彼方のボーダーライン   作:丸米

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暗雲立ち込め、雷鳴輝き

「こうしてここで話すのも、二度目だね。加山君」

「そうですね、染井さん」

 

 確か。

 最初は那須隊の日浦の家庭内のあれこれについて話し合いが行われた後だっただろうか。

 

 こんな月の夜に、同じように話した気がする。

 

「──心配かけてすみません。染井さん」

「何があったのか話してくれる?」

「了解です」

 

 加山は。

 何も隠すことなく、染井華に話す事にした。

 

 大規模侵攻から始める、エネドラという近界民の黒トリガー化に始まり。

 その黒トリガーの効果。それによるエネドラの記憶の承継。

 そして──受け継いだ記憶から別人格が形成される事故が起こったことも。

 

 何も言わずに、染井は聞いていた。

 

 無表情に見えて。──時折感情を押し殺したかのように目元を微かに歪ませて。

 

 ....どんな風に感じ取っているだろうか。

 彼女にとってしてみれば──今まで仲良くやってきた人間の頭に復讐対象が入り込んでいるような状況で。

 仲良くやってきた、というより。

 文字通りの仲間なのだと思う。

 

 だからこそ。

 

 伝えなくてはならないのだと思う。

 

「──加山君は....その記憶をどうするつもり?」

「利用するつもりです。徹底的に」

「...」

「例えば今ここでエネドラの記憶を消したとして。──あの黒トリガーを起動すればまた元通りです。そしてそれを嫌がればあの黒トリガーはもう二度と使えなくなる。──そして、何かの間違いで他の適合者が発見されたら。今度こそエネドラ人格に上書きされる奴が出てくるかもしれない」

 

 今回の事でよく理解できた。

 あの黒トリガーは自分以外が使用してはならない。

 あれは危険だ。

 

「その為にも、エネドラの記憶を合一させないとならないんです」

「.....そう」

「.....すみません」

「何で謝るの?」

「俺は、染井さんの誠意を裏切る事になります」

「そう、かな?」

「──染井さんは。俺が変わり始めるきっかけが自分でありたい、と。そう言ってくれました」

「そうだね」

「.....俺はこれから変わる事になると思います。多分、染井さんが望む方向とは別の方向に」

 

 恐らく。

 エネドラの記憶を統一して生まれ来る自分は、以前の自分とはどうしようもなく変わる事となるのだろう。

 

「それは裏切りじゃない」

 

 染井は変わらぬ表情のまま、そう言った。

 

「これは私の願望だから。──加山君は加山君がやりたいようにすればいい。それを止めるつもりはないし、止めたくもない」

 

 ああ。

 そうだった。

 

 染井華は、そういう人だった。

 

 明瞭な自分の意思を持つが故に、他者の生き方も尊重できる人で。

 だから。自分の意思をもって他者の意思を妨害する事が出来ない人で。

 

「──その上で。加山君が自分の意思を通して変わった先で、それでも変わるべきだと思ったら私の手で変えていこうとするだけ。私の意思は何があろうと変わらない。だから、加山君は加山君がやりたいようにやればいいだけ」

 

 そこまで言い切って。

 染井は──まだ言葉を続ける。

 

「でも。お願いできるなら──私が変えられる余地くらいは残しておいてほしいかな」

「余地、ですか」

「要は──死なないで、ってこと」

「....」

「医務室に運び込まれた、って聞いて。あの試合で明らかに動きが変わったのも見ていて。──心配、したのよ」

「....すみません」

「うん」

 

 だからね、

 

「──君のやりたいようにやればいい。だからこそ、本音を聞かせて」

「本音ですか?」

「うん。──その近界民の記憶が、怖い?」

 

 ──ああ。

 以前もこんな風に言われたかな。

 

 苦しいと言ってほしかったって。

 

「──怖いですよ」

「どうして?」

「.....以前なら。何も怖くなかったはずだったんですけどね。自分の人格なんざどうでもよかった。死ぬことすら受け入れられていたはずなのに...」

「.....うん」

「俺が俺でなくなることが、本当にどうしようもなく怖いんです」

 

 エネドラの記憶を受け入れて、自分の記憶と合一させた加山雄吾は。

 以前までの加山雄吾と言えるのだろうか。

 

 それは加山雄吾なのか。それともエネドラなのか。加山雄吾でもなくエネドラでもない別人なのか。

 これまで生きてきた自己の連続性が、エネドラというイレギュラーで壊れないだろうか。

 

 そんな事、どうでもよかったはずなのに。

 本当に、どうでもよかったはずなのに。

 

 自己が何者なのかなんて。

 本当は重荷にしか感じていなかったはずなのに。

 むしろ──何物にもなりたくなかったはずなのに。

 何物にもなりたくなかったから、一つの信念を基軸に生きてきたはずで。

 その信念さえ継続できるなら──加山雄吾なんていう人格そのものも要らなかった。

 

 今は。

 かつての加山雄吾にとっては代えがたい好機のはずだ。

 人格なんて曖昧なものを代償に──エネドラの能力が手に入るともなれば。

 

 加山雄吾に、戦闘センスと呼ばれるものはない。

 そこにエネドラの記憶を参考にして、どうにか向上を計れた程度。

 

 加山にしてみれば垂涎物の好機だった──はずだったのだ。

 

 それでも。

 今は恐怖心がある。

 

「エネドラの人格に変質した瞬間に──どうしようもないほどの嫌悪感と恐怖感を覚えてました。思い出すことすべてが気持ち悪くて、そのまま緊急脱出した後に、ゲロって」

 

 自分が自分でなくなることがどうしてこんなにも恐ろしいのか。

 それは──。

 

「うん。怖いはずよ。──だって」

 

 染井華は、染井華としての答えを言う。

 

「君が作り上げた過去で。現在の君がある。全てが繋がっていて、連続している。──それは私も、加山君も、そして他の人も変わらない。そして──君が君として作り上げてきたものに、君自身が確かな価値を感じているから。それが壊されるのがきっと怖いんだと思う」

 

 でもね。

 

「でも。──たとえ。加山君が、加山君でなくなったとしても。きっと君が作り上げてきたものが君自身を引き上げてくれる。少なくとも、私はそうするつもりだから」

 

 これから。

 あまり似合わない事を言うよ、と前置いて。

 

「自分が何者か、って考えた時に。──それは自分だけで確定できるものじゃないと思う。私はきっと、葉子がいなければ今の私じゃなかっただろうし、君がいなければあの時のままだったのだと思う。過去が君自身を作る、というのなら。──君が関わってきた全ての人もまた、君の一部だから。だから──」

 

 本当に。

 似合わない事を言っていると、思う。

 

 そして。

 その似合わない事を──ずっとこの人は、自分の前で言い放ち続けている。

 

「きっと。君が自分が何者かに迷ったその時は──君じゃない誰かが、きっと答えを見つけてくれる」

 

 そう。

 苦手な食べ物を咀嚼しているような、そんな苦しげな表情で。

 何とか、彼女は言い切った。

 

「....忘れてほしいけど、忘れないで。結構、頑張って話したから」

 

 ばつが悪そうに──そんな事を呟いていた。

 

「今日は風が気持ちいい。それに月も綺麗」

「....いい夜ですね」

「うん」

 

 繰り返している。

 こうして、誰かの言葉に勇気づけられたり。

 逆に憎くて仕方がなくなったり。

 

 この時に感じる情動を実感するたびに──自分はこの世界に全霊で生きているのだと、感じる。

 

 ──この感覚を覚えるような人間性が少しずつ芽吹きだして。

 ──芽吹きだしたそれに目を付けられ、今や茎も根も腐り落ちようとしている。

 

 そうはなりたくない、と。

 加山は──心の底から、自己の全てをかけてでも、思った。

 

 

「....」

 

 迅は──空を見据えていた。

 

「これで確定かな.....。しかし、ちょっと厄介だな」

 

 

「どうしたのよ、迅」

 玉狛支部の屋上。

 夜風にあたっていた迅の背中から、声が聞こえてくる。

 

「お、小南。──いや、今日本部を歩き回っていたんだけど」

「何かいけない未来があった?」

「うん。──近々もう一回襲撃がかけられると思う」

「.....この前の進行と同じくらいの規模?」

「いや。さすがにそこまではない。今回の相手は、トリオン持ちの人間を集める事を目的としていない。そもそも、この前の連中とは別口だ──けど」

「けど?」

「.....少し、厄介なことになりそうだ」

 

 

「──アフトクラトルからの、お前たちへの指令は一つ。足止めだ。要は、奴等が格納している艦を破壊すること」

 

 艦の中は、緊張感で蔓延していた。

 

 それは。

 本来ここにいるはずのない──異分子の存在。

 

「俺はそれを積極的に手助けはしない。だが外でラービットと暴れることにはなるだろうから、ある程度の兵力をこちらに割ける。十分に利用するといい」

 

「....」

 

 それは朗らかな口調で語られているものの。

 口答えを許さない静謐な圧力があった。

 

 ──ガロプラ。

 

 アフトクラトルに占領され、属国となっている近界国家である。

 

 その宗主たるアフトクラトルから派遣されてきた男が、ガロプラの艦内にいた。

 

 

「俺の目的は──あちらが所有する黒トリガーのうち一つを回収する事。もしくは、奴等が捕えた捕虜を抹殺する事。──この二点のうち一つだ」

 

 その男は。

 大柄な、偉丈夫であった。

 そして。

 その頭部には──特徴的な二つの角が、埋め込まれていた。

 

「それでは──ガロプラの精鋭諸君。俺の名前はランバネイン。すまないが、少しばかり同行させてもらおう」

 

 

「──前回の近界民と、あの新型がまた襲い掛かってくるってこと?」

「ああ。奴がぶんぶん飛び回って暴れまわっている未来が見えた。──そして、問題はそれだけじゃない」

 

「....他には? 何があるの」

 

 迅悠一は。

 一つ目を瞑り。

 

 告げた。

 

「最悪から二番目の可能性。──加山が死ぬ。もしくはヒュースが死ぬ」

「....あいつ等が死ぬの?」

「ああ。──敵さんの狙いは加山が適合した黒トリガーだ。多分前回の侵攻の出戻りは本気でアレを狙いに来ている。それが叶わなければ、ヒュースを殺しに来る。加山が死ぬ可能性はそこまでないけど、ヒュースは何もしなければ殺される可能性が高い」

「....色々聞きたいことがあるけど。今は置いておく。そして、一番最悪の可能性は?」

「一番最悪な可能性は──」

 

 いつもの通り。

 事もなげに。

 

 迅悠一は言った。

 

 

 

「加山が、ヒュースを殺す可能性だな」

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