鬼喰いの針~人間失格になった私は鬼として共食いします~   作:大枝豆もやし

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第60話

 

 とある山の別荘。

 民家ぐらいの質素な建物。

 町からそれなりに離れたその場所で、一人の女性が布団の上で上体を起こして本を読んでいた。

 

「瑠火、入るぞ」

「……貴方」

 

 障子を開けて中に入る彼女の夫、煉獄槇寿郎が部屋に入る。

 

「瑠火、新しいお医者様の森鴎外先生だ」

「……貴方、もういいのです。もうダメであることは私がよく知っています」

「瑠火、そんな悲しいことを言うな。彼なら、このお医者なら治してくれるかもしれないぞ」

「いいえ、無理なのは理解しています」

 

 項垂れた様子で瑠火は目を伏せる。

 

「本来なら私はあの時にもう死んでいました。あの病で死ぬはずだったのです」

「瑠火……」

 

 あの時。それは瑠火が病を患ったときである。

 本来なら不治の病であったが、とある薬によって治ったのだ。

 大庭財閥によって開発された薬品―――ペニシリンによって。

 

「そう言うな、とにかく今は試してみよう」

「……」

 

 どうせ治らない。

 そう思いながらも、わざわざ夫が紹介してくれた医者に賭けてやろうと彼女は思った。

 後僅かで尽きるであろう己の命。

 覚悟は決めていたが、万が一に治る可能性があるならそれでよかった。

 

 ただでさえ少ない体力が、日に日に落ちていく。

 長くないというのは彼女自身が一番実感していた。 

 

 家族の前では毅然と振舞っていても、やはり死は怖い。

 死んだら夫はどうなる? 息子はどうなる? また家族を悲しませることになるのか? 病が治ったときはあんなに皆祝福してくれたというのに。

 彼女が日々擦り減る命数に怯える中、医者は手を尽くした。

 

 見た事がないような機材、独自に調合した薬等々。

 この薬師の腕が良いのは男が最も良く知っている。

 今まで全く変わることのなかった病状が、医者の薬を飲んだら僅かなりとも軽くなったのだから。

 根本的な解決にこそならなかったがそれでも影響は大きかった。

 少しばかり助かるのではないかという希望を彼女は抱いた。

 

「この薬で最後になります。ですが、これには重大なリスク…欠点がございます」

 

 医者がそう言って取り出したのは、深みのある赤色の粉薬。

 薬包紙の上で僅かな光を放っているソレは、異様な雰囲気を纏った薬だった。

 

 

「薬はまだ未完成。効果は保証しますが、その分だけ副作用……肉体への反動も大きい。今のあなたでは耐えられないかもしれません。……それでもよろしいですか?」

 

 呟くように口にしながら、医者はその粉薬を差し出した。

 瑠火は一瞬だけ逡巡すると、お礼を言いながら粉薬を掴み取って口に含み、傍に置いてあった湯呑の水で喉の奥へと一息に流し込んだ。

 途端に拡がる喉を灼くような痛みと、妙な味。

 これは今まで嫌という程味わったもの……。

 

 

 血の味である

 

 

 反射的に感じた吐き気を堪えて嚥下する。

 同時に胸の奥から感じる強烈な痛み。

 

 肺の中に、熱した針でも入れられたかのような感覚。

 イガイガと刺し、グツグツと焼かれるような激痛。

 体の中を別の生き物が動いているかのような不快感。

 

 それを吐き出そうと瑠火は激しく咳き込んだ。

 

「瑠火! どうした!?一体何が……」

「槇寿郎さん!今が正念場です! ここで呪いに打ち勝ち、副作用に耐えたら解決します!!」

「本当だな!? 本当なんだな葉蔵!」

「ええ、保証します!!あと、患者への接触は背中をさする程度でお願いします! 抱きしめると貴方の腕力で苦しむことになる!!」

「む……す、すまぬ!!」

 

 血が出る程に咳をした。

 胃の中を空になるほど吐いた。

 吐いた胃液らしきものには、緑色の何かが浮いている。

 

 死ぬかもしれない。

 今度こそだめかもしれない。

 もう無理かもしれない……。

 

「瑠火……頑張ってくれ……」

 

 夫が彼女の背中をさする。

 その間彼女には何も聞こえず、何も見えなかった。

 ただ、この手の感触だけが、彼女をこの世につなぎとめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいんだな、本当にこれでいいんだな!?」

「ああ、大丈夫だから話しかけるな! 今かなり繊細な作業をしてるんだから!!」

 

 彼の妻、瑠火さんの胸に手を当てて彼女に飲ませた薬―――針を操作して内部の鬼因子を潰す。

 昏睡している女性の胸を触るなんてゲスな真似はしたくないが、これは必要なことなのだ。

 彼女の体内にある私の針。これをうまく操作しないと彼女に与えるダメージが大きくなってしまう。

 

 彼女に渡した薬。それは全て私の針だ。

 極細血針の霧(マイクロブラッディミスト。

 ミクロ単位の針で鬼の因子を食らい、血鬼術を無効化する技。

 実戦にはまだ使えないが、こういった安全な場所、特に対象が進んで体内に摂取してくれる状況なら使える。

 

「そんな……今まで渡された薬ではこんなに苦しまなかったのに……!」

 

 以前まで瑠火さんに渡してきた薬も私の針だ。

 正確には眠っている状態の針。因子には刺さるが、すぐに因子を無効化しないものだ。

 しかし、私が号令を出せばすぐさま活性化して因子を食う。

 要は伏兵だ。バレないよう配置して、勝機が来たら本部隊を派遣して一気に叩く。

 

 いつもならこんな回りくどいことはしないが、今は人命が掛かっている。

 いきなり血鬼術が無効化したら、異変を察知した鬼が血鬼術を更に強める可能性がある。その危険性を潰すために面倒な手を用意した。

 無論、小出しに治療することで炎柱の信頼と心の安定を勝ち取るのも目的の一つだが。

 ちゃんと真面目に私と訓練してくれるなら、これぐらいの手間など惜しまない。

 

「頼む葉蔵殿……妻を、瑠火を助けてくれ……!」

「分かったから話しかけないでくれ。手元が狂う」

 

 本来の姿で、角を出した状態で針を操作する。

 彼女が昏睡してくれて、誰もいない状況で助かった。

 この針は人間に化けた状態では操作が出来ない上、一度始めたら最後までやり遂げなくてはならない。

 もし途中で放棄した際は、暴走した針が血鬼術を派手に食らいながら、宿主の体をズタズタにしてしまうからな。

 

 鬼因子の除去は順調だ。

 操作中は無防備になるがここは戦闘の(ゲーム)会場ではないし、もし万が一戦闘になってもこちらには炎柱がいる。

 むしろ、今は彼女を無事に治すことが私の優先するゲームだ。

 ノーコンティニューでクリアしてやるぜ!

 

 

 針を動かして指揮を執る。

 血管や大事な内臓部分に傷をつけないように。

 今まで潜ませた伏兵と、今日投与した針で因子を囲む。

 圧倒的な戦力差で、兵士の数で因子を潰す。

 中途半端に追い詰めると戦火が拡大してしまうからね。

 そうやって因子を退治していくと……。

 

「……捕まえた」

 

 鬼の因子を完全に無効化した。

 全身に拡がる鬼の因子を捉え、確実に捕縛。無論周囲への損傷もちゃんと考えてだ。

 

「術式は成功……いや待て!」

「どうした葉蔵殿? 一体何があった!?」

 

 問い詰める槇寿郎さんを手で制しながら、私はにやりと笑った。

 

「朗報だ。鬼の居場所が分かった」

「な…何!?」

 

 相手の血鬼術を完全に掌握したおかげか、相手の情報も入手出来た。

 

 不思議な感覚だ。

 直接会ってないのに、目の前にその鬼がいるような感覚。

 顔すら見てないはずなのに。五感を通じてその鬼の情報を得ているような感触。

 しかし不快感は一切存在しなかった。

 

 むしろその逆。

 突然、モヤモヤが晴れたかのような爽快感。

 難しい問題を解いたかのような、そんな気分の良さだ。

 これはいい体験をしたぞ……。

 

「敵の居場所が分かった、距離は東を三十里だ! そこの洞窟か何かに潜んでいる可能性が高い!」

「い、いきなりどうした葉蔵殿」

「早くいけ! もし勘付かれたらまた何かやるかもしれない!」

「し、しかし瑠火が……!」

「祝うなら奥さんが目覚めた後でやれ! 生きていればいくらでも会えるだろ! 今はその可能性を奪う敵を潰すんだ」

「わ、分かった葉蔵殿!」

「あとコレ!」

 

 私は槇寿郎さんに針を投げ渡した。

 

「ソレに鬼の情報を入力(インプット)した! 件の鬼の居場所をその針が指してくれる!」

「む…重ね重ねすまない葉蔵殿!」

 

 針を受け取り、針の指す位置めがけて走り出す。

 

 そうだ、それでいい。

 アレは貴方の獲物だ。貴方にこそ狩る権利がある。

 存分に怒りと憎しみをぶつけて報復するがいい。

 私は横取りするつもりはない。

 

「(しかしそれにしても……フフッ)」

 

 今日はいい日だ。

 なかなか出来ない体験をした。

 これ以上に面白いことはそうそう起きない……。

 

「いや、どうやらまだ楽しませてくれそうだ」

 

 私はついさっき感じた鬼の気配目掛けて走った。

 

 

 


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