任務後、休憩所にて。
天音と刑部はテーブルに頬杖を着き、手元のカップを所在なさげに回していた。中に満ちた珈琲がゆらゆらと揺れる。天音は一度小さく伸びをして、それから溜息と共に口を開いた。
「何て言うか、あれだね、ぼうっと海と空を眺めていたら終わっていたというか」
「まぁ、実際その通りだったよ」
天音の方も同じだったらしい。ぼうっと空と海を眺めている内に任務が終わった。言葉にすればそれに尽きる。実に呆気なく、山も谷もない任務であった。
「天音とセブンさんの方も特に問題なく?」
「うん、もう何もなーいって感じで、カモメの鳴き声と小波の打ち寄せる音だけ聞いていた」
「ふぅん、まぁこっちも似た様なものだったけれど」
気の抜けた声でそう言って、刑部は周囲を見渡した。休憩所には相変わらず人が居ない、今も刑部と天音だけだった。
「セブンさんとナインは?」
「メンテナンスだってさ、正規任務の場合は一度出撃したら簡易メンテナンスを受けるのが義務だとか何とか」
「そうなんだ、知らなかった」
「多分夕食前には戻ってくると思うよ」
出撃毎のメンテナンス、初耳だった。やはり海での活動となると多少錆びたりするのだろうか? なんて事を考える。いや、機械人形は刑部には一ミリも理解出来ない科学の結晶なのだ。防水程度、片手間に済ませてしまいそうなものだが。
「……あ、あのさ、ぎ、刑部君」
「うん?」
そんなどうでも良い事に思考を割いていると、両手でカップを持った天音がどこか視線を泳がせながらモゴモゴと口を動かしていた。姿勢を正し、顎を引いて、しかし視線は明後日の方向へ。挙動不審を絵にかいたような恰好だった。
「どうしたの、そんな改まって」
「い、いや、そのね、任務中ずうっと考えていたんだけれど」
「任務中は任務に集中しようね」
自分が言えた義理ではないが。
「その、セブンさんと、えぇっと……ぎ、刑部君って、もしかして」
ちらちら。そんな効果音がつきそうな程に忙しなく此方を覗き込む天音。そして唾を飲み込み、覚悟完了した天音は核心に斬り込んだ。
「き、昨日の夜、い、い、一緒に、寝……ね……」
「あ、うん、昨日一緒に寝てやる事はやったよ」
「うわぁぁあぁああァアアアアッ!」
余りにも軽々しく頷いた刑部に対し、天音は絶叫した。カップを手放し、転げ落ちた彼女は頭を抱えて天井を仰いだ。その奇行を目撃した刑部はびくりと肩を震わせ、それから目を丸くして問いかける。
「ど、どうしたの、天音」
「どうしたもこうしたもないよ、神は死んだんだ……!」
「天音って無神論者だった気がするのだけれど」
「私はその日その日で信仰する神を変えるのッ!」
「それ物凄く罰当たりだと思うよ」
日替わりで並ぶ神様は果たして神と呼ぶに値するのか。疑問が残る。
「うぅッ、うっ………! そうですよね、あんなラブラブいちゃいちゃする様な間柄になったんですものね、そりゃあそうなりますよね……!」
「………」
頭を抱え額を地面に擦り付け、それはもうこの世の終わりだと言わんばかりに涙を流す天音。そんな彼女の背中――正確に言うと土下座の様な格好をしているので、お尻しか見えないのだが――を見ていた刑部は、天音の見え透いた感情を嗅ぎ取り、淡々と問いかけた。
「若しかして天音、さ」
「ぐすッ……はい?」
「俺とそういう事したいの?」
「ッ!?」
多少暈した言い方であったが意味は正しく伝わった筈だ。現に天音は息を呑み、勢いよく振り返るや否や膝を着いた姿勢のまま忙しなく首を振った。しかしそれは、肯定とも否定とも取れない振り方であった。
「い、いえッ、そのッ、何と言いますか、わわッわた、私は――!」
「別に良いよ? 減る物でもないし」
「えッ!?」
素早く刑部に視界を固定する天音、実に良い反応である。
「いや、流石にセブンみたいに露骨な態度を取られると此方も困ってしまうけれど、ちゃんと公私の線引きをして、変に態度を急変させないでくれれば別に良いよ?」
「ほ、ほッ……本当、ですか?」
天音は膝を着いたまま刑部の座る椅子に這い寄る。傍から見るとヤバい奴である。傍から見なくてもヤベー奴である。まるで足元に縋りつく様にして天音は這い蹲り、必死の形相で問うた。
「じ、実は嘘でしたーとか、騙されているんじゃないぞこの馬鹿とか、どっきりでした残念~とか、後から言われたりしませんか!?」
「ど、どれだけ疑り深いのさ」
流石にそんな悪趣味な事はしない。刑部は苦笑を浮かべ頸を振る。
「そんな事言わないよ、今日は誰とも約束はしていないし、夜に部屋に来てくれれば」
「え、えっと、それじゃあ、お金は、お金はどれくらいお支払いすれば……」
「いや、この前も言ったけれどそういう仕事はもうやっていないんだって」
「で、でもでも、私なんかを相手にして貰う訳ですし、その、やっぱり何も見返りなしじゃ」
「天音って意外と卑屈なんだね……」
いつものあの勢いはどうしたと云うのか。刑部は内心で辟易としながら告げた。
「それじゃあ今度朝食でも奢ってよ、それで良いさ」
「そ、そんな! そんなものでは全然――」
「俺が良いって言っているのだから良いの、これ以上食い下がるなら取り下げるよ?」
「!?」
顔を青くして口を噤む天音。刑部は、「はい決まり」と手を叩き、席を立った。カップをゴミ箱に捨てると、黙ったまま微動だにしない天音に向かって手を振る。
「それじゃあ、また夕飯時に」
口を開閉させ、何か言いたげに手を伸ばす天音。しかし結局何も口にする事無く、そのまま刑部の背中を見送った。その胸中には歓喜と驚愕と困惑が混ざりあり、喜ぶべきなのか悲しむべきなのか、実に絶妙な表情をした天音が取り残された。
■
「――刑部」
「ん? っと」
休憩所を後にした刑部は、不意に声を掛けられ何者かに強く腕を引かれた。丁度休憩室から影になる廊下の端。そこで刑部は自分を引き込んだ人物を見る。
「セブンさん」
刑部を引き込んだのは仏頂面のセブンであった。刑部を抱きしめる様にして引き寄せた彼女からは微かに消毒液の香りがする。メンテナンスの名残だろうか、刑部はへらりと表情を崩し言った。
「メンテナンスは終わったんですね、お疲れ様です」
「あぁ、先ほど終えた――それでだな、刑部」
「うん?」
「どういうつもりだ」
真正面から此方を射抜く瞳。その瞳には怒気が籠っていた。それに声も、彼女は明らかに怒っていた。刑部は困惑し、頬を掻く。
「どういうつもりって……えっと」
「機械人形は耳が良い、先ほど休憩所で天音に対して言っていた言葉、あれはどういう事だ、説明をしろ」
刑部を胸に抱えたまま壁に追い詰めるセブン。刑部は壁とセブンに挟まれ、身動きが出来ない状態で眉を困らせた。どうやら天音とのやり取りを聞いていたらしい。
「その、天音の相手をするって話かな?」
「そうだ、お前、あれは本気で――」
「うん、嘘じゃないよ、というかセブンさん、ごめん、もしかしなくても怒ってる?」
刑部は申し訳なさそうに問いかけた。するとセブンは刑部に詰め寄った姿勢のまま驚きに目を見開く。そしてどこか他人事の様に語った。
「怒っている……私は、怒っているのか?」
「だと、思うけれど」
「…………」
セブンは指摘され、ゆっくりと刑部の元から離れる。そして自身の頬に手を当て、それから口元を指先でなぞる。そして思い出したように頭を下げた。
「――すまない、少し、取り乱した」
「いえ、別に構いませんよ」
俯き気味の謝罪。刑部は首を横に振る。セブンは自身の胸の辺りを頻りに撫でつけ、それからぽつぽつと話し始めた。
「その、なんだ、お前が天音を抱くという話を聞いて、だな」
「はい」
胸に手を当てたまま、どこか不安そうな表情で続ける。
「妙に、こう――胸がムカムカしたというか、グツグツとしたというか、何の捻りもなく端的に述べると」
「天音を殺したくなった」
言葉に嘘は含まれていなかった。
セブンの瞳から何か、生気の様なものが失われていた。機械人形相手に生気という表現が正しいかどうかは分からないが、兎に角、そう呼べるものが今のセブンからは感じられなかった。まるで奈落の底の様な、昏く深い瞳だった。
刑部は一瞬、その瞳の色に魅入られる。恐怖は感じなかった、代わりに胸に湧き上がった感情は――。
セブンは頭を振り、軽く額を小突いて苦々しく告げる。
「……機械人形にあってはならない感情だ、人間を殺したくなるなど」
「セブンさん」
顔を覆って項垂れるセブンに刑部は声を掛ける。声は、良く聞けば弾んでいた。セブンが顔を上げ刑部を見る。彼女の視界に映った刑部の表情は――笑顔だった。
「もし本当に、どうしようもなくなってしまった時は」
どうしても許せなくて、殺したい程の激情に駆られてしまった時は。
「殺すのは、俺にしておいて下さい」
微笑みながら、刑部はそう言い切った。セブンは言葉を失い、息を呑む。微笑んだ刑部が余りにも儚くて、朧気で、そして何より美しくて。冬に振る細雪の如き微笑みだった。触れれば溶けて消えてしまう、そんな。
慌てて首を横に振って刑部の肩を掴もうとし、一瞬躊躇した。掴んだら消えてしまうのではないか、なんていう妄想が頭を過ったのだ。それほどまでに今の刑部は――透明な笑みを浮かべていた。
セブンは恐る恐る指先で刑部の肩に触れ、それから緩く肩を掴み、言い募った。
「わ、笑えない冗談はよせ、私にお前が殺せるものか、そもそも……機械人形が人間を害するなどあってはならない」
「そういう面倒な制約やら約定やら、全部ひっくるめてどうでも良くなってしまうのが『感情』って奴なんですよ」
そうだ、もし十全に感情をコントロールできるのなら人類はもっと効率よく、それこそ宇宙の外まで飛躍していたに違いない。感情を御し切れないからこその人間だ。その人間を模した機械人形が感情をコントロールできなかったとして、誰が責められる? 自分のそれすら処理し切れていないというのに。
刑部が本気で言っていると感じたのだろう。セブンの表情がやや強張る。
「――なんて、冗談です」
けれど冗談めかして、刑部は再度笑う。今度はお道化た様な、先ほどとは異なる笑い方だった。そして両手に乗ったセブンの手を優しく外し、その脇をすり抜けながら言った。
「明後日は空いています、その時にまた、御相手しますよ」
「……分かった、楽しみにしておこう」
安堵と困惑。まるで自分の知らないもう一人の刑部がいる様な――そんなセブンの背中に、刑部が言葉を投げかける。
「嗚呼、それと」
「ん……?」
「セブンさんのソレ、『嫉妬』って言うんですよ」
最後に廊下の角に消えた刑部が、悪戯の成功した子供の様な笑みを見せ言った。それだけ告げ、刑部は今度こそ姿を消す。残されたセブンは投げかけられた言葉を咀嚼し、もう一度舌の上で転がした。
「嫉妬……嫉妬、他人を妬む感情」
言葉は虚空に響き、軈て消えた。
「そうか、これが――」
私レベルになると私自身が誤字脱字をするのではなく、誤字脱字の方から傍に擦り寄って来ますからね。
全く困ったものですよ。
いやほんとにもう修正ありがとうございます、助かります。
ps:土日はお休みを頂きます