鉄屑人形 スクラップドール   作:トクサン

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第20話

 道中、彼女の名を聞いた。女性の名は蓮華と云うらしい。

 彼女が向かったのは基地の屋上であった。錆びたフェンスが周囲を囲み、海を高所から一望出来る唯一の場所。普段は余り使われない、清掃も行き届いているとは言えず外周の溝や壁は薄汚れている。蓮華は屋上の中心に立ち、天音とナインは静かにその後に続いていた。強い風が頬を撫で、髪を弄ぶ。靡くそれを手で払い、蓮華は口を開いた。

 

「さて、此処ならば邪魔も入らないだろう……それで、何が知りたい?」

「私達の知らない全てを」

 

 空かさず告げたナインの言葉に、蓮華は薄っすらとした笑みを浮かべた。

 

「随分な傲慢だ、それとも機械人形なりの冗談か? 教えてやるとは言ったがそこまで譲歩してやるつもりはないぞ」

「……では、刑部さんの扱っていた、あの兵装について」

「ふん、VDSか」

 

 聞きなれない兵装だ、天音は眉を顰めながら「VDS……?」と言葉を舌の上で転がした。

 

「ヴァンガード・ディフェンシブ・システム、生身の人間が搭乗するASにのみ備え付けられたアンダー・コードだ、1990年に開発されて以降、旧履帯型、現在は四脚ASに搭載されている、コンセプトは『絶対的な先行防衛』――四脚が特別と云われる所以は是だ」

 

 初めて聞く話であった。ASにその様なシステムが搭載されているなど。ナインは【人間が搭乗する】という部分に顔を顰めた。

 

「……あの、感染体を一斉に押し潰した兵装が、それですか」

「押し潰した、か――貴様はあの兵装をどう見る? ナイン」

 

 問われたナインは押し黙り、やや間を空けて答えた。

 

「刑部さんのASは兵装展開時、グラビティストライクと呼称していました、つまり重力――局所的な、重力の……増幅? 或いは操作、でしょうか?」

 

 口にしながら、しかし己でも信じられないのだろう。その口ぶりは弱弱しく、どこか懐疑的であった。しかしその回答を予想していたのか、蓮華は笑う事も馬鹿にする事もなく、真正面から頷いて見せる。

 

「重力操作か――そうだな、傍から見ればそうなるか、事実是は『超広範囲殲滅重力制御兵装』と呼ばれている、正式名称はGS射出力場生成装置だ」

「GS射出力場、生成装置? VDS、とは違うの?」

「GSはVDSを発動して初めて扱える兵装となる、二つで一つ、と言うべきか」

 

 蓮華はそこで一度言葉を切り――それからナインと天音を見た。

 

「だが、別段貴様達が知りたいのはこのGS力場生成装置やVDSの事ではあるまい? これを使った刑部がどうなるか……知りたいのは、そこだろう」

「っ――!」

 

 その通りだ、ナインと天音は内心で同意し目付きを鋭くした。蓮華はそんな二人の表情を感情の読めない瞳で見つめながら淡々と口を開く。

 

「核が放射能汚染を撒き散らす様に、強大な兵器には副作用が付き物だ、真にクリーンな兵器など存在しない、たとえ環境を汚染せずとも使用者は汚染される、この世はそんなものばかりだ」

「……あれを使用すると、刑部さんはどうなるのですか?」

 

 ナインの言葉は重々しく屋上に響いた。蓮華は答えず、静かに目線を虚空に逸らす。それからフェンスの方へと歩き出し、錆びた網目に指先を引っ掛けながら告げた。

 

「まず前提として、ASにはBT接続が必要だ、改造手術を受けた吾々はASを脳で操作する、まるで手足の延長線上の様に、脊椎接続を通してな、しかし長時間のAS操縦は『脳過負荷』を起こす……訓練で一度は体験しただろう? 凡そ二時間から三時間、連続したASの稼働による疲労現象だ」

「えっと、そういえば訓練でやった覚えが……」

 

 天音は頷き、額に手を当てて過去の経験を振り返る。ASを動かせるようになって、比較的初期に習うものの中に『ASの稼働限界を知る』というものがあった。ASに繋がれたまま機体の動作に慣れつつ、延々と訓練場を走り続けるのだ。ただ走るだけならば大した疲労はない、何なら訓練用のASにはローラーが標準で装備されている為、中途半端に休んだ姿勢でぼうっとしているだけでも良い。けれど二時間が経過する頃には、鈍い頭痛と手足の指先が痺れ始める。それが脳過負荷と呼ばれる現象であった。

 

「これは脳内に埋め込まれたニューロナノマシンの酷使によって起こる物だ、ASの最大稼働時間は長くて四時間、稼働時間が長くなるにつれ頭痛、眩暈、吐き気、四肢の痺れなどが起こる、五時間も乗れば廃人寸前というところか」

「――まさか」

 

 いち早く、何かに気付いたようにナインは顔を蒼褪めさせる。蓮華はふっと口元を緩め、蒼褪めたナインを見据えて続けた。

 

「VDSとは本来、人間の限界値を底上げする、つまり五感をより鋭くし、危機感や本能といった部分をBT装置によって無理矢理引き上げるものだった、絶対的な先行防衛とはつまり、五感の拡充と第六感……勘だとか、予感だとか、そういう類のものをより先鋭化させるものだ、そしてGS射出力場生成装置の前提条件たる理由が、そこにある……仮にGSを局所的な重力を発生させる兵装と仮定して、周辺の敵を一斉に押し潰す芸当を熟すには、まず超能力染みた索敵能力、そして超人的な空間認識能力が必要となるだろう、あとは重力を発生させる範囲、高度、力、継続時間、etc、etc――それらの算出と処理、それを一瞬で、平行して行わなければならない」

 

 分かるか? 蓮華の言葉が冷たく、天音とナインの鼓膜を震わせた。

 

「VDSの起動がGS使用に必要な理由はそれだ、五感と第六感の拡充、無論それだけでも脳への負荷は相当なものになる、VDSを使用するだけでASの稼働限界は一時間を切るだろう、確か1900年代の開発記録では脳過負荷への懸念から三十分での稼働停止が義務付けられていたか? それに加えGSの処理も行うとなれば――」

 

 蓮華の掌が長い髪を掻き上げ、「ぼん」と五本の指を広げて見せた。頭部が弾ける、そんなジェスチャーだった。思わず二人は言葉を失った。脳裏に過るのは、そのジェスチャー通りの末路を辿る刑部の姿。天音は震える手で口元を抑え、ナインは目を見開きながら否定の言葉を口にした。

 

「そ、んな、馬鹿な事が」

「事実だよ、貴様等は見ていたのだろう? GSを撃ち切った後の刑部の醜態を」

「ッ!」

 

 天音とナインの肩が跳ね、今にも死にそうな刑部の姿が思い出された。そうだ、あの強大な兵器を撃ち終わった後、彼はどうなった?

 

「ニューロナノマシンが焼き切れ、脳過負荷から記憶の混濁、発熱、鼻や目からの出血が起こる、無論、『死なない様に処置はされる』が副作用ばかりはどうにもならん」

「どう……どうなると云うのです!?」

 

 ナインが噛みつく様に叫んだ。蓮華は肩を竦め、色を失った顔で空を仰ぎ、淡々と告げた。

 

「軽度で記憶障害、人格の変貌、廃人化、最悪――脳が焼き切れて、死ぬ」

「―――」 

 

 今度こそ、絶句した。

 あの、兵器を使用する代償が余りに大きすぎたからだ。軽度で記憶障害――軽度で? それに、廃人化ですらまだ温いという。最悪は落命、つまり死ぬ。天音は暫くの間茫然とし、目線を落して地面に見つめ続けた。死ぬ――誰が? 藤堂刑部が。

 

「刑部はこれまでに二度、GSを撃っている、これで三度目だ……さて、あいつは貴様達の事を憶えているかな」

「ッ、ぁ……」

 

 軽々しい口調で告げられた言葉に思わず、といった風に天音が一歩後退る。そのまま崩れ落ちそうになる体を辛うじて支えたのは、『どうにかしなければならない』という使命感だった。或いは情念と言い換えても良い。天音はふらつく体を叱咤し、縋る様な心境で蓮華に問うた。

 

「どうにか、出来ないんですか……?」

「どうにかとは、何だ」

「刑部君の事ですよッ! 救って、あげられないんですかッ!?」

「救い――救いか」

 

 天音の叫びに蓮華は軽薄な笑みを浮かべた。能面の様な――と表現していた彼女がはっきりと浮かべる、実に薄ら寒い笑みであった。唇が艶めかしく光を反射し、言葉を紡ぐ。

 

「それなら簡単だ、今すぐにでもお前が救ってやれる方法があるぞ」

「それは……!」

「殺してやれ」

 

 蓮華は愕然とする天音に言い放った。言葉は屋上に寒々しく響いた。天音に体を向けた蓮華は冗談でも何でもなく、真正面から瞳を見て言い切った。

 

「刑部を殺してやれ、そうすれば自身の記憶を失う恐怖も、人格を捻じ曲げられる恐ろしさも、全て全て忘れさせてやれる――そうだろう?」

 

 然も正しい事を語っている様に言う蓮華に対し、天音は首を振りながら後退る。殺す、などと。それは天音にとって予想の斜め上過ぎる答えであった。そんな事、出来る筈もない。そんなのは救いなどではない、少なくとも天音にとっては。

 

「こ、殺す、なんて……わ、私は……」

「貴様等も知っているのではないか? 誰よりも死を望んでいるのは……アイツだぞ」

「ッ――ぁ」

 

 そうだ、天音は理解した。この目の前の女性、蓮華は先ほど何と言った? 刑部は既に二度、GSを撃ったと言ったのだ。であれば――何故まで人格が捻じ曲がっていないと言える?

 彼のあの、病的なまでの破滅願望は――。

 言葉を失う天音を庇う様にして、ナインが一歩前に出た。

 

「何か手は……ないのですか」

 

 真っ直ぐ、蓮華の瞳を見て問いかける。そこには真摯な色のみがあった、暫し二人は視線を交わす。蓮華はナインの瞳を見つめ返し、僅かも視線を逸らす事なく告げた。

 

「殺す以外に救済する方法が仮にあったとして、如何する」

「使います、躊躇いなく」

「それで人類が死に絶える結果になってもか」

「………」

 

 その返答に黙り込むナイン、刑部と人類、それを秤にかけてどちらを取るか。即答するには余りに重い命題――少なくとも、マトモな機械人形にとっては。ナインを見つめる蓮華は小さく息を吐き出し、言った。

 

「履き違えるなよ機械人形、貴様の役割はなんだ? 『藤堂刑部』を救う事か、それとも人類を救う事か」

「それは」

 

 言葉に詰まる。藤堂刑部と残った人類――VDSは確かに驚異的だ、GSと呼称される兵装はFOB丸々一つを包囲していた敵を残らず吹き飛ばした。しかも建物に損害を出さず、FF(フレンドリーファイア)すらなく、明確に敵だけを。この兵器の有用性はナインの想像する以上だろう。だからこそ秘匿され、管理され、守られてきたのだ。

 もし、藤堂刑部という個人を救う事で、人類に致命的な損害が生まれるのであれば――それは人間への手酷い裏切りではないのか。そんな思いがナインの胸中に燻った。

 しかし、ややあって蓮華は大袈裟に肩を竦めて見せ、先ほどまであった身を押しつぶす程の威圧感が消え去った。残ったのは彼女の、粘つく様な『倦怠感』のみ。唐突な変わり身にナインの表情に困惑が滲み、訝し気に蓮華を見た。

 

「――それ程までに刑部が大切ならば好きにしろ、連れ出すなり何なり、刑部一人がどうなるものではない、『彼奴ならば兎も角』、貴様等ならば問題ない」

「えっ」

 

 蓮華はナインと天音を――特に天音の方を注視し、言った。思わず、と言った風にナインと天音が声を上げる。蓮華はそのままフェンスに寄りかかると二の腕を指先で叩きながら続ける。

 

「GSは確かに強力だ、その気になれば街一つに巣食う感染体を掃滅する事が出来る、だが一発撃つごとに接続者の心身が壊れる、果たして何度耐えられると思う? 三発か、四発か、五発か――たとえ十発撃てたとしても、人類を救うには到底足りんよ」

 

 VDSを利用したGS、その威力と範囲は確かに規格外。しかし、たとえ刑部が十発のGSを放てると仮定しても、それで人類を救えるかと言われればNOだ。

 日本の面積は凡そ377,900㎢、東京の面積が2,188㎢、そして藤堂刑部の扱うVDSの最大射程が東京都全域を覆い尽くせない時点で内地奪還は夢物語と言える。そもそも内地の感染体を一斉に殲滅出来たとして――それを守る戦力すら、現在の人類には残されていないのだ。となれば藤堂刑部の命の使い所は単純にして明快。敵が来襲した場合に備えての防衛装置。単なる人類の延命の為に費やされる『肉壁の代替』であると言える。

 であればこそ、彼が死に絶えるとしても遅いか早いかの違いでしかない。

 

「それに……既に結末は決まっているのだ、今、分かった」

 

 呟き、唇を指で擦る。その言葉だけは二人に届く事は無かった。ただ単に、心の声が漏れただけだ。蓮華は儚げな表情を浮かべ、フェンス越しに見える海原を睨んだ。

 

「機械人形と人間――今年で二十四年目、もう終わりが近づいている、マザーは動き始めただろう、あのFOB侵攻が良い証拠だ」

「一体、何を――」

「何をしても無駄だという事だ、別段、吾は関与せぬよ、貴様らがどうしようとな」

 

 吐き捨てるように言って踵を返す蓮華。そのままセブンと天音の間を抜け、屋上の入口に足を進める。そしてドアノブに手を掛け、それから振り向く事無く言った。

 

「……脳内のニューロナノマシンはGSを射出する度に損傷する、根付いたそれらは脳に深刻なダメージを与えるだろう、刑部は抑制剤を服用して進行を抑えているが……錠剤も残り少ない、生産地であるアメリカとインドが抑えられたからな、もう在る分しか使えぬのだ、VDS搭載機と接続する者は常にこの抑制剤を服用している、ニューロナノマシンの損壊は一度GSを撃った時点で始まる、それはもう止められない、本当の意味で刑部を救いたいというのなら――残念ながら手は存在しない」

「そ、んな……」

 

 天音の口から力ない言葉が漏れる。下手をすればそのまま座り込んでしまいそうな絶望感、蓮華はそんな彼女の姿を一瞥し、それ以上言葉を重ねる事無く屋上を去った。後ろ手に扉を閉め、数秒目を瞑る。階段の一段目に音もなく足を乗せ、蓮華は一度屋上を振り返り、呟いた。

 

「あくまで、この世界には――だがな」

 

 

 ■

 

 

「何故許可が下りないのですか!」

 

 セブンの叫びが部屋の中に鳴り響いた。基地内部、ウォーターフロント交信室と呼ばれるそこにはホログラムモニタが壁に沿って並んでおり、セブンはその中の一つ、端末に向かって声を荒げていた。ホログラムモニタには【sound only】の文字、通信相手は上層部と呼ばれるセブンの上官のひとり。主にAS部隊の編制、配属、指揮を担当する人物である。セブンの保有するIDで即座に通信が繋がる人物というのが彼女であった。

 セブンは彼女に向かって開口一番に藤堂刑部の面会許可を求めたが、彼女の口から色よい返事が出ることはない。

 

『必要ないからだ、それ以上でも以下でもない』

「しかし、彼は私の部下で――」

『上官だからと言って様子を見る必要はない、彼は順調に回復している、委員会からの許可が下りないのだからそれが答えだ、諦め給え』

「そんなっ、ならば何故、彼の周囲にはD教導の機械人形が――」

『――これ以上は時間の無駄だな、悪いが私も暇ではない、ではな、通信終了』

「なっ、待……ッ!」

 

 セブンがD教導の機械人形に言及した途端、上層の彼女は無情にも通信を一方的に切った。ホログラムモニタが掻き消え、『通信終了』の文字のみが躍る。

 

「くそッ!」

 

 セブンは自分の他に誰も居ない事を良い事に、直ぐ横の壁に拳を叩きつけた。

 

「……何故だ、何故拒まれる? たかが見舞い、顔を見る程度の事すら許されないだと……? あり得ない、回復している事は源とやらの言葉からも、そして上層の報告からも分かる、会話も出来ぬ程弱っている訳ではない筈なのだ……!」

 

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、妙だとセブンは思った。

 まるで小隊の面々を刑部に近付けたくないとばかりに。確かに、あの兵器の存在は知らされていなかった。その点を考えると自分達には守秘義務が課せられてもおかしくない。しかし、上からは何の音沙汰もなかった。知られても良い兵器だったのか? ならば何故、最初から通達しなかったのだ。辻褄が合わない、違和がある。それに、上層のあの態度。

 

「委員会はまだ何か、私達に隠しているのか……?」

 

 いや、隠してはいるだろう。何せ自分達はまだ何も知らない。この場合、違和を感じる対象というのが、『委員会そのもの』なのだ。

 委員会の対応に納得がいかない。まるで突然、委員会そのものが空虚な存在になってしまった様な――。

 

「……空虚?」

 

 ふと、自分で口にしながらその思考に引っ掛かりを覚えた。

 それが何故なのかは分からない。自身の胸の中にすとんと、まるでを正鵠を射た様な心地で落ちてきたのだ。

 四十人委員会――このウォーターフロントを取り仕切る最高機関の名称である。その面々は全員が人間であるとされ、四十人は皆が等しく同じ権力を持つ。このウォーターフロント建設を提案した一人を中心として組織された現在の人類、及び日本に於ける碩学達だ。それは軍隊に似た組織を得た後も変わらない、彼等は自分達の上官で、上司だ。セブン達が『上層』と呼ぶ組織の上位者達の、更に上に立つ存在。

 

 ――だが、誰もその存在を見た事はないという。

 

「…………」

 

 上層部は言った、「委員会からの許可が下りない」と。つまり、上層部自体は別段セブンをどうこうとは考えていないのだ、恐らく会う程度は良いと考えている。あの兵装に関して設問されない時点でそれは確かだ。全ては委員会に、より上の指示によって差し止められている。

 何故? 会わせられない理由がある? あるのだろう、だが、ならば何故上層は何も言わない? 先ほどの上官も、まるで投げやりな態度だった。上から言われたから仕方なく、という態度が透けて見えた。

 

『委員会が知っていて、上層が知らない何かがある』――藤堂刑部を小隊に編入したのは上層部だ。しかし許可を差し止めたのは、委員会。

 

「四十人、委員会」

 

 セブンは呟き、それから片手でホログラムモニタを掻き消した。虚空に消える電子の光、口元に手を当てたセブンは数秒消えたホログラムを睨みつけ、呟いた。

 

「調べてみる……か」

 

 颯爽と踵を返し、通信室を後にしようとするセブン。そして自動ドアを潜り廊下に出た途端、誰かと軽くぶつかった。丁度セブンが部屋を出ようとするタイミングで、入ろうとしていた人物が居たのだ。真正面からぶつかる形となった双方は互いによろけながら咄嗟に謝罪の言葉を口にする。

 

「っと、済まな――!」

「あら、ごめんなさい」

 

 自身と衝突した人物、その顔を見てセブンは驚いた。

 

「草壁依織……」

 

 肩より伸びた茶色の髪。服を押し上げる豊満な胸元。やや垂れ下がった目尻にフレームの細い眼鏡。どこか温厚な雰囲気を纏いながら確かな包容力を漂わせている。もし此処に刑部が居たのなら、教鞭の似合いそうな人だと称していたかもしれない。

 依織と呼ばれた女性はセブンを見つめながら疑問符を浮かべ、それから上から下までセブンを眺めた後、申し訳なさそうに言った。

 

「? ごめんなさい、お知り合いだったかしら……見覚えがないのだけれど」

「……いや、違う、一方的に知っているだけだ」

「あら、私そんなに有名かしら?」

「ウォーターフロントのエースを知らぬ者など居ないだろう」

 

 どこか呆れたセブンは様に言う。すると依織はころころと笑った。

 草壁依織――AS乗りとして未だ一年も稼働していないセブンも知っている、『ヘルダイバー』と呼ばれる人間のAS乗り、その頂点、其処に名を連ねる女傑である。

 このウォーターフロントに於いてエースとは個人を指すものではない。エースとは、ある一定の力量を持ち数多くの戦場を経験してきた者に送られる称号である。ヘルダイバーとは文字通り、地獄に潜る事、地獄の様な戦場に身を投じ生き残ってきた事を称賛するものだ。そして彼女は数少ない人間のAS乗り、その中でも選りすぐりの凄腕という事になる。

 依織は頬に手を当てながら緩く笑い、困ったように目尻を下げていた。

 

「エース、エースねぇ、ふふっ、まぁ悪い気はしないけれど」

「……それで何だ、貴女も上申か何かか」

「えぇ、まぁそんな所よ、友人が負傷してしまって、お見舞いに行こうとしたのだけれど、こわぁい鬼が門番をしていて追い払われてしまったの、だから御上にお伺いを立てて堂々と通れるようにしようと、ね」

「………」

 

 セブンは腕を組んで顔を顰める。どこかで聞いたような話だった。というか、見舞いに行くのに申請が必要で、尚且つそんな怖い門番が居る場所など一つしか思いつかない。やや不機嫌そうに鼻を鳴らしたセブンは目の前の依織に問いかけた。

 

「若しかして、それは藤堂刑部か」

「――あら?」

 

 依織は意外そうな顔を浮かべた。そして再び、セブンの事をじっと見つめ、観察する様に視線を手足に動かす。そしてもう一度顔に視線を固定した後、納得した様に頷いた。

 

「あらあら、そう、そういう事なの」

「……なんの話だ」

 

 要領を得ない言葉に、セブンは不審げに言葉を漏らす。依織はパッと表情を笑みに変えると、顔の前で軽く手を振って見せた。その表情からは何も読み取る事が出来ない。感情を隠す事が得意な女だとセブンは思った。こういう手合いは、苦手だった。

 

「あぁ、いえ、何でもないわ……そうね、私が見舞いに行こうとしていたのは藤堂刑部よ」

「刑部の知り合いか、彼奴は顔が広いな」

「ふふっ、知り合いよりはもう少し深い仲かしら?」

「……深いとは、つまり、そういう事か?」

「あら嫉妬? その剣呑な視線、怖いからやめて欲しいわ」

 

 僅かも怖がる素振りを見せず、笑ったままそんな事を宣う。依織は両腕を組みながら刑部との関係性を穏やかに語って聞かせた。

 

「彼は元々Dブロック出身だけれど、一時期他のブロックに預けられた時期があるの、その時に私が面倒を見てね、刑部君とは教官と生徒の仲……つまり彼は私の教え子、見舞いに来る関係性としては十分でしょう?」

「む、そうか……教え子か」

 

 その言葉にセブンからやや険が取れる。教官と生徒の関係であれば確かに、見舞いに来てもおかしくはない。つまり、そういう仲ではないという事だ。しかし、依織がセブンに見えない角度で妖しい笑みを浮かべていた事に彼女は気付かなかった。

 

「そういう貴女は、若しかして――同じ御用事?」

「そうだ」

 

 依織の言葉にセブンは頷いて見せた。別段隠す事でもないし、堂々と肯定する。依織は指先で頬を擦ると考える素振りを見せ、言った。

 

「そう、なら少し時間をずらした方が良いかしら、被ってしまったら迷惑でしょう?」

「……いや、気遣いは無用だ、私に許可は下りなかった」

 

 セブンは言葉を噛み締めるように呟く。「あら、そうなの?」と依織は驚いたような表情を浮かべた。まさか面会許可が下りないとは、そうなると自分も難しいだろうか。そんな風に考え、その表情を曇らせる。

 そんな彼女を見ていたセブンは途中、はっと何かに気付いたように目を開き、依織に向かって問いかける。

 

「そうだ、ウォーターフロントのエースならば四十人委員会のメンバーと逢った事はないか?」

「四十人委員会?」

 

 唐突な話題転換。その単語を出した途端、依織の視線にやや鋭さが含まれたように感じた。素早く周囲に視線を向け、他に誰もない事を確認する依織。そしてセブンに向き直ると、重い口調で問うた。

 

「……どうして、四十人委員会のメンバーと逢った事があるかどうかなんて聞くのかしら」

「四十人委員会のメンバーは皆、人間だと聞く、しかし実際に会ったという話は聞いた事がない、誰からもな」

「それは、やはりウォーターフロントの管理者であるからでしょう、権力者というのは得てして危険から身を遠ざけるものよ」

「だとしても、だ」

 

 そこまで口にし、不意にセブンは言い淀む。四十人委員会の実態は知れない、しかしそれがウォーターフロント全域を支配し、人類を守護している事は理解している。少なくともセブンのしている事は褒められる事ではない。仲間の前で堂々と上層非難など――そこまで考え、セブンは恥じ入る様に俯いた。

 

「……いや、すまない、不躾だったな、忘れてくれ」

「何よ、気になるじゃない」

 

 依織は口を噤み、目を伏せたセブンに問いかけた。セブンはやや躊躇った後、先ほどよりも力ない口調で答えた。

 

「……私達小隊は刑部の見舞いに行く許可が下りなかった、それは上層ではなく、委員会からの許可が下りなかったのだ、上層ならば理解出来る、だが、何故此処で委員会が絡んでくるのかが分からない、配属命令は上層から出ていたというのに」

「それで、何、委員会をどうにかしてやろうって?」

「まさか、そんな事は考えてもいない、ただな……」

 

 無論、セブンは実際に委員会をどうこうなどと考えていない。ただ、納得がいかないだけだ。その原因を探り、思考している内に妙な感情が胸に湧き上がり、セブンはそれを素直に口から零した。

 

「こう、上手く言語化する事が出来ないのだが、私の感情……いや、妙なざわつきとでもいえば良いのか、全く理論的ではないし理知的でもないと理解しているのだが、私は委員会に疑念を抱いている」

「……疑念、というのは?」

「委員会がやけに『空虚』に感じられたのだ、そう、人の温かみなど存在しない――まるで機械の様な」

「―――」

 

 そこまで口にした途端、依織の目の色が変わった。項垂れたセブンの肩を掴み、強い力で抑え込まれる。驚きの表情と共に顔を上げたセブンは、じっと己を見つめる依織の瞳に気圧された。依織は両腕でセブンの両肩を掴み、淡々とした口調で告げる。

 

「セブン、と言ったわね、貴女」

「えっ、あ、あぁ」

「少し、付き合って下さいな」

 

 告げ、返答は聞かずに依織はセブンの腕を掴み、そのまま部屋を後にした。半ば引き摺られる様な形で依織の後に続くセブンは、焦燥を滲ませながら口を開く。

 

「ど、何処に行く?」

「そうね、取り敢えずは――」

 

 ちらりと、依織は背後のセブンを見た後に、酷く冷たい声で言った。

 

「人のいない場所、かしらね」

 


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