「刑部」
「はい」
Dブロック訓練センター、AS機動訓練場。そこに全身汗塗れで這い蹲る刑部と、それを見下ろす女性が居た。どちらも同じタイプの四脚を装着している。しかし、同じASを纏いながらも片方は汗一つ流さず、泰然とした姿で佇み、もう一人は地面に這い蹲って息を荒げていた。
女性は、名を【二階堂蓮華】と云った。刑部の教官であり、師であった。蓮華は無様に這い蹲る刑部を眺め口を開いた。
「吾は疑問に思う、何故、そんなに弱いのだ?」
「……先生が強いだけでしょう」
「違う、貴様が弱すぎるのだ、同じASを纏って何故こうまで容易く負ける? 貴様それでも四脚の適者か」
「そう言われましても――先生は天才です、俺には才がない」
刑部はその場しのぎの嘘でも何でもなく、腹の底からそう思っていた。蓮華という女性は俗にいう天才である。ASという兵器に触れ、動かせるようになって強くそう思った。実際、幾人かの教官の内、最も強い人物は誰かと聞かれれば蓮華の名を挙げるだろう。
源さんや惣流さんも勿論強い。けれど、彼女は別格だ。
だが蓮華はそう思っていなかった。
「戯け、貴様の躰だろうか、十全に動かせず何が人間か」
そう吐き捨て、四つ足を広げ項垂れる刑部に対しずっと顔を近づけた。至近距離から注がれる視線、刑部は思わずたじろぐ。
「貴様は、水を飲むときに努力を要するか? コップに注がれた水を口にしようとして、失敗した事はあるか?」
「……いえ」
「そうだろう、極当然の様に飲めるだろう、当たり前の事だ、誰だって出来る――ならば何故、それがASで出来ない?」
無茶を仰る。
六本の手足を駆使して白兵戦を熟す事と水を飲むことを同列に語られても困る。しかし、蓮華という女性にとっては同じなのだ。どちらも日常的な動作で、出来て当たり前で、寧ろ何故失敗するのか不思議で仕方ないのだ。
「貴様は『水を飲むコツを教えて下さい』、と請われて何と答える」
「コップを口に近付けて、後は杯を傾け飲みます」
「ならば同じように敵に近付き、後は蹴り殺せば良いだろうが」
「……えぇ」
困惑の声を刑部は上げた、けれど先生は僅かもふざけた様子がない、クソほど真面目にそう考えているのだという事が分かった。つまり、この人は本気で近付いて蹴り殺せば良いと思っているのだ。
蓮華は出来の悪い生徒を見るような目で刑部を見つめ、それから深い溜息と共に語る。
「良いか、他のASは兎も角、吾等【四脚】にとって最も重要な事は目前の敵を倒す事ではない、求められる事はただ一つ、
「生き残る事……ですよね?」
刑部は躊躇いなく答えた。この訓練場にやって来てから耳にタコが出来る程言われた事だった。蓮華は小さく頷き肯定する。
「そうだ、正確に言うならば貴様の背中に背負った『GS』を炸裂させるまで死なない事だ、先の言葉と矛盾するようだが、敵を殺すまで吾等は死ねぬ、死ぬならば装置を使ってから死ね、その為の時間を稼ぐ訓練が是だ」
「辛辣ですねぇ……」
「是を扱える人間は貴重だ、でなければ何人もの現役AS乗りが教導に就くものか、貴様には我々が掛けた時間に見合うだけの成果をあげる『義務』がある、そう心得よ」
「……了解」
刑部はゆっくりと身を起こしながら口を開く。未だ視界は朧気で、筋肉が休息を求めている。しかし目前の蓮花はこれ以上の休息を認めないだろう。教官の中で最も強い彼女は、最も刑部に求める水準が高く、厳しい。
しかし、刑部にとってはそれが心地よかった。目前の蓮花は刑部を兵士として見ている。或いは――兵器か。少なくとも今は。
「しかし俺、そのGSすら碌に扱えないのですが……というか、アレ嫌いなんですよね、痛いですし、気持ち悪いですし、意識飛びますし」
「痛みは気合で堪えろ、意識は舌を噛み切って耐えろ、そうすれば後は敵を圧殺するだけだろう」
「それが出来るのは先生だけだと思うんですけれど」
「吾出来て貴様に出来ぬ道理はない、『出来ぬ』などとほざくな、『やる』のだ」
「……はい」
余りにも力強く言い切るものだから、刑部はただ頷く事しか出来なかった。
「いや、でも、何というかコツの一つくらいは教えて欲しいといいますか」
「コツか」
「えぇ」
刑部のこの場に蓮華は僅かに考え込む動作を見せ、それから云った。
「敵を心眼で捉える、その位置に力場を生み、蜃気を叩き付ける、敵は死ぬ、以上だ」
「嘘でしょう?」
「嘘なものか、吾はこれで今日まで感染体共を屠って来たのだ」
自信満々に言い切る蓮華。刑部は暫くの間言葉を失った。腹の底からこの人が本気で言っているのだと分かった。余りにもシンプル過ぎる、簡素過ぎる、それをどうやって己に活かせというのか。蓮華は鼻を鳴らして刑部を見た。
「
「全部です」
刑部は素直に腹の中にあった言葉をぶちまけた。すると彼女は小さく息を吐いて天井を仰ぐや否や、ぼそりと不穏な言葉を呟く。
「鍛錬が足りんな、もっと扱くか」
「やめてください死んでしまいます」
冗談抜きで。
「ふん、適者がこの程度で死ぬものか、いつか吾が殺してやる――それまで精々足掻いて生きろ、刑部」
蓮華が嗤ってそう嘯く。刑部は汗を流したまま頷き、伸ばされた蓮華の手を取った。
先生は知っている、藤堂刑部の総てを、全部を。だからいつか、もっと先の先――自分を殺してくれる人がいるとすれば、それは。
想像する。彼女が自分を殺してくれるその瞬間を。
泣きながら殺すだろうか? 大粒の涙を流しながら、悲痛な顔で殺すのだろうか。
否、きっと彼女はそんな中途半端はしない。『人を殺すのだ』、きっと彼女は笑って殺すだろう。殺したいから殺すのだ、別段、お前の為に殺してやるのではない――なんて言いながら。
そんな光景を想像する。
嗚呼――それは、なんて甘美な。
■
「どういう事だ、説明しろ……ッ!」
怒りを孕んだ声が響いた。場所はウォーターフロント外郭、刑部達の配属された防衛基地、その医療区画。機械人形が破損、大破した場合はメンテナンスルームに搬送されるが、人間が負傷した場合はこのブロックに搬送される。滅多に使用されないその区画は現在、刑部がひとりで使用している。
純白の壁、純白の床、そして純白のベッド。
其処に刑部は横になっている。両腕と首筋に幾つものケーブルを引き、物言わぬ屍の様に。
けれど彼のこの状態を天音、ナイン、セブンの三人は知らない。正確に言えば、その病室の扉の前で足止めを喰らっていた。彼女たち三人を足止めしていたのはひとりの機械人形。刑部が【源さん】と呼ぶ女性であった。
「だから、テメェ等に刑部と面会する権限は無ェって言っているんだよ、いい加減分かれ、頭湧いてんのか?」
「馬鹿な、私達は同じ小隊の仲間だ! そもそも何故見舞いに権限が要る!?」
「分かってんだろう、刑部はテメェ等とは重要度が違うんだよ」
「――ッ!」
源の言葉に三人が口を噤み、息を呑んだ。剣呑な色を瞳に宿し源を見る三人。脳裏に浮かぶ光景があった。目前の感染体が一瞬で掃滅された瞬間――まるで頭上から巨大な何かに押しつぶされたかのような。
アレを、刑部が行った。それは疑いようのない事実であった。
「お前は、知っているのか」
「あん?」
「あの兵装だッ! あんな物があるなど、私は委員会から何も――」
セブンが吼えるように云った。源は面倒そうに首を鳴らし、それから答える。
「当然だろうが、アレはおいそれと表に出して良いモンじゃねぇんだよ――因みに知っていたか否かという話については、『知っていた』とだけ言っておいてやる」
「ッ、ならば何故」
「――あぁ、そうだ、アタシからもテメェに言いたいことがあったんだよ」
セブンの言葉を遮って、病室の扉の前に立ちふさがっていた源が一歩、踏み出した。そして不意にセブンの顔を指差した。指先を突きつけられたセブンは目を瞬かせ、厳しい視線を向けたまま困惑を滲ませる。
「痛覚センサ、切っとけ」
「……何の話――ごッ!」
口が開くと同時、源の拳がセブンの顔面を捉えた。機械人形の全力、加減も糞もない金槌の如き一撃である。セブンの首が限界まで捩じれ、そのまま数歩後退した。風圧だけでもその威力が分かる、傍に立っていた天音は蒼褪め、ナインは素早く蹈鞴を踏んだセブンを受け止めた。セブンは殴られた衝撃で僅かな間処理落ちを経験し、酩酊感にも似たそれに頭を振る。ナインはセブンを心配そうに見つめた後、目前の源を睨みつけた。
「――源さん」
「ッち、
「機械人形の私闘は禁じられています、私達の敵は感染体の筈です、仲間に拳を振るって損耗するなど、これは人類に対する裏切りですよ」
「はん、外皮が幾つ剥け様が別段困りはしねぇだろうがよ、内部機構が露出していなけりゃ戦えるんだ――尤も、機械人形だと一目でわかる恰好をして、刑部が抱いてくれるかは疑問だがなァ」
「ッ……!」
その一言にセブンの躰が強張った。ナインの腕を振り払い、セブンは自分の頬に手を当てる。強烈な一撃を受けたが――外皮は損傷していない。診断システムには異常なしとの報告、セブンは自身の頬を撫でつけながら源に殺意の籠った視線を寄越した。それを見た源は嘲笑いながら手を広げる。
「貴様――」
「おー、おぉー、稼働年数が一年も無ぇひよっ子が一丁前に勇んでやがる、今にも殺してやるって顔だ、上等上等、良いぜ、来いよ?――アタシもテメェを殺したくて仕方がないんだ」
煽り、拳を見せつけるように握り込む。セブンが応えるように肩を怒らせ、拳を握った。ナインが顔を強張らせ制止に走ろうとする。しかし、それより速く天音が二人の間に割って入った。
「ま、待った! 待った! ストップ! 何で此処で殴り合うような雰囲気になっているの!? ナインも言っていたけれど、仲間だよね私達!?」
「………」
「………」
構えた拳がやや落ちる。これで、ナインが割り込んだのであれば源は躊躇わずナインを殴りつけるつもりであった。刑部の傍に居ながら守り切る事が出来なかったのは小隊全員の落ち度であるからだ。しかし、天音は別である、彼女は人間だ、人間を殴り殺すのは――流石に源の理性と感情が拙いと訴えていた。
天音の向こう側で未だに殺意を湛えた視線を向けるセブン。その口がゆっくりと開く。
「……ひとつ、答えろ、源」
「『さん』を付けろよ
「殺したい相手をお前は敬称を付けて呼ぶのか」
「はっ、ンな訳ねぇだろうが」
「なら私とて同じだ――知っている事を全部教えろ、などというつもりはない、
「……言えよ」
「刑部は、無事なのか」
セブンの言葉に源は暫し沈黙を守り、それから確りと頷いて見せた。
「あぁ……今は疲労で寝込んでいるみてぇなもんだ、数日すりゃ目も覚ます、外傷もそこまで酷くねぇし、今月中に部隊復帰は叶うだろうよ」
「――そうか」
頷き、セブンは漸く拳を解いた。それを見た源も舌打ちを一つ零し、両手を下げる。二人の間に立っていた天音が露骨に安堵の息を吐き、セブンの背中へと戻った。
「テメェは気に喰わねぇ、セブン、いつかその外皮を剥いでやるよ」
「……ふん、その時は返り討ちにしてやる」
「新造が、吼えやがる」
獣の様な笑みを浮かべた源、セブンは鼻を鳴らし踵を返した。どうあっても刑部に会わせようとしないという事が分かった、恐らく彼女は是が非でもあの場所を退かないだろう。それこそASを纏って突貫しようと、素体のまま立ち塞がるという確信がある。ならば彼女の言う正規の手段で面会するまでだ。
「天音、ナイン、出直すぞ……権限がないというのなら毟り取るまでだ、どんな手段を使ってでもな」
「はっ、帰れ帰れ、お呼びじゃねぇんだよクソが」
素っ気ない態度で手を払う源。セブンは振り返る事無く、ナインと天音は病室の刑部が心配なのだろう。何度も振り返りながら医療ブロックを後にした。
そんな彼女たちの背中を見送った源は深い溜息を吐き、それから静かに背後の扉を開いて病室の中に踏み込み告げた。
「――良かったのか刑部、あんな風に追っ払っちまって」
「……うん、構わないよ、源さんに一任しているから」
源の視界に映るのは刑部、その人。
頸に、腕に、無数のケーブルを付けられた青年。彼は患者の着用する貫頭衣を身に纏ったまま微笑んだ。ゆっくりと上体を起こそうとし、それを見た源は慌てて補助に走る。
「あんまり無茶すんな、まだ体に力も入らねぇだろう? 投薬が済んでないんだ」
「ん――大丈夫だよ、それにこの程度で動けないなんて言ったら、先生に怒られる」
先生、という単語を聞いた源は露骨に顔を歪めた。
「アイツも、流石にこんな状態のお前を見たら何も言わねぇよ」
「そうかな……? 多分、『この程度で根を上げるなど鍛錬が足りていない証拠だ、吾が直々に鍛え直してやる』とか言うんじゃないかな」
「………」
源は口を噤んだ。そんな光景が容易に想像出来たからだ。否定出来る要素がない、渋顔のまま源は首を振り、「だとしても」と続けた。
「こんな状態のお前を無理に動かしたくない、彼奴が来てもアタシが何とかしてやる、良いから大人しく寝ていろ」
そう言って起き上がりかけた刑部を無理矢理ベッドに寝かしつけた。再びベッドに横たわった刑部は焦点の合わない瞳を動かす。刑部の手が虚空を彷徨い、源を探した。
「源さん、何処にいる?」
「――此処だ、アタシは此処だよ」
彷徨っていた手を優しく掴み、源は刑部の頬に顔を寄せる。刑部は源の手を確かめるように何度か握りしめ、それからふっと頬を緩めた。
「……暖かいねぇ、源さん」
「お前が冷たいんだよ、刑部」
刑部は良く、機械人形の肌を
不意に、ピピピと電子音が鳴る。刑部の手首に巻きつけられたボタンのない、バンドの様な帯びから鳴っていた。源はその音を聞き不快そうに眉を潜めた。「クソ」と悪態を吐き、ベッドの横に置かれたケースを手に取る。ケースはプラスチック製で中身が透けて見えた。ケース内にはPTP包装シートに包まれた錠剤が入っている。シートに包まれている錠剤の数は八錠、それが四つ。全部で三十二錠、源はそれを取り出し手の上に並べる。
――もう、これしかない。
源が錠剤を見る目は悲痛に満ちていた。
「ほら、刑部……飲めるか?」
源はシートから錠剤を一粒取り出し、刑部の上体を少しだけ起こした。口元に錠剤を近づけると、刑部は薄く口を開く。源は舌の上に錠剤を乗せ、傍にあったボトルを掴みキャップを外して刑部に差し出した。
「水だ、ゆっくり飲め、急がなくて良いからよ」
「ん……」
錠剤を水で流し込み、ほっと息を吐く。上手く飲み込んだ事を確かめた源は安堵の表情を見せ、再び刑部をベッドに寝かしつけた。目を瞑り、深い呼吸を繰り返す刑部の顔を覗き込み問いかける。
「どうだ、ちっとは良くなったか?」
「……ん、うん……大丈夫、だよ……俺は、大丈夫」
また、意識が落ちかけている。
源は刑部の手を強く握りしめる。ベッド横の薬台には取り出された錠剤が並んでいる。三十二錠、今一錠減って、残りは三十一。
源は刑部の手を額に擦り付けながら、泣きそうな顔で言った。
「なぁ刑部、これ、あと何日分あるんだ?」
声は震えていた。どうかこの震えが、刑部に知られない様にと源は祈った。刑部は目を瞑ったまま、どこか寝惚けた様な、舌の足らない声で云った。
「戦わないなら、多分、月一……戦ったら、後、三回、かなぁ」
「ッ――!」
源は強く、強く刑部の手を握り締める。涙が零れ落ちるのが分かった。約束したじゃないか、自分より早く死なないと! けれど、それは自分の言い分だ。刑部はその言葉に頷かなかった。だからきっと困ったように笑うだけだと分かった。
源は刑部の手を頬に添えながら、笑って言った。
「なぁ、逃げちまおうか、どこか遠くによ」
穏やかな口調だった。泣きながら源は、刑部に夢の様な話を語って聞かせた。
「ウォーターフロントだけが人類の住む場所じゃないんだ、人間が生きている土地はまだある、アフリカ大陸の方と、後は北アメリカ、それにオセアニアの方も、探せば結構あるもんだ、そこに高飛びしてよ、二人で小さい家でも建てて、細々と暮すんだ、アタシの耐用年数はまだまだ残っているからよ、一年どころか二年でも三年でも、メンテナンス要らずで動けるさ、感染体の連中も、機械人形一体と人間ひとりくらい見逃してくれる」
刑部は何も言わず、呼吸を繰り返していた。聞こえているのかいないのか、分からないまま源は続ける。夢物語だ、源の中の理性が囁いた。到底不可能な夢物語、けれど減の口は止まらなかった。
「小さな畑を作ってよ、偶に狩りでもして、夜は一緒の布団で眠るんだ、春は桜と月を見て、夏は蝉の鳴き声を聞いて、夜は蛙の鳴き声と共に眠って、秋は紅葉を楽しもう、書に親しんでも良い、アタシの頭の中には何万冊も入っているんだ、冬は家に籠って囲炉裏を囲みたい、一度、やってみたかったんだ、なぁ、良いだろう?」
「………」
刑部は何も言わない。源は手を握り締めたまま、笑った。項垂れ、涙を零しながら、懇願した。
「お前が、『うん』って、言ってくれるのなら、アタシは、いつだって――」
なぁ、だから――頷いてくれよ。
声は出なかった。涙を流しながら刑部の腕に縋りついて、ただ泣いた。刑部は目を瞑ったまま声を殺して涙を流す源の頭を撫でた。髪はやはり冷たくて、けれど彼女の頬は熱い位だった。
「……ごめんね、源さん」
声は虚空に溶けて、消え去った。