鉄屑人形 スクラップドール   作:トクサン

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第13話

 夜半――と云うには聊か早い時間帯。しかし、夕食を済ませ就寝の支度を整えた者は、早ければ既に寝入っている頃だろう。そんな時刻に刑部の宿舎の扉が控えめに叩かれた。刑部はベッドから立ち上がり部屋の扉に前に立つ。誰か、何て問う必要はなかった。

 鍵なんて閉めていないので――これは源さんに何度も注意されているが、未だに閉める気にはならない――扉はドアノブを回すと呆気なく開いた。そして、その扉の前で両手を腹の前で組み、忙しなく体を揺らす女性が一名。

 

「――天音」

「ッ、は、はい」

 

 彼女――天音は涙目で、それはもう見ている此方が気の毒に思う程がちがちに緊張していた。これには刑部も一瞬驚いた顔を見せ、それから苦笑する。

 

「そんなに緊張しなくても……まぁ取り敢えず、入って」

「し、失礼、します」

 

 手と足が同時に出る。長足術か何かだろうか。刑部は出来の悪い機械人形の様な動作で部屋の中に入る天音を見送り、それからそっと扉を閉めた。ベッドに腰かけた天音はそのまま肩肘を張ったまま微動だにせず、刑部は彼女の前に立つ。視線を左右に散らした天音は口先を窄め、頬を赤く染めながら言った。

 

「あ、あの、シャワーとか、諸々は済ませてきましたので、その、あの」

「あぁ、うん、分かった、俺の方もさっき浴びたし――取り敢えずお茶でも飲む?」

「お……お構いなく」

「そう?」

 

 なら早速始めるべきだろうか。そんな事を考え、刑部は部屋に持ち込んだ数少ない私物を漁った。

 

「確かこの辺に――まだあったかな」

 

 手に取ったのは黒いポーチ。大きさはテッシュ箱程度で中には細々としたものが入っている。具体的に言うと歯ブラシの替えや剃刀、絆創膏や消毒液と言ったもの。刑部がその中を漁っていると、ベッドに座った天音が恐る恐る問いかけた。

 

「な、何を探しているの……?」

「ちょっとね、いつもは使っていなかったのだけれど今日は必要かなって、出来ちゃっても困るでしょう? あぁ、いや、前の仕事場だと寧ろ『ソッチ』目的で来る人の方が多かったけれど」

「? えっ?」

「いや、だから、避妊」

 

 理解の及んでない様子の天音に対し、刑部は淡々と告げた。

 機械人形相手ならば妊娠の危険性はない。しかし、人間相手ならばそうはいかない。内側にいた頃は寧ろ懐妊目的で通う客も多かった為、避妊具など滅多に使う事がなかったが――刑部の記憶では、確か二度か三度程度――今は状況が違う。

 漸く意味を理解したのだろう、耳まで赤く染めた天音は半ば飛び上がるようにして立ち上がり、ぱくぱくと口を開閉させた。

 

「ひにッ、あ――!」

「うん、前の仕事場だと寧ろ推奨されていたのだけれど、流石にAS乗りで懐妊するのは拙いでしょう?」

「そそ、そう、だよねッ! ご、ごめんなさい、全然そんな事考えていなくて……!」

「ううん、気にしないで、というか避妊具なんて今時その辺りじゃ売ってないし……っと、あった、あった」

 

 ポーチの中からパッケージングされた避妊具を取り出す。流石に箱では残っていなかった。数は五か六、まぁ一夜限りと考えるのなら十分だろう。避妊具を手に振り向き、刑部は笑って告げる。

 

「よし、それじゃあ――」

「ッ!」

 

 いよいよか――そんな期待に否応なく高まる天音。

 しかし、刑部の手が天音に伸びるより早く、再び部屋の扉がノックされた。

 

「? 誰だろう、ちょっと待っていて」

「は、はい」

 

 刑部は首を傾げ、天音にベッドで待っている様口にして扉へと向かった。ドアノブを回して扉を開くと、ぐっと部屋の中に入り込んでくる影。そして相変わらずタンクトップ一枚だけを身に纏った男勝りな機械人形が刑部に笑いかけた。

 

「よぉ、刑部」

「源さん」

 

 刑部の宿舎を訪れたのは源であった。彼女は手に紙袋を携え微笑んでいる。きっと中身は酒に違いない、大体この女性の行動パターンは訓練センター時代に学んでいる。源は扉を大きく開け放ち、刑部の肩を抱くと親し気に問いかけた。

 

「おう、丁度さっき任務が終わってよ、今大丈夫か?」

「あー、何というかタイミングが悪いですねぇ」

「ん? 何だ、誰かと飯の約束でも――あン?」

 

 そこまで言って、源は部屋から嗅ぎ慣れない匂い――というよりは成分が漂っている事に気付いた。それを辿って視界を動かすと、丁度刑部のベッドに腰かける人影を見つける。ガチガチに緊張し、固まった天音だった。

 

「ど、どうも」

「………」

 

 天音は突然現れた源に対し、どこか余所余所しく、気まずそうに頭を下げる。源は暫く口を噤み、二人の間に妙な空気が流れた。ややあって、源は刑部の方に視線を戻し問いかける。

 

「刑部よう」

「はい」

「ありゃあ、新しい『客』か?」

 

 どことなく不機嫌そうな声だった。尤も、天音には分からなかったが。付き合いの長い刑部だからこそ分かった。

 

「いえ、前も言いましたがお金を取る気はないので、お客さんって訳ではないです」

「ふぅん」

 

 そう答えれば源は無遠慮な視線を天音に飛ばす。そして刑部の手元にあった避妊具を見つけ、首を傾げながら言った。

 

「お前がソレ(避妊具)を使うって事は生身の人間か、珍しいな」

「まぁ数が少ないだけで居ない事もないですから、というか彼女は同じ部隊の仲間ですよ」

「あぁ……例の逆脚か、名前は確か、あー……何だったか」

「天音ですよ」

「おう、そうだ、それだ」

 

 思い出した、とばかりに手を打った源は刑部越しに顔を覗かせ、天音に向かって声を上げた。

 

「おう天音よう」

「は、はいッ?」

「今日は譲ってやる、人間で良かったな」

 

 そう言って肩を竦める源。これに驚いたのは刑部の方だった。隠す事無く目を見開いた刑部は、意外そうな声色で呟く。

 

「……てっきり怒鳴り散らすのかと」

「おいおい、私を何だと思っているんだお前は」

「いえ、だってDブロックの時は――」

「あー……まぁな」

 

 当時の事を思い出したのか、恥ずかしそうに頬を掻く源。刑部がDブロックの訓練センターの宿舎に寝泊まりしていた頃。夜這いを敢行した源と他所の教官がバッティングし、刑部を巡って殴り合いの喧嘩に発展したことがあった。あれは酷かったと刑部は思い返す。部屋は散々な事になったし、どちらも外皮を損傷して酷い顔になっていた。

 源には前科がある。しかし、流石に今回は彼女も自重した様だった。

 

「私だって機械人形だ、人間相手に怒鳴り散らす程驕っちゃいねぇよ、まぁ――」

 

 そこまで口にし、源の目がすっと三日月を描いた。

 

 

「機械人形だったら顔面分からなくなる位にぶっ壊してやったがな」

 

 

「そんじゃあ、また来るわ……明日は空けとけよ?」

「急過ぎですよ、明々後日なら何とか」

「ちぇ、分かったよ、んじゃあそん時にな」

 

 踵を返し、ひらひらと手を振った源は紙袋を抱えたまま颯爽と宿舎を去った。刑部はその背中を見送り、角で見えなくなったことを確認して扉を閉める。中の天音は完全に怯えていて、びくびくと体を揺らしていた。

 

「ぎ、刑部、くん、今の人……というか機械人形は」

「俺の教導を担当してくれた人、訓練場では色々お世話になってね、同じブロック出身だからASも特殊で、履帯型ASに搭乗しているんだ」

「えっ、履帯型? それって、あの、戦車みたいな……」

「あー、うん、間違ってはいないんだけれど、何て言えば良いんだろう、ベースは二足歩行型ASなんだけれど履帯走行と歩行を両立したような重厚な見た目で、重火器が満載の移動要塞というか、何というか――」

「ご、ごめんなさい、ちょっと想像が出来ないかも」

 

 申し訳なさそうに天音が肩を落とす。確かに、言葉にして説明するのは難しい。感覚としてはナインの二脚ローラーに近いのだが、重量と速度が大分異なる。刑部は頬を掻き、天音の前に立った。

 

「そうだよね、まぁ話を聞くより見た方が早いし、多分その内に任務で一緒になる事もあるんじゃないかな、同じ基地内なんだし」

「そ、そっか、うん、そうだね……」

 

 曖昧に頷く彼女の肩に手を置く。途端に天音は頬を赤くさせ、刑部を見上げた。

 

「さて、ごめん、待たせたね」

「あ……」

 

 一瞬、言葉に詰まる。ややあって天音は恐る恐る刑部の手を取り、それから頭をそっと下げた。

 

「そ、その、よ……よろしく、お願い、します」

「こちらこそ」

 

 ■

 

「ふぅーッ……」

 

 刑部は天井を見上げながら吐息を吐いた。その躰は汗を掻き妙に火照っている。天音はすやすやと隣で寝息を立て、その表情はとても幸せそうだ。刑部は顎を伝った汗を指先で拭い、天音の前髪を払いながら苦笑いを浮かべた。

 

「……草食系だと思ったらとんでもない、肉食の中の肉食だったな」

 

 先程までのやり取りを思い返す。体力的には機械人形が有利の筈なのに。彼女のこのタフネスは一体どこからやってくるのか。

 

「……はァ、少し飲み物でも」

 

 流石に喉が沸いた。天音が起きない様に立ち上がって冷蔵庫へと足を向ける。そしてそっと中を覗きと、何もない空っぽの白が視界に入る。ボトルの茶も、摘まんで振れば僅かな量が揺れるばかり。

 

「………ない」

 

 空っぽだった。

 水を飲むのも味気ない、刑部は僅かに悩み、引き出しの中から決済カードを取り出した。

 ――自販機で買うか。

 そう考え、服を手早く纏うとカードを片手に部屋を出る。夜中の廊下は暗く、必要最低限の灯りしかない。夜の空気は心なし冷たく感じられる。きっと気のせいだろうが。或いは刑部の部屋の空気が籠っていただけか。

 

「ん?」

 

 自販機のある休憩所に近付くと、その明るさが際立った。時刻は既に日を跨いでいる。夜番、という訳でもなさそうだ。誰かいるのだろうか? 刑部は軽く髪を手櫛で直すと、休憩所の中に踏み込んだ。そして休憩所で所在なさげに缶を両手で握っていた女性は、刑部に気付き顔を上げる。

 

「ナイン」

「! ――刑部さん」

 

 刑部を見たナインは少し驚いた様な顔をした。刑部もこんな時間にナインが居るとは思わず、意外そうに眼を瞬かせる。

 

「どうしたんだ、こんな時間に」

「それは……こちらの台詞です、人である貴方は睡眠が必要不可欠でしょう」

 

 確かに、言われてみれば機械人形は別段眠る必要などない。刑部は後頭部を掻き、恥ずかしそうに答えた。

 

「目が覚めてね、喉が渇いたのだけれど冷蔵庫に何もなくて、仕方ないから自販機まで買い出しに」

 

 そう言って刑部はカードを目前で振って見せる。ナインは納得し頷いた。

 

「そうですか……ッ!」

 

 言葉を途中で切り、ナインは目を細める。どこか責めるような目線だった。豹変したナインの態度にたじろぎ、刑部は身を強張らせながら一歩退く。

 

「……えっ、何、どうしたの?」

「すん――この匂い、天音さんですね」

「―――」

 

 思わず、絶句した。

 その反応だけで十分だったのだろう。先ほどまでの親しみを感じさせる視線と口調からは一転、まるで氷の様に冷たく容赦のない視線と声が刑部に飛ばされた。ナインは両腕を組み、吐き捨てるようにして言う。

 

「本当に、貴方は節操がないのですね、いえ、人類としてはそちらの方が好ましいのかもしれませんが、倫理的、道徳的には推奨されない行為かと」

「あははは……機械人形には、嘘は吐けないね、全く」

 

 匂い、というよりは成分で解析でもしたのか。全く以って敵いそうにない。刑部は両手を挙げて降参しつつ、自販機にカードを翳した。ピッ、という電子音と共にランプが点灯する。刑部はスポーツドリンクのボタンを押し込んだ。

 

「でも目が覚めてしまったのは本当だよ、喉が渇いたのもね……それで、そっちはこんな時間にどうしたの?」

「………」

 

 落下してきたドリンクを取り出し口から引っ張り出し、キャップを開ける。その間ナインは何も語らず、沈黙したままだった。

 

「何か悩み事?」

「……いいえ、別に何があったという訳でもありません、ただ、何となくです、それに機械人形に悩み事などある筈がないでしょう」

「いやいや、感情があるんだ、悩み事の一つや二つあるでしょうよ」

 

 刑部はそう言って笑って見せるも、ナインは頑なに口を開こうとしない。

 

「――昼の話に関係ある事?」

 

 刑部がそう口にするも、ナインは微動だにしなかった。しかし、何となく雰囲気が変わったことが分かった。きっと間違ってはいない。確信し、刑部はボトルを片手にナインの対面席に座る。

 

「話せる事なら、話して欲しいな、それとも、人間の俺には話せないかな?」

「その様な事は」

 

 そう口にしながら、その口調は淀んでいた。刑部はじっとナインの瞳を見つめ、その内心を探ろうと試みる。しかし視線を合わせる事無く、ナインは横へと瞳を逸らした。数秒、沈黙が落ちる。ややあって、刑部はその口を開いた。

 

「なぁ、ナインは言ったよな、創造主は創造物を愛さないって、完璧に同じって訳ではないけれど似た様な事を」

「……えぇ、言いました」

「どうしてそういう風に思うのか、聞かせてくれないか」

 

 暫し、返答を待つ。ナインは手元の缶を揺らし、それからゆっくりとした口調で答えた。

 

「機械人形は、道具(ツール)です……人の世を便利にする為の」

 

 ぽつぽつと、彼女は自身の考えを明かす。その声色は無機質で、淡々としていた。否、『そう在ろうとしている』のが分かった。

 

「私達の本質は貴方達が日常で用いるパソコンやテレビ、車と何ら変わりません、その姿形が人に似せられ、言葉を喋るようになり、感情を持った――ただ、それだけの話なのです」

 

 そうだ、ナインは自身の言葉を肯定する。手元の缶を握り締め、その表面が微かに凹んだ。

 機械人形は道具だ、人の人生を豊かにする、便利にする為のツールに過ぎない。それは人間が日常で使うテレビやパソコン、自動車、時計、或いはそこにある自動販売機と本質的には同じもの。それが喋り、感情を持ち、人に似せられただけに過ぎない。

 ナインはそう信じている、確信している。

 

「道具の本懐は使われる事、役立つ事、それに喜びを覚えるのが当然でしょう、けれど道具は所詮道具です、時間が経てば壊れもしますし、新しい道具も出ます、その別れの度に喪失感を覚え涙を流す人は稀でしょう、無論、そのような奇特な方がいらっしゃるのも承知の上です、それでも――刑部さん、貴方は道具を愛さないでしょう?」

 

 ナインは問いかけ、笑った。卑屈な笑いだと刑部は思った。ただ口の端を吊り上げただけの、笑みとも言えぬ代物だった。

 

「機械人形は道具、か……」

「はい」

「源さんとは逆の事を言うんだね、セブンは」

 

 刑部の口から出た名は、ナインの知らぬ人名であった。

 

「源さん、ですか」

「うん、俺の教導を担当してくれた機械人形」

 

 ボトルに軽く口をつけ、飲み込む。スポーツドリンクらしい爽やかな口当たりだった。運動後に呑むこれは、本当に美味い。一息吐き、ナインに目を向けた刑部は笑って言った。

 

「酒も飲むし、喧嘩もするし、独占欲も見せるし、セックスもする、傍から見ると人間よりも人間らしい人だよ」

「それは――」

 

 ナインはそれを聞き何かを口にしようとして、けれとぐっと唇を噛み締めると言葉を飲み込んだ。そして、恐らく本心ではない言葉を口にする。

 

「人の、『振り』をしているだけです、一度中を覗いてしまえば紛い物だと分かってしまう」

「それが……人が人形を愛さないと思う理由?」

「道具が愛される道理はありません」

「そんな事はないよ」

「何故そう言い切れますか」

「俺が機械人形を愛しているからさ」

 

 淡々と、然も当然の事の様に刑部は云った。機械人形を愛すると、ナインからすれば自動販売機を、車を、テレビを、パソコンを、愛していると刑部は云った。

 

「愛していない存在に体を預ける程、俺は酔狂じゃないよ」

 

 ボトルを振って、刑部は続ける。ナインは目を見開き微動だにせず刑部を見ていた。藤堂刑部は愛している、尊敬している、自分より上等な存在を。人間を、機械人形を。身を乗り出し、ナインの顔を覗き込むようにした刑部は呟いた。

 

「怖いんだろう、ナイン?」

「何を――」

「『また』、人に棄てられるのが」

「ッ!」

 

 ぎくりと、目に見えてナインの躰が強張った。そうだ、彼女はもう捨てられたくないと口にした。それはただ、その言葉通りの意味だったのだ。

 

「最初は役に立てない事を恐れているのかと思った、自身の存在意義の証明、機械人形としての本分を全うできない事が怖いのだと……けれど違う、本質はもっと感情的だ」

「ち、違います」

 

 咄嗟に否定の言葉が口をつく。けれど視線は泳ぎ、身は退いていた。

 図星だった。

 

 機械人形の本分に拘る、棄てられたくないから。

 役割を果たそうと必死になる、棄てられたくないから。

 過分な感情は抱かない様にする、棄てられたくないから。

 

 ナインと云う機械人形の行動は一貫している。『人に棄てられない様に』、それが彼女の願いであり唯一の行動原理だ。或いは、機械人形らしく在れと言うべきか。人に棄てられない、道具然とした振る舞いを徹底し、同時に『万が一棄てられるような事になっても』絶望しないよう、道具は人に愛されないと自身に言い聞かせて来た。

 

 棄てられてしまっても仕方がない、自分は道具だから。

 見捨てられてしまっても仕方がない、自分は機械人形だから。

 人間じゃないのだから――人間に棄てられても、仕方がない。

 

「ただ単に、【愛した人間に棄てられるのが怖い】だけだ」

 

 ナインは缶を手放し、その手で顔を覆って立ち上がった。そのまま数歩後退る。刑部は座ったままナインを見つめていた。ナインの瞳から雫が零れる。抑制していた筈の涙であった。

 あぁ、そうだ――認めよう。

 ナインという機械人形は、人に棄てられるのが恐ろしい。怖くて仕方がない。あの、絶望的な感情を思い出すだけで機能停止に陥りそうになる。ナインは顔を覆ったまま、地の底から響く様な声で言った。

 

「私は……刑部さんに、人を恨んでいないと言いました」

「うん、そうだね」

「けれどひとつだけ……ひとつだけ、人を恨んでいる事があります」

 

 告げ、ナインの双眸が指の間から覗いだ。その瞳は涙に濡れ、憎悪を滾らせ歪んでいた。

 

「何故、道具の私達に感情を与えたのですか」

 

 道具は、道具のままで良かったのだ。ナインは刑部を睨みつけたまま叫んだ。

 

「知らなければ平穏でいられた、持たなければ無感動でいられた、たとえ棄てられようと、どんな言葉を掛けられたとしても耐えられたのに――こんな、心なんてものがなければッ!」

 

 

『新型が届く、お前もそろそろ良い歳だし買い換えようと思う、今までご苦労だったな』

 

 配備された企業で、久々に呼び出された時の第一声がそれだった。常のルーチンワークと異なる指示に首を傾げながらやってきたナインに対し、彼女は言った。別段、何ともなさそうな、本当に日常の一幕だと思っている様子だった。ナインは恐る恐る彼女に問うた。

 

『それは業務変更、という事でしょうか? 配達業務以外を担当しろという……』

『ん? あぁ、そういう事ではない、もうお前の仕事は終わりだ』

『終わり? それは、一体』

『お前の仕事は丸々後任の新型に任せる、実はもう発注は済ませてあるんだ、明後日には届くだろうよ』

 

 それは正に青天の霹靂であった。

 ナインは数秒ほど、思考に空白を作る。それは機械人形らしからぬ茫然とした表情であっただろう。彼女に手を伸ばし、震える指先をそのままに口を開く。

 

『し、新型? そんな話は聞いておりません……なら、私は何をすれば――』

『払い下げる予定だよ』

『ッ!?』

『今日の夜に機能停止処理(シャットダウン)をして搬出する、旧型でも運用費用は掛かるからな、お前を売った金は幾つか新型を買って減った資金の補填に回す、高く売れると良いのだがね』

 

 シャットダウン。その言葉が冷たく、氷柱の如き鋭さで以ってナインの胸を貫いた。ぞっとした、それは確かに『死』の意味を持つ言葉だった。ナインは必死に首を振り、言い募った。

 

『そんな、売られるなんて……私は、私はまだ走れます! 業務だって、失敗は一度も……! まだ私は現役です!』

『あぁ、お前は優秀だったよ、それは私も認めているさ』

『な、なら!』

『しかしなぁ、やはり陸路を使うのは旧型の弱みだ、新型は更に早く届けられるし、空路で目的地まで一直線だ、ちと高いが信用と更なる利益には代えられん、これでも長くつかってやった方なのだぞ? お前で陸上配達用の機械人形は最後だ』

『っ、ぁ……!』

 

 彼女の瞳を見て悟った。

 既に決定事項なのだ、自分は売られ、後任には新型が就く。もう覆る事は無い。ナインの伸ばされた手は力なく垂れた。彼女はただ無機質な目でナインを見ている。二度、小さく頷き、彼女は笑った。

 ナインにとってその笑顔は、いつまでも忘れられない――人形の様に美しい笑みだった。

 

『――本当にご苦労だった、お前の役目は今日で終わりだ』

『――………』

 

 人形は、人の役に立つ為に存在する。

 人形は、人を愛している。

 人形は、人に恋焦がれている。

 けれど人は――きっと人形を愛さない。

 人形は愛を乞うてはいけない。

 それはイキモノにだけ許された権利だから。

 仮に、人形を愛してくれる人に出会えても。

 私を愛してください、なんて。

 言える筈もないけれど。

 

 

「私達にとって機能停止(シャットダウン)とは、死と同じです、何も感じず、考えず、ただの動かぬ鉄屑(スクラップ)となる」

 

 ナインはそれを一度経験した。暗闇の中、ただ『在る』だけ。それはナインではない、ただの鉄屑だ。ナインは自身の首筋にそっと触れた。

 

「再起動を果たすには他人の手が必要です、それこそ自身の生死を完全に他人の手に預けると同じ、誰も再起動を果たしてくれなければ私達は永遠に動かぬ鉄屑になってしまうのですから……誰が好き好んで自身の命を他人に預けてしまえるでしょうか?」

 

 機械人形は機能停止処理を極端に嫌がる。それは心をもったが故に。

 

「けれどもし、もしそんな事を許せる相手と出会えたのならば――それは」

 

 告げ、ナインは刑部を見た。思い返すのは天音やセブン、そして恐らく彼と親しい仲なのであろう、源と呼ばれる機械人形。きっと彼を慕う機械人形ならば喜んで自身の心臓を差し出すだろう。

 それはきっと、彼を信頼しているから。彼ならばきっと、もう一度黄泉帰らせてくれると知っているから。

 

「きっとそれは、とても素晴らしい事なのでしょう」

 

 それを人間は、愛とか恋とかと呼ぶのだ。

 

「ですからどうか刑部さん、あなたを慕う機械人形を、どうか決して裏切らないでください、棄てないであげて下さい、見捨てないで下さい、傍にいてあげて下さい……そして出来れば、愛してあげて下さい」

 

 ナインは自分を見上げる刑部に懇願した。愛されないと云いながら、愛してくださいと口にする。とんだ矛盾で、エゴの塊だった。

 けれど良い、愛されるのが自分でないのなら――そういう可能性もあるだろう。

 道具を道具として愛すると云う彼ならば、出来るのだろう。ナインは深く頭を下げた。そして真摯に、只管に、懇願し続けた。

 

「私達は道具です、道具だけれど、人間に似せられただけの無機物だけれど、精一杯役立ちます、奉仕します、裏切りませんし、逆らいません、だから――」

 

 だから愛して下さい。

 

「……その中に、ナインは居ないの?」

「―――」

 

 刑部の言葉に、ナインはそっと顔を上げた。そして涙を流したまま、悲しそうに言った。

 

「私は、人を愛しています、そこに嘘はありません」

 

 ナインという機械人形は、人を愛している。

 

「けれど私は……もう一度、心の奥底から人を信じるには、余りに――」

 

 一度言葉を切り、それからナインは口元を緩めて綺麗に笑った。

 

「余りに時を重ね過ぎました」

 

 恐らくどれだけの時間を重ねても。どれだけの愛を募らせても。

 

「どれだけ人を愛していても、どれだけ人に尽くしていても、どれだけ信じようとしても――一寸、疑念が残ります、そのほんの僅かな疑いを、私は生涯捨てられないでしょう」

 

 あの美しい微笑みを、ナインは忘れないだろう。

 

「恐らくこの体の機能を停止し朽ち果てるまで、きっと私は人を愛し、同時に疑い続けるのだと思います」

 

 それがナインと云う機械人形の呪だ。生き方だ。刑部は目を伏せ、それから静かな口調で言った。

 

「辛い生き方だね」

「仕方ありません、人の言葉で言うならばこれが……運命というものなのでしょう」

「その生き方はもう変えられない?」

「変えようと思って変えられるものではないでしょう、そして私も変える事を望みません」

 

「――私は、機械人形(マシンドール)ですから」

 

 ナインは笑って告げた。刑部はその言葉の中に、彼女の覚悟を見た。ややあってナインはテーブルの上に置いたままの缶を手に取り、踵を返す。

 

「……少し、喋り過ぎました、今日はもう休眠状態(スリープ)に入ります」

「ん、そうか」

 

 ナインは静かに休憩所を離れていく。刑部はその背中をじっと見つめ続けた。ふと、彼女の歩みが止まる。そして顔を向けぬまま、ナインは呟いた。

 

「正直、意外でした」

「? 何が」

「刑部さんです、こういう時、貴方なら――」

 

 少し迷って、ナインはどこか可笑しそうに言った。

 

「強引に押し倒してしまうか、無理にでも元気づけたりしそうだな、と」

 

 そう言うと、刑部は心外だという様に肩を竦め、それから答えた。

 

「それはナインに対する侮辱だ」

 

 刑部の言葉には力が籠っている。ボトルをテーブルに置き、やや顔に陰を落とした刑部は真っ直ぐナインを見て告げた。

 

「確かにね、色々言いたいことはあるし助けたいとも思う、俺が手を差し伸べるのは簡単だし、俺自身そうしたいとも思っている――けれどナインはきっと、俺の手を『無条件』で取るだろう?」

「………」

 

 ナインは答えなかった。ただ刑部の言った言葉は、その通りだった。

 

「俺が『信じろ』と言えば信じる努力をするだろう、俺の手を取れと言えば取るだろうし、一緒に寝ようと言えばそうする、疑いなくそうするさ、何故なら――」

 

「――君が、機械人形(マシンドール)だから」

 

 笑って、刑部は肩を竦めた。ナインも似た様に笑っていた。そこに陰はなかった。

 

「俺が『人間だから』、君はそうする、自身の役割が人の役に立つためと断言する君は断らない、人には逆らわない……けれどそれじゃ駄目だ、それは、こうまで健気に人に尽くす君への手酷い裏切りだ」

「裏切り、ですか」

「そうだ、俺はいつか、俺として君を助けよう、『人間だから』なんて理由ではなく、『刑部だから』と信じさせよう」

 

 刑部は云い切る。強い口調で、強い瞳で、そう断言する。ナインはそんな刑部を見つめ、ふっと目を伏せた。刑部は真剣な顔つきから一転、お道化た様に肩を落とした。

 

「……なんて格好良く啖呵は切ったけれど、方法なんててんで思いつかない、精々長い事傍にいて、少しずつでも信頼を勝ち取っていくって所かな」

「ふふっ、何ですか、それ」

 

 余りに強い口調に反し、その自信は余りにも弱弱しい。刑部とナインは暫く笑い合って、それから再びナインは背を向けた。今度は振り返らなかった。刑部も視線を手元に落とし、呟く様な声量で言った。

 

「人間でも機械人形を愛する事はある、万人がそうじゃなくても、俺がそうだって事を信じさせる……どれだけ時間が掛かってもね」

「そうですか――きっと、嘘ではないのでしょうね」

 

 ナインは顔を俯かせたまま、背中越しに告げた。

 

「期待せずに待っています」

 

 声は刑部の耳に届き、ナインはそのまま暗い廊下の中に消えた。

 刑部は手元のボトルに口をつけ、中を飲み干す。天井を見上げた彼はそのまま空のボトルを揺らし、目を閉じた。

 躰の火照りは、いつの間にか消えていた。

 

 




年越し間近で諸々忙しくなりそうなので、数日お休みを頂きます。
今回は二話分の投稿です。
一足早いですが、今年もよろしくお願いします。
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