藤堂刑部にとって初の任務である。場所はウォーターフロント内であるし、仲間に囲まれ戦場という雰囲気は微塵も感じられないが――兎に角、初任務である。
やや緊張した面持ちでASを纏い、整備員の声援――という名の求婚であったり、心配の声であったり、ヒモの誘いであったり――を受け出撃した小隊。防衛任務とは言え襲撃の可能性は零ではない。気を引き締めて望まねばと、そう勇んでやって来たものの。
「――暇だなぁ」
刑部は思わず呟いた。青い海、青い空。序に時折海を走り回る
刑部の呟きを拾ったナインが視線を寄越し、それから海の方を警戒したまま告げた。
「暇ですか」
「うん、いやぁ、だって何時間も海と空を眺めていろって言うのも……ねぇ?」
どこかうんざりしたような口調であった。ウォーターフロント外郭は防衛に適した形になっており、その設備も豊富である。刑部達の左右には高射機関砲が等間隔で並んでおり、対空・対水上に対する備えは十全。この高射機関砲は対空は勿論の事、水平射撃による対地攻撃も可能である。是にパルス・ドラップラー式のレーダーを積み、水上を走り回る小型警戒探査艇とデータリンクする事によって目標の早期探知・識別・迎撃を管制するのだ。
また、長距離の目標に対しては外郭後方、高台に設置された長距離砲台とモスキートと呼ばれる多連誘導弾が当たる。このウォーターフロントを中心として数キロ間隔で探査塔が存在しており、それに引っ掛かった感染体には漏れなく頭上から誘導弾が、そして真正面からは長距離砲撃が飛来するのだ。
つまり何が言いたいかと言うと――刑部達の持つAS火器のレンジは精々この高射機関砲よりやや長い程度なので、自分達が出る幕はないという事であった。無論、その多連誘導弾と砲撃の雨を掻い潜って来る様な他軍が相手ならばASの出番となるだろうが。
この平和としか言いようがない空と海を見ていると、「いや、そんな大群来るわけないだろう」という気持ちになる。心なしか周辺の空気も緩んで見えた、無論、錯覚だろうが。ナインは海を見つめたまま抱えたライフルを鳴らし、告げた。
「ですが我々が見落とせば人類に敵の刃が届きます、責任は重大でしょう」
「それは勿論そうなのだけれど、早期警戒網もあるし、探査艇もある、
無論、刑部とて物事に絶対はないと理解している。どれだけハイテクな力を持っていても来る時は来る。そしてそれに備える為、最後の保険として警邏を残す。理解は出来るし納得もしよう、しかしいざ自分がその立場に立ってみるとどうしようもなく暇で仕方なかった。
「ん、あれ……ASか」
ぼうっと揺れる海と空を眺めていると遠目に空を飛ぶ物体を見つけた。UAVよりややずんぐりとしたシルエット。そして人型である。刑部はそれが飛行型ASである事に気付いた。網膜ディスプレイのIFFに反応、味方だ。
「飛行型AS、懐かしいな、Dブロックでは良く見ていたけれど……こっちでは中々見られないから」
刑部が呟きながら何となく手を振ると、それに気付いた上空のASがチカチカと光を素早く何度か点灯させた。電磁障害が起きた場合の緊急手段である筈だが――恐らく遊び半分なのだろう。刑部は点灯した時間と長さから発信内容を読み取る。
「えっと、『本日も快晴也』――って、ハハハ、見れば分かるよそんな事」
「……なんだか、予想していたよりもAS乗りというのはお気楽と云いますか、何と云いますか」
刑部と向こうの飛行型ASの軽挙を見ていたナインは、どこか脱力した様子で呟いた。
「ん、不満?」
「いえ、別段不満がある訳では、緊迫しているよりは余程良いです」
本音だった。無論、緩い空気が蔓延するのは良くない事なのだが緊迫したソレよりはずっと良い。願うならば、世界全てがこんな空気で在れば良いのにとさえ思う。それには是が非でも滅ぼさなければならないものがあるけれど。
「デイ・アフターなんて存在がなければ、人は皆こんな空気で生きられたのかもしれません」
ナインは告げ、暫し沈黙した。二人の間に会話が途切れる。世界には波がウォーターフロントに当たる音と、カモメの鳴き声だけが響いていた。穏やかであった。刑部は四脚の脚を立てたまま、不意に問うた。
「そう言えばさ、中途半端になってしまったけれど――昨日の訓練場での話」
「ッ――」
その話題を持ち出した瞬間、甲鉄に包まれたナインの肩が僅かに震えたのが分かった。しかし、ここで止めるつもりはない。
「『私は――』、の続き……聞かせて貰えないかな」
僅かな間があった。ナインは何も言わず、数秒程時間を置いて大きく溜息を吐いた。そこには諦めとか辟易とか、そういう感情が込められていた。面倒だと思われただろうか? けれど刑部は止めようとは思わない。ナインが緩慢な動作で刑部を見て、言った。
「……どうして、そんなに知りたがるのですか」
「ん、昨日も言ったけれどこれからは仲間だからね、それがひとつ」
甲鉄に包まれた指を一本立て、刑部は笑う。薄い、軽薄と呼ばれる笑みであった。
「後は――単純に嫌なんだ、近しい人と距離があるっていうのが」
「………」
近しい人、という表現がナインには引っ掛かった。何故、高々数日の付き合いの人間にそこまで踏み込まれなければならないのだという思いがある。無論、その思いは傲慢だ、少なくともナインからすれば。人に求められたならば応えなければならない、それが機械人形の役割だから。それは公的な理由、そして私的には――悪い気はしない。
ナインと云う機械人形は藤堂刑部という人間を嫌っていなかった。
「勿論無理にとは言わないよ、話したくないっていうのならもう二度と俺からこの話題を振ったりしない、約束する」
刑部はそう言って目線を切った。放たれた言葉はどこまでも真摯である。ナインは口を噤み、暫くの間目を瞑っていた。
「……分かりました」
呟き、両手を小さく挙げた。降参の意であった。
「別段、聞いて楽しい話でもありませんよ?」
「……うん、それでも話してくれるなら聞きたいんだ」
刑部は嬉しそうに笑った。反対にナインはどこか憂いを孕んだ――けれど少しだけ安堵したような顔をしていた。
「私が旧型であるという話は以前したと思います」
ナインという機械人形は旧型、それも民間機である。そんな彼女が何故こんな場所に居るのか? ナインの人間不信を語るには、まずそこから知らなければならない。
海を眺めながら並んで立つ二人、刑部はナインの淡々とした語りに耳を傾け、小さく頷いて見せた。
「うん、言っていたね、民間の配達業務用機械人形だったって」
「えぇ、私は荷を配達する為の機械人形でした、そしてそれなりに旧型だったんです、古いものは新しいより良いものに淘汰される、当然の流れでしょう」
「……廃棄された、とか?」
刑部は恐る恐る問いかけた。機械人形の入れ替えは良くあることだ。そして古い機体は大抵廃棄されるか、状態が良ければ使い回される。今のナインの様に。
「いえ、幸いスクラップ処理を行われるような事故は起こしませんでしたし、私の稼働状況は旧型とは言え良好でした、元々機械人形はメンテナンスを行えば数十年単位での稼働が可能ですから、随分長い間使って頂いたと思っています」
そこまで口にして、不意にナインの目に翳が掛かった。それは失望とか、悲壮感だとか、そう呼ばれる類の感情であった。
「しかし物には限度があります、人の技術の発展は凄まじい、結局私より効率よく、素早く配達業務が可能な新型が多く割合を占めるようになり、私の所有者もその流れに逆らうことなく新型の機械人形を導入しました、私もまた、その流れで手放される事になったのです」
「……その後は?」
「不要となった機械人形、さりとて壊す程の不出来ではなく――ジャンクショップへの売却ですよ」
どこか嘲笑う様な口調だった。それは人間に対してなのか、或いは自分自身に対してなのか、刑部には分からない。けれど多分、後者なのだろうなと内心で考える。ナインと云う機械人形は実に誠実で、素直だ。愚直なまでに
「私が委員会に接収された時、ジャンクショップの倉庫で埃を被っていました、その後簡単な清掃と再起動が行われ問われたんです、『人類の為に戦ってくれないか?』と」
「それで、此処に?」
「えぇ、そうです」
ナインは軽々と頷き、肩を竦めた。新型にその座を追われジャンクショップに売り払われた。人間である刑部には一生味わうことの出来ない感覚だろう、しかし実際に売り払われ、倉庫で埃を被っていたというナインにとっては壮絶な経験だったに違いない。機械人形にとっては珍しい話ではないのかもしれないが、だからと言って心の傷が軽い訳ではあるまい。ナインは小さく俯き、口の端を僅かに吊り上げた。
陰のある、彼女らしくない表情だった。
「プログラムを書き換えれば良い話だというのに、態々こんな感情まで与えて……人間と云うのは本当に、良く分からない存在です、全く以って合理的ではない」
「……人を恨んでいるのかい?」
「――いいえ」
刑部の、やや覚悟が必要だった問いかけに対しナインは即座に否定を返した。顔を上げた彼女の顔に陰は既になかった。
「恨むだなんてとんでもない、私は『人を愛しています』……創造主は、創造物をその様に造るものでしょう?」
「………」
「けれど『その逆』はないのです、機械人形が人に愛される事はない、ないのです」
ナインはそう言って息を吸い込んだ。冷たい、海の湿った空気が肺を満たす――勿論それは偽物だ。ナインに本物の肺は存在しない。甲鉄に包まれた手で胸を撫でつけ、ナインはその偽りの体を大切そうに見下ろした。
「セブンさんは男性型機械人形が生身の女性に愛される事を危惧していました、それならば納得できます、それは種としての【本能】でしょう、そういう『納得できる形で必要とされる』のであれば――理解出来ます、愛ではなくとも役割として求められているのだと」
何であれ、どうであれ。
機械人形としての役割が果たせるのであればナインは許容する、納得する。男性型機械人形が生身の女性に求められ、愛される事は理解出来る。その逆も。それは「男性としての役割」を求められているからだ。それは「女性としての役割」を求められているからだ。
代替品として求められるのであれば、愛される事もあるだろう。
けれど――。
「しかし、ただの機械人形を、ただの人間がありのまま愛するなど……どうして信じられましょう?」
男女区別なく、また役割を持たず。『ただの役割を持たない鉄屑』を、心の底から愛していると告げられる人間が居るのだろうか。ナインは想う――居る筈がないと。顔を上げた彼女は空と海を眺めた。美しい光景だと思った。同時に、悲しい光景だとも。
隣の刑部に顔を向け、ナインは笑って見せた。
「人を恨みなどしません、憎みもしません、私は人を愛しています、私は、ただ……」
それは儚げで、健気で、退廃的な。
あと少し、もう少しだけ、頑張ろう。
そんな事を何千回と繰り返してきたような――そんな微笑みだった。
「私は、ただ――もう、捨てられたくないだけです」