彼方のボーダーライン 作:丸米
「....」
試合が終わった瞬間。
皆が皆、沈黙をしていた。
観戦ブースも。実況席も。そして──相対していた部隊も。
それはまさしく豹変であった。
追い詰められた加山雄吾が見せた、神がかりのようなその動き。
「.....加山君、あんな動きが出来たんだ」
「.....いや」
出来るはずがない。
アレは。才能ある人間が、更に研鑽に研鑽を重ねてようやく達することが出来る動きだ。
レイジは見ていた。
加山が合成弾を作成するその瞬間。
二秒とかかっていなかった。
出水と同等の合成弾の作成技術を披露した後に、マスターランクの攻撃手である辻を瞬時に仕留めたあの動き。
あの動きが出来るだけの技術があるのなら、これまでの加山の動きに説明がつかない。
そして。
北添もまたそれを理解してか。驚愕の表情を浮かべて絶句している。
何が。
何が起こったのか。
※
頭が割れるように痛んで胃がキリキリ痛んで気分が悪くてゲロを吐き散らしたためそのまま医務室に運び込まれ、暫く眠りこけていた。
最早緊急脱出した後に何があったのか。何をしていたのか。まるで記憶がない。
あの人格が顔を出した時と、その後の顛末は何一つ違えず覚えているというのに。
生身に戻った瞬間から、記憶があまりにも混乱し、錯乱していた。
そうして。
目が覚めた時──もう夜になっていた。
隣を見る。
そこには──弓場が目元をきつく絞り、そこにいた。
「──お目覚めか、加山?」
弓場は加山を真っすぐに見つめ、そう聞いた。
「.....はい」
「それじゃあ、話を聞かせてもらおうか」
「はい。──あの、何か他の人から言われましたか?」
「二宮サンと、香取隊の染井がお前の事を聞きに来ていた。特に染井は血相変えてこっちに走り込んできていた」
「上層部の人は....?」
「まあ──。客観的に見れば、今回は最後にお前が神がかり的な動きをして、辻を仕留めたってだけだ。偶然と片付けることも、苦しいが出来る状況ではある。──直接対決した二宮隊側が黙っていれば、の話だがな」
「...」
二宮隊は。
加山の黒トリガーがエネドラ由来のものであることも知っているし、そしてエネドラと直接対峙もしている。
その辺りの話を突っ込めば、上層部が動く可能性もある。
──二宮隊に事情説明する必要性が、どうしても出てくるだろう。
そして。
あの人にも。
だが。
まずは、この人だ。
「....弓場さん」
「おゥ」
「俺の中には、今エネドラの記憶があります」
「そう言っていたな」
「.....今までは。その記憶と、自分の記憶を分けることが出来ていました。でも、今回それが失敗してしまった感じです」
「....」
知覚や、記憶は。
本来的には一つの人格によって纏められるものである。
しかし。
例えばであるが──長きにわたる性的虐待や暴行を受けてきた人間や、過酷な戦場で長年戦い続けてきた兵士といった。
慢性的な苦痛を味わい続けてきた人間は──その苦痛の記憶を防御本能的に遠ざけようとするという。
その遠ざける方法として。
──苦痛を請け負う為の別の「人格」を作り上げ、負担をその人格に背負わせる、という方法が一つある。
「俺は....エネドラが経験してきた事に対して、ある種他人事のような感覚でいれました。俺と、エネドラは違う。俺の感覚はこうで、あいつの感覚はこうだ、っていう風に。分けられていたんです」
「....」
「そうすることで、何処かこう.....俯瞰的に、映画の観客のような感覚でエネドラの記憶を見ることが出来ていたんです。でも。....段々、その住み分けが、怪しくなってきたんです。多分、段々エネドラの記憶とか感覚とかが、自分の中に定着してきた気がするんです」
「....定着したら、ああなるのか」
「元々俺一人で管理出来ていた二人分の記憶が、次第に俺一人で管理が出来なくなって混同していく。でも俺の意識は、エネドラの記憶が混ざる事を拒絶するんです。恐らく防御本能みたいなもので」
「成程...」
「だから──俺一人の人格で管理できないと判定されて、俺の意識が、別人格にエネドラの記憶を管理させようとした。そうして出来たのが──あのエネドラ紛いの人格だと思うんです」
「.....その人格が出てくる条件は、解るか?」
「それに関しては、なんとなく解りました。第一の条件が、戦闘状態である事。第二の条件が、俺自身が心理的に追い詰められている事。この二点が、条件だと思います」
加山とエネドラの心理的に一番似通い、混同するポイントは心理的に追い詰められた際に発生する「憎悪」の感情。
それが発生し、かつ──エネドラの人格が一番好む状況である「戦闘状態」
これを条件として、恐らくあのエネドラのような人格が浮かび上がる。
「──加山」
話を聞き終わり。
弓場は一つ、加山に提案する。
「──エネドラの記憶。記憶処置で消去することは考えないか?」
「──やりません」
加山にとって。
自分が積み上げてきた記憶こそが、今までボーダー隊員としてある上で一番のエナジーだった。
一度考えたことがある。
もし。
自分があの時の記憶を消せたのならば。──もっと楽になれるんじゃないかと。
だが。
それは許せない。
自分がやった事。父がやった事。それによって他者との関係に苦しんだことも。全て自分のものだ。
その責任を果たさなければならない義務が自分にあり。その義務から逃れる事は、許されない。いや、逃げるにしろ──その記憶を受け入れた上で逃げなければいけない。
それが、加山雄吾に残っている唯一の意思であるから。
だからこそ。
エネドラの黒トリガーを受け継いだ自分の意思を放棄することも、やりたくない。
「.....なら。その人格は放置するか? 俺は別に構いやしねぇが。お前もキツイし──何より、上層部が黙っちゃいないだろう」
そう。
敵性人格であるエネドラが加山の中に宿っているなど。上層部が聞いてしまえば黙ってはいないだろう。
「解っています。──次のランク戦までに、この問題はどうにかします」
「どうするんだ?」
「....」
加山の中に。
一つ解決策が浮かんでいた。
その策を。
弓場に話した。
「.....加山。お前」
「....」
「──そう、か」
弓場は。
一つ、項垂れるように下を向いて。
「.....なぁ」
「はい」
「.....俺はな。強くなったり、目的を果たすために手段を選ばねぇ奴は好きだ」
「....」
「でもな....それでも。選ぶべき手段と選ぶべきじゃねぇ手段には、一つ線を引かなきゃならねぇんだと思う。お前は、どうだ? お前は....その手段はとっていいものだと、そう思っているか?」
その弓場の問いかけに。
加山は、一つ微笑んで──言った。
「俺は弱くなりました」
そんな言葉を。
「しみったれた人間性が俺の中にあるんですよ。ここにいる人たちと出会う中で。嬉しかったり、逆に嫌だったり。憎んだり好きになったり。──その人間性があったせいで、エネドラの記憶の制御に今回失敗したんです」
「.....そいつは、間違いじゃあないだろ」
「.....でも。この人間性があるからこそ──受け入れられるんじゃねぇかな、とも思うんです」
加山は。
ただただ、笑んだ。
「──俺はエネドラの記憶を受け入れます」
これまで。
自らの記憶と完全に切り離していた──その記憶を。
加山は捨てるではなく。
完全に合一させることを決意した。
「──それをやっちまえば以前の俺とは違う人格になっているかもしれないっすけど。というか、どういう風になるのかも全然解らないですし、はっきり言って怖いですけど。それでも、やるしかない」
「....」
「記憶の統合さえうまくいけば。──別人格に身体を乗っ取られる心配もいらないと思うんです。逆に、完璧にエネドラの人格に汚染された俺が出来上がる可能性もありますけど。もしそうなったら俺を記憶処置送りにしてくださいな。失敗したら、記憶をまっさらにボーダーを去ります」
エネドラの記憶を。
他者の記憶としてではなく。
自己の記憶として受け入れる。
それは。
エネドラが──トリガー角を移植してから、彼自身の人格を破砕した苦しみすらも自らに受け入れる事と、同義である。
その苦しみに屈して。
彼と同じようになる可能性も否定できない。
「──自分の中に歪みがあるなら。それは正すか消すかしなければいけない。その二択なら、俺は正す方を選ぶ」
「.....そう、上手くいくもんなのか?」
「やってみるまで解らないです。解らないですし、時間もかかるかもしれないですけど。──それでも俺は、こいつを受け入れていこうと思います」
※
医務室から出て。
寮に帰る。
今日は土曜日で、そして明日は日曜日。防衛任務のシフトも明日の夕方からだ。
ならば。
今日の夜から始めよう。
どうやって統合を図るか?
自らの記憶とエネドラの記憶を分けていたのは、半ば無意識下で行っていた。
無意識の部分を変えなければ、きっとこの中途半端なままだ。
──今まで。ただ情報を得るためにしか触れていなかったエネドラの記憶に、踏み込んでいく。
エネドラらしきあの人格は、こういっていた。
憎悪という共通項があったから、そこを起点に記憶の住みわけが出来ずに混乱し別人格が現れたのだと。
ならば。
エネドラの記憶。それも、奴の『憎悪』にかかる記憶に関して、探っていかなければならない。
──怖いな。
何が怖いというのだろう。
何も怖くはないだろう。
きっと以前ならばそう思えた。
この記憶の統合に関してのリスクなんて──まあ自己同一性が失われるかどうかという程度。
自分の意思や意識なんてもの。正直どうだっていい。
何なら、復讐さえできるのならば死んだっていい。
そう、思っていたはずなのに。
というより今も思っているのだろうけど。
それでも。
──仮に、ここで自分が統合に失敗して廃人にでもなったら。
どうなるのだろう。
思い浮かぶのは。
やっぱり、──弓場隊の面々であり、加古さんをはじめとしたこれまで気にかけてくれた人々の姿であって。
そして。
「──染井さん。こんばんは」
今、自らスマホから連絡を入れているこの人であって──。
「心配かけてすみません。あの、今ちょい時間もらえますか? ──全部、話します」
きっとこれからも。
こういう事態に直面するのだと思う。
自分の行動で。自分の選択で。
誰かを心配させてしまう事になるかもしれない。
加古さんが言っていた事だ。
自分の行動に対して──ボーダーの皆が気にしない訳がないのだ。
皆誰もが善人で。
善人故に、こんな人間にも気にかけなければいけないのだから。
その事を思うたびに覚える罪悪感は。
犯罪者の息子として抱えていた罪悪感とはまた気質が違う。
どちらも苦しいが。
どちらがより苦しいか、と問われれば。
きっと──ボーダーの人たちへの罪悪感の方の方が、苦しいのだと。そう思えてしまう。