源は肩を落として回廊を歩いていた。白い、白い回廊だ。メディカルセンターから、丁度機械人形のパーソナルルームのある棟へと繋がっている。彼女は刑部の病室を後にし、自室へ戻る途中であった。刑部は終ぞ、彼女の言葉に頷く事無く眠りに入った。薄ぼんやりとした意識の中で、彼は最後まで源に謝り続けた。
そんな言葉が聞きたいんじゃない、アタシは、ただ刑部を助けてやりたいだけだ。源は強く拳を握った、気を抜くとまた涙が零れてしまいそうだった。昔は、目から水なんぞ流して何になると笑い飛ばしていたが、今は必要だと心底感じている。自分は今、涙を流す程に悲しんでいる、そういう自覚が生まれるのだ。それだけ刑部という人間に心を砕いている証拠だ。源は涙を零す度、刑部という人間に情愛を感じた。今回もそうだった、けれどその原因を取り除くことが、自分には出来ない。
誰も居ない廊下に足音が響く。不意に、源は顔を上げた。響く足音がひとり分ではなく、二人分であったから。
見ると目前から誰かが歩いて来ていた。その影を源が見た時、その双眸が見開かれる。
「お前……」
「ふん」
長く艶やかな髪。兵士とは思えぬ白い肌。和服に似た独特な衣装。余りに周囲から浮き上がった存在、自身よりやや小さい体躯にしかし肌が焼けるような威圧感を孕ませ、彼女は現れた。
「蓮華……!」
二階堂蓮華――藤堂刑部の師にして、唯一無二の理解者。源の声が廊下に響き渡り、蓮華の表情が露骨に歪んだ。小さく耳を叩きながら、小馬鹿にした様な口調で告げる。
「その様な声で吾を呼ぶな、響くだろうが、間抜け」
「っ、何で
「委員会からの許可は捥ぎ取ってある、貴様には関係無い、そこを退け、通行の邪魔だ」
蓮華は面倒そうに手を振り、言った。二階堂蓮華は四脚を駆る、つまりVDSの使い手でもあった。刑部と同じ、超兵器と為る存在である。それも刑部と違い歴戦の猛者と言って良い経歴を持つ。彼女は現在三つのFOBを転々としており、確か大規模侵攻が起きていた頃はFOB3の方に駐屯していた筈である。
蓮華が来る事自体は予想していた、しかし余りにも早すぎる。源は無言で彼女の行き先を阻んだ。こいつは刑部の所に行こうとしている、『今』、それを許す訳にはいかなかった。蓮華は自身の通路を塞いだ源を見上げ、目を細める。
「……聞こえなかったか、源? 吾は、邪魔だと言ったぞ」
「――ッ!」
源は両肩に妙な圧力を感じた。無論、物理的なものではない。これは精神的なものだ。人間対して反抗しているからなのか、或いは蓮華という女性が生来持ち合わせているものなのか、それは分からない。しかし源は決して頷かなかった。不敵な笑みを浮かべ、爪先でリノリウムを叩きながら吐き捨てる。
「お断りだ、VDSの先生だか何だか知らねぇが、アイツはアタシの教え子でもある、テメェの勝手で【潰され】ちゃ困るんだよ」
「……ふん、何も知らぬ機械人形風情が吼えよる、人類の未来と刑部ひとり、一体どちらが大切なのだ」
「刑部に決まっているだろうが」
源は迷いなく答えた。その即断に、さしもの蓮華も驚きを見せる。源はにやりと顔を歪め、笑って言った。
「アタシはお利口さんな機械人形と違ってな、出来がわりぃンだよ、人類全体と刑部ひとり、どちらが大事かと聞かれればアタシは後者を取ってやるよ」
「貴様は――よもや機械人形の存在意義を忘れた訳ではあるまい」
「黴臭ぇ原則の事を言ってんのか? はっ、あんなもん、刑部の無事と比べればクソみてぇなもんだろうがよ!」
源は腹の底からそう信じていた。機械人形の原則など知った事ではない。自身にとっての存在意義とは人類の役に立つ事ではない。【藤堂刑部という人間】の役に立つ事だ。それ以上でも以下でもないし、それ以外でも駄目なのだ。
吼える。勇み一歩踏み出す。それでも尚、蓮華は冷めた目で源を見ていた。
「――実に、実に愚かだよ、貴様は」
告げ、蓮華が源に指先を向ける。それはごく自然な動作で、何ら脅威を感じない、実に滑らかな動作だった。訝しむ源、そして蓮華は何事かを口ずさむ。
「音声認識、機械人形停止コード、十二番――実行」
「何を――ッ!?」
最初は何の事だか理解出来なかった。しかし蓮華が言葉を終えた途端、源の素体が微動だにしなくなった。ガチン、と巨大な鎖に縛られたかの如く。頭の天辺から指の先まで、まるで凍ってしまったかのように。口の中さえ、舌先を僅かに動かす事も出来ない。
――コイツ、何をした!?
源は混乱の極みにあった。しかし、内心で幾ら取り乱そうと素体は指一本動かせない。その場で石像の如く固まった源を一瞥し、蓮華は鼻を鳴らした。
「貴様の自意識だけを残し、肉体の行動を制限する機械人形停止コードを使った、一番から順に視覚、聴覚、触覚など、或いは四肢の一部を指定して動かす事が出来なくする事も可能だ、感謝しろ、その気になれば機能停止処理さえ口ひとつで済ませられるのだからな」
「―――」
初耳だった。その様なコードが存在するなど源は聞いた事もない。それが人間にのみ知らされている事なのか、或いは蓮華のみが扱えるものなのかさえ不明である。
蓮華は悠然とした足取りで源の隣を抜ける。源はそれをただ見送る事しか出来ない。視線を動かす事さえ叶わないのだ。蓮華は擦れ違いざまに源の耳元に口を寄せ、酷く冷たい口調で吐き捨てた。
「暫くそうやって頭を冷やすが良い、貴様は少々――周りが見えなくなるきらいがある」
「―――」
蓮華の髪が視界の端に踊り、背後に足音が響く。段々遠くなっていくそれ、源は去り行く蓮華の背を見る事さえ許されず、ただその場に佇む事しか出来なかった。
■
刑部の眠る病室へと踏み込んだ蓮華は床に散らばり伸びたコードを跨ぎ、足音を立てず刑部の横へと立った。様々な機器に取り囲まれ、機器に繋がれた刑部。青白い顔、やや紫色の掛かった唇、傍から見ると死ぬ一歩手前の重病患者という具合。そして強ち、それも間違いではない。蓮華は数秒程、その寝顔を見つめ続けた。
「刑部……」
呟き、その顔に手を伸ばす。涙の痕が残る目元を指先で拭い、頬に手を当てた。
――冷たい、まるで死人の様だった。
「呑気なものだ、全く」
思わず笑みが漏れる。刑部の目にかかった前髪を払い、蓮華はそっと顔を寄せた。首元に鼻先を埋めると、懐かしい刑部の匂いがした。
「夢を見ているのか? それとも……向こうに戻っているのか?」
返答はない。当然だ、彼は眠りの中にあるのだから。暫くそうやって、蓮華は刑部の隣に寄り添う。彼が意識を失くし、自分がこうして触れられる機会は稀だった。Dブロックでは専ら訓練ばかりだったから。夜に忍び込もうにも毎夜毎夜夜這いを敢行する馬鹿が数名存在した為に、こうやって触れる事が出来たのは数える程だ。
蓮華にとってこうして彼の肌に触れられる機会は、貴重だった。
「吾は全部覚えているぞ、刑部」
呟き、脳裏に過る光景を思い返す。眠る刑部、蒼褪めた表情――そして。
「気の遠くなる程の数、全て全て、憶えているとも」
刑部の頬に唇を寄せる。ちゅ、と触れるだけの接吻を。唇には彼の冷たさが残った。不快ではない、彼ならば冷たくとも暖かくとも、どちらでも良い。惜しむように彼の鼻先と唇、頬を撫で、それから蓮華は己の懐に手を差し込んだ。
「今度もきっと、忘れない――だから刑部」
取り出したのは細長いシリンダー。彼女はそれを刑部の首元にそっと当てながら、告げた。
「もう少しだけ、頑張ろう」
■
「刑部ッ!」
源は叫びながら刑部の病室に駆け込んだ。彼が眠っているかどうかもお構いなしだった。乱暴に開け放った扉、そして病室には上体を起こし、茫然と天井を見る刑部のみが見えた。源は周囲を見渡し蓮華を探すが、何処にも見当たらない。既に病室を去った後だったか。源は大股で刑部の傍に寄ると、ベッドの下まで覗き込み盛大な舌打ちを零した。
「あのクソ女ッ……刑部、大丈夫か? すまねぇ、あんな大見栄張って結局――」
悔しそうに顔を歪めながら刑部に目を向ける源。しかし当の刑部は何の反応も返さず、ただずっと天井を見上げるばかり。顔色は相変わらず悪い、ぼうっと天井を見上げる彼は心ここにあらずといった具合。源は訝し気に眉を寄せ、刑部の肩に手を置いた。
「……刑部?」
思ったより不安げな声が出た。刑部は源の声に一度小さく肩を揺らし、それからゆっくりと彼女の方に目を向けた。やや、濁った瞳。しかし目線は確りしている。つい先ほどまで視界を失っていたというのに、大分意識を回復したのだろうか。
「――あぁ、源さん」
「……大丈夫かよ、刑部、お前――!」
その顔色が先程とうって変わって、血色が良くなっている事に気付く。そっとその頬に触れると――暖かい。先程までの状態が嘘の様に回復している。コツン、と足元に何かが当たった。源が足元を見てやると、空になったシリンダーが転がっていた。
拾い上げ、光に翳す。先端の端にラベルが張ってあった。OR-081、見た事のない番号だった。刑部に支給されている薬品は大抵、TRの字で始まる。
「これは――」
どこか困惑した表情でラベルをなぞる源を見て、刑部は微笑んだ。
「ごめん源さん、お見舞いに来てくれたのかな? けれどほら、俺は大丈夫だよ、今回は何故か軽く済んだんだ、気分も悪く無いし」
「? 何を言って……さっきも、アタシは――」
言い掛け、口を噤む。刑部の表情から彼が嘘や揶揄いでそんな事を口にしていないと直ぐに分かったからだ。記憶の混濁、という言葉が頭を過った。見れば刑部の首筋にはぽつんと四か所、針の様な何かが刺さった跡があった。源はシリンダーを回し先端を覗き込む。穴は四つ――十中八九、このシリンダーの中身を打ち込まれた。回復も、記憶の混濁も、その薬品によるものだろうか。源は刑部の顔を覗き込み、悲痛な表情で問うた。
「刑部、お前――一体何を打たれたんだ」
「……?」
刑部はその問いかけに対し、疑問符を浮かべていた。まるで自覚していない。そもそも、彼には蓮華にあったという意識すら存在しない様に見えた。自身が硬直していたあの五分足らずの時間で、眠った刑部に薬品を打ち込み去ったのか。であれば彼が自覚していない事も納得がいく。源はシリンダーを握り締め、舌打ちを零した。
「――蓮華、あのクソ女……ッ!」
シリンダーを握り締めたまま、踵を返す。しかし扉の前で一度立ち止まると刑部の方を振り返り、比較的穏やかな口調で告げた。
「悪い刑部、ちょっと用事が出来た……また、様子見に来るからよ」
「えっと、はい、分かりました、お見舞いありがとうございます」
「あぁ」
頷き源は部屋を後にする。握りしめたシリンダーを一瞥し、彼女は廊下を駆け出した。
■
「ふぅ……」
セブンと別れたナインと天音は休憩所にて飲料を片手に黄昏ていた。セブンは刑部との面会許可を得る為別行動をとっており、この場には居ない。
意気消沈したまま休憩所で佇む二人、空気は重い、まるで鉛のに手足に絡みつく淀みが周囲を覆っている。刑部の事が心配で堪らなかった。あの、刑部が死にかけている光景が脳裏に焼き付いて離れない。特にナインの方は、致命的だ。何せ彼が兵装を使用するその瞬間を目撃していたのから。恐ろしい破壊力の兵器であった、そしてそれに相応しいだけの反動があった。崩れ落ち、血を流す刑部。
ナインは機械人形にも関わらず、蒼褪めた表情で天音を見た。
「……天音さん、大丈夫ですか?」
「え、ぁ、うん……あはは、大丈夫だよナイン、うん、私は大丈夫」
「余り大丈夫には見えませんが」
見るからに空元気であった。無理して笑って見せようとするも失敗し、歪な笑顔となる。天音は引き攣った頬を自身の指先で撫で、歪である事を自覚し、項垂れた。
「あはは、はは……はぁ、駄目だね、私」
声は暗く、沈んでいた。肩を落とした彼女はそのままテーブルに顔を埋め、ぼそぼそと呟く。
「あれだけ守るだの何だの大口叩いておいて結局このザマ、本当、何やっているんだろう」
「天音さん……」
ナインも同じ気持ちだった。機械人形は人間を守る為に存在する。その機械人形が逆に守られるなど――あってはならない。ある意味使命感という枷がある以上、その心的ダメージは天音以上だった。何てザマだ、その言葉は己にこそ相応しい。ナインは目を伏せ、ぐっとテーブルの下で拳を握り締める。
「?――貴様等は」
ふと、休憩所に第三者の声が聞こえた。二人が声の方へと顔を向けると、見慣れぬ人物が視界に映る。黒く艶やかな髪に妙な衣服を纏った女性だ。和服、と呼ぶには聊か機能的で、軍服と呼ぶには雅が過ぎる。そんな衣服を纏った比較的小柄な女性。一昔前の、日本人形の様な雰囲気を纏っていた彼女は二人をそれぞれ一瞥し、それから合点がいったとばかりに小さく頷いた。
「あぁ、刑部の小隊の連中か……成程、此度はこうなったか」
「えっと、刑部さんのお知り合いですか?」
刑部、という名前に反応した天音がおずおずと問いかける。すると彼女は腕を組み、それから肯定して見せた。
「知り合い……知り合いか、そう呼ぶには聊か深すぎる関係だな」
「それって、つまり、そういう」
「余り下衆の勘繰りをしてくれるな」
「ご、ごめんなさい」
妙な威圧感を覚え、天音は素直に頭を下げる。しかし、表情は能面の様に動かない、益々人形染みた女性だった。まさか機械人形なのだろうか? そう考え、天音は問いを重ねた。
「えっと、人間の方……ですよね?」
「貴様にはどう見える」
想定していない返しに天音は言葉に詰まる。機械人形……にしては聊か態度が尊大過ぎないだろうか。いや、しかしセブンの様な例もある、それに源という機械人形もそうであった。であれば如何に態度が尊大であろうと機械人形ではないと言い切る要素にはならない。
ならば人間か? それにしては顔面の筋肉が動いていない。こうして此方を見つめる彼女の表情は冷たく、無機質的だ。
二の次を告げない天音の口に代わりナインの瞳が絞られ、キュイと瞳孔に似たレンズが蠢いた。
「……貴方には
「ふん、そうか、
ナインの答えに女性は鼻を鳴らした。心なし不機嫌そうに見える。ナインは僅かに目を細め、それから淡々と問いを投げかけた。
「刑部さんのお見舞いですか」
「そうだ、発破を掛けてやった」
「……追い返されはしなかったのですか、病室の前には――」
「源の奴か? 押し通ったまでの事よ、然して障害にもならん」
思わず驚いた表情で顔を見合わせる天音とナイン。まさか押し通る人物が居るとは――あの、何が何でも通さないという気概を見せた源を、どうやって押し切ったのだろうか。ふと、其処まで考えてひとつの可能性が頭を過った。
「若しかして、刑部さんの教官を務めた方でしょうか?」
「……何故そう思う」
「この場所に居て、尚且つ刑部さんを知る方、前職の折知り合ったという可能性もありますが、貴方は刑部さんを見舞ったという――つまり『機密』を知る方でしょう、となれば『Dブロック出身』の方以外、考えられません、或いは委員会に携わる上層の方か」
しかし、貴方には上級IDが設定されていない。その言葉に女性の瞳が引き絞られた。しかし、それは攻撃的な瞳というより単純に驚いた為という風に見えた。
「そうか、貴様らは知らされずに彼奴と組んだのだったな」
「あ、あのっ!」
女性の言葉を遮るようにして天音が一歩踏み出し、彼女に深く頭を下げた。
「もし、Dブロックの方なら……駄目だとは分かっているんです、でも、どうしても私、知りたくて、刑部君は一体、どうなっているんですか? お願いします、知っているなら教えて下さい!」
「………」
女性は勢い良く頭を下げた天音を一瞥し、考え込む素振りを見せた。そして天音の背後に佇むナインを一瞥し、口を開く。
「おい、
「ナインです」
「……ナインとやら、貴様も同じか」
ナインは一瞬、迷う素振りを見せた。しかしそれは本当に一瞬の出来事で、彼女は一拍置き覚悟を決めた様に頷いて見せた。
「勝手ながら、私は藤堂刑部という人間に少なからず情を抱いています、その彼が私達の知らぬ重荷を背負っているというのなら、分け持ちたいと思うのが当然でしょう」
「ふん、機械人形風情が良く言う」
「
「さてな」
目線を逸らし、それから顎を撫でつけ流し目を送る。
「――良いだろう、教えてやる、だが此処では場所が悪い……上に行くぞ、ついて来い」
女性は答えを聞かず、踵を返した。天音とナインは一瞬顔を見合わせ、それから慌てて彼女の後に続く。二人の表情には確かな覚悟が垣間見え、その足取りは決して重く無かった。