鉄屑人形 スクラップドール   作:トクサン

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第24話

 

 宿舎に向かう途中、不意に天音が足を止め、刑部の名を呼んだ。

 

「刑部君?」

「ん――」

 

 足を止めた彼女に釣られる形で刑部も歩みを止め、振り向く。そこには顔を俯かせ、陰を背負った天音が居た。どうかしたのだろうか、刑部は天音の前まで歩き心配げにその顔を覗き込み問いかけた。

 

「どうかした? もしかして体調、良くなかったりする?」

「刑部君、あの――」

 

 天音は俯いていた顔を上げると、周囲に人が居ない事を素早く確かめて、それから何度か口の開閉を繰り返した後、言った。

 

「その、あの、さ……ナインに聞かれた時はあぁ言っていたけれど、あの兵器って、本当は危険なものじゃないのかな……?」

 

 声は僅かに震えていた。刑部を下から見上げていた瞳はゆっくりと再び床に向けられ、両腕が力なく垂れている。二人の間に沈黙が降りた、俯き自分の足元を見つめる天音には今、刑部がどんな表情をしているのか分からない。刑部が穏やかな口調で言った。

 

「危険、っていうのは?」

「その……刑部君の体に、何か良くない影響を与えたりとか」

 

 天音は俯いたまま、強く瞼を閉じた。肩を張って拳を握り締め、唇を噛む。どうか嘘を言わないで――そう内心で願った。息を吸い込んで、言葉を紡ぐ。

 

「その、あの時の、苦しんだ表情の刑部君の姿が頭から離れなくて、目や鼻から血を出して、呻いて、痙攣までして、あんなの普通じゃないよ、きっと何か良くない副作用とか、あるんでしょう? だって二週間も隊を離れていたんだから、全く何もなかったなんて、そんな事は無い……よね?」

 

 舌は良く回った。否定しないでくれと、そんな心の焦りが言葉を生んだ。恐る恐る、顔を上げる。漸く視界に入った刑部の表情は――笑っていた。

 儚く、嬉し気で、同時に悲しそうに。

 

「……天音は優しいね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、天音は刑部のその後の言葉が手に取る様に分かった。嗚呼、駄目だ、彼はきっと。天音の顔から血の気が引き、指先が小さく一度だけ震えた。

 

「大丈夫だよ、何もない……治療は、四足にやられたもが殆どだったから」

 

 目を閉じて微笑む刑部。天音はその言葉を聞き届け、また視線を足元に落とす。言葉は嘘だと分かった、蓮華より言質は取ってあるのだ。無理をしていない筈がないのだ。なのに彼は隠した、嘘を吐いた――その事実が何よりも天音の心を抉る。

 私はまだ、信頼されていないのだ。

 

「そっか……うん、なら……良い、んだ」

 

 言葉は淡々としていた、平然と聞こえたかもしれない。けれど胸内はこれ以上ない程に淀み濁り、落ち込んでいる。握り締めた拳が解かれ、力なく垂れる指先。蒼褪めた顔。

 天音は思った。

 この人はきっと、笑って死ぬ。最後まで自分の体を削って、記憶を失って、精神を病んで――廃人となって死ぬんだ。

 そんな未来がありありと想像出来た。全てを出し尽くし、外も中もズタボロにされた刑部が冷たくなって骸になる。それでもきっと彼は後悔もしなければ恨みもしない、そう在るべきだと受け入れて死んでく。笑って死ぬ。そんな彼の、『限りなく現実に近い未来』を想像すると、胸を掻き毟り、叫びたくなる衝動に駆られた。歯で唇を噛む、舌に血の味が滲んだ、強く噛み過ぎて唇を噛み千切ったのだと分かった。けれど痛みは無かった。

 

『ならば如何しますか、刑部さんの手を取って、逃げますか』

 

 不意に、ナインの言葉が脳裏を過った。藤堂刑部という人間を救う方法。

 全てを捨てての――逃避行。

 天音にはそれが、彼を死なせない為の唯一の方法に思えて仕方なかった。

 

「それじゃあ、私はこっちだから、何かあったら遠慮なく呼んでね」

「うん、ありがとう、天音」

 

 宿舎に入った二人は天音の部屋の前で別れた。笑顔で手を振る刑部、対してどこかぎこちなく笑って頷く天音。自室に入った彼女は後ろ手に扉を締めると鍵を締め、ずるずると扉に背を預けて座り込んだ。

 最近少しずつ物の増えた、質素な部屋。カーテンは閉め切り、光は入ってこない。天音は膝を抱え、その合間に顔を埋めた。

 

「……刑部君が、死ぬ」

 

 記憶を失って。最期は自分が誰かも分からず、ただ息をするだけの肉の塊になって。或いは、脳が焼き切れて、戦場で。

 

「――ッ!」

 

 想像した、想像して、ぎちりと、歯を食いしばった。許せる筈がない、そんな結末は許容出来ない。天音はそう断じる、そんな未来はクソだ、到底許容できる筈がない。

 しかし、ならばどうする? 藤堂刑部を連れ出して逃げるか。この平穏と呼べるウォーターフロントを捨てて、過酷な内地で。脳内で何度もその言葉が反響する――けれど可能なのか、実際、そんな事が。

 否だ、天音は内心で否定した。ナインが言ったように人間二人でどうこう出来る程生温い状況ならば人類がここまで追いつめられる事はなかった。AS乗りとして逃げ出して、当分は良いだろう。だが人間が生きる上で必要な多岐に渡る。衣食住に加えて安全の確保、そもそもどうやって安定した食糧供給を為すと云うのか。天音の頭脳では廃墟と化した都市から残飯を漁る程度の案しか出て来ない。

 

 それに、家族はどうする? 母と妹は。

 

 天音は覚束ない足取りで立ち上がると、そのままデスクまで歩きその引き出しを開けた。中には輪ゴムで留められた手紙の束がある。母は、ローカルな人間だった。電子メールを使わず、直筆の手紙を良く寄越した。これらの手紙は全て母からの手紙であった。天音はそれを手に取り、表面を優しく撫でる。一番後ろの紙は僅かに黄ばんで、擦れている。訓練センターに足を踏み入れ、本格的にAS乗りとして活動した頃に届いた手紙だった。挫けそうな時は何度もこれを読み返して、己を奮い立たせた。

 内容は病気の事であったり、家族の事であったり、或いは天音の身を案じるものであったり、色々だ。

 そう、母は手紙を書ける程に回復したのだ。内側での生活は母の精神を幾分か慰め、体調を回復させる程度には心地よいものだったのだ。衛生面もそうだし、食事や睡眠の質、常に医者に罹れるという状況が良かったのだろう。少しずつ、少しずつだが自分達は『有り触れた幸せ』というものを享受し始めている。

 そんな家族を――見捨てられるのか、自分は。

 

「………」

 

 天音はそっと指を唇に近付け、爪ではなく、その腹を噛んだ。鋭い痛みと共に血が噴き出し、舌の上に鉄臭い匂いが充満する。その表情は険しく、荒んでいた。

 家族を見捨てられる――筈がない。

 

「両方助ける……どんな手を使ってでも」

 

 天音という人間は利己的なのだ――どこまでも。大切ならば両方助ける、助けなければならない、その為に他者が不幸になろうと天音は省みない。己の幸福と、己の大切な者の幸福は何を犠牲にしても守らねばならないのだ。そう、どんな手を使ってでも。

 呟きは虚空に消え、天音の瞳が歪に歪んだ。

 脳裏に浮かぶ人物はひとり――蓮華と名乗った、あの女性であった。

 

 

 ■

 

 

「痛ッ……!」

 

 不意に、鈍い痛みが頭に走った。刑部は天音と別れ、自室に向かう途中の廊下で足を止める。額に手を当てると僅かに熱がある様に感じた。頭痛、最近では珍しくもない。顔を顰め、直ぐ横にあった壁に身を寄せる。まるで小さな小人が頭の中で暴れ回っている様な痛みだ、顔を顰めながら力なく壁に凭れかかると、瞼の裏に早巻きの様な映像が流れ、頭に響く声の数々。

 

【宗像、ブロックを抜かれたわ、恐らくマザーが本腰を上げたのでしょう、直此処にも連中が来る、急いで戦車に乗って、千葉の沖合ならまだ希望がある、私は此処に残って最後まで戦うから――】【首都との連絡途絶、ゼロヨンとの連絡も途絶えた、もう生きてはいないでしょう……宗像、生きて、何としてでも、でなければ、私達は――】【何も怖がる必要はない、何度となく繰り返してきた工程だ、痛みも苦しみもない、また安寧を味わえば良い、マザーの手がお前に届くまで……何度でも】【けれどお前はきっと――この約束も忘れてしまうのだろうな】

 

「ッは、ハッ……! 今度は幻覚に、幻聴か」

 

 刑部は頭を壁に預けたまま吐き捨てた。夢を見ることはあった、しかし今の今まで現実でこんな夢紛いの映像や声を切事は無かったのだ。自嘲し、手で顔を隠す。頬を少し強く叩くと僅かに正気を取り戻せた気がした。

 

「いよいよ、俺も……」

 

 その先の言葉は出なかった。丁度、背後から足音が聞こえたからだ。億劫そうに振り向くと、此方を真っ直ぐ見つめる女性と目が合った。

 

「刑部?」

 

 背後から歩み寄っていた人物は源であった。彼女は刑部の傍に駆け寄ると、蒼褪めた表情で虚ろな目をする彼の肩を掴み問いかけた。

 

「源、さん」

「どうした! どこか、痛むのか……!?」

 

 どこまでも真摯に此方を心配する彼女を見て、刑部はぐっと下っ腹に力を込めた。空元気、やせ我慢の類は得意であった。へらりと笑った彼は肩に掛かった彼女の腕を軽く叩き、何でもない様に笑う。

 

「あはは、大丈夫、ですよ……ちょっと、立ち眩みがあっただけで」

「余り無理をしないでくれ、頼むよ」

 

 刑部を覗き込む源の瞳は不安に塗れていた。彼女にそんな顔をさせてしまっているという事実に、心が痛む。「大丈夫ですよ」と刑部は繰り返し口にした。それは源に向かって言った言葉だったが、同時に自分に言い聞かせている様でもあった。源は刑部の肩を掴んだまま、「何処に行くんだ、自室に行く途中か? なら、肩を貸してやる」と言った。

 刑部はひとりで平気だと口にしようとし――しかし、源の視線が自分ではなくその向こう側、己の背後に向かっている事に気付き、その視線を追った。

 

「――蓮華」

「何だ、源も一緒だったのか」

 

 丁度、源と反対方向からやって来たのは二階堂蓮華。いつもの和装ではなく、ASを装着する為のタイトなコンバットスーツに身を包んでいる。その肩にコートを羽織った蓮華は、どうやら刑部に用事があるようだった。しかし蓮華の姿を認めた源は先ほどまでの雰囲気を一変させ、刑部を優しく押し退けて前に立つと彼女に向かって吐き捨てる。

 

「ちぃと、面貸せよ、テメェ」

「………」

 

 源から放たれる寒々しい気配、それは刑部の感覚が正しければ――怒りだ。蓮華は目を細め、視線を逸らす事無く源を見ていた。それは何処か値踏みする様な視線で。

 

「刑部、ひとりで部屋に戻れるか? 何なら、メディカルセンターまで連れて行ってやるが」

「ありがとう源さん、俺ひとりで大丈夫……それで、先生、俺に何か御用事でしたか?」

 

 背後を肩越しに見て、そう口にする源に向かって首を振る。そして己に用事があったらしい蓮華に向かって問いかけるも、彼女は小さく息を吐き出すと肩を竦めて言った。

 

「別段、急ぎではない――源の用事を済ませた後に行く、部屋で待っていろ」

「……分かりました」

 

 どうやら自分は此処に居ては邪魔なようだ。二人の間に流れる不穏な空気を感じた刑部は、どうか揉め事になりませんようにと内心で祈りながら二人の横を通り過ぎた。尤もそれが叶わない事は薄々理解しているが。彼女達の仲は、余りよろしくない。それは訓練センター時代から続いており、刑部にとっては今更どうしようもない事柄の一つであった。

 対峙した両名は真っ直ぐ視線をぶつけながら不意に源が顎先で背後を示す。

 

「――こんな廊下で話す話じゃねぇ、上に行くぞ」

「良いだろう」

 

 源は険しい表情でそう告げ、反対に蓮華は薄っすらと笑みすら浮かべ頷いた。

 

 

 ■

 

 

 蓮華は先を歩く源の背中を追い、錆びた転落防止フェンスに囲まれた屋上に辿り着いた。風に髪を遊ばれながら、後ろ手で扉を閉めた蓮華は切り出す。その表情は変わらず、どこか小馬鹿にした様な笑みだ。

 

「それで、何の用だ源」

「惚けるな、理由なんて幾つもあんだろうが」

 

 告げ、源は顰めた顔を隠さずに懐から何かを取り出し蓮華に向けて放り投げる。蓮華は放られたそれを顔の前で受け止めた。彼女の手の中にあったのは見覚えのあるシリンダー、源は舌打ちをひとつ零し蓮華を睨みつける。

 

「こんなモンをこれ見よがしに床に転がしていた理由は是が非でも聞きたいねぇ、あの後、FOBにとんぼ返りしやがって……!」

「………」

 

 蓮華は受け取ったシリンダーを転がしながら眺め、ふっと鼻を鳴らした。それは蓮華が刑部の収容されていた病室で使用したものの残骸だった。源は良く理解している、目の前の女が単なるポカやミスでこれを残した訳ではないと。そんな可愛げのある存在ならば、自分が此処まで激昂する必要もない。

 

「それで? 『ついうっかり』なんて理由じゃねぇだろう、テメェに限ってそんな阿呆やらかす筈がねぇ、この状況もお前の望み通りか?」

「さて」

 

 肩を竦め惚ける蓮華、彼女はシリンダーを後ろポケットに仕舞い込むと無機質な瞳を源に向けた。それはどこか源を測る様な瞳であった。その瞳が気に喰わない、二度、源は舌打ちを零す。シリンダーの中身は知れない、秘密裏に探ろうとは試みたのだ、しかし既存の薬品のどれにも該当しないものであった。単なる薬品という訳ではないだろう、或いはナノマシン関連か? どちらにしても。

 

「テメェ、刑部に何を打ち込みやがった? 返答次第じゃぁ――」

 

 源は両手を勢い良く重ね、打撃音を打ち鳴らす。人間を殴り殺すのは――拙い。だが、コイツは別だ。こいつは放っておいて良い類の人間ではない、放置すれば必ず刑部にとって良くない結果を生む。そう確信しているからこそ、源は頭に響く警告をねじ伏せ告げた。

 一歩前に踏み出し蓮華に向かって拳を突きつける。その瞳は目前の蓮華と同じく無機質で、無感情で、しかし奥に確固たる殺意を湛えていた。

 

「ミンチにしてやるよ、人間のテメェをぶち殺すなんざ、機械人形からすれば朝飯前だ」

「……随分と物騒だな、吾を殺すか、実に愉快な発想だ、機械人形が、人間を殺す、なぁ」

 

 本気だと思っていないのか、或いは本気だとしても出来はしないと高を括っているのか。蓮華はくつくつと笑い、源を見下す。そして徐に距離を詰めると突き出された拳を指先で弾き、どこか馬鹿にした口調で言った。

 

「一度吾に触れることも出来ず、あしらわれた事を忘れたか」

「あのコードか? 試してみろよ、テメェが全文言い終る前に、アタシの拳がテメェの顎を打ち砕く方が速ぇからよ」

 

 源は本気であった、返答次第では蓮華という人間を殴殺しようと考えていた。機械人形の身で人間に仇為すなどその存在意義の否定に他ならない。しかし、それでも尚やらねばならぬ理由がある。刑部という存在は相応に重いのだ、彼女にとって。

 交差する視線、蓮華は自身を見つめる瞳の中に昏い覚悟を見た。否、そんなものは最初から分かっていた、浅い付き合いではないのだ、この機械人形とは。やる、と言ったらやるだろう、この機械人形は。例えそれが自己の否定であっても、【機械人形】という存在ではなく『源』という一個の存在として。

 蓮華は数秒程源と睨み合った後、不意に視線を外し目を閉じた。そして踵を返し源に背を見せる。

 

「まぁ、良い……答えてやる、元よりそのつもりだ、今代の貴様は随分と刑部に熱を上げている様だからな、これ位は助力してやるとも」

「あん?」

 

 源は背を向け、実に呆気なく話すと言った蓮華に訝し気な声を上げる。元より、簡単に吐くとは思っていなかった。だからこそたとえ殴り殺す結果になったとしても、絶対に吐かせてやると覚悟を決めていたのだが――どういう訳か、蓮華は実に簡単に口を割った。

 源はどこか警戒した様に蓮華を見つめ、目を細める。蓮華はしかし、そんな彼女の反応などどうでも良いとばかりに言葉を続けた。

 

「まず最初に言っておくが、これは刑部に頼まれてやっている事だ、正確に言えば『前代』の藤堂刑部に……だが」

「はぁ? 何言っているんだ、テメェ」

「黙って聞け」

 

 蓮華は源の言葉を遮ると同時、ポケットに仕舞ったシリンダーを指先で叩きながら淡々とした口調で告げる。

 

「先程のシリンダーの中に入っていたのはニューロナノマシンだ、無論、ASで使用する類のものとは役割が違う、主に海馬周辺に展開し記憶領域の拡張や抽出、刷り込みなどを行う外部記憶領域というべきか、脳に作用する性質上、眠っている人物に使用すれば意識は覚醒し、一時的な記憶の混乱も見られる、貴様が見た刑部は正にその状態だっただろう」

 

 蓮華の言葉に源は口を噤んだ。確かに、自分が駆け付けた時刑部は目の前の蓮華が言う通り、記憶の混乱があり、自身が病室に来たことを憶えていないような口ぶりだった。ならば、蓮華は嘘を言っていないのだろうか。しかし、仮にそうだとしても疑問が残る。源は眉を潜めながら問いかけた。

 

「何のためにそんな事してンだよ、まさか自分の都合の良い様に刑部の記憶を書き換えようってか?」

「記憶の刷り込みを行っているのは否定しないがな、これは刑部の記憶の混濁を防ぐための処置でもある、僅かだろうが精神の摩擦も減る、要するに記憶のバックアップだ、このシリンダー程度の量では領域をそれ程多く取れないが断片的な記憶の保存は可能だ」

「とても信じられねぇな」

「貴様が信じようと信じまいと、私にとってはどうでも良い」

 

 蓮華の言葉は淡々としていた。腹の底から源の感情がどうあっても関係ないと思っているのが分かった。源は厳しい表情で舌打ちを零し、腕を組む。

 

「……それで、刑部に何の記憶の刷り込みをやっているんだよ? 言ってみろ」

「前代の刑部が経験した、その記憶の断片を」

「――はぁ?」

 

 問いかけに対し、極当然の様に返された言葉。それを聞き、思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。それ程までに唐突で、予想外で、斜め上の回答であったのだ。源はじっと蓮華の能面の様な表情を見つめ、それから乱雑に髪を掻く。そして何とも複雑な表情を浮かべ、もう一度蓮華を見た。その瞳は誰が見ても分かる苛立ちの感情を秘めていた。

 

「……アタシはよう、テメェが【マトモ】である前提で話している、それで、何だって?」

「前代の藤堂刑部、その記憶だ」

 

 もう一度、蓮華は繰り返した。

 源は何も言わない、二人の間に沈黙が降りる。源の瞳が蓮華のそれを真っ直ぐ見つめる。ややあって、源の口がゆっくりと開いた。

 

「すると、何だ、お前は前世の記憶を刑部に刷り込んでいるって?」

「有体に言ってしまえば、そうだ」

「くくッ、はは……はははははハハハッ!」

 

 顔を覆い、笑う。まるで上等な冗談でも聞いたかのように、けらけらと、大口を開けて。ひとしきり笑って、前髪を掻き上げた源は憤怒の形相で吐き捨てた。

 

「馬鹿にしてンのかテメェ」

 

 一歩詰め、源は蓮華の胸元に手を伸ばした。しかし素早く伸びたそれを蓮華の手が容易く掴む。ぎしりと関節が軋みを上げ、二人は至近距離で睨み合った。額を打ちつけんとばかりに迫った源の顔を見つめ、蓮華は言う。

 

「言った筈だ、信じようと信じまいと、どうでも良いとな」

「はッ、なら何だ、テメェは過去からタイムトラベルしてきた人間だとでも言いてぇのか? 刑部の前世とやら知っている蓮華サンよぉ!」

「強ち間違いではない、が、正解でもない、吾はタイムトラベルなど経験しておらん」

「なら、テメェが妄言を吐いているかだ! いつからそんな頭湧いた発言するようになった、蓮華!?」

「………」

 

 源は見るからに怒り狂っていた。彼女からすれば、まるで自身の行いを隠す為に煙に巻いて誤魔化そうとしているように見えたのだ。そんな事は望んでもいないし、蓮華らしくもない、言い換えるならば――それは失望だった。

 どんな形であれ、源という存在は蓮華と云う女を認めている。Dブロックで切磋琢磨した仲、少なくとも浅い関係ではない。刑部との間柄もそうだが、戦場も何度か共にしている。その実力は源も認める所だ。

 気に喰わないし、好いてもいない。しかし確かに認めている、一本芯の入った生き様とでも云うのか、彼女ならば言を左右にして逃れはしまいという歪な信頼があった。或いは言えぬならば言えぬと、そうはっきり口にするだけの度量と肝が彼女にはある筈なのだ。

 一方的ではあるが、それが裏切られたと源は感じた。

 そんな感情を、一方的な信頼を憤怒に染まった瞳から読み取ったのか、蓮華は面倒そうな表情を浮かべ、そして掴んだ蓮華の腕を乱雑に放るとそのまま気怠そうな口調で告げた。

 

「はぁ……良いだろう、どうせ、知ったところでどうにもならん、前代もそうであった、足掻きに足掻き敗北するのが運命なのだから――これ位は、些事であろう」

 

 蓮華はまるで自身に言い訳する様にそう呟いた。そして徐に目を瞑ると、腕を水平に伸ばし――その指先が虚空に消えた。

 

「!?」

 

 それは何と言えば良いのか、空間の揺らぎ――と表現する他ない。空気が波打ち、視界が歪んだ。その揺らぎの中に蓮華は指先を突き入れ、小さなチップを取り出す。指先で摘まめる程度の、本当に小さな物だ。傍から見ると蓮華の指先のみが消失した様に見えた。蓮華が指先を引き抜くと揺らぎは即座に消え去り、其処にはもう何もない。源は目を瞬かせ、己の視覚情報に偽りがないか確かめた。

 

「受け取れ」

「ッ、テメェ今のは――」

「些事と言ったろう、それに、貴様にとって重要なのは手元のそれだ」

 

 蓮華はチップを放り投げ、慌てて受け取りながら源は問い詰めんとする。今のは、明らかに『普通ではない光景』であった。しかし蓮華は些事と嘯き、答えるつもりがないのだと分かる。源は蓮華を睨みつけながらも、目すら合わせようとしない彼女の態度に強い拒絶を感じ取りそれ以上の追及を諦めた。どれだけ詰め寄ろうと蓮華が口を割る事が無いと理解出来たからだ。源は投げ渡されたチップを摘まみ、目の前に翳すと顔を顰めた。

 

「これは、何だ」

「貴様の記憶、その断片だ」

「記憶の断片? まさか、アタシの前世――ってか?」

「そうだ」

 

 どこか馬鹿にした様な口調だった。しかし蓮華は気にも留めず、真面目な表情で頷いた。手元にあるチップは明らかに眉唾な代物だった、しかし彼女の頑なな態度が嫌に信憑性を持たせる。少なくとも蓮華という女は出鱈目や軽々しい嘘を並べ立てる人物ではない。チップを指先で擦り、源は唇を湿らせる。

 

「信じられないのならば、それはそれで構わぬ、だが態々廃棄領域に漂っていた貴様の『記録データ』を引き寄せた吾の労力に見合うだけの感謝は欲しいものだな?」

「……はっ! 誰がテメェなんぞに感謝なんぞするもんか」

 

 蓮華はそう吐き捨て、同時にどこか挑発的な笑みを口元に張り付けた。

 

「分かった……良いぜ、やってやろうじゃねぇか、クソッタレ」

 

 呟き、蓮華は躊躇うことなく首後ろのソケットにチップを挿入した。ウィルスの可能性も考えていた。しかし、それならば態々こんな回りくどい事をせず、停止コードを口にすれば良いのだ。言葉一つで無力化できる上に、何かしらのプログラムを差し込むのであればその間に済ませてしまえば良い。

 だからこそ勇んで源はチップの中身を閲覧した。その中身は映像データらしく、ノイズ混じりの、不鮮明な映像だった。画面は二度、三度揺れた後、誰かの手を映し出す。

 

【ぁー……ァー……これ、聞こえてんのか……?】

 

 ――これは、誰だ?

 

 カメラは燃え盛る街を映していた、見慣れぬ街だ。旧東京、内地の栄えていた時代の風景に似ている。少なくとも、今の廃墟と化した首都ではないだろう。やや薄汚れた街並みは瓦礫に埋まり、ひん曲がったガードレールと折れた街灯を緋色の炎で彩っている。

 その下に映るのは投げ出された足、そして力なく垂れる腕。壁か何かに寄りかかっているのだろう、炎に照らされた体は血に塗れている事が分かる。見た事のない装備だったが、源には身に纏うそれが戦闘機か何かのパイロットスーツの様に見えた。撮影しているのは女――だろうか。声は、僅かに高い。

 

【これが、多分最後の記録だ、尤も裏側に隠すだけの余力もねぇし、多分廃棄領域に流れちまうだろうから、喋ったって意味なんかねぇんだろうけどな……まぁ、なんだ、遺言代わりのビデオレター……いや、単純にアタシの不満を吐き出すだけの、自慰みてぇなもんだ】

 

 口調や声に聞き覚えがあった、否、あり過ぎた。源は映像を投影しながら、口元を抑えた。撮影者は血塗れの指先を動かし自身の膝を叩く。見慣れた、憶えのある仕草だった。

 

【宗像は死んじまった、あの八本脚野郎の攻撃で、基地ごとボンッって感じにな、はは……あんだけ守るとか啖呵切っておいて、ダセェよな、クソみてぇな結末だ、本当に】

 

 雑音が酷い、音は途切れ途切れ。けれど分かった、聞き間違うことなどあり得ない。

 

 ――これは、アタシか?

 

 口調や抑揚の付け方、それに手足の造形、それらすべてが己に酷似している。いや、そのものだと言って良い。癖もそうだ、自分でなければ何だと云うのか、見覚えがあり過ぎる。画面が揺れ視界が歪んだ。それが涙である事が分かった。義眼から送られる視覚情報をそのまま記録しているのだろう。無造作に目元を拭った指先、皮が捲れ内部機構が露出していた。

 

【……『蓮華』の言っていた事は正しかった、幾ら足掻こうが無駄だったんだ、結局、滅びは決まっていた、宗像たちは永遠に世界に囚われたまま――前よりずっと上手くいっても、救いは得られない、それをまざまざと見せつけられちまった、本当に、たまらねぇよ】

 

 涙を流し、撮影者は俯く。俯いた事で腹部や胸部に著しい損傷がある事が分かった。左腕の指も、何本か千切れている。装甲か甲鉄か、鈍色の血に塗れた金属破片が脇腹に深々と突き刺さっていた。致命傷だ。足も、目を凝らせば捻じ曲がっているのが分かった。もう立つ事すら儘ならないのか。源の表情が歪んだ、無意識の内に自身の脇腹に手を当ててしまう。自身の腹に傷などない筈なのに。

 

【あー……そろそろ稼働限界だ、痛覚は切っているからよ、痛みはねぇんだけれど、こう、休眠状態に入る一歩手前っていうか、微妙に眠くて、怠い、はは、新しい感覚】

 

 かくん、と視界が揺れる。ノイズが更に酷くなる。それは回路の焼き切れる寸前に似ていた。源の口が何か言葉を紡ごうと開き、しかし中途半端に息を吐き出すに留まった。

 映像がぶつりと途切れる、暗転――そして不鮮明ながら、別視点となった映像が流れる。端末に記録を移したのだと分かった。腕に巻き付いたそれから、見上げるようにして女の顔が映った。それが女の行った操作なのか、或いは機能終了を予期して端末が自動処理したのか、それすらも定かではない。ただ、その視点からは女の素顔が良く見えた。

 

【宗像、わりぃ、助けられなくて、三番と四番、それに十一番目の奴も、結局、何もしてやれなかった、名前くらい、付けてやれば良かった、くそぅ、後悔ばっかりだ、死にたくねぇなぁ……クソ、死にたくねぇよ……けれどそれ以上に、悔しくて、仕方ねぇ】

 

 女は――源だった。

 

 少しだけ髪が伸びて、今の自分より女性らしい容姿となった、自分自身だった。自身の知らぬ己の姿を目にした源は息を詰まらせ口を結んだ。存在しない筈の心臓が早鐘を打つようだった。

 

【なぁ、もし、これをよ、『次のアタシ』が見ているなら】

 

 映像の中の源は、光の無くなった瞳をしている。もはや目として機能していないのか、或いは人工知能モジュールが既に働いていないのか。どちらにせよ、終わりが近づいているのは明白であった。彼女は僅かも身動ぎせず、ぼそぼそと蚊の鳴く様な声で懇願した。それは正しく懇願であった。

 

【精々上手くやってくれ、滅びが避けられなくても、その次はもっと上手くやれるように……そうやって繰り返していけばきっと、宗像も世界に囚われずに済むから、今までそうしてきたように、これからも――なぁ、頼むよアタシ、多分、記憶は全部リセットされちまうだろうけれど、アタシ達は、本当に望んでいたんだ、人と……人として、生きていけるアイツの、宗像の、未来と、皆の……あぁ、クソ……通知が、煩ぇ……処理が、堕ち――まだ、アタシは……止まる、訳――に、は】

 

 源の体から、何か甲高い電子音が鳴った。同時に頸が小刻みに揺れ動き、まるで油の切れたブリキ人形の様に止まった。電子音は機能停止信号だった。動いていた唇が、ゆっくりと閉じられる。その最後に伝えたかった言葉、声に出ずとも、その動きを読み源は理解した。

 

 ――ごめんなさい。

 

 映像の中の源は、最後にそう言って――その全機能を停止した。

 

 

「っ、はァ!」

 

 映像が途切れた、メモリに刻まれていた記録はそれですべてだった。息を吐く。呼吸何て必要ない筈なのに、自身の胸の中で暴れ回る虚像の心臓を掴み源は肩を大きく上下させた。人間であったのならきっと滝の様に汗を掻いていたに違いない。体を曲げ、胸元を掴みながら彼女は目前の蓮華を睨みつけた。荒い呼吸は、収まらない。

 蓮華はそんな源を見下ろしながら、感情を伴わない言葉を吐いた。

 

「見えたか、貴様の前代が」

「……ありゃあ、何だよ……!」

「貴様が死ぬ間際に記録した映像データだ、映像の中のお前が言っていたように廃棄領域に漂っていたものを吾が検索し引き出した、ただそれだけの事だ」

 

 答えは簡潔であった。同時に、やはりと思わせる内容だ。嘘は言っていないと確信出来た、しかしそれは信じるには余りに荒唐無稽で、凡そ気狂いと思われるだけの要素が詰まっている。しかし、ならば先の映像は何だと云うのか。フェイクか? 何の為に? 蓮華が自身を騙す為に捏造したものと言われてもそちらの方が信じられない。

 源は先ほどの映像の中にいた自分自身を思い返し、胸元を握り締めながら呟いた。

 

「あれが、前世のアタシ……?」

「前代の貴様は十二月十一日に千葉県沖合の遅滞戦闘に参加し、死亡している、あれは死に際に記録した手慰みの映像だろう、どうだ、多少は理解したか」

「――余計に訳わかんなくなっちまったよッ……!」

 

 源は頭を抱え、絞り出すように告げる。最初は虚事だと高を括っていた、ある事ない事を口にし自身を煙に巻くことが狙いだと。しかし、違った。その虚事が真実である可能性が、あの映像を目にした事で高まった。否が応でも理解してしまう。あれは確かに自分だったのだ。自分が自分を見間違う筈がない、それほどまでに馴染んだ肉体と動作であった。

 

「だが……だが、前代って奴が本当に居るって事は分かったッ……あれは、間違いなくアタシだったんだ」

「ほぅ」

 

 苦悩する源の言葉を聞いた蓮華は意外そうに眼を細め、言った。

 

「てっきり捏造を訴えると思ったがな」

「はッ! 笑えるぜ、映像データの記録日が未来で、更に同じ容姿をした自分が居たんだ、蓮華についても語っていやがった、そんでアレは東京か? 占領されていない、廃墟じゃねぇ東京だった、荒れちまっていたが人の住んでいる痕跡はあったんだ、つまりマジであの世界では内地に人類が留まっていたって事だ、此処とは【世界】が違う……!」

 

 どこか吐き捨てるような口調で源は言い募る。抉る様な鋭い視線を注がれて尚、蓮華は不動。ただ面白そうに源を見下ろすばかり。源は大きく息を吸い込み、一度胸を強く叩いてから真っ直ぐ姿勢を正して蓮華と対峙した。

 

「位置データもあった、間違いねぇ、テメェがアタシを嵌める為にこんな大層なもん捏造する理由なんぞねぇだろう、違うか?」

「御明察、物分かりの良い貴様は嫌いではない」

「そいつはどうも……! それで、聞きたい事は増えちまった訳だが、テメェは――」

「生憎と、教えられるのは此処までだな」

「ッ……!」 

 

 源が一歩踏み込み、蓮華を憎悪すら籠った視線で射抜いた。しかし彼女は変わらず、硝子玉めいた瞳で視線を返すばかり。細い蓮華の指が一本立てられ、指先が軽く源の胸を突いた。

 

「『前世で何があったのか』、『宗像とは誰か』、『何故自分は死んだのか』、『世界は最後どうなったのか』、『こんなデータを持っている吾は何者か』――疑問は尽きぬだろう、だが黙って口を開き、餌を待つだけの貴様にくれてやる情報などこれ以上ない、知りたければ己の力で見つけ出してみろ」

「何を――」

「――と、言っても貴様にとって情報源は私だけ、故にヒント程度はくれてやる」

 

 蓮華の口端が僅かに上がり、挑発めいた視線を源に投げかける。知らず知らずの内に源は拳を握り込み、体を強張らせていた。

 

「藤堂刑部がVDSの適応者に選ばれたのは偶然ではない」

「!」

「内側で平穏な日々を送っていた彼奴を前線に引っ張り出したのが誰か、今一度考えて見ると良い、全ては決まっていた事……お前達が甲鉄を纏い、感染体と戦う事は、この世界が生まれた時から【ソレ】が決めていた」

 

 蓮華はそう告げ、とんと源の躰を押した。一歩、退く源。蓮華はそのまま踵を返し、屋内へと通じる扉に手を掛けた。そして最後に源の方を振り向くと、小さく笑って唇だけを動かした。

 言い終るや否や、扉を開け放ち階段を降りていく蓮華。残された源は消え行く彼女の背中を見つめながら呟いた。

 

「内側に住んでいた刑部を、基地に引っ張り出した存在――」

 

 提示されたヒントに、源は思考を回す。少なくともそんな事が出来る連中を源はひとつしか知らない。この上層の更に上、絶対命令権を持つウォーターフロントの頂点。

 

「四十人委員会」

 

 

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