アズールレーン─トリカゴ基地の日々─   作:大和亀蔵

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「シリアスさんがやってきた」 その2

トリカゴ基地、医務室。

 

真っ白な壁と天井、清潔な無味無臭の空気が鼻腔をくすぐるこの場所で、北風はひとり、椅子に腰を下ろしていた。

 

彼女が見守る目線の先には、ニューカッスルでもネプチューンでもない、患者衣に身を包んだ見知らぬメイドさんが医療ベッドの上で小さく寝息を立てている。

 

瞳の色は分かりかねるが、ヘッドドレスが飾られていた髪は短く、蜂蜜をとかしたミルクのような髪色をしている。

 

肌も艶やかに光を跳ね返しており、目を閉じていてもわかるほどの整った顔立ちだった。

 

なにより、セイレーン艦隊を一人で引き付けた勇姿とドックで確認したボロボロになった艤装から、きっと強い人に間違いはないとも、北風は確信していた。

 

あと、

 

「蹴鞠でもできそうなくらい大きいぞ......」

 

布団が被さっていてもわかるほどの、主張の強い二つのお山にどうしても目がいってしまう。

 

「......」

 

ふと、自分のと見比べてみる。

 

綺麗な北風平野が広がっていた。

 

「別にメイドになろうとは思わないが、メイドとは胸がある事が条件なのだろうか......」

 

決してそんな事はないし、ネプチューンはメイドではなく給仕さんなのだが、北風にとってはネプチューンも羨望の眼差しを向ける相手に違いはなかった。

 

それからしばらく、チッチッチッと、時計の針音だけが響く時間が続く。

 

無機質な音楽会が終わりを告げたのは、見張りを任されてから時計の針が一度、円を描いた時だった。

 

「悪いな北風、見張りをさせちゃって」

 

「指揮官! ...と、ニューカッスルさん。お疲れ様だぞ」

 

もう一人の来客者に対して露骨に声のトーンが落ちた北風に、ニューカッスルは微笑を浮かべてからカーテシーで応対した。

 

「北風様も、お疲れ様でこざいます。お邪魔でしたでしょうか?」

 

「い、いやそんなことは......え、エリザベスさんとの連絡はついたのか指揮官?」

 

やり場のない気恥ずかしさを、指揮官に話をふることで誤魔化す北風。

 

「仔細なくついたよ。この子、シリアスは快復するまでトリカゴで預かることになった。あとはロイヤルの面々に任せるから、北風は休んでくれていい」

 

指揮官の命令に、ピクンと北風の獣耳が大きく揺れた。

 

「もう交代するのか? 見張りは普段からやっているから得意だぞ?」

 

「ありがとうございます、北風様。しかし、ここは私達ロイヤルにどうかお任せ下さい」

 

丁寧ではありながらもニューカッスルは、兎も角代わってくれと訴えていた。

 

私ではなく、ロイヤルという主張に北風は眉を上げながらも、一応納得を示す。

 

「う、うむ? では、北風は戻るぞ。指揮官は?」

 

「俺も戻るよ。じゃあ、ニューカッスル。あとは任せる」

 

「はい、お手数をおかけ致しました。貴方様、北風様」

 

 

*

 

 

「どうした? 浮かない顔してるけど」

 

医務室を出るなり、視線を下に向け続ける北風に指揮官は心配の声を投げた。

 

普段はピンと立っている獣耳も、どこかハリがないように見える。

 

弱々しい声で北風は、言った。

 

「指揮官。ニューカッスルさんは、どうして北風を頼ってくれなかったのだ?」

 

「......?」

 

「言ってはなんだが、監視や見張りは本当に得意なのだ。それはニューカッスルさんも、知ってるはずなのに北風を頼らなかった。だから、北風は頼りにできないと......」

 

最後の方は、涙声で消えていた。

 

頼ってほしかったというより、ニューカッスルに自らの力を信じられていなかった事に傷付いているのだと、指揮官は感じ取った。

 

それは、北風自身がニューカッスルを信じているからこその感情。

 

そんな北風の優しさに指揮官は笑みを浮かべると、しゃがみこんで目線を合わせ、彼女の頭をゆっくりと撫でた。

 

「俺もニューカッスルも、北風のことは頼りにしてるさ。ニューカッスルが頑なに引き受けたのは、国の事情だよ。仕方ない」

 

「国の事情?」

 

小さく指揮官は頷くと、例え話をはじめた。

 

「そうだな。北風は、目の前で人が倒れてたらどうする?」

 

「助けるぞ。当たり前だ」

 

有無を言わさず、北風は答える。

 

「じゃあ、もし助けたとしてだ。助けたからって理由で、その人にお金を要求したりとかするか?」

 

「す、するわけないだろう!? 逆になぜするのだ?」

 

「そう言ってくれてよかった。けどな、世界は北風みたいな優しい人ばかりじゃないんだ」

 

「......」

 

無償の愛を持たない人、その状況を利用してやろうとする人。

 

世界には、色んな人がいる。

 

「ニューカッスルだって、北風が強くて、優しいのは折り込み済みさ。けど、ロイヤル......エリザベスはそうとはいかない。北風がどんな人か知らないんだ。一応トリカゴの人間と分かってはいても、自国の者以外に、あまり貸しを作りたくないんだよ」

 

アズールレーンにて大きく権力を握っているロイヤルに貸しがある国や組織は数多い。

 

トリカゴもその一つであるものの、エリザベス自身はシリアスがトリカゴに救出されてよかったと胸を撫で下ろしていた。

 

最悪の場合、今は味方とはいえ鉄血の捕虜になっていた可能性もあったのだから。一体何を要求されるのか、わかったものじゃない。

 

トリカゴについては、指揮官がいるからと信頼をよせてはいるが、その中にいる人間全員をエリザベスは信じているわけではない。

 

せめて、シリアスを看護するものはロイヤルのものでなければ、何かとつけて貸しを返される可能性がある。

 

北風が見張りをしていたからと、重桜から何か要求されることなんて恐らくないが、ゼロではない。その可能性をなるべく潰しておくのが、エリザベスという君主だった。

 

ニューカッスルは、そんなエリザベスの意思に従っただけなのだ。

 

一時的に北風を頼らざるを得なかっただけであって、そのざるがなくなったのだから、あとはロイヤルの管轄。

 

北風に動かれる方が、ロイヤルとしては困ってしまう。

 

「......そうか。石橋を叩いて渡っているわけか」

 

「そうだな。世界の皆が、北風みたいな優しい人で溢れてたらよかったんだけど」

 

もしこの世界が優しさで溢れていたなら、今こうして北風が肩を落とすことも無かっただろう。

 

いや、アズールレーンという一つの勢力しか存在しなかったはずだ。

 

「......そうか、うむ」

 

諸々の事情と、ニューカッスルの行動の意味を理解した北風は、何度かその場で頷くと笑顔を見せた。

 

「心配かけたな指揮官。もう、問題ない。それに北風はみっつ賢くなったぞ」

 

「おお、随分賢くなったな」

 

「うむ。ひとつ、北風は頼りにされている」

 

「そうだな」

 

一番伝えたかった事が伝わっていたみたいで、指揮官は安堵を胸に抱いた。

 

「ふたつ。世界には色んな人がいる」

 

「うん」

 

彼女の言う通りとしか言えない。

 

世界には、色んな人がいる。優しい人も、酷い人も。

 

「そしてみっつ。トリカゴはきっと、優しい人たちの集まりという事だ。違うか?」

 

屈託のない笑顔でそう言った北風に、

 

「......何も違わないよ。北風は賢いな」

 

「ふふっ。そうだろう」

 

指揮官は、改めて北風の頭を優しく撫でてあげるのだった。

 

誤解もすっかりとけると、そのまま長い廊下を進み、ポニーテールを元気よく踊らせる北風と横並びで歩いていく。

 

いつもなら交差路となるところで別れるはずなのだが、そこを通り過ぎても北風がまだ着いてきたことに指揮官は首を傾げた。

 

「あれ、北風の部屋ってあっちじゃなかったか?」

 

「ふふん、指揮官。この北風が、部屋まで護衛をしようぞ。ぜひ頼ってくれ」

 

「ええっ、別に大丈夫だぞ?」

 

「そうはいかん。戦いの後こそが、一番人間は油断しているぞ。そこを賊に襲われては大変だ。この事は、沢山の歴史の強者達が証明しているではないか」

 

「うーん。たしかに?」

 

言われてみればそんな話もあったような、なかったような?

 

(まあ、北風も乗り気みたいだし)

 

ニューカッスルに頼られなかった分、埋め合わせが欲しいのだろうと理解した指揮官は、彼女に護衛を頼むことにしたのだった。

 

北風としては、なるべく指揮官と一緒にいたいから、なのだが。

 

「そう言えば北風、夜戦は大丈夫になったか?」

 

「この北風を見くびるでないぞ、指揮官。今はエルドリッジに、他のみんなもいる。暗闇など怖くはないぞ」

 

「ひとりは、今でも厳しいか?」

 

「......うん」

 

「そっか。なるべく北風を夜に使う時は、誰かを同行させるよ」

 

「すまん、指揮官。不甲斐ないKAN-SENで......」

 

「そう落ち込むなって。北風のそういうとこ、人間らしくて俺は好きだぞ? 俺だって苦手なものの一つや二つあるし」

 

指揮官の口から出た「好き」という言葉に、告白ではないが北風は自ずと頬が紅くなるのを感じつつ、少し震えた声で訊ねた。

 

「た、たとえば?」

 

「うーん、カエルかなあ」

 

「カエル?」

 

北風の頭の中で、ゲロりと鳴き声が響く。

 

「多分思い浮かべてくれてる、そのカエルだ。なんか、苦手になっちゃったんだよなあ」

 

「ほう、どうしてぞ?」

 

「美味しく食べてたカレーが、ずっと鶏肉カレーだと思ってたら、実は蛙肉のカレーでさ。ショックで苦手になったんだよなあ」

 

「苦手って食べ物としてかっ!?」

 

てっきり、子供の頃に驚かされたとか、見た目が嫌いとかと考えていたのだが、そっちの方向は完全に予想外だった。

 

「え、ああ、そうそう。食べる方な。生き物としては別に嫌いでも好きでもない。レシピ通りに作ったって本人は言ってたけど、普通カレーのレシピに蛙とか書いてあるか?」

 

「さ、さあ? カエルなど食べる機会がないから、わからんぞ。鳥肉と似ているのか?」

 

「すっごい似てる。言われなきゃ分からないからこそ、知った時のショックがな......」

 

「あぁ。少し同情するぞ指揮官。北風もほうれん草のおひたしだと思って口に運んだら、菜の花のおひたしで、びっくりしたことはある」

 

「ちょっと違うけど、大体それだな......」

 

そんな会話をしながら、特に襲われたりなんてことも無く、二人は指揮官の私室にへと辿り着く。

 

「じゃあ、北風。今日もお疲れ様。そろそろ消灯時間だから、早く部屋に戻った方がいいよ」

 

「............」

 

「......?」

 

「............」

 

トリカゴの照明が落ちてしまう消灯時間という言葉には、誰よりも過敏な北風の反応がない。

 

不思議に思って彼女の目線を追いかけると、何やら部屋の扉をじっと見つめて、考え込んでいる。

 

「北風、どうした?」

 

何事かと彼女の名前を呼ぶ。

 

少し遅れて、その声は届いたようだった。

 

「......ん? どうした指揮官?」

 

「それは俺のセリフだよ。ずっと部屋の扉を見つめてたけど、なんかあるのか?」

 

「え? ああ、いやなんだか、近々指揮官がとんでもない目に遭うような気がして......上手く言葉にできんぞ」

 

「とんでもない目?」

 

「うむ。具体的には分からないのだが、そんな気がして......うーん、先程まで基地が、慌ただしかったからかもしれん。外でも歩いて頭を冷やすとしよう」

 

自分でも不思議そうに首を傾げる北風は、気の所為と決着を付けた。

 

こういった北風の急な虫の知らせは、稀にある。そして、結構な頻度でこれが当たるのだった。

 

「んー、しばらく注意することにするよ。でなんだが、北風。もうそろそろ消灯時間だぞ?」

 

指揮官はそう言って、北風に腕時計を見せてやる。

 

時刻は十一時の手前。

 

消灯時間は十一時となっている。

 

「ほ、ほんとだっ!? すまん指揮官、すぐに戻らせてもらう!」

 

北風は大きく目を開くと、それだけを言い残し、ピューんと駆逐艦さながらの足の速さで廊下を駆けていった。

 

「あれなら、頭も冷えるかな?」

 

指揮官はそう呟いて、北風の後ろ姿を見送るのだった。




明治時代の日本のカレーのレシピには、カエル肉が書いてあるのだとか...
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