感染体――デイ・アフターによって変質した、元人間。
刑部はスコープの先に見える異形の怪物を眺めながら、そんな事を考える。
肥大化した筋線維、飛び出した臓器、零れ落ちそうな眼球、剥き出しの歯茎。此方まで漂ってくる腐臭は死体のそれ。しかし緩慢な動作で周囲を見渡す感染体は生きている様に見える。
死体が、意志を持って動く。矛盾だ、矛盾している。
けれどその矛盾に世界は殺された。刑部はスコープを脇に退かし、サブアームを畳んで背中に収納した。
「いた、丁度一体……こっちには気付いていないから、狙撃で倒せると思います」
声を潜めながら背後を見る。そこには刑部のやや後方に、身を縮こまらせた天音が立っていた。
「狙撃、ですか……」
「そう、背中にあるライフル砲で此処から狙撃、というか砲撃、百メートル切っているし、いけるでしょう?」
「え、えぇ……まぁ、はい」
何とも濁った答えであった。刑部がじっと天音を見つめ続ければ、どこか恥ずかし気に目を伏せた天音は、「じ、実は」と口を開く。
「私、機動戦ばっかりやっていて、静止状態からの砲撃というか、狙撃というか、その……自信が、あまり」
「動いて撃つ事は出来るのに、止まって撃つことが出来ないのですか?」
「は、はい……その、ごめんなさい」
「……まぁ、最悪外してもそのまま突っ込めば良いでしょう、当たれば儲けもの、外して元々、それくらいの気概で挑めば――流石に撃ち方が分からない、って事は無いですよね?」
「そ、それは勿論! はい!」
勢いよく首を縦に振る天音。逆関節型ASに適正を持つ機械人形、或いは人物というのは同時に狙撃適正も持つという話であったが――彼女の場合、やや特殊であるらしい。機動戦を行いながら砲撃は当てられるという、しかし逆に止まって撃つとなると自信がない。
普通、逆ではないだろうか。
天音はいそいそと砲撃準備を始め、刑部は周囲を警戒しながらどこか呆れた様な目で天音を見ていた。
「そ、それじゃあ……いきます」
「えぇ」
天音は背部の砲を展開し、同時に脚部を開いて衝撃に備える。腰部から斜めにアンカーを打ち出すと、アンカーに沿って骨子を組み衝撃吸収ボルトを固定した。鈍い音を立てて突き出した砲の先が感染体を捉える。
「砲角調整、L2Sリンク、砲弾装填、弾頭カテゴリーA」
たどたどしい口調で順次確認を行う。ガコン、と砲に弾頭が装填される音が鳴った。機体がやや前傾に傾き、重心が下がる。砲撃姿勢は整った。突き出した砲が僅かに、上下に揺れた。
「目標、
告げ、砲が火を噴く。
爆音。衝撃が空気を揺らし、凄まじい振動が地面に伝わる。砲火は一瞬、そして轟音を打ち鳴らした此方に気付いた感染体が素早く顔を二人に向けた。その反応の速さたるや正に人外。しかし砲撃の速さに勝るかと言えば否だ。
飛来した砲弾は金切り音と共に着弾し、感染体の躰に突き刺さった。
「や、やったッ!」
砲弾は爆発せず、そのまま感染体の肉体を貫通し背後のビルに着弾した。二階部分を突き抜けて風穴を空ける。立ち上る砂塵、感染体は砲撃を受け地面に勢い良く叩きつけられた。しかしまだ終わっていない。感染体に着弾はした、しかし被弾箇所は中心からやや逸れた左肩部。左腕が宙を持って成体は地面に転がったが頭部と胸部を未だ健在。
「まだ生きています――来ますよッ!」
刑部が叫ぶと同時、砲撃を受け左肩部を失った感染体が地面を蹴りつけ跳ね上がった。四肢の一本、僅かな欠損、感染体にとっては大した負傷ではない。
「わ、わ、わッ!」
跳ね起き、此方に向かって駆け出す感染体。天音は腰部のアンカーを切り離し、素早く跳躍を開始する。臀部のスラスターが火を噴き十メートル以上の跳躍を見せる。逆関節型ASはその機動性を高める為に白兵戦能力が低い。少なくとも、感染体と取っ組み合いになればその重量差に押しつぶされてしまうだろう。
故に上に逃れる、正しい選択だ。
しかし上空に逃れた天音とは反対に、刑部は四脚を広げ待ちの構えを見せた。
地面を踏み砕き迫る感染体。その姿は正に筋肉達磨。四メートル近い筋肉の塊など恐ろしいを通り越して悍ましい。その衝突は戦車の突撃に匹敵する。
「刑部さん!」
「大丈夫!」
四脚のぶ厚い装甲板の中からパイルが地面に打ち出される。ガチン、とアスファルトと噛み合う脚部。機体を固定する為のそれは本来銃器を使用する際に用いるもの。しかし。
「四脚にはこういう使い方もある……ッ!」
刑部は残った右肩を突き出して突っ込んでくる感染体に向け、甲鉄の両腕を突き出した。
「来いッ!」
瞬間、被撃。
視界が揺れ機体と肉体に凄まじい衝撃が走る。戦車の突貫というのも強ち間違いではない。かなりの重量を誇る四脚ASが氷の上に居るが如く地面を滑って行く。地面に打ち込んだパイルが金切り声を上げ火花を散らした。
だが、耐え切る。履帯型に次ぐ重量機の名は伊達ではない。
突き出した腕に額を押し付け、歯を食いしばって堪える。そして――停止。凄まじい衝撃に腕を痺れさせながら、刑部は敵の突貫を凌いだ。
止まってしまえば後は。
「こっちの、番だッ!」
地面に埋まったパイルを抜き出し、刑部の体が浮き上がる。肩を突き出したまま動かぬ感染体の前に、四脚の前脚二本が広がった。
後ろ二本で機体を支え、もう二本を攻勢に回す。四脚は元々重火器の運用に設計されたAS、しかし白兵戦が出来ぬ訳ではない。その重量と【足数】を上手く使えば白兵戦特化のASにも負けぬ。
「叩き潰してやる……!」
両腕で感染体の肩を掴んだ刑部は感染体の胸部、心臓目掛けて脚を振るった。しかし僅かに目測が外れ、振るった脚部は感染体の頭部を吹き飛ばす結果となる。
着撃の瞬間に機体固定用のパイルを打ち出し、即席の武器とする。あれ程の酷使にも耐えうる頑強なパイルは感染体の強固な筋線維すら撃ち抜き、爆散した感染体の頭部は脳髄を撒き散らしながら後方へと弾けた。
狙ったのは心臓だが結果は同じ。
頭部を失った感染体は数歩蹈鞴を踏んで後退し、そのままどう、と地面に倒れた。
「ぎ、刑部さん!」
跳躍し、上空に逃れていた天音が戻って来る。衝撃吸収機構を活かし難なく着地した天音は刑部の前に立つと、どこか慌てた様に刑部の体を見た。
「す、すみません、私ばっかり逃げて、け、怪我とかしていませんか!?」
「大丈夫ですよ」
僅かに付着した感染体の血を拭い、刑部は告げる。手に付着した血を払い、刑部は倒れ伏した感染体を見た。頭部を失った彼奴は既にぴくりともしない。
「それよりすみません、
「い、いえいえ! 流石にあの状況で
「いえ、別に銃火器でなくとも、背後から頸を刎ねれば良いでしょう」
「……その、私、白兵戦も苦手、でして」
「………」
暫し、言葉を失う刑部。
この女性は果たして、何故ASに乗ろうと思ったのか。思わず疑問に思ってしまう刑部であった。
「で、でも凄いですね! 話には聞いていましたけれど、四脚ってそんな使い方も出来るんですね!」
一転して、目を輝かせながらそんな事を告げる天音。感染体と真正面から殴り合って勝つ、そんな設計思想のASは存在しない。『まず避ける』、それが全てのASに共通して言える事であるが故に。
「えぇ、まぁ……自分は習った人が人でしたから、少々『普通の四脚』とは違うかもしれませんけれど、慣れれば結構便利なんですよ」
四脚を器用に操りながら、刑部は苦笑を零す。
殴って良し、撃って良し、守りも固く安定性も高い。何なら壁を無理矢理上る事も可能で――ただし死ぬほど遅い――欠点は俊敏性に欠ける事。その特性上、適正を持つ人間が極端に少ない。専ら、搭乗するのは
「次は、天音さんが前衛をやりますか、元々四脚は重火器による支援が主ですし」
「は、はい! 頑張ります!」
ふん、と鼻息荒く拳を握る天音。しかし、その頑張りが空回りしないことを祈るばかりである。火力と俊敏性に富む逆関節型ASと組めるのは僥倖――と最初の己は思考したが。
今は少しばかりその意見を撤回したくなった刑部であった。
■
この世界の現状を告げるならば、一言で足りた。
――絶滅寸前。
人類という種が栄えていたのは、もう随分昔の事の様に思う。事実は小説より奇なりとは言うが、どこぞのB級パニック映画をなぞる様な未来が待っていると誰が予想しただろうか? 或いは、この未来が遠い宇宙の果てにあるどこかの星の創作物で、『原作』と呼ばれる未来予知によってレールを敷かれた星であるのならば、超常能力だろうがESPだろうが構わないから携えて救って欲しいというのが本当の所だ。神に祈る者は終ぞ見なくなった、そんなものに縋って救われたものが居ないからだ。
心は救えても命は救えない。人の器の、何と脆い事。
『デイ・アフター』によって旧日本、現第八地区は陥落した。
現在は旧千葉いすみより北太平洋側に建設されたメガフロート、ウォーターフロントに人々は移り住んでいる。巨大な浮体ブロックを繋ぎ合わせた、巨大浮遊構造物。収容可能な人員は決して多くない、とても日本全国民を収容できる広さはなかった。しかし世界を含め第八地区はその人口を大きく減らしていた為、大した問題にはならなかった。
世界総人口九十億――そして現在、確認されている世界の総人口は十億を割る。
そして第八地区と呼ばれる旧日本の人口は、凡そ九百万人。
嘗て存在した旧東京都の総人口程度の人間しか生き残っていない。日本国内の土地のみでは賄いきれず、人類生存圏拡大の策として建設したウォーターフロントが今や唯一の安住の地とは、何とも皮肉な話だ。彼等、彼女等はメガフロート内部にて、その僅かな数の命を懸命に繋いでいた。
そして何より、人類滅亡の最も分かり易い要因として、男性体の深刻な不足がある。
デイ・アフターの出現より十年間、戦争は未だ続いている。五体満足で戦える男性は、戦争初期に大勢死んだ。赤紙の復活――戦場では兵士が死に、その度に兵士として求められる年齢は引き上げられ、同時に引き下げられ、老いも若いも大勢死んだ。このメガフロートに人類が押し込まれるまで、国民は本土にて感染体と戦い続けたのだ。しかし押し留めようがなかった、元より勝ち目など無いに等しかった。
【敵は死体だった】、死んだ者から敵になった。此方が屍を晒せば向こうが増える、十にも、百にも、千にも。戦車の装甲を素手で引き千切る様な連中だった、そんなものを相手に小銃を抱えて何が出来るという話だ。高度に軍事的な訓練とやらを受けた精鋭は、一番に死んでいたというのに。訓練をする為だけの時間も、余裕も、人類には無かった。
そして敗北した――故に、この地は