何よりグラスホッパーがあるからこそ突っ込んだのであり、そこに追従するのは明らかな悪手。この場合での最善手は結果論的に述べるならば若村が通りを挟んだ敵勢に弾幕で動きに制限をかけた上で、エースの香取を迂回させての急襲だろうが、バッグワームで姿をくらませている敵の攻撃手の位置が判明していない状況であることを踏まえれば、香取が突っ込むのは一定の合理性が認められる。しかし――。
見たくない。
でも、見ざるを得なかった。
そこに書かれていたのは、ランク戦の盤面の動きを詳細に書き記し、場面場面での所感が常に書かれている。
その試合、香取隊は二位であった。
隊長である香取がポイントを稼ぎ、香取が落とされその試合は終わった。それだけの試合であった。若村と、もう一人の隊員である三浦はそれぞれ中途で仕留められ撃沈したのだから。
――チームワーク、という点で見るならば香取隊の二人は前に突っ込む香取と合わせる事も出来てない。だからといって周囲に牽制を入れて香取が暴れやすい環境を整える事も出来ていない。香取の暴走癖を放置するなら、せめてそれをカバーできる目配せをするべきであるが出来ていない。結局のところ香取がどれだけ稼げるかにチームの浮き沈みが決まってくるので、当然ポイントの取得が不安定になるのは仕方がない。
「-----」
解っている。
本当に、解っているんだ。
というか、解らなければおかしいんだ。
映像で見るだけでも、確かな目を持っている人間からすればこれだけ短所が浮き彫りになっている。当事者のこちらが、何も知らず存ぜずでしらを切れる訳がない。
「あ」
「あ」
ぱちり、と目を覚ました加山雄吾と、目が合う。
「----」
「----」
お互い。
こう思っている。
ヤバい、と。
――お――――――い!!!!俺丁度ピンポイントでこのメガネ先輩の事ボロクソに書いていたのに、何でその人が此処に通りかかって、しかもノート見ているの――――――!!!!いや―――――!!
――ヤベェ!ヤベェ!勝手に後輩の寝ている間にノート盗み見ているのバレた―――!
互い。
冷や汗を掻きながら、お互いの事を見ていた。
これが。
加山雄吾と、若村麓郎とのファーストコンタクトであった。
※
で。
「------ボロクソに書いてすみませんでした」
「------こっちこそ、のぞき見してすみませんでした」
お互い。ロビーで頭を下げていた。
「それと。――お前は謝る必要がない。俺も、自覚している所だしな」
あのノートを見た時。
怒りは覚えなかった。
ただただ――図星を突かれた悔しさとか、恥ずかしさとかが同居した感情が浮かび上がってきただけで。
「だから、素直に聞かせてほしい。――君の目から見て、香取隊はどう見えるんだ?」
「正直に言っていいですか?」
「ああ」
加山はそう許可が出ると――はっきりと、述べた。
「一言で言うなら。――B級で一番俺が入りたくない部隊っす」
脳内を殴られたような衝撃が、若村に走る。
「別にランク戦だったらいくら負けようが死のうが問題ないっすけど。一緒に防衛任務やる仲間で、背中を預けあう人間として見た時――まず隊長の香取先輩を誰よりも信頼できないんですよ。あの人にとっちゃ他の隊員なんて自分が活躍するための付属品でしかないでしょ多分。お山の大将は別にいいんですけど。周りを配慮しないし自分勝手に振舞うだけのお山の大将ははっきり言って嫌いです」
殴られた後は、今度は刺されるような痛みが。
「で、他の先輩二人がそれこそ香取先輩の付属品じゃないですか」
全身が、焼ける。
「その果てに、香取先輩が敵に突っ込んでー。突っ込む先に先輩二人がついていってー。そのまま香取先輩が生き残れば勝利。負ければ何もできず敗北。戦略性の欠片もないし、発展性も全くなし。これが香取先輩の天才的な戦闘センスがなければ下位でうろうろしている連中と同じです。で、香取先輩は香取先輩でその事を自覚しているから、余計に自分のやり方を変えないでしょ?嫌です。そんな部隊」
凄いなぁ、と若村は思う。
自分で正直に言え、と促したとはいえ。
ここまで何も取り繕わない、真っすぐな言葉を年上に吐けることが。
そして。
それは嫌味でも何でもなく――本当に真剣に言っている言葉であることが、ぞの眼からも伝わってくる。
「――ありがとう」
だから。
若村は――正直なその言葉を、彼の誠実さと解釈し、そう頭を下げた。
「――恥を忍んで、お前に頼む」
そして。
自身も。
この誠実な言葉を――できれば、無駄にしたくないと、思ったのだ。
「俺達が出たランク戦の分析を、俺達にもくれないか?」
そう。
言った。
「俺の分析は、多分普通にA級の人だったら誰でも解る事しか書いてないっすよ」
「それでも」
それでも。
こうして、剥き出しの言葉が目に見える形であって、それと向き合う事が大切なのだと。
若村もまた、悩んでいる。
自分の実力と、隊長の実力。
その差異から生まれる自身のもどかしさに。
「-----いや、別にいいんすけど。本当に、マジでこれは俺の思考を纏めるだけのものですからね。後で期待外れだとか言っても知らねぇっすからね」
そう言いながらも、加山は香取隊の昨期ランク戦の戦略図をコピーし、若村に手渡した。
ありがとう、と一言呟き――若村は歩き出した。